自惚れの破線_03








彼からは何も聞かされてなかった。

私は彼の何も知らなかった。

その全てを教えてくれたのは、マスコミだった。

今、彼の傍にいるのは私だけだと信じていた…身の程も知らずに。





















自惚れの破線















3.







テレビで彼の姿を見たのは、約束していたのとは全く違う形でとなった。



「伊織ちゃーん、朝ごはん何がいいー?」

「なんでも…ふぁ…千夏ちゃん早起きだねぇ…」


「私も今日は侑士とデートなの♪朝から健康的じゃなきゃ!素敵な彼にボロボロの顔見せたくないでしょ?」

「ふふふっ…千夏ちゃんらしー!」


金曜日の午前8時半…本来なら仕事に出る支度をしている朝、私はまだまだ寝るつもりだったのを、千夏ちゃんに無理やり起こされた。

それでもなんだか清々しいのは、私が今、恋をしているからなのかもしれない。


「よし、出来たよ〜!テレビでも見ながら食べますか!」

「わぁ、美味しそう…いただきまーす!」


千夏ちゃんが作った朝食がテーブルの上に並べられて、顔を洗ってきた私は早速パジャマのまま席についた。

いただきますをしてパンをかじる私にドリンクを注いだ後、千夏ちゃんがパチッとテレビをつけた。

そして、私達は一瞬で固まってしまったのだ。

テレビで踊る文字を見て。







* *






【瀬崎みくの熱愛中!お相手はテニスプレイヤーの跡部景吾選手】



『さぁ今、もう大人気の、歌手として大活躍中の、瀬崎みくのさんですが…今回初めて、熱愛発覚となりました!今日発売の週刊誌が報じています。えーお相手の方なんですが、テニスプレイヤーとして活躍中の跡部景吾選手という方なんですよね〜!』

『跡部選手ってモテるんだってね〜!』

『私お会いしたことありますけど、素敵な方ですよね』

『そうなんですよ!世間にはあまり知られてないのですが、テニス界では超有名人!!女性ファンが非常に多い方なんですよね。それもそのはず、なんとあの跡部財閥の御曹司!!更に、非常に容姿端麗でですね、頭も良い!ということでして…』

『大学でも常にトップの成績だったって聞いたことありますよ僕〜』

『そうなんです、更にスポーツ万能という、もう夢のような、女性にモテないわけがないというですね、ええ、もう本当にすごい方なんです!』




和やかな空気の中で、リポーターが興奮気味に熱愛発覚と書かれたパネルの前で陽気に笑いを誘いながら喋っている。

それに合わせて司会者とゲストコメンテーターの連中が合いの手を入れる。

いつもなら普通に見ているこの朝のテレビ画面の光景。

でも今日は普通に見れない。

昨日電話した相手の名前が、今日デートするはずの相手の名前が、今大人気中の歌手の名前と一緒にテレビに出ているのだ。

しかも、……熱愛発覚で。


「伊織ちゃん、消そうよ…」

「消さない」


「…ね、ねぇ…週刊誌なんか嘘書くのが仕事みたいなもんなんだしさ」

「でもこんなに大々的にテレビでやってるよ…」


「…そ…そりゃ相手があの瀬崎みくのだし…」

「千夏ちゃんネット貸して」


ちょちょちょ、ちょっと待って!という千夏ちゃんの声を無視して、私は勝手に彼女のデスクトップパソコンに電源を入れた。

どのみち今日、きっと週刊誌を見てしまうに決まっている。

今千夏ちゃんが記事を見せることを拒んだとこで、何も変わらないのだ。


検索ツールに「瀬崎みくの・跡部景吾」と入力する。

その二文字を入力するだけで私の嫉妬心が湧き上がる。

たった何度か食事しただけの間柄には違いない。

私が勝手に誤解してたのだと言われればそれまでだ。

だけど…今日も誘われてて…。

昨日、千夏ちゃんとあそこまで盛り上がった私の時間を、私はどういう気持ちで取り戻せばいいのだ。


「あった…」

「ねぇ見ないほうが…」


千夏ちゃんが後ろから心配そうに掛けてくる声を無視して、一番上に出てきた記事を、私はすぐに開いた。




人気歌手の瀬崎みくの(23)がプロテニスプレイヤーの跡部景吾(23)の自宅マンションに出入りする姿をXX日発売の写真誌「XXX」が報じている。瀬崎の所属事務所はXX日、「大人ですから、本人に任せていますので…」と交際については曖昧なコメント。
 
同誌によると今月上旬、二人は都内の郷土料理店で食事をした後、タクシーに乗って跡部選手の自宅マンションへと消えている。またその翌週には、共通の友人を含め4人程で跡部選手の自宅へ。友人達は三時間ほどでマンションを後にし、瀬崎は泊まっていったという。

瀬崎は一昨年三月にCDデビューし、オリコンのアルバム、シングル、DVDの各部門初登場1位を果たすなど飛ぶ鳥を落とす勢い。現在は今年末まで続く全国ツアーの最中だ。

一方の跡部選手は二十歳でプロへと転向したテニスプレイヤー。跡部財閥の御曹司であり、テニスプレイヤーという職業とは裏腹に、高級スーツが良く似合う超イケメンだ。05年のステラアルトワ グラスコート選手権では準優勝を果たすなど、テニスプレイヤーとしての成績もかなりの人物。

将来的には財閥の跡取りとなるであろう跡部選手。瀬崎の玉の輿婚が実るかどうか、これからの二人に注目だ。




「…う、嘘に決まってるって…!」

「……」


「…伊織ちゃん…」

「笑えるー…」


そう言いながら、震える声を隠せそうにはなかった。

簡単なことだ。

私は自惚れていたのだ。

記事を読んだ瞬間、私の近くで笑ってくれていた景吾が、酷く遠い人のように感じた。

財閥の御曹司なんてことも知らなかった。

そんなこと話してくれたこともない。

話す必要があったかと言われれば、それはやっぱり私の自惚れだ。

そんなことを私に話す必要なんて彼にはなかったのだ。

私はただ、彼の暇つぶしの友達だったに過ぎない。

千夏ちゃんの彼の友達として、偶然に出逢った跡部景吾。

私の手になんか届くはずのない彼の存在と、一般人の私。

それをかろうじて繋げていたのは、彼の気持ちに期待して思いあがっていた私の自惚れ。

その破線が、ビリビリと音を立てて破られていく。











「何の冗談だこれは…」

「冗談じゃないよ跡部、二日前に週刊誌側から連絡があった」


「なぜ許可した!?どうして俺に言わない!?」

「許可じゃない、質問だ。『この交際は本当ですか?』ってな。つまり2日後、うちの雑誌に載せますよって報告だ。もう撮られてんだ、許可も拒否もないよ。瀬崎側も承知の上だ。お前に言ったとこで何になる。こっちはノーコメントで通すしかないだろ。」


「あーん?ノーコメントだ?はっきり違うと言えばいいだろうが!」

「跡部、それは向こうのイメージダウンだ。瀬崎は爆発的人気を誇るアイドルだ。向こうがあんなコメントをしたのは、世間に肯定させたいのと一緒だ」

「なんだと…?」

「瀬崎は今、アイドルから本格派としての脱皮中だ。そんな中、清純派のイメージが固まってる瀬崎にとっちゃいい機会だってことだ。アイドルじゃ長続きはしねぇからな。お前との関係がどうのこうのじゃない。とにかく瀬崎人気がこの報道を否定することでマイナスになるのを恐れてる。悪あがきみてーなコメントは、余計に好感度を下げるからだ。同時に、男がいるってことで清純派も抜けて新しいファン獲得の兆しも見える。おまけに相手がお前みたいな御曹司だ。今までの清純派も多少維持しながら、垢抜けた印象も植え付けられる。交際が嘘だったとこで、肯定も否定もしてない向こうの事務所はなんとでも言い逃れ出来るってことだな」


「………貴様…瀬崎の事務所に金掴まされたな…」

「スポーツ選手のマネージャーの給料なんざ、高が知れてるんでね。まぁ跡部、俺はどっちみち今年いっぱいで退社だ。そう睨むなって」


マネージャーである木村はひらひらと手を振って見せ、引き攣ったような表情で笑いやがった。

俺の頭の中に、この野郎がマネージャーとして現れた時からどうも信用できねえと思っていた“もや”が確信へと変わる。

バカにしやがって…。


「…お前が撮らせたのか…?」

「はははっ!まさか跡部、俺はそこまでしねぇよ。お前がみくのちゃんとやらしいお友達なんてことも、寝耳に水だ。さすが財閥のぼっちゃんはいろんなとこに顔が広いんだなぁ?で?あの日はマンションでお楽しみ中だったのか?」


「…消えろ…俺に殴られたくなかったらな」

「くくっ…まぁ跡部、いいじゃないかこのくらい。お前にとってもみくのちゃんとの熱愛報道は悪いことじゃないだろ?それに人の噂も七十五日って言うじゃないか。そのうち誤報だって反抗すりゃ…」


「消え失せろ!!」

「…っ…そもそもはてめぇの節操の無さが問題だろうが。消えてやるよ!」


でかい足音を立てて木村は自分の部屋へと戻っていった。

午後7時、朝の芸能報道のおかげで俺の自宅マンションには早朝からゴシップ好きの芸能記者が張り詰めていやがる。

その頃、俺はすでに自宅マンションを出た後だったが、練習後にはコート前にいた大勢の取材陣を避ける為、コートの裏口からそっと出てホテルに泊まるしか術がなかった。


瀬崎みくのは、ただの女友達の一人だった。

デビュー前の瀬崎は肺活量を鍛えるためにスポーツジムに通っていた。

そのジムのトレーナーで瀬崎をナンパしたのが、俺の大学の友達だった。

その関連でたまたま会った。それだけの付き合い。

瀬崎との付き合いは短くはねぇが、二人で食事をしたことすらない。

俺の自宅でそのトレーナーを含めた連中と宴会を開いたことは何度かあるが、泊まっていったと書かれていたのを見て、俺は週刊誌を地面に叩き付けていた。


朝、瀬崎から『私のせいでごめんなさい』というメールが届いた。

俺は、『お前のせいじゃねぇだろ』と返事をすることしか出来なかった。

瀬崎も事務所に反抗することは出来ねーんだろ…。

だが、『お前の方が大変だろ?』と声を掛けてやれる余裕が、今の俺にはない。


…そろそろ約束の時間が近くなってきてるっつーのに、木村との話し合いの前にメールをした伊織からは音沙汰なしだ。

辛抱強く待ってみたが、三時間経った今も、一向に返信はない。

久々に感じた恋心が、一瞬で灰になっていくような恐怖が湧き上がってきやがる。


この歳になって出逢った恋を、俺は今日まで焦らずにゆっくり温めてきた。

伊織に初めて逢った時、直感的に胸のざわつきを覚えた。

もう一度会いたいと思う自分が安易に想像できた。

だから俺はテニスコートに伊織を誘った。


それから一ヵ月後の初めてのデートで、俺は伊織の手に触れた。

あの温もりは今でも忘れねぇ…それを手放したくはない。

何故、今日に限ってこんなことになっちまったんだ…。


どんな弁解をしても、伊織はマスコミを鵜呑みにするだろう。

マスコミの報道にはそういう魔力がある。

日常的にそれを鵜呑みにするのは、俺も例外じゃねぇ。

だが…今回の報道に関しては、鵜呑みにしないでくれ…。


俺がそう願った時、携帯が光った。


「もしもし…伊織?」

≪うん…連絡遅くなってごめん…≫

「いや、構わない…」


伊織だ。

この声を俺が間違えるわけない。

消え入りそうな伊織が電話の向こう側にいる。

出来ることなら今すぐにでもお前の傍に行って、抱きしめたい。


≪今日の、食事だけど…≫

「ドタキャンはねぇよな?」

≪…っ…≫


伊織が言おうとすることは、俺にはわかっていた。

先走ってそれを遮る。そんな俺に、伊織は絶句した。


「話したいことが山ほどある。8時に、メールした場所に…」

≪……景吾…申し訳ないけど私…≫


断らないでくれ。

俺はお前に会いたい。

言わなきゃいけないことがある。

今日しかチャンスはない…だから、俺に会ってくれ伊織…!


「来てくれ。どうしても話したいことがある。お前がどんな不安を抱いていても、まずは俺の話を聞いてからにしねーか?俺が待ち合わせに一分でも遅れたら、帰っていい」

≪…わかった…≫

僅かな沈黙の後、電話は切れた。

らしくもない、まるで恋人にすがるような物言いだ。この俺が…。

だが、言葉は自然と漏れていた。

伊織と居る時、その自然さが心地良くて俺は伊織に惹かれたんだ。


約束の時間まであと50分を切ってやがる。

道が混んでいたとしても、タクシーで10分あれば着く場所だ。


シャワーを浴び、30分かけて支度をした後、俺はホテルの部屋の鍵を手に取った。

同時に、部屋をノックする音が聞こえてくる。

幾分か時間に余裕を持ってはいたが、俺は苛立ちながらドアを開けると、

木村がニヤニヤと、俺の前に立ち塞がった。


「跡部、明日からの遠征について、ちょっと話がある。さっきのことは水に流して、まぁコーヒーでも飲みながら話そうや」

「俺は今から用事があんだよ、帰ってからにしてくれ」

「急ぎなんだよ跡部!10分で済むからさ!」


強引に部屋に押し込んできた木村に、ため息混じりに俺は言った。


「…5分だけだ」









「伊織ちゃん、跡部くんが言うこと、ちゃんと聞いてあげてね。ちゃんと信じてあげてね。彼、嘘つくような人じゃないって、侑士も言ってたから」

「うん…」


「うん、大丈夫だよね?」

「…別に報道にどうこう言う立場じゃないし私。私がバカみたいに期待してただけ…まぁ、一分でも遅れたら帰ってやるけどね!」


「そんなこ…!」

「いってきます!」


まだ千夏ちゃんが何か言いたそうだったのを振り切って、彼女の自宅に着替え荷物を置いたまま、行って来ますを告げた。

千夏ちゃんは今や彼氏となった忍足くんに電話をして事情を聞いたりで、私より慌てて大騒ぎしてくれた。結局、詳細はわからないままだったけど…。

でもそのおかげで、忍足くんから千夏ちゃん経由で慰めてもらったりで、私はいい友達を持ったなと、複雑な幸せさをかみ締めたりもして。


夕方、今日は行けない、と言うつもりで景吾に電話した。

朝の報道を私が見ていないはずないのに、そんなこと景吾はわかりきってるはずなのに、彼からお昼頃来たメールは全然いつもと様子が変わらなくて。

それが余計、私の苛立ちと嫉妬心を掻き立てた。

だから行かないつもりだったのに、景吾の声で、どうしても来てくれって言われると結局断りきれない自分がいた。


お前がどんな不安を抱いていても、まずは俺の話を聞いてからにしねーか?


この言葉に、景吾のどんな気持ちと、真実があるんだろう。

今、景吾を信じているか?と問われたら、きっと信じてはいない。

本人の口から事情を聞いて、それに納得が出来るまで、私の中ではあの記事だけが真実なのだ。

そもそも、信じる、信じないの定義が今の私達に当てはまるのかどうか。

私達は恋人同士じゃない。少し、いい関係だっただけで。

彼の話したいことってなんだろう。あの記事の弁解?

だったとしたら、彼にとって私は、少しは傍に留めて置きたい女の一人ってことになる…。

…こんな、卑屈な考え方しか出来ない自分が嫌になる。


「…7時…50分…」


表参道駅B3出口。

この近くに食事をする場所があると言っていた。

だから待ち合わせ場所が駅の出口になったのだ。

私があまり都会の街に慣れていないことを知っている景吾は、いつもこうして解りやすい位置に待ち合わせ場所を指定してくれる。

景吾のそんな優しさに、私は何度、心を振るわせたことだろう。


瀬崎みくのというあのとびきりかわいいアイドルも、景吾とこうして待ち合わせてどこかに行ったのだろうか。

そうしてデートを重ねて、自宅マンションに一泊するほどの仲になったのだろうか。


「…はぁ」


そんなことばかりを朝からずっと考えている自分に嫌気がさす。

それでも頭の中に巡らされるのは景吾と瀬崎みくのの愛し合う姿ばかり。

想像する度に吐きそうになって、胸が締め付けられて苦しくなる。

あの記事が、全部が全部嘘だなんて思えない。

どうして景吾はそんな人がいながら、私とデートを繰り返したのだろう。


「そろそろ8時だね〜!ご飯どこにする〜?」


その時、通りすがる人の会話を聞いて、咄嗟に時計を見た。

時計は、7時58分を指している。

一分でも遅れたら、帰っていいと言った景吾の声が蘇る。


8時になるよ景吾…早く来て…


心の中で呟く。


一分でも遅れたら帰っていい


私は彼の、この最後の一言で来る気になったのだ。

そのとき彼の、覚悟が見えたから。

一分でも遅れたら、関係が切れるということだと私は解釈した。

今夜8時に会えなかったら、もう今後はないだろう。

彼の決心が守れなかったことを許してずるずる付き合うと、私はきっともう戻れなくなる。溺れて抜け出せなくなる。跡部景吾という人に。

だから一分でも遅れたら、二度と会ってはいけない、そんな気さえする。


「景吾…」


そんな私の焦る気持ちが、7時59分を指した腕時計を見た瞬間に言葉となって現れる。

胸が酷く締め付けられていて、痛い…。


「お願い…景吾…来てよ…お願い…」


そう願った震える声は、私の悲痛な想いから流れた一筋の涙と、街から流れる8時丁度の合図と一緒に、夜空へと消えた…。





to be continue...

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