熱_06
伊織…今、どこにいる…
お前に逢いたい…声が、聴きたい…
俺をこの闇から引き摺り出せるのは、お前しかいない…
熱
6.
あれから10日が過ぎた…何度電話をしても、伊織は一度も出なかった。
マンションでも、バイト先でも、伊織の姿を見つけることは出来ないまま、俺はただ毎日を過ごしていた。
「…跡部…」
「………なんだよ、お前か…」
近くまで来ていた影に、声を掛けられたことで漸く気が付いた。
俺はそれほどまで、聴覚も、視覚も、ほとんどの感覚が衰弱していた。
「……お前…毎日、ここに来とんか?」
「……伊織が今どこにいるか…知らねーか、忍足…?」
夜…伊織のマンション前でただ立ち尽くしている俺に、忍足は苦しそうな顔をして近付いてきた。
…ふっ…なんて面してやがんだ…お前のことじゃねぇだろ…?
「すまんな、ホンマ、何も知らんねん…電話も、繋がらん…」
「…そうか…」
「お前のマンション行ってもおらへんかったで、まさか思て…来てみたんや…」
忍足を避けてまで、俺との関係を断ち切ろうとしているのか…そんなことを考えるだけで、俺は声が掠れそうになる…。
そんな俺を、悲痛な顔をして見つめる忍足に、俺は唇を上げてニヤリと笑った。
「…笑えるだろ…?俺様がこのザマだぜ…?」
「笑えへんわ…アホ…」
そう言って俺の横へ来た忍足は、小さく溜息を吐く。
忍足はこんなになっちまった俺を見て、何を思うだろう…。
もっと説教しときゃ良かった…くらいのこと…思うんだろうな…。
「ちゃんと…食っとんか…?」
「あーん?俺様を誰だと思ってんだよ」
「せやから尚更や…。試合、近いと違うんか?」
「ふんっ…あんなザコしか出ねぇ試合…たいしたことねぇよ」
「そんなやつれた顔して言われてもな、説得力ないで、跡部…」
忍足の言葉に、俺の顔から完全に表情が消えた。
やつれた…?そうかよ…自分じゃ何もわかんねぇな…自分のことすらわかんねぇ俺に…伊織のこと…わかるはずねぇよな…伊織…
「…………伊織…どこだ…」
「跡部…?」
うわ言のように呟いた俺に、忍足は身体ごと俺に向いた。
そんな忍足にも気が付かないまま、俺の頭の中は、伊織の声と、伊織の面影をただ追いかけていた。
「…俺は…伊織を失ったのか…?」
「…跡部…」
「もう…あいつは戻ってこないのか…?」
「…跡部、ちょお落ち着き…」
「これが落ち着いていられるか!!」
狂ったように突然叫んだ俺に、忍足は驚きもせず、ただ、哀しみの表情で俺を見ている。
忍足…お前の目に、俺は愚かに映るだろう…どうして今までお前に説教されていながら、俺は気が付かなかったんだろうな…こうして本当の愛を見つけた時に、必ず後悔するということを…
「あいつが…好きなんだ…」
「ああ…知っとるよ…」
「あいつだけなんだ…俺には…伊織しかいねーんだ…」
「…ああ…」
「毎日、毎日、ここで…伊織を待っても…」
「…跡部…」
「あいつは、戻ってきやしねぇ…」
「………」
あの夜、マンションへ消えた伊織に、俺はしばらくして逢いに行った。
ドアを開けることはないだろうと、わかっていても…それでも、俺はそこにただ立ち尽くして、そのドアが開くのを待った。
時折、伊織の名前を呼んだ…時折、伊織の泣き声が聴こえた…そのドアは、一晩中開けられることがないままで、俺は朝まで、そこで過ごした。
「跡部…お前、まともに寝てもないんとちゃうか…?」
「伊織に…逢いてーんだよ…」
忍足の問いに答えないまま、俺はそう言った…俺の体がどうなっても、伊織の存在には変えられねぇ…
「跡部、帰ろうや、帰ってお前、体休めんと…!」
忍足が、俺の腕を掴んでそう言い終わる前に、俺は、それを振り払った。
その時、伊織が俺の腕を振り払った光景が頭の中に蘇った…。
「…余計なお世話だ…忍足…俺様が、心配されるようなタマかよ…」
苦しくて…今にも…胸が張り裂けそうだった…。
伊織が俺から遠ざかるほど、俺は伊織の存在を欲した。
…伊織の温もりを…探して…
伊織…俺は、もう傷付いても構わない…
出来る事なら、お前を今すぐに抱きしめて、二人だけの約束を…俺と交わして欲しい…愛してると―――
「――――跡部!!」
「ねぇ伊織、後悔しない…?」
「…しない…」
あの日の夜、一晩中…部屋で泣いた私は、翌日になって、とりあえず荷物を纏めて部屋を出た。
…しばらく、あのマンションに戻るつもりはなかった。
景吾はあの日、いつ、私の部屋の前から消えたんだろう…ふと、そんなことが気になった。
しばらく私の名前を呼んでいたけれど…30分もすると、静かになって…
「私には、もう…してるように見えるけど…」
「…どんなに好きでも、向き不向き、あるんだよ、恋愛だって」
実家にも戻らず、バイト先の友人の、千夏の家にお邪魔していた。
千夏はぼろぼろで私が訪ねた日、何も聞かずに部屋にあげてくれた。
気が済むまで、居ていいよ…そう言って。
「…私、伊織のこと羨ましかったのにな…」
「え…?」
つい1週間前、私はやっと、千夏に全てを話した。
まぁ…バイト先で景吾の対応をしてくれていたのは千夏だから、景吾と何かあったってことは、百も承知だったんだろうけど。
「彼、お昼になると毎日顔出してたでしょ?伊織のこと見つけると、彼、嘘みたいに綺麗な顔で微笑むの。
私、あんな彼見たことなかったから…」
「……」
地元がこっちの千夏は、以前、氷帝学園に通っていたらしく…景吾のことは、中学の時からよく知っているようだった。
「昔から…女性の噂は耐えない人だったけど…」
「…そう…」
顔色を伺いながらもそう呟いた千夏は、私の反応を見て、慌てたように早口になって言った。
「違うの伊織、そうじゃなくて、女性はたくさん、彼の周りにいたけど…伊織と接してる時の彼は、私の知ってる跡部景吾じゃなかった!!それくらい、ああ、伊織にベタ惚れなんだなぁって、私、思って…!」
「…うん、ありがとう…千夏…」
大丈夫だから、そう言って少し笑って、私は千夏を見た。
それなのに、私を見る千夏の目は、すごく、すごく、悲しそうで…。
「…もう一度、信じてあげなよ…」
「……もう一度はないくらい、信じたの…信じてたんだよ…私…」
前の彼氏に裏切られたことの反動が、全て景吾にいっていたような気さえする。
私はそれほど、彼に信頼と、信用と、愛を寄せていたつもりだった。
それが、一瞬で吹き飛ばされた。あの夜の、一瞬の出来事で。
「……そうは…思えない…」
「え…」
信じてた…そう、俯いた私に、千夏が思いも寄らない返事をする。
「伊織、どこかで彼を疑ってたんじゃないの…?」
「…何…言って…」
私の目を覗き込むように、千夏はそう言った。
私が…彼を疑っていた…?
「どこかで疑ってたから、一気に崩されちゃったんじゃない?……信じようとしてた、途中だったから…」
「ち…違う!!信じてた!景吾は私のその想いを、踏み躙ったの!」
図星だと、直感的に精神が反応していた。
だから私は、感情的になった。
自分を、否定されたようで…。
傷付いたのは私なのに、それを、責められているようで。
「違うよ伊織、そんなことない…伊織が本当に信じてたら、こんなに拗れてない…ちゃんと、話し合えたはずだよ…」
「…話すことなんか…っ」
千夏の冷静な意見に、私は言葉を詰まらせた。
…千夏の言うとおりだと、どこかでわかっていた。
私は、最初から…気付いてはいなくとも…景吾のことを、疑っていたのかもしれない。
疑っていたからこそ、付き合う前も不安で、そして…あれが無理矢理なキスだったと、わかっていても…
あの女性とは、過去の身体の関係だとわかっていても…簡単にその信頼を崩せたのだ…。
私が信じていたのは、信じていると思い込んだ自分だったんじゃないか…?
彼のことではなく、彼を信じているであろうと、自分を信じようとしていた。
「今のままじゃ、絶対に後悔する。彼を、ちゃんと信じるべきだったって…。私なら、キスのことだって、過去のことだって、許して、信じ直すよ」
「………」
「…ごめん…偉そうな事…でも…彼は…彼は伊織のこと、本当に、愛してると思う…」
「愛してなんか…ない…本当に愛してたら、あんな―――!!」
RRRRRRRRRR!!
そこまで頭の中で考えていながら、急に自分を恥じた私は、悪足掻きの言葉を吐こうとした。
だけど、そんな意味のない空虚な言葉は…同時に強く鳴った私の携帯の音にかき消された。
「わぁ、びっくりした…」
「…店だ…」
千夏がそう言い、私は着信を見て呟いてから、携帯を手に取った。
「はい、佐久間です」
<佐久間さん?私だけど。>
「はい、お疲れ様です、マネージャー。どうされたんですか?」
それは私が担当しているホール責任者であるマネージャーからの電話で。
滅多にこうして店から電話なんてないから、私は少し構えた。
<あなた、忍足さんって知ってる?>
「あ…はい、友人です」
侑士の名前を聞いて、一瞬、変な胸騒ぎがした。
どうして侑士の名前が…
<そう、電話が繋がらないから、伝えて欲しいって。>
「どうか…したんですか…?」
私は、景吾の愛を、それでも信じようとしなかった…
<跡部さんて方が、救急車で運ばれたって。>
そんな私に、神が天罰を与えたのだと、そう思った―――。
to be continue...
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