愛を乞う人 Oct.4
お前は俺が求めているモノを与えてはくれない。
だからずっと前から疑ってた。
お前が、俺のことを本当に好きなのか。
愛を乞う人 Oct.4
誕生日…………はっきり言わせてもらえば、今日という日は戦争に等しい。
まぁ、家を出て学校に着くまではどうってことはねぇ。
問題は、車から降りて学校に入り、そして授業を終えテニス部に行き、学校の門を出るまでだ。
時間に換算すれば約11時間ってとこか…ふ、結構な肉体労働じゃねぇか。
「景吾様、本年度はお昼休み時間に二台、放課後に一台用意させていただいております」
「なに…?計三台も来るのか」
「はい…景吾様はお気付きではないかもございませんが、毎年、数が増えておりまして…」
「そうか…ああ、ならそれでよろしく頼んだ」
今年はあの病的な量の贈り物を運ぶトラックが一台増えてやがる。
まぁそんなことはいい。
毎年やってくるこの日を今更頭の中で復習したとこでどうにもならねえからな。
だが今年はひとつだけ違うことがある。
毎年、誕生日の贈り物なんてのは誰からであろうが俺にとっちゃ必要のないものだった。
だが今年は欲しい。
手に入れても、手に入ってねぇような錯覚に陥るあの女の、狂おしい程の愛が。
□
『跡部様ーーーーーーーー!!』
まずは毎年のことながらファンクラブのお出ましだ。
1年のテニス部員達が警備員の如く俺様を囲む。
その周りにダンボール箱を用意した2年のテニス部員が俺の後をついて回る。
その鬱陶しい連中のずっと先に、靴を履き替えている伊織の姿が見えた。
「ちょっと通せ」
「あっ…!跡部さん危ないですよ…!!」
後輩の言葉を無視し、群がる女どもを掻き分けて俺は伊織の傍まで走った。
後ろから大声で俺を追いかけてくる騒音が聞こえるが、まぁ後輩が止めてくれるだろう。
「あ、景吾おはよ〜!誕生日おめでと〜!」
「ああ、おはよう。ありがとう」
この可愛げのない女が、俺の最愛の女、佐久間伊織だ。
お前もっとなんかないのか?
この俺様のモテっぷりに嫉妬するとか、そのどうでも良さそうな声色をどうにかするとか…。
「なんか後ろすごいことになってるけど大丈夫?」
「お前はそんなことは気にしなくていい。それより、今日の昼は空いてるか?」
「うん大丈夫。じゃあまた後でねー」
「…ああ、連絡する」
素っ気無さ過ぎるだろ…そんなこと考えてるとか絶対に思われたくねぇから俺様もお前に合わせてクールに決めてるが、結構ショック受けてんだぜ?
………付き合い始めたのはほんの1ヶ月前だ。
どういうわけか惚れた。理由はよくわからねぇ。
それでもあののんびりとした副生徒会長に、俺様はいつの間にか自分でも驚くほど惚れ込んでやがった。
そして俺が1ヶ月前に好きだと伝えた時、伊織は言った。
「じゃあ、よろしくお願いします」
あーん!?なんだそれは!!なんなんだその返事は!!
くそっ、今思い出してもイライラするぜ。
俺はお前に全校生徒会報プリントの承認を取りに来たのか!!
……まぁそういう具合で、1ヶ月経った今でも同じ突っ込みを頭の中で繰り返しちまう。
とにかく、その日から俺と伊織の付き合いが始まった。
最初はただ一緒に居るだけで満足した俺だったが、それが2週間も過ぎると、人間、欲っつーのが出てくる。
まず、あいつから俺に対して、好きだと言われないことに腹が立った。
だからある日聞いた。残暑厳しい昼の屋上で。
「伊織」
「ん?」
「……俺のこと、好きか?」
「…うん、好き〜」
あの間はなんだ?
ふにゃふにゃした口調で返してきやがるが、本心がどうだかわかったもんじゃねぇ。
思えばあいつから何かを求められたことは一度もない。
-景吾、手繋いで-
-景吾、好きって言って-
-景吾、キスして-
でも俺が求めてるのはそれだ。伊織に、求められること。
くそっ………恋人同士ってこんなのか!?こんなんじゃねぇだろ!
今までの女はこんなことはなかった!いつだって俺を求めてたっつーのに…。
「跡部ぇ〜〜〜〜〜〜〜〜」
「……なんだ関西メガネ」
「…なんや、簡単に略し過ぎちゃう?」
「何の用だと聞いている」
そんなことばかり考えながら過ごしていたら、いつの間にか2時限目が終わってやがった。
教室の中は、校門前よりは幾分か落ち着いている。
いくら俺様の誕生日とはいえ、3年の教室に来るほど度胸のある後輩たちが居ないためだ。
俺に群がる連中が3年に限られただけでも、随分と快適なもんだ…
「教室中に溢れとるこのプレゼントの山、どうにかせぇやお前…」
3時限目に入る前の休憩中、忍足がのっそりと現れた。
野郎は腐れ縁なのか、中等部の時からずっと同じクラスだ。
そして毎年、こうして同じ嫌味をちくちく俺様に投げかけてきやがる。
「あーん?てめぇに言われたかねぇな。あと2週間もしたら今度はお前の番だろ」
「俺はお前と違うてな、こんな山にならへんし、ちゃんと片付けるっちゅうねん」
「いちいち勘に障る野郎だな。そんなことを言いにわざわざ俺様の机の前まで来たのか?あーん?」
「……いちいち勘に障るて…お前に言われたないんじゃ…それより…」
俺の前の机の椅子に座り、忍足が外を指差した。
何かと思い視線を流すと、校庭の木陰に伊織が見えた。
「……」
「お前、彼女と結局どーなん?前はなんや、あんま思い通りに事が進まへんとか言うとったやん?」
にやにやとしながらそう聞いてくる忍足に、俺はそっぽを向いた。
そんな俺を見て、忍足はまた一段とにやにやしやがる。
「さよか、さよか〜〜〜〜…」
「なにも言ってねぇだろ」
「意地張っとらんで、景ちゃんサミシーねーんて言うたらどない?」
「………いっぺん死んでみるか?」
「こわっ!俺なんやそれ聞いたことあるで…地獄に送られるんか俺…」
「くだらねぇこと言ってねぇで、次の授業の準備でもしたらどうだ?あーん?」
そう言いつつ、俺自身全く準備をしていなかったことに気付き参考書を出そうとした時、忍足がはっと息を飲むような顔をしやがった。
忍足の視線はさっき伊織を指差した方向だ。
俺はすぐにその先を目で追った。
「どうし……」
それを見て、俺の言葉が止まった。
木陰に居た伊織は、どうやら待ち合わせをしていたらしい。
たった10分の休憩中に待ち合わせするほど伊織が会いたかった人物は、こっちからじゃ後頭部しか見えねぇ、氷帝のブレザーを着た男子生徒。
「…跡部、なんや間違いや…多分…」
「………どういう間違いだ」
「や…そ…」
伊織は、その男に満面の笑みで話しかけ、その間中、両手同士を絡めていた―――。
「跡部、昼休みやで」
「だからなんだ」
「…お前…今日約束しとったんちゃうんか、ちゃんと―――」
「忍足、あいつに男の兄弟はいない」
「…誤解やないって言いたいんか」
1時限目が終わった頃に、俺は伊織に昼は屋上で待ってるとメールをしていた。
だが今の俺は、当然行くつもりはない。
だってそうだろ?
俺の誕生日を最悪な日にした伊織に、何故この俺様が会いに行かなければならない?
「せやけど跡部、ちゃんと話し合うて―――」
「今更何を話せってんだ?」
教室からどんどんと運び出されていく贈り物の山をただ呆然と見つめながら、俺はそう言った。
二台のトラックが学校から出て行く頃には、昼休憩は終わる。
「ひとりで待ちぼうけは可哀想やろ?行かへんなら、せめて連絡――」
「電話の一本もないんだぞ?待っちゃいやしねぇよ。今頃あの野郎とよろしくやってんじゃねえか?」
ぶっきらぼうに答えた俺に、忍足はあからさまに溜息をつく。
「跡部、お前ちょお大人んなり…」
「…大人ってなんだ、忍足。ああいうことを笑って許せる人間のことか?」
「許せやなんて言うてへん、せやけど行かへんなら行かへんって、連絡くらいしぃ」
「………」
俺の肩に一度手を置いて、忍足は自分の席に戻って行った。
…伊織、なぜだ…。
俺がこんなにお前を好きでも、お前は違う男のことを見ていたんだな?
俺はお前のあんな笑顔を見たことはない。
あんな風に、お前から手を絡めて話したこともない。
なぁ、なんで俺と付き合ったんだ?
断ったら、俺に何されるかわかったもんじゃねえと思ったのか?
フラれた腹いせに俺が何かする男だと、お前はそう思ったら俺を受け入れたっつーのか?
お前は大胆な女だな伊織…普通学校内で浮気はしないだろ。誰にも見られてないと思ったのか?
確かにあの時間帯、次の授業の準備に追われてる大抵の生徒は校庭なんか見ちゃいねえ。
更に3年のいるこの階からはあの場所は見え難い…俺も忍足も、たまたま見かけただけだ。
…だからあの時間帯を、あの場所を選んだのか?
俺に見つかるかもしれない多少のリスクを背負ってでも、そんなに会いたかった男なのかよ?
「景吾様、ではまた放課―――」
「ああわかってる」
「――…失礼いたします」
声をかけてきた使用人に、俺は乱暴に答えた。
俺の八つ当たりには慣れているせいか、そのまま頭を下げて教室から出て行く。
チャイムが鳴るのと同時に、数学の教師がドアを開けた。
全員が起立している時、俺はただ、ひたすら校庭の木陰を見つめていた。
テニス部に顔は出さなかった。
どのみちもう引退している俺が顔を出そうが出さまいが、影響することはない。
車が迎えに来ている所まで俺が歩いている間、朝と同じように女どもが群がろうとしたが、俺が睨むと一斉に後ずさった。
そのおかげで前方にぽっかり開けられた花道をまた歩き出そうとした時、後ろから声が掛かった。
あの、女の声が。
「景吾ー!」
「………」
その声に一度立ち止まった俺は、しかし振り返りもせずにまた歩き出した。
止まる必要はない、俺はお前にとって必要のない男なんだからな。
「あれ…景吾ー!」
「………」
俺はとことん無視して歩く。
誰もが知っている俺と伊織の関係を、周りの連中は唖然と見ていた。
中にはそわそわとした話し声も聞こえる。ワイドショー好きなタイプの人間だ。
「ねぇ景吾、あのね、ちょっと渡したい物が…」
歩く俺の横まで走ってきて覗き込むように話しかける伊織に、俺は一度も目を合わせないままに無言で歩き続けた。
「…景吾、なんか怒ってる?お昼も待ってたけど来なか……った…」
伊織が話しかけている間に、俺は車まで到着しドアを開けられている車に乗り込んだ。
すぐにドアを閉めるように使用人に視線で合図する。
だがその使用人は伊織を見て、ドアを閉めることを躊躇いやがった。
「何してる!早くドアを閉めろ!」
「も、申し訳ございませんっ!」
「……」
伊織はずっと俺を見ていた。
車が出ても、名残惜しそうにこちらを見ていた。
その様子は、おせっかいな運転手が躊躇いがちに俺の名前を呼んだことでわかった。
「景吾様、本当によろしいのですか…」
「…誰に向かって口を利いている。慎め!」
「……失礼いたしました」
夕方、伊織が来たと使用人から知らされた。
今更なんだ。
形式的に、俺に贈り物をして何になる。
お前はあの男と、いちゃついてりゃいいだろ…。
そればかりが頭を巡って、俺は会いたくないと伝えろと言ったがお人好しな使用人が適当な理由をつけやがったんだろう。
伊織は俺へ、「用事が終わったら連絡下さい」とメールをしてきた。
あれから5時間が過ぎた。
俺の最悪な誕生日があと1時間で終わろうとしている。
明日顔を合わせたら、別れよう…。
そこまで考えた時だった。突然、屋敷中に警報音が鳴り始めた。
「!?」
「景吾様!ご無事ですか!?」
即座に警備員が俺の部屋に駆けつける。
俺は急いで部屋を開けた。
「無事だ。この騒ぎはなんだ」
「侵入者のようです」
「久々だな…とっとと捕まえて警察に突き出せ」
「はい!」
跡部財閥の警備をすり抜けられると思ってる泥棒がまだいるとは驚きだ。
全く、家が金持ちだと夜もやすやすと寝れやしねえのか。
「け、景吾様……!!」
「あーん?捕らえたか?」
両親が居ない今、この家で実権を握るのは俺様だ。
警備員は当然のように俺に報告をしに急いで俺の部屋まで上がってきた。
だがその顔が真っ青だ。俺に一抹の不安が過ぎる。
「どうした…?」
「それが…申し訳ありません!!まさか佐久間様だとは思わず、後ろから締め上げてしまいました…!!」
「……は?」
「申し訳ありません!」
「いや…お前今なんつった?」
「すすすすすす、すいません!後ろから……!!」
「そうじゃない、佐久間と言ったか?」
「は、はい!お客様に警報が作動してしまうとはまさか思いもせず…申し訳ございません!!」
…どうやら警備員は俺と伊織が会う約束をしていると勘違いしているらしい。
客なのにシステムが作動したことを遠回しに言い訳して伊織を懲らしめたことをひたすら謝り続ける。
つーことは何か…伊織は、痺れを切らしてこの屋敷に忍び込んだってことか…?
「…くっ…何考えてる!!」
「申し訳ありません!!申し訳ありません!!」
「貴様じゃない!伊織の所へ案内しろ!」
「は?あ!はい、只今!!」
* *
「うー…痛い…うー……」
「…おい」
「あ!景吾ー!こんばんは…えへへ」
「お前何考えてる?」
伊織は首の後ろ辺りを氷水を包んだタオルで冷やしていた。
恐らく後ろから襲われたんだろう、その様子を使用人が心配そうに見ている。
だが俺が来たところで、使用人は俺の視線を感じたのか、すっと席を外した。
「何ってー…えっと」
照れ笑いのような顔を浮かべた伊織が、立ち去った手伝いの背中を見ながらぼうっと声を上げる。
俺は自分の背中からドアが閉まる音を確認してから、伊織に近付いた。
「えっと、景吾に今日…どうしても渡したくて…間に合いそうになかったから…」
「お前バカなのか?俺が避けてるとは思わないのか?それでよく副生徒会長をやってるな?」
「あ…いや、避けてるのかなって思ったけど…でも…今日…」
「俺の誕生日だからか?」
そう、と小声で呟いてから、伊織は頷いた。
「…あっそう」
「…うんあの…これ…」
呆れたような声を出した俺に伊織は少しだけ口を尖らせながら、手に持っていたブルーのタオルを傍のテーブルの上に置き、そこにあった自分の荷物からラッピングされた箱を取り出した。
ゆっくりと、俺に近付いてそれごと手を伸ばす。
受け取ってくれ、っつーことか?あーん?
「…お誕生日、おめでとう」
「…用が済んだら帰れよ」
「これね、テニスシューズなんだ。景吾に似合う―――」
「…聞こえてねーのか?用が済んだら帰れ」
背が低い伊織の頭を見ながらそう言った。
顔を見たら、気持ちが揺らいじまいそうだ。
……そこに居るだけで、本当なら抱きしめたい。
「景吾…わたし、なんか嫌われるようなことしちゃったのかな…」
「自分の心によーく聞いてみるんだな。お前は何故俺と付き合った?好きでもない男と付き合うか普通?」
伊織は受け取ってポーズのまま俯いていた。
その手が、震えている。だんだんと、下がっていく。
今更、俺に振られたフリか?俺を振ったのは、お前のほうじゃねーか!
「好き…だったよ。ごめんね。なんかよくわかんないけど、ごめん…」
「ふん、もう過去形かよ…」
「…過去にしたそうだから…景吾が…でも…最後に…」
「あーん?」
「景吾…キスして」
「…っ…」
伊織はまっすぐ俺の目を見て、そう言った。
俺がずっと与えて欲しかった言葉を、愛を、この女は残酷にも、最後に突きつけてきやがった。
……………っ…くそ!
「…よくそんなことが、言えるな…」
「…だめ…かな…」
「他の男と触れている唇に触れたくはねえからな!」
「…なんで他の男…?触れてないよ?」
心外だ、そんな顔で俺を見つめる。
女っつーのは怖いもんだな。土壇場でこの演技は尊敬に値するぜ。
「シラを切るつもりか?あーん?俺は見たんだぜ?」
「わたしが、いつ、他の男とキスしてた?」
「キス現場を見たわけじゃねえよ。だがお前は今日、3時限目の授業の前に、校庭の木陰で男と逢引してやがったじゃねぇか。手と手を絡ませて、嬉しそうに笑って…っ」
「……………」
俺がそこまで言うと、伊織は焦点が合ってねえような目をして、振り返ってテーブルまで歩いて行き、テニスシューズの入った箱をその上に置いた。
かと思えば、また振り返って俺の元まで来る。
お前一体何が目的だ?――そう、言おうとした瞬間だった。
バシン、という激しい音と共に俺の脳が揺れた。
「……つっ…!?」
「…だったらなんで言ってくれなかったの?」
「な……」
「どうして何も言わないまま、無視したりするの!?わたしがさっき帰ったら、もう終わってた!なんでそれを話そうとしなかったの!?景吾は、わたしのこと手放しても平気なの!?」
女に殴られたことに、俺はしばらく唖然としていた。
だがこの女の言ってることが余りにも自分勝手で、俺は我に返る。
話し合ったら何が変わる?お前が男といちゃついてた事実は変わりゃしねーだろーが!
「お前、自分が何言ってるかわかってんのか?手放しても平気だ?お前が俺のことを手放しても平気だからああいうことを堂々と校内でしてたんだろうが!」
「バカじゃないの!?あれは手塚よ!!」
「なっ…なんだと!?手塚!?」
俺の言葉に被さるようにすぐに言い返してきた伊織の言葉に、俺の頭の中は真っ白になる。
手塚!?なんであいつの名前が出てくる!そもそもなんであいつがうちの学校に居る!?
しかもなんでブレザー着てやがる!つかテメーいつ手塚とそんな仲に……!
「違うよバカ!!バスケ部の千夏だよ!!景吾が提案したんじゃない!今度の学園祭で男装させて俺とテニスやらせたら面白いコメディになるって!手塚の早着替え練習しとけって景吾が言ったんじゃない!!だからあの短い休憩時間使って、早着替えのタイム計ってたのに!!女と手繋いで話して何が悪いの!?笑うよそりゃ!そっくりだったもん!」
伊織の怒鳴り声とその話に、俺はまたしばらく唖然とした。
バスケ部…男装…学園祭…まさか…。
「………なに…?」
「信じられない!そんなことでわたし……っ…なんで泣かなきゃなんないの!?」
手塚…、本名は吉井千夏。女バスのキャプテン。身長184cm。俺様よりも高い。
昔から青学の手塚にそっくりな顔立ちをしていることで、あだ名は『手塚』。
今度行われる学園祭のステージ演目に、コメディを入れたいという役員達の提案を受け入れ、俺が考えたのが吉井に男装をさせて俺とステージ上で簡易テニス対決をさせることだった。
じゃあまさか…俺が見たあの後姿は、早着替えをした吉井千夏の後姿…。
嘘だろっ…骨格は…完全に男だったぞ…。
「…バカ景吾…わたし、本当に嫌われたのかと思って…すごい…すごいショックだった…」
「……悪…かっ…た…?」
くた、と項垂れた伊織は、しゅん、と鼻をすすった。
読みきれなかった展開に、俺の頭はしばらくぼうっとしていた…が…
「伊織…」
「…こっちこそそんなアホに用はないよ!」
「ちょ、待っ…悪かったって!」
「っ…」
泣いたことで自分を煽って感情が高ぶった伊織が、俺を通り過ぎて部屋を出て行こうとした。
俺ははっとして、咄嗟に後ろから伊織を抱きしめた。
まずい、こんなくだらねえことで伊織を怒らせて振られたくねえぞ俺は…。
「行くな…ごめん、俺が悪かった…完全に、誤解してたみたいだ…」
黙ったままの伊織を、強く抱きしめる。
紛らわしいとか、いろいろと難癖をつけて突っ込みたいところは山ほどあるが、それは後だ。
「……お前、ずっと態度が煮え切らなかっただろ?…」
「それは…だって…恥ずかしくて…」
「だからその…誤解しやすい精神状態だった。ずっと不安だった…お前は本当は、俺のことなんか好きじゃないんじゃねえかって…な?」
「…だって…景吾と一緒に居ると…直視してると…死にそうになるも…」
「おいおい…それは、いい意味だろうな?」
「悪い意味ならこんなことされて黙ってない」
「だな…ふっ…」
鼻先に香る伊織の髪の匂いの心地良さに、俺は自分の頬を伊織のこめかみに笑いながら摺り寄せた。
小声で、避けてたわけじゃないんだよ…と呟いた伊織は、ゆっくりに俺に振り返る。
「…でも、ごめん…わたしも、確かにちょっと、のらりくらりし過ぎてたと思う。なんか、誤魔化してないと心臓持たなくて…だって景吾のこと、ずっと好きだったんだもん。ずっと、ずっと…わたしも不安だった。景吾に何か求めすぎて、うざがられたらどうしよって…だから今日のお昼も…ただ、待ってた…」
俺から目を逸らして、懸命に話す伊織の言葉に嘘はないと、俺は感じた。
初めて聞いたその告白に、俺は自分でも驚くほどの笑みを浮かべた。
さっきまで落ちてた気持ちが、急上昇する。
なんだよ…ならもっと、早く言ってくれ…好きって、俺にしつこいくらい聞かせとけよ。
「なぁ伊織、じゃ約束してくれ。今日は俺の、誕生日だから」
「うん?」
「毎日とは言わない。でも俺の誕生日には、キスを求めてくれ」
ふぁ…!と言いながら顔を赤くした伊織は、少しきょろきょろとしながら小さい深呼吸をして、ぎこちない満面の笑みを浮かべ、背伸びをして言った。
「景吾、キスして…?」
「ああ…させてもらう…」
手に入った愛は、目には見えない…。
だがそれこそが、俺の求めていた伊織からの贈り物。
「んっ…景吾…長いよ…っ…」
「俺を殴った罰だ…」
誕生日が終わるまで、俺はしつこく伊織に唇を求めた。
って……結局求めてんのは俺かよ。
まぁ、それでもいい…こうして俺は毎年、お前に愛を乞うんだろう…。
fin.
[book top]
[levelac]