熱_07
病室で眠っている景吾を見た瞬間、私は涙が溢れ出た。
そんな自分を、なんて勝手な酷い女だと…
どこか覚めたところで見ていた自分も混在して…
景吾のやつれた頬に、近付くことを躊躇わせる。
熱
7.
「今、点滴打って…眠っとるとこや」
「…うん…」
マネージャーからの報告を受けてすぐに千夏の家を飛び出した私は、病室の前にいた侑士を見た瞬間、足が震えて、うまく前に進むことが出来ずにいた。
「…急に、倒れてな…」
「……」
「プロのスポーツ選手とは思えへん生活しとったんちゃうか、って…医者が言うとったわ…胃には何も入ってへんし、体は衰弱しまくっとるしで…やで…なぁ…伊織…」
侑士からの説明を、私は目を動かすことも出来ないままに聞いていた。
…きっと、顔は真っ青だっただろう…。
私が…景吾を追い詰めてしまった…私が…。
「…跡部の傍に、おったってくれへんか…」
そう言われて、思わず侑士の顔を見上げると、侑士は今にも泣きそうな顔をして、私に訴えていた。
「頼むわ…ほんま…」
「侑…士…」
見たことのない侑士の表情に、私は景吾の何を知っていたんだろうと、自分を責めた。
私は、景吾の何を見ていた…?
景吾は、あれほど、私を愛してくれていたのに…。
「俺…な…伊織…あんな跡部、知らんかって…」
「……あんな…跡部って…」
侑士の言葉に呆然と反応した私に、侑士は一瞬顔を伏せて、辛そうに言った…。
「お前と拗れた日から、あいつ毎日、練習終わって、お前ん家行って、お前の帰り待っとったんやで…」
その言葉に、私の胸が詰まった。
ぎゅっと何かに鷲掴みされたように…喉の奥から、焼け付くような熱さを感じた。
景吾が…私を…ずっと、待っていた…?
「……………嘘…」
「嘘やない…朝まで待って、練習行って…休憩入る度に、少し眠って…様子が変やと思っとったって、コーチの人も言うとった……跡部、お前の携帯にも…何度も連絡しとったんちゃうんか…?」
「………私…」
景吾からの着信を、私はいつも無視していた。
電話をしつこくすることなど、それは寧ろ当然のことのように感じ…私はまさか、景吾がここまで追い詰められていたなんて思いもせず…追い詰められて…追い詰めたのは…私…で…
「倒れる前な…」
視点も合わないままに私が正面を見つめていると、侑士が隣でゆっくりと話し始めた。
「…うわ言みたいに…伊織、どこやって…跡部、お前ん事ずっと捜しとった…逢いたい、言うて…伊織を失ったんちゃうかって、めっちゃ怖がって…せやから、伊織…」
「…景吾が…私のこと…そんな…」
「せやから、あいつの傍におったってぇや…あいつが目ぇ覚ました時、お前の顔、一番に見せたってぇや…」
「………景吾…っ…」
今更―――――――
自分を嫌いになってしまいそうだった。
私は、どうしてあんなにかたくなに…景吾を拒んでいたのだろう。
暗い、暗い闇に怯えて泣いていたのは、私じゃなく…
景吾のほうだったと言うのに…私はなんて、酷い――…
どうして、あんなに簡単に、私は景吾を見捨てた?
どうしてあんなに簡単に、景吾を疑うことが出来た…?
景吾は、私を信じて、待っていてくれたのに…私が戻ってくると信じてた…彼はそれを、笑って許すつもりだった…?
あんなに残酷なことを言った私を、手を広げて待っていた…
…景吾は私を、こんなになるまで、信じてくれていたのに……!
+ +
「伊織、俺は帰るで…」
「…うん…」
侑士と話して、少し落ち着いてから、私は侑士に連れられて、景吾の眠る病室へ入った。
「さっきコーチの人とか来とったで、もう、誰も来うへんやろ…ここにおり…ずっと…跡部の目が覚めるまで…おれるな?」
「…うん…っ…」
景吾の顔は、真っ白になっていて…一目で、やつれたとわかった。
プロのスポーツ選手として、人一倍健康に気を使っていた景吾が…その面影も残してないほど、衰弱していた。
「今度はお前が、待つ番やな…伊織…跡部のこと、許したって…目ぇ覚めたら、キスしたり…跡部、めっちゃ喜ぶで…な?」
「…っうん…」
侑士は私に少しだけ微笑みを向けてからそう言った。
ありがとう侑士…ありがとう…。
「…っ侑士…」
「ん…?」
「ぉ…おおきになっ…」
涙を必死に堪えて、侑士を見上げてそう言うと、侑士はニッコリと笑って、私の頭に手を静かに置いて言った。
「…あーほぉ…。跡部のことは、ちゃんと笑って迎えるんやで?」
その言葉に勇気付けられて、私はそのまま、景吾の手を握って見つめていた。ずっと、彼が目を覚ますまで…。
+ +
景吾の手を握って、時折、それを擦って…私はその間、彼と出会ってから今日までのことを思い返していた。
…たいした月日は流れていないのに、私の中はいつの間にか景吾で埋め尽くされていると気付いた、あの日―――。
景吾を信じると、景吾に誓った…景吾が私だけを愛すと…そう同じ強さで誓ったはずの約束…。
無理矢理に裏切られた景吾の約束…完全に自身から突き放し裏切った私の約束…ごめんね景吾…私…最低だよね…。
そう感じれば感じる程、私はやるせなく、情けなくなり、景吾の手を握る両手に力が込められた。
「ごめんね…景吾…」
小さく呟いても、景吾は目を覚まさず、眠っている。
私は顔を伏せたまま、景吾の手の甲を自分の唇に当てた。
その時…僅かに私の手に伝わる、弱弱しい感触…。
「…っ!」
「………」
すぐに景吾の方を見ると、ゆっくりと目を開けた景吾が、静かに、こちらに目を向けた。
「景吾…っ」
「……っ…伊織…?」
私の名前を、掠れた声で呼ぶ。
その声に、景吾の表情にたまらなくなった私は、何度も彼の名前を呼んだ。
「景吾…景吾…!!」
景吾が目を覚ましたら、笑って迎えてやれと言われたのに…私の目からは大粒の涙が溢れ出し、それを堪えることなど、到底出来るはずもなかった。
「…伊織っ…つっ!」
「あっ…!ダメ…!!」
景吾は私を確認すると、急に目を見開いてベッドから起き上がろうとした。
しばらく休んでいた景吾の体は、思うように動かない。
「ダメだよ景吾…倒れた時、強く体打って、打撲もあるみたいだし…!」
「…っ…たいしたことじゃねぇよ…」
それでも痛みに少し顔を歪めて、無理矢理起き上がろうとする。
私は景吾をなんとか寝かせようと、その体を押し倒そうとした。
「ダメだってば!安静にってお医者さんも……っ…!」
「お前がそこにいるってのに、俺に寝てろってのか…」
それでも、私の片手は景吾の手から離れることが出来なかった。
景吾が強く私の手を握ったまま、離してはくれなかった…。
「空いてる方の手で、点滴…取ってくれ…」
「…や…やだよ…そんなこと出来ない…」
衰弱している体に入る点滴を、景吾は恨めしそうに見てそう言った。
私はそれを聞いて、小さく頭を振った。
景吾の体が、やっと少し元気になってきてるのに…
「お前の手を離すわけにはいかねーんだよ…お前が、取ってくれ」
「ダメだよ景吾…まだ休んでなきゃ…体が…!」
「俺の体が欲してんのはお前だ…!」
私の目を、真っ直ぐ見据えてそう強く言った。
その言葉に、私の喉が少しだけ鳴る。
こんな時なのに、胸が熱くなって、同時に、苦しくもなった。
「…取ってくれ…お前を抱きしめられない…」
「………っ…ぅっ」
声を殺して泣くように、私は何も言えないまま、景吾の腕に刺さる針をゆっくりと抜いた。
針が抜かれるとき、景吾が小さく息を漏らしたことで思わず景吾を見ると、大丈夫だ…と弱弱しく微笑んだ。
「……伊織…やっと逢えた…」
「…けぇっ…ごっ…」
私の頬に手を当てて、切なく私を見つめた景吾が言った。
その手の温もりに、感触に、私の涙は止まらなくなってしまった。
「逢いたかったんだぜ…?ずっと、ずっと…」
「…っ…景吾…ごめんねっ…ごめっ…」
そう言いながら、泣きじゃくるしか能のない私を、景吾はそっと抱きしめた。
包み込むようにそっと…。
「悪いのは俺だ…お前が謝ることじゃねぇよ…」
「違うっ…!悪いのは…!!」
悪いのは、景吾を信じることが出来なかった私だと、そう伝えたかった…悪いのは、貴方じゃないと。
「もういい…もうそんなことは、いい…」
「景吾…」
それでも景吾は、そんな私の気持ちはわかっているかのように、少し力を込めて抱きしめて、私の頬にすりつくように頭を寄せた。
「言ったろ…?前にも…」
「…え…」
「俺は、お前に逢えただけで…それで満足なんだからよ…」
ふっと、小さく笑って。
そう言った景吾は、私の肩に顔を埋めたまま、しばらく動かなかった。
僅かに、景吾の肩が一、二度震えて。
その度に私の背中に添えられた景吾の手が、私の服を強く握った。
「景吾……っ…」
「…もう二度と…この手は離さねー…」
繋がれたままの右手をもう一度強く握って、景吾はそう呟いた。
その言葉に、私は嘘みたいに解き放たれて…
「景吾…約束したの…侑士と…」
そう言った私に、景吾はやっと私の肩から顔を上げた。
「…何を約………!」
景吾が顔をあげた瞬間、私は景吾の唇に触れた。
しばらくその熱を感じて、やがてゆっくりと離した時、景吾の唇が小さく、「伊織」と声なく動いた。
「…景吾が目を覚ましたら、キスするって…」
そう言うと、景吾は私に初めて逢った時にように私の頭の上で手を弾き…
「…実行するの、遅せーじゃねーの。あーん?」
そう言って、花が咲いたように綺麗な顔をして笑った。
あの後、ぐっすりと眠りに落ちて一晩休息を取った景吾は、驚くほどに顔色も良くなり、すっかり体力を回復して。
「だからたいしたことねぇっつったろ?」
「…でも、もう一日…!」
私と医師の説得にも耳を貸さず、我侭を言い、翌日の夕方に病院を退院した。
とにかく安静に!そう医師から告げられた私は、小さく頭を下げて景吾の待つ出入口へと走って行った。
そのまま私は千夏に事情を話して、荷物を自宅に持って帰ることにした。
話を聞いた千夏は、本当に嬉しそうに手を叩いてくれて。
早く彼の元に行くようにと、厳しい顔でそう言って、背中を押してくれた。
「…おいおい、海外旅行でも行くつもりか?あーん?」
「うっ…だって…一回家に帰るの…待ってられなかったんだもん…」
結局、私はそのまま景吾の家に直行した。
だって、家に一旦帰って景吾の家に行くのは時間がなんだか勿体なくて…
「ほぉ…あれだけ俺をシカトした割に、言うじゃねぇの」
「あっ…!あれは…っ…ご…ごめん…本当に…ごめっ…」
「おいおいおいおいおい…冗談だって…悪かったよ…」
景吾にそう言われて、私がまた涙を溜めると、景吾は慌てて私に近付いて、顔を覗き込んできた。
すぐ泣いてしまう自分にも、なんだか無性に腹が立って…
「ごめっ…ひっく…許して…」
「だ…だから…冗談だ伊織…あれは俺が悪かったんだ…」
「…景吾ぉ…っ」
景吾のその言葉に、私は彼に抱きついて顔を胸に埋めた。
どうしてそんな…優しいの…景吾…ありがとう…。
「……っ…」
「…どうか…したの…?」
私が景吾の優しさを感じて、長いこと抱きついていると、彼が突然、変に体勢をずらしはじめた。
その動きに首をひねりながら私が景吾を見つめると…
「…もっと伊織のこと、知りてぇんだと…」
「…え…」
諦めたようにそう言って、景吾は私を抱き寄せた。
抱き寄せた景吾から、彼自身の合図を、私は腰に感じた。
「……!」
「…………伊織…」
「はっ…はいっ…」
「…俺の最後の女になってくれ……」
心臓が飛び跳ねて、そのまま動きが止まってしまうんじゃないかと思うほど…私の身体が硬直して、顔は自分でもわかるほどに熱くなっていた。
そしてその景吾の言葉に、私は小さく頷いて…
「ずっと…抱かれたいって…思ってたよ…」
私の思い切った告白に、景吾は少し目を開いて。
「…ああ、俺も…ずっと、お前が欲しかった…」
景吾の唇が、小さく開かれたまま私の中で愛撫して。
そして私達は、約束を交わした…。
この先もずっと、ずっと、永遠に愛してると――――。
to be continue...
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