under K roof_07







day 7.







「謝られた?」
「うん……」

千夏は眉間にシワを寄せて、むーんと唸っている。
その間に、わたしの頭の中は今朝の景吾でいっぱいになる。

目が覚めた時、わたしは景吾に背中を向けていた。
景吾はわたしのその背中を、まるごと包むようにして、寝息を立てていた。
視線の先に見えたわたしの手に、景吾の手が重なっていた。
その光景に胸が苦しいほど圧迫されて、振り返ることも出来ないまま、わたしはそっとベッドの中から出て行った。

その時だった。

「おはよう」

ゆっくり振り返ると、すでに上半身まで起こした景吾がこちらを見ながら目を細めていた。
爆発するかと思った。もちろんわたしが。わたしの、心臓が。

「おは、よ……おお起こしちゃったね」
「なにをどもっている?」
「いや、景吾って寝起き悪いのかなーって……はは」
「勝手に決めつけてんじゃねえよ」

とかなんとか言いながら、景吾は何事もなかったかのように、部屋を出て行った。
添い寝、してたのに。
ただの添い寝じゃなくて、抱きしめあって、寝てたのに。
それって普通に考えたら、もう、「じゃあ付き合う?」みたいになる直前だと思う。なんだかんだ、キスも、ああいう状況だけど、した仲なんだし。
わたしが景吾のこと好きなのなんか、景吾はもうわかってるはずで、景吾だってわたしのこと、す、す、す……。

「伊織?」
「えっ」
「だから、それでなんて答えたの?」

目の前の千夏が、また眉間にシワを寄せていた。
今度はわたしがぼけっとしていたことによる、不機嫌な表情だろう。

「なにも……」
「え?」
「なにも、答えてないよ」

そう……。
思い返せば寝る直前、景吾はわたしに、恐らくキスしたことを謝ってきた。
キスのことだって直接言われたわけじゃなくても、「あんなことして悪かった」と言ったのは絶対で、その「あんなこと」って、キスのことくらいしか思い当たらない。

それが、わたしはやけにショックだった。
謝るって、なかったことにしようとしてる……?
そんな気がして。

「伊織はさ」
「ん?」
「どうしたいの?」
「どうしたいって……」

どうもこうもない。
跡部邸居候合宿は今日で終わりだ。
母親が今日の夜には帰ってくるらしいし、放課後に跡部邸にある荷物をまとめたら自宅に帰るだけだ。

そしたら元の生活に戻る。
たまには景吾に会うこともあるだろうけど、こんな密接な1週間はもう二度とやってこないだろうと思う。

だから……だからわたしは……。

「もう一度、キスしたいんじゃないの?」
「ちょ、千夏……B’z……」
「ふざけてないでちゃんと答えなさい! あんたの相談にのってんのあたしは!」

パンをむしるようにかじりながら、千夏は眉毛をつり上げた。
だってそんな恥ずかしいこと、こんな晴れた空の下で言うとか青春じゃないですか。
照れくさいじゃないですか。

「告白する勇気はないんだよ……」
「ないだろうねえ〜伊織には」
「だって昨日のあの調子じゃ、景吾だってなんか、無かったことにしようとしてる感じだし……」
「そうなのかなあ? そういう感じじゃないかもしれないじゃん」
「でも……」
「でも?」
「……正直、もう待てないくらい、好きになってる」
「ちょ……伊織、それあたしに言っても意味ないって!」
「わかってるよう……けどすんなり本人に言えたら苦労しないのー!」

好きだと気付いた以上……わたしは欲張りに、景吾が欲しくなっていた。
そして自分が思っていた以上に、景吾の気持ちに期待していたんだとわかって、恥ずかしくなっていた。










ついに放課後になり、わたしは「よしっ」と独りごちて教室を出た。
景吾はきっと部活だから、このままわたしが跡部邸に帰って、荷物まとめて、家に帰って、それでおしまいだ。

告白をもしするなら、今日がいいに決まってる。
「1週間ありがとう、好きです」と言えたら、どんなに楽か。
そんなことわかってる。

このまま帰ったら、景吾に会えずじまい、また日常に戻って、言いにくくなって、そのまま――

「伊織」
「えっ!」

正門を出る手前で、後ろからかかった声に、わたしは本当にびっくりして振り返った。
だって、こんな展開、奇跡だ。
珍しく走って近寄ってきた景吾に、わたしは奇跡を感じずにいられない。

「……相変わらずでかい声だな」
「だって、び、びっくりしたんだもん」
「今から帰るのか?」

え、スルー……? と思いながらも、わたしは素直に頷いた。まるで子供みたいだ。

「じゃあ一緒に帰るぞ」
「え……」
「早く」
「いやでも……景吾、部活中じゃないの? 怒られない? まあ景吾を怒る人なんていないとは思うけどさ……」
「部活は休んだ」
「え」

もしかして、もしかして、もしかして……。
わたしが今日で帰っちゃうから? そうだよね、この展開、この奇跡……!
景吾もやっぱりわたしのこと、いろいろ考えてくれてたんだっ。

「今日の昼に忍足と打ち合ってたんだが、どうも調子が悪かったんでな」
「……あ、へえ」

盛り上がったわたしの心をまるで見透かしているかのようなその答えに、しらっとしてしまった。
これだから嫌なんだよ、天然たらしボンボンは……。

ほんの少しだけ辟易しつつ、わたし達は正門を出た。
こっちは朝から悩んでいるから、なにを話せばいいのかさえ悩みすぎて黙ってしまうというのに、景吾はこの空気が気にならないのか、颯爽と歩いている。

「なあ」
「え、はい」
「腹、減ってないか?」
「へ?」

突然のすっとんきょうな質問に、わたしはポカンとした。
腹、減ってないか? なにそれ、急に。

「お前のことだから、いつだって腹は減っているだろうがな……」
「あのちょっとさり気なく失礼なこと言うのやめてもらっていいですか」

くすりとも笑わない景吾に、負け時と笑わないわたし。
この男……昨日までのこと、全然わたしへの恋愛感情とかなくやってたりするのかもしれない。
それくらい、今、わたしは跡部景吾へ天然を感じている。
だって、腹、減ってないかって……。

「どこかで食事でもして帰るか」
「しょ、え、食事?」

前言撤回。
もしかしてこの人、わたしのことデートに誘おうとしてる?
景吾とこの学生服のまま、どこかで食事をするって、それって、つまり、千夏とかが年中やってるあの、憧れの、放課後デートってやつですよね。

「この格好じゃ、入れてもカフェだろうな。行くぞ」
「あ、ちょっと待ってよ……」

なにこれ、この展開。ミラクルすぎる……!
「行くぞ」「待ってよ〜!」なんて、こんな少女漫画みたいな会話あるんだ現実に!

「ぼさっとするな。荷物、貸せ」
「え、いいよ!」
「ったく……重てえな……」
「だからいいってばっ」
「うるさい。荷物のせいでとろとろされるのは不愉快だ」
「か……感じ悪い!」

その優しさ溢れる悪態に、わたしは気づかないふりをした。
こっそり、顔をほころばせながら。








「なんだここは」
「なんだってマックだよ。カフェいっぱいだったし、ここなら空いてそうだからいいじゃん」
「……マック。海外の至るところでも見かけてはいたが、ここは食事するところなのか」
「はっ!?」

景吾が、生まれて初めてマックに連れてこられた子供のように辺りをきょろきょろと見渡していた。
……まさか、まさかだとは思うけれど……この人……。

「おもちゃ屋じゃなかったのか……」
「ふぇ!?」

学生もOLもサラリーマンも注文するレジに並んでいる人たちが、ぎょっとしてこちらを見る。
もちろんわたしにぎょっとしているわけじゃない。景吾にだ!

「景吾あの……もしかして……」
「ここは行列に並んで注文しなきゃなんねえのか?」

ああ、神様……金持ちは罪です。本当に何も知らないようです。わたしは富裕層との差を、痛いほど見せ……魅せつけられております!!

「なあ、なあ伊織」
「景吾お願い、少し黙ってて……注文ならわたしが全部やるから、もうそれ以上、口を開か……」
「あのおぞましい人形はなんだ……怖すぎるだろ」
「ちょ、口を開かないで、若干、声大きい」
「あれはなんだ」
「あ、あれはドナルドだよ! わかったら黙って!」
「なに……あれがマックドナルドなのか?」
「ま、まっくどなるど?」
「マックドナルドって店だよな? ここ」
「ち……ねえお願い景吾、黙って。ここはマックドナルドじゃなくてマクドナルドだよ」
「なに……じゃあなんでマックって略しやがる」
「そ、それはじゃあ、わたしが悪かったよ。関西のほうならマクドだよ。もう黙っ……」
「あいつがマクドナルドというものの発案者なのか。気持ち悪い化粧しやがって……」
「発……違うよ景吾。ドナルドはキャラクターなの。ね、わかったら黙っ……」
「ん? ああそうか。発案者は確かカーネル・サンダースとかいう爺さんだったな」
「それは違うお店なのお願い黙って! 2階へ行ってどっか座ってて!」

わたしがそう言うと、周りのくすくす笑いにようやく気付いたのか、景吾はむすっとした顔で2階へ消えていった。
完全に、中学生に笑われていたことに、あのボンボンは気づいただろうか。

ああ……皆さん、あの人、決してバカなわけじゃないんです。ただの世間知らずな金持ちなんです。実際は頭、めちゃくちゃいいんです……。

なんとなく景吾に申し訳ない気持ちになりながら、わたしは注文をして2階へと向かった。
景吾は、マックの店内の中でもやっぱり光り輝いていた。女性たちの注目を集めまくっている。
彼と同じテーブルに座るわたしは、こんなところでも肩身が狭い。

「……狭い店だな」
「まあ……そうかもね」
「しかもハンバーガーしか置いてないとはな。どうかしてやがる」

どうかしてるのはあんたの方や……ああ、忍足がいたらきっとわたしの気持ちを全部キレよく鋭く代弁してくれるに違いない。

「ところで」
「はい……」

どっと疲れたわたしがポテトを頬張るのと同時に、景吾がじっとわたしを見てきた。
瞬間、疲れが吹き飛んで胸の芯が跳ね上がるような錯覚を覚えた。

「昨日はよく眠れたのか?」

こっちはそんな想いをしてるっていうのに、こんな場所で、こんなムードも何もないところで、急にこんな風に見つめて、昨日はよく眠れたのか? って、聞いてくる普通?
昨日、わたしとあなたは抱き合って寝てるんですよ!?
前言撤回。
こいつやっぱり天然たらしだ!! そうだ、よく考えたらマックに入ってからずっと天然だった!

「ふ、普通です」
「ふうん」
「ふうんって、なに……」
「普通とはな」

……ど、どういう意味っ。
なんて答えたら正解なんだろう、思わせぶりなことばっかり言うのやめて欲しいよう……。

「安心して、眠れたよ……」
「ほう?」
「ねえ、なに言わせたいわけ、その感じなに?」
「なにピリピリしてやがんだてめーは」
「だって景吾のそういう感じ……っ」

勘違いするよ……好きな気持ち、もてあそばれてる気になる。
ああもうわたし、わたしらしくないっ。景吾がそわそわさせるからっ。

「……怖くて眠れない夜がまたくるようなら心配だと思っただけだ。少しでも改善されたのか、聞きたかっただけだ」
「え……」
「今日からひとりで寝るんだろ。どうしても眠れないようなら連絡しろ。なんなら使用人に行って、よく効く眠剤を手配させる」
「景吾……」
「人間は睡眠が一番大事なんだよ」

景吾のバカ正直な優しさに、わたしは思わず笑った。
すると景吾はようやく、目の前のハンバーガーを口に含んだ。
もしかしてわたしの笑った顔みたから、安心した……? なんて、バカな期待をしてしまう。

「……なかなかうまいじゃねーか」
「あれ、それわたしのてりやきだよっ。景吾のはこっちなんですけど!」
「あーん? どっちだって一緒だろ」
「一緒じゃないよ!?」

どこまで優しい人なんだろう……そう思うと、天然たらしとか添い寝したとかどうでも良くなって、わたしはいつものように、景吾と会話を楽しんで、たくさん笑った。
景吾とゆっくり話せたことが、かなり久しぶりに感じて、それがこの1週間の、一番の思い出になったと思った。










「伊織さん、また是非いらしてください。いつでも大歓迎です」
「ありがとうございます。本当にお世話になりました。よしっ、ではそろそろ行きます!」

荷物をまとめて、ぽんっとボストンバッグを叩いた。
小気味良い音に、気持ちも幾分かすっきりする。

「帰るのか」
「うん、帰るよ」

跡部邸の玄関先。声の方へ目を向けると、景吾が階段を降りてきていた。
そうだ、告白するなら今日だと思っていたのに、わたし、すっかり忘れて玄関まで来ちゃった……。
無意識に、小心者が顔を覗かせたのかな。

「家まで送ってやる。方向音痴じゃ出口がわかんねーだろ」
「マック知らない人に言われたくないな……」
「……この減らず口」

ふっと笑った景吾が本当に素敵で、もうすっかり虜だと再確認させられる。
たった1週間前、景吾がわたしの家の前まで迎えに来てくれたことを思い出す。あの時はこんな気持ちになるなんて、思いもしなかった。
あれが1週間前だなんて、信じられないくらい、濃密な時間だった……。

「貸せよ、荷物」
「……最後くらい、その優しさに甘えようかな〜」

使用人さんたちがくすくすと笑う。
景吾はそれが恥ずかしかったのか、むすっとしながら言った。

「こんなバカみたいに重てえ荷物持って、お前はドラえもんみてえだな」
「……ドナルドは知らないのにドラえもんは知ってるんだ」
「この……減らず口が……」

わたしのツッコミに、景吾の怒った顔に、使用人さんたちは笑いをこらえていた。
やがて歩き出したわたしたちの背中を見守る彼らの視線を感じて、胸が熱くなる。
景吾が好きだ。今なら、言えるかもしれないと思った。

「景吾はいい人たちに囲まれて育ってきたんだよね」
「なんだ……急に」

跡部邸を離れて、自宅の前でわたしは告げた。
告げることはまだあるけれど、率直な感想を、なぜだか前置きにしたくなった。

「みんな超優しかったし。だから景吾が優しい人なのも頷ける」
「やめろ。俺は別に……」
「1週間ありがとう。いろいろあったけど、景吾が傍にいてくれて、本当に良かった」

荷物を受け取って、わたしは景吾を見上げてそう言った。
改めてそんなことを言ったからだろうか。
ひょっとして照れてるのかな? と思うほど、景吾はあからさまにわたしから目をそむけた。

「……」
「ねえちょっと、なにその態度」
「なんでもねえよ」
「ねえ、ちゃんとこっち見てよ。人が真面目に挨拶してるのに」
「見てられるか」
「は……ちょ、どういう意味それ。なんか失礼っ」
「上等だ」
「上等だ……?」

急にどうしてしまったんだろうと思うくらい、支離滅裂な景吾は、またまたあからさまに肩で息をした。
大きなため息をつかれた気になって、わたしはむっとした。

「なんなの急に。素直にありがとうって言おうとしただけなのに。優しい景吾に支えてもらえたから、わたしはあの事件を乗り越えられたんだよ」
「その話はもういい」
「もういいじゃなくてちゃんと聞いてよ! わたし、景吾に……っ」

景吾がなにを考えているのか一気にわからなくなって、そのせいか、わたしもわたしで気持ちが溢れだしてきて、もう自分でもなにを言おうとしているのかわからなくなった時だった。
景吾がわたしの言葉を遮って、やっとわたしを見た。

「これ以上続けるなら、覚悟は出来てるんだろうな?」
「へ……えっ、うわっ!」

景吾から手渡されたばかりの荷物が音を立てて落ちた。
わたしの身体が揺れた反動だ。あっという間の出来事で、言葉が詰まった。
とにかく爆発しそう……もちろん、わたしが。わたしの、心臓が。

「景吾……苦しい」
「我慢しろ……」

手をひいて強く抱きしめられたわたしの身体。
おずおずと景吾の背中に手を回すと、それに応えるように、ぎゅっとまた強くなる。

「景吾……これって、告白?」
「……黙って待てねえのかよ」
「だって……」
「告白じゃなきゃ、どうかしてるだろ」
「う、嘘みたい……」
「告白でも、どうかしてんのに」
「……え」

その問題発言にわたしが身をよじると、景吾はクク、と笑ってわたしを見た。この野郎……。

「どうかしてるってどういう意味」
「お前みたいなの好きになってる自分にだ」
「お前みたいなのって失礼じゃないですかね……好きな女に言うセリフですかそれ」
「黙ってろ。好きだと言っている」
「ぐ……」
「そんな険しい顔するな」

腑に落ちない。景吾の照れ隠しだってわかってても。
それでもわたしは景吾に微笑まれると弱くて、近づいてきた唇に委ねるように、ゆっくりと目を閉じた。
あの時とは違う、静かで優しいキスに、指先までしびれるほどの喜びが走る。

「なんか……照れる、ね」
「……本当にお前は、黙ってられねえ女だな」

唇が離れた瞬間に、黙っていられないわたしは、可愛げがないのかもしれない。
だけど景吾は、そんなわたしに笑ってくれる。

「ねえ景吾」
「なんだ」
「なんで昨日、謝ったの? 謝る必要なんて、ないよ。わたし、景吾のこと、とっくに好きだったよ」

その言葉に、景吾はふっと微笑んで、額を合わせてきた。
どうしよう……このまま死んじゃうかもってくらい、ドキドキする。

「謝ったのは、俺もお前も想い合ってるのに、あんなクソ野郎に命令されてしたキスだからだ……もっと早くに、お前にこうしときゃ良かった」
「景吾……」
「伊織……10年前から、俺の中の女はお前だけだ」

もう一度落ちてきたキスに、涙が頬を伝った。
わたしの最高にデンジャラスな1週間が、ついに終わった。
ああ、でもせっかく景吾とこうなったのに、なんだか少し、寂しい。ていうか、惜しい。

「ねえ景吾……」
「あーん? なんだ?」
「もう1週間、居候したい」
「……バカ言え」

笑った景吾のおしおきのキスは、なんだか少し、くすぐたかった。






















fin.




[book top]
[levelac]