熱_04
「え…な、なん?」
「やで、景吾とな、付き合ってんねん。今」
「ちょ、ちょお待て。お前、いつや、先々週やないか?彼氏と別れた言うて…」
「せやせや、そのメールした日。付き合い始めてん」
熱
4.
「………」
侑士と久々にランチをしようと集合したファミレスで、前の席に座っている侑士が口を開けたまま黙り込んでしまった。
「侑士、大丈夫?」
「お前、病気か?」
こんな会話をなんだか誰かと前にしたような気がする…そう考えて、私は思い出し笑いをした。
そういえば、その相手は景吾だったよね。ふふ。
「病気やで。景吾めっちゃ好き好き病や」
「お前、あいつの女癖わかっとんやよな?」
ぽかーんと口を開けたまま人形みたいに喋った侑士に苦笑して、私は堂々と言ってのけた。
「知っとんで。せやけどそれは、今までのことやん」
「…はぁ、お前…何言われたんや…?」
それでもまだぼけっとしている侑士の質問に、私はにやっと笑って答えた。
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、侑士にこれまでのことを話す。
侑士は聞いている間中、「うわっ!気色悪っ!」だの、「おぇっ」だの!
その度に、私は侑士を3回殴った。
「…イタッ!!お前なぁ、アホんなったらどないすんねん!」
「あんたが余計なことばっかり言うからやないの!!どつきまわすで!景吾の悪口言うな!!」
そんなこんなで全て話し終えて満足した後、侑士はごちゃごちゃと野次を入れつつも、嬉しそうに笑った。
「さよかぁ、跡部がなぁ。ああ、せやけどホンマ良かったわ。あの男がそないに本気になる相手がまさかお前やとは思わへんかったけど…でも良かったわぁ…」
「ん…侑士、おおきにな」
「ん?何がや?」
「私らを引き合わせてくれて、や。景吾は侑士に怒っとったけどな」
「なんでやねん!!」
「や、『何故俺様と伊織をもっと早くに逢わせなかったんだあいつは!』言うとったで」
私がニッコリ笑ってそう言うと、侑士はあからさまに顔を引き攣らせた。
それにまた私が突っ込みを入れながら、時間は過ぎた。
「ま…せやけど念には念やで。よう捕まえときや」
「…やめてや侑士。私、信じとんで、景吾のこと」
ランチも終わって侑士と昼の都会を歩いている時、ふと、侑士がそんなことを言い出して…私はつい、ムキになって返した。
「せやから、念には念や。別に俺かて、跡部のこと疑っとるわけちゃうけどやな」
「やったらそんなん言わんとってぇや!」
私がつい大きな声を出した事で、侑士がびっくりした顔で私を見た。
景吾は、ただでさえ今、私に信じてもらおうと努めてる。
今までの自分のしてきたことを、私のために洗い流そうとしてくれている。
私が、信じてあげなきゃいけない…私だけでも、信じてあげたい…
違う、私は、信じてる…。
「そ…そんな大きな声出しいな…伊織…」
「…堪忍…ちょお、ムキんなった…」
侑士が私を心配してくれているのは、よくわかっている。
心配してもらっているのに、酷い態度だと自分でも恥じた。
「や、俺が悪かったんやわ…ほな、大学戻るな?」
「ん…ほなね」
「ああ、また、いつでも連絡しい」
侑士はそう言って、笑顔を向けて去っていった。
私はこの時、侑士の言ったことにムキになって返した自分のことを、景吾を信じるあまりにそうなってしまったのだと思っていた。
でもそれは、私の中で景吾の過去がまだ消えないでいる、私の疑いの象徴かもしれなかった…。
+ +
「へぇ、インタビュー!?」
「ああ、明日、練習後な…」
その日の夜、私はいつものように景吾のマンションへ来ていた。
あれから…毎日のように、こうして一緒に居る。
「スゴイー!いつ掲載されるの!?」
「ああ、それはまた担当の奴が知らせてくれるみたいだ」
どうやら、明日はトレーニングの後にインタビュー取材があるらしい。
景吾は前にもインタビュー取材を受けて月刊TENNIS.Jに掲載されたことがあると、そういえばコーチの人が言ってたっけ…。
「……すぐに終わらせて、帰ってくるから、待ってろ、な?」
「…?」
私はいつもバイトを終えればここで待っているのに、景吾が変な言い回しをするもんだからきょとんとしてしまった。
「いや…俺が帰ってきた時、この部屋にお前がいないと寂しいだろ?」
「どんなに遅くても、ちゃんといつも待ってるじゃない…どしたの?」
不安そうな顔をしてそう言った景吾に、愛しさを覚えた。
ぎこちなく、私に甘えているような景吾の言葉が嬉しくて…。
「ああ…そうだな…」
そう言って微笑んで、私の頭をぽんっと弾く。
すごく幸せで、身体中が暖かくなる瞬間…その時、思わず微笑んだ私に、景吾は必ず、笑みを返してくれる。
「キス…してもいいか?」
「確認取らなくたって…していいよ…」
「サンキュ…」
景吾の唇が、優しく私の唇に触れた。
付き合いはじめて約1ヶ月…景吾は、それ以上のことはしてこない。
キスは、いつも優しくて…舌を絡める事さえ、全くなかった。
景吾が愛してくれているのは、百も承知で。
景吾が何かを自分の中で制御していることも、百も承知で…。
それでも自分からは、激しいキスも、セックスも、誘うことが出来ないまま時間は過ぎて…。
景吾…抱いていいよ…?ううん…抱いてよ…景吾…。
伊織を抱くのは、許されない領域のような気がしていた。
「…じゃあ…また明日ね」
「ああ……伊織…!」
「ん?…っ!」
「…おやすみな…」
マンションまで送って、伊織が車から出ようとした時、俺はどうしても、もう一度伊織に触れたいと思った。
引き寄せて唇に触れると、伊織は優しく微笑んで、額をコツ、とぶつけてきた。
「…景吾、今日、変なの…」
「…そうか…」
「ん…ふふっ…おやすみ…」
そう言ってまた少し笑って、俺の頬に軽くキスを落とす。
別れ際、いつも伊織が欲しいと思う。
「戸締り、忘れんじゃねぇぞ」
「あははっ…景吾、お父さんみたい。じゃあね!」
車のドアが閉められてから、伊織の足音を聞く。
それが消えるまで、いつもこうして、車の中で待っている。
…明日、俺は前の女に会う。
俺を殴ろうとした女に…醜い嫉妬心をぶつけて闇雲に寝た最後の女に…
伊織に知られたくないと思う俺は、卑怯か…。
「跡部、月刊TENNIS.Jさんいらっしゃったぞ」
「…わかりました、今、行きます」
専属コーチにそう言われて、俺は練習をやめて振り返った。
力をなくした笑顔でこっちに手を振っている女は、紛れもなく、俺がぼろぼろに傷付けた女の一人だ。
「久しぶり。…こないだは、びっくりしちゃった」
「…余計な事言ってねぇで、取材を始めろ」
「…わかった…。じゃあまず、次に控えている全日本男子テニス選手権についてだけど―――」
テニスコートから少し外れた場所にある事務局を借りて、取材は行われた。
取材の依頼が来た時、その場にいなかったせいでコーチと月刊TENNIS.J側で勝手に話が進み…結果、俺は女と再会することになった。
インタビューに答えている間中、罪悪感が募る。
目の前で足を組んで俺を見てくる女の裸が、一瞬で脳裏に蘇る。
体系も、感じ方も、喘ぎ声も、イキ方も…それを思い出すことで、また自分が伊織から遠ざかる気になった。
穢れた体…穢れた精神…穢れた俺…。
「景吾…?」
「…っ!」
「…大丈夫?取材、とりあえず、終わったから…」
「ああ…」
約1時間、何を喋ったか全く覚えちゃいねぇまま、取材は終わっていた。
女が顔を覗き込み、俺は条件反射で身体を反る様に避けた。
早く…帰って…伊織に…逢いたい…。
「…ねぇ、景吾…」
「…なんだ」
自身を急かすように立ち上がった俺に、女は、名残惜しそうに俺の名前を呼んだ。
「本気で愛せる人、見つかったんだね…」
「…」
段々と目に涙を溜めていく女の顔を見て、俺はまた変な罪悪感に襲われた。
「…凄く辛そうだから。私に会うの。前に、私のこと…1ヶ月くらい、前…」
「………」
「何も言わずに家に来て、何も言わずに、私のこと、むちゃくちゃに抱いた時から…なんとなく気付いてた」
力なく笑う女の顔を見て、何も感じなかったはずの俺が、胸が裂かれるような想いを経験していた。
伊織に惚れて、初めて、女を愛して…。
傷付けたくねぇと思った…そしてそれ以上に、傷付けてきた女の面影が俺の脳裏に過ぎっていく。
この女は…俺がぼろぼろにした、最後の女だ…。
「…あの時は…悪かったな…」
「え…」
「…好きな女が出来て…気付いた…悪かった…」
横暴な言い分だが、俺にとっちゃ謝罪だった。
好きでもなく、ただ寝ただけの女に会うことで穢れた自身へまた戻ってしまうような思いだけが募っていた…だが…悪かった、そう言えた事で…俺の胸の中にあるわだかまりが消えた様な気がした…。
俺は…伊織を愛する資格があるか…?
…そんなことは、もう考えなくてもいい…いいよな?伊織…お前が俺を求めて、俺がお前を求めて…それでいいんだよな?
「…じゃあな…」
「…景吾…待って!!」
出て行こうとドアノブに手をかけ扉を開こうとした時、女が、今にも泣きそうな声で俺を後ろから引き止めた。
「ねぇ…お願い…1ヶ月前みたいに、私のこと、最後でいい…抱いて…お願い…」
泣きじゃくるようにそう言った女は、俺の正面に来て抱きつき、俺の身体を締め付けて、何度も懇願する。
「私、本当に貴方が好きだった…だからお願い…もう、これっきりでいい…忘れるから…ちゃんと、忘れるから…!」
最初の取材で会った時、遊びでいいと気取っていた女だった。
パーマをあてたロングヘアーで、いかにもやり手のキャリアウーマン…「私は割り切れるから」そう言って俺を誘った女…誰がこんなにした…俺が…したんだよな…。
「…景吾っ…」
伸びてきた女の手は、俺の顔を両手で押さえ込み、そのまま俺の唇へは、絡みつくように舌が進入してきた。
「んっ…ふっ…」
涙を流し、俺の舌を請う女…その唇が離れた時、俺は、口を甲で拭って言った…。
「…俺はもう、二度と伊織以外は抱かねぇ」
翌日の夕方、酷く、雨が降り始めた。
「うわ…!すごい雨…!」
景吾の家に入ってから間もなくしてのことで、私は傘も差さずに最寄駅から歩いて来ていた自分に、幾分かほっとした。
「景吾…帰るまでに止むかなぁ…」
景吾が今日行くテニスコートはこのマンションから近くて。
景吾はそのテニスコートに行く時は、ランニングも兼ねて、必ず走って行っていた。
取材でいつもよりは遅くなると言っていたことを思い出して、私は、それまでに止めばいいや、なんて楽観的に考えていた。
でも…
「…止まへんなぁ…」
景吾の練習が終わる時間からだいたい1時間くらいが過ぎて、それでも雨は止まなくて…
きっと、傘くらいは貸してもらえるだろうけど…。
............RRRRRRR
その時、景吾の自宅の電話が鳴り響いて、私は振り返った。
景吾が以前、私がいるときは電話を取ってくれて構わないと、言ってくれて。
私はなんだかそれが凄く嬉しくて…
「もしもし、跡部です」
「お、伊織ちゃんだね」
「あ、コーチ!」
それは景吾の、専属コーチからの電話だった。
「そっか…跡部まだ?」
「ええ…まだ…」
「取材が長引いてんだなー」
「そうかもしれないですね」
景吾が取材で、テニスコートの管理者さん以外は全員帰ったらしい。
コーチには折り返し連絡を入れるようにしますと伝えて、私は電話を切った。
…やっぱり、迎えに行っちゃおうかな…。
そんなに長い距離でもないから、景吾は雨の中ずぶ濡れになって帰ってきてしまうかもしれない。
風邪でもひかれちゃ大変…そう思って、私はテニスコートに向かった。
+ +
着くと、管理室で私はすぐに景吾の居場所を聞いた。
「跡部プロなら、今取材の方と事務局にいらっしゃいますよ」
「ありがとうございます」
事務局は、テニスコートから少しだけ離れた場所にあった。
あ…ホントだ…明かりが点いてる。
景吾が取材にどんな風に答えているのか想像すると、なんだかワクワクしてしまって。
お邪魔しちゃいけないとはわかっていつつ、少し、盗み聞きをしたくなった。
そんないたずら心で、私がそこまでまた傘を差して、もう一本の傘を持って事務局の前に到着した時、事務局の中から、期待とは裏腹な女性の悲痛な声が聞こえてきた。
「ねぇ…お願い…1ヶ月前みたいに、私のこと、最後でいい…抱いて…お願い…」
…何…これ…
1ヶ月前…?私と…付き合い始める…前…?後…?
一番最初に思ったのは、そのことだった。
景吾を、信じていた自分が、間違っていたのか、そうじゃないのか…。
少しだけ、その扉は開かれていて…私はその声を聞いて、無意識に、まばたきもせずに躊躇うことなくそれを覗いた。
「…景吾っ…」
景吾の名前を呼んで、彼の頭を固定した女性は、やがてそのまま景吾に激しく唇を寄せて…舌を絡めて、身を捩るように景吾に預けていた。
そして…私が景吾とはまだ…したことのないキスをし…景吾はただ、それを微動だにせず、受け止めていた――――。
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