Romance mellow_01




1.


ぽかぽかの日差しに、夏の訪れを感じる……ちゅうのも、気が早いけど。まだその前に梅雨がある。
季節の変わり目を肌になじませながら、ふたりで肩を寄せあった。その前に、かたをつけなあかんことが目白押しやよね。「かた」だけに……言うとる場合やない。

「なあ、伊織さん」
「うん?」

ちゅうっと唇を寄せる。さっきよりも陰になる場所に移動したで、遠慮なくキスできるけど、あんまりしたら興奮してくるから厄介や。とくに、仲直りのあとは……。せやけどこのキスは、問題から目を逸らしたい複雑な心境もある。ああ、せめて数日、死ぬほどイチャイチャしたい。けど伊織さん妊娠しとるし、宿題は残さんほうがええし。けど怖いし……はあ、ビビりか。

「ン……侑士さん、しすぎ……」
「好きやねんもん」ちゅうっと、音までさせた。それも本音やで?
「ふふ。また、とまらなくなっちゃうでしょ」
「ん……」勃起しそう。いやすでにしとる。はあ……しとる場合ちゃうか。「あのさ」
「うん? なにか聞こうとしてたね?」
「ん。あのな、こっちに荷物、送ったん?」
「あー……うん。少しだけど。わたしの荷物は、ほとんど身の回りのものだったから」
「ん……」やんな。引っ越しのとき、家具は俺の部屋ので、間に合ったもんな。「それで、親御さんにはなんて言うて戻ってきたん?」
「えっと。部屋が見つかるまで、しばらく置いてって。あと、話があるとも、言ったけど」

せやんな。当然や。なんせ、ひとりで育てる気やったんやもんな。俺になんも言わんと……悲しいけど、それを責めれる立場やない。

「まあでも、それやったら、ちょうどええっちゃ、ええんかな」その話を『結婚したい人がいます』に置き換えてもらうのが、妥当やわ。
「ねえ、侑士さん」
「ん?」首かしげて、かわい。キス、もうちょっとだけさせて……。
「今日、泊まって行かない? うちの、実家に」

伊織さんの提案に、キスしようとして、カピン、と固まった。同時に、興奮しとった股間も一気に静かになっていく。と、泊まる?

「あれ……侑士さん? おーい」

ぶんぶん、目の前で手を振っとる。あ、あかんあかん。こんなヘタレまる出しの俺、伊織さんにバレたない!

「うんうん、そうやね。ええ提案やと思うけどさ、伊織さん。アレや。いろいろ、なんちゅうか。準備もな、せなあかんと思うやで。やって、いき、いきなりお邪魔するんってどうやろかな。やっぱりなんちゅうか、一度は伊織さんからこう、親御さんに、『会わせたい人がいるの』的なやね、そういう話をじっくり1週間くらいかけてしたほうがよかったりするんちゃうかなって思ったり。ぶっつけ本番ってあんまり、どうやろか。テニスもそうやけど、鍛錬がモノを言うっちゅうてな、基礎練習が肝心やねんか。せやからいくら技をたくさん持っとっても、試合のときに対戦相手にハマる技を出せんかったら意味ないで、その見極めのためにも、結局は基礎なんや。やで俺の友だちも結構、プロポーズから時間かけとったで? せやけど俺らはアレやな、状況が状況やで、そこまで時間かけれへんしな。せやけど、い、いきなり突撃いうのはなんちゅうか、迷惑やないかな。それに、それが、アレやろ? 顔合わせの常識的な展か」
「侑士さん」
「ん、ん?」
「怖い?」
「こ、怖なんてないよ! なんでやっ」

めっちゃサラッと、たいしたことないように振るまったいうのに、俺の言葉をさえぎってまで、なんでそんなズバッと言うてくるん! 跡部かお前は!

「ふうん? ホント?」
「ほん、ホンマやそんなん、怖いなんて、怖いとか、あるわけないやろ。アラサーやで俺。責任感ある男やで、俺」
「だって、やけに早口だし。いいわけっぽいし。言わなくていいこと並べてるし」

い、言わんでもええことなんて、ゆ、言うたか? あかん、全然、自覚ない。

「そ……せやけどやっぱり、今日の今日は、どうやろ? 日を、多少な? 改めたほうがええと思う」

やって、挨拶って、俺、お父さんに、いやお母さんにもやけど、「妊娠させた」って言わなあかんやん。そんなん隠しとおせるわけないし。いや隠すやなんてそんな、裏切る真似できへんし……殴られる? 殴られるよな? 結婚前の妊娠とか昭和ドラマやったら殴るやん絶対! お父さん昭和の人やろ!?

「ふうん? わかった。『会ってほしい人がいる』は、今日にでも伝えておくね」
「ん、ん……」そうしてくれ。頼むわ。
「でも、早いほうがいいよね? 挨拶は。だって、急がないと、ね?」と、お腹に手を当てとる。
「せ、せやな……」それ、やっぱり俺から親御さんに言わせる気やんな? そら、そうやんな。
「じゃあ、土日がいいかな? 侑士さんもお仕事あるしね。1週間も話すことないから、今度の土日にしよっか」
「せや……ね。ええと、今日は何よ……」
「金曜」
「さよか、金……金曜!?」

急いでスマホを見たら、思いっきり液晶画面に「金曜日」とでとる。あかん、ホンマに金曜やん……。

「もう……侑士さん」めっちゃ呆れ顔に呆れ声。
「ちゃ、別に、嫌とかやないしっ」
「やっぱり、怖いんだ」いくじなし、と言われとるな、これ。
「怖ないっ」怖い、めっちゃ怖い。「え、ええよ。明日、明後日、でも……」
「引き延ばしたってしょうがないでしょ? 早かれ遅かれ、どうせ言わなきゃいけないんだから」
「はい……」

わかってます……。
せやけど、大切なひとり娘を、すでに妊娠させとるとか……あかん、もう泣きそう。





ひととおりの報告を聞いて、跡部は静かに猪口を傾けた。

「……うめえな」
「ああ、そうやな……って、ちゃうやん。それ最初に口にすることちゃうやろ」そらお前と日本酒っちゅうのも、なかなか見れる組み合わせやないけど。
「アーン? つまりは、てめえがやらかしたことにビビってるって話だろ?」

まあ、そうなんやけどさ……。
結局、伊織さんと話し合って、とりあえず今日のところは東京に戻った。
戻ってすぐ、跡部に連絡、なう、寿司屋。この胃袋も、ようやく新鮮な魚を受けつけてくれるようになったんやな。地味に感動するわ。

「やらかしたことにもビビっとるし、それを親御さんに言うことに、ビビっとる」
「そうは言っても、できちまったもんはしょうがねえだろ」
「そうやけどさあ……普通に考えたら俺、殴られへんやろか? なあ?」
「俺が親だったら殴るな」そうやろな。わかっとったわ。「だがな忍足、いまの時代、さほどめずらしい話じゃねえだろ? そうビビるな」
「んん……そらめずらしい話やなくなってきたけどさ」お父さん世代はつまり、俺らの両親世代やろ? 自分の親に言うのも気が引けるんやけど。「ええ歳して、できちゃったって……あ、いや、ちゃうねん。ちゃうねんで? どっちにしても俺はな? 最初から結婚するつもりやったから!」
「ああ? 聞いてねえよ。あげくそんないいわけを、俺にしてどうする? するなら彼女の両親だろ」
「ん……」

予行練習かよ、と、跡部は吐き捨てた。せや……予行練習。下手したら明日、会うかもしれへんやん。その確率、ほぼ100パーセント。
ああ、伊織さんからの連絡、ないなあ。うっかり、もう話したんやろか。それで伊織さんがめっちゃ怒られとったらどないしよう。絶対に俺も怒られる……。年上にはウケはええほうで通ってきた俺やのに。肝心な場面でスタート切る前から地獄とか。ホンマ、笑えへん。

「しかし、いよいよ忍足が結婚とはな……」
「ん? なんや跡部。寂しい?」
「は、んなわけねえだろ。ただ、2年前の宍戸といい、今回のお前といい……そういう歳かと思ってな」
「ああ、宍戸な。こないだ子ども生まれたらしいで」
「知ってる。1週間後には会いに行ったからな」

吹きだしそうになる。見かけによらず、跡部って子ども好きよな。ひょっとして……結婚、羨ましいんやろか。

「さよか。かわいかった?」
「ああ、宍戸によく似ていた。見るか?」

スマホ取りだして、写真まで見せてくる始末……あかん、跡部、めっちゃかわいい。

「くく。おお、ホンマや。宍戸に似とる。かわいいなあ」

なんとかそれとは気づかれんように、宍戸の赤ちゃんに集中した。さよか、跡部。お前の仲間意識って昔から実はものっそいアツいけど、こういうときは遠慮なく爆発させよるやん。
おもろすぎ……今度、岳人にバラしたろ。

「忍足よ」
「え!? な、なに?」考えとることバレた!?
「……どういう気分だ」
「は?」
「父親になるんだろ? 実感はねえのか?」

そんなん……まだエコー写真すら見てへんのに、実感て……。なにを悦に入っとんねん、跡部。なんか嬉しそうやない? お前に子どもができたみたいな顔、すなよ。ちょっと、きゅんとするやん……仲間思いがすぎるで!

「そら……なんちゅうか、しっかりせなとは、思うけどやな」
「アーン? そんなものか?」
「いや、跡部……やっぱり出てきたときやないか? 実感すんのは」
「ふん。まあ、男っつうのはその程度なのかもな。だがな忍足」
「なんや」なんかしらんけど、ソワソワする。
「まだ見ぬ自分の子どもが、すでに愛する女の腹に宿ってんだろ?」
「まあ、そうやなあ……」信じられへんけど、そういうことになる。
「このうえない祝福だろうがよ、それは」

どういうわけか、じーんときた。茶化しとる様子もない。跡部が、めちゃめちゃ真剣な顔で、大切なことを伝えてくれようとしとるのが、わかったから。

「最愛の人との、最愛の子どもだ。奇跡のような祝福を手にしたお前が、両親への挨拶くらい、スマートにこなさなくてどうする。お前が彼女を追いかけた覚悟は、家族への愛、そのものだろ?」
「跡部……」
「俺にも、見せてくれ」
「え……」
「生まれたとき、お前の子どもをこの胸に抱きたい。そう思っている仲間がいることを忘れるな。そしてなにより、彼女と子どものために。一家の大黒柱として、まずは最初の仕事をこなしてこい」

じわじわ、目頭が熱くなった。あかん、あかんあかん、恥ずいっ。
ホンマは、ホンマは跡部に抱きつきたいけど、そんなん気色悪いし、できへんから。
徳利をとって、跡部の猪口に酒を入れた。なにも言えへんけど、俺の気持ちは伝わったはずや。

「……ふっ。なに感動してやがんだ?」
「勘違いせんといて。おおきにって、それだけや」
「そんなに目を潤ませてか?」
「潤ませてへんっ。ちょお、席外すっ」
「ああ、ゆっくりしてこい」

笑う跡部に背中を向けて、席を立った。店から出て、スマホを取りだす。
伊織さん……俺、めっちゃええ友だち、もったわ。あいつに、抱かせたらな……俺の子ども。俺と、伊織さんの、大切な命。

「もしもし? 伊織さん?」
「侑士さんごめん、わたしもいまから電話しようと思ってたの。遅くなっちゃったね」
「いやいや、大丈夫やで。どない?」
「うん、さっき話してきたよ」

パタン、と控えめな音が聞こえる。自室に入ったんやろう。
息を整えた伊織さんの呼吸が、耳の奥に響いてきた。

「ん……親御さん、なんやって?」
「うん。明日、お相手の方に来てもらって、泊まっていかれたらいいじゃないかって。父が」
「さよか。うん、明日な?」
「うん。いいかな? 侑士さん」
「もちろんや」
「ホント? よかったあ」

ビビりまくっとったはずの俺が落ち着いとったからか、伊織さんは「安心したあ」と、優しい。おおきにな、跡部。覚悟、決まったで。お前のおかげや。

「なあ、お父さん、なにが好きとかある?」
「うん。侑士さんと一緒で、お酒が大好き」
「ふふ、さよか。せやったら、お酒……日本酒でええかな?」
「うん、日本酒、いちばん好きだと思う」
「ん。ええの見つけて買っていくわ」
「喜ぶよ、きっと」
「ん……けど、赤ちゃんのことは、言うてないやんな? まだ」
「うん、それは……ふたりで一緒に、伝えたほうがいいかなって」

せやな。一緒に伝えて、どんだけ怒られても、認めてもらわなあかん。そら、まだちょっと、怖いけど。応援してくれとる仲間がおるで、やりきってみせる。

「わかった。ほな、明日は昼過ぎくらいに行くな? ええかな?」
「うん。詳細な時間がわかったら、教えてね。わたし、駅まで迎えに行くから」
「ありがとう。え、運転すんの?」
「ふふ。大丈夫だよ。運転くらいはできるから」
「ホンマ? 無理せんでや?」
「優しいね、パパは」

ドクン、と胸が波打った。いま……初の実感、きた気がする。

「なあ、伊織さん」
「うん?」
「……俺、めっちゃ、幸せ」
「侑士さん……うん、わたしも」
「せやからこの幸せ、ずっとずっと、つづけような?」

照れ笑いを交わしながら、電話を切った。
胸の奥に、じんわりと熱を帯びていく。そうや、これが祝福なんやな……そんで、これからもっともっと、祝福を高めていくための準備に入るんや。
よっしゃ……いくで、忍足侑士。





「……侑士さん、その格好、なに?」
「え。なんって……スーツ」
「まったく……面接じゃあるまいしー」
「ええ!? あ、あかんの!?」

伊織さんは俺を見るやいなや、ため息をついた。
やって……! スーツやったらまず間違いないと思ったんやもん! しかも今日って、面接やん、ほぼ!

「堅苦しすぎるでしょー。プライベートの侑士さんじゃなきゃ意味ないよ。もっと気楽に考えていいんだよ?」
「きら……あんな、伊織さん」ええよな、お前は気楽でっ! とは、言わへんけども。「伊織さんの親御さんが大切に大切に育てたひとり娘の体に、俺、説明つかんことしてもうとるんやで?」すでに説明がややこしい感じになってしもとるやろ? な?
「説明はつくと思うんだけど……」
「説明したら失神しはる!」

生でヤッたって言えいうんか! ヤッてへんのに! ヤッてへんのにできたってもう、うっかりポイントがあったってことやから、そんだけ日頃からヤりまくっとるってことになるやないか! ああ、ヤりまくっとったけどさ! 

「わかった、わかったよ侑士さん、そんなに興奮しないで。デパートいこっか。ね?」

ちゃきちゃき歩いて、伊織さんが駐車場に向かっていく。颯爽と風を切っていくその姿は、どこか勇敢やった……のはええけど、早歩きすぎやって!

「ちょ、伊織さん、もうちょいゆっくり歩きいやっ」
「はいはいわかった、わかりましたから」全然わかってないんやろう。速度をゆるめもしやん。
「待ちって! あっ、運転、俺がするわっ」
「ええ? いいよ、慣れない車のほうが危ないでしょ?」立ち止まって、ピ、と車が光りだす。なるほど、あの車か。
「俺がおるときは俺がやるっ」運転は得意なんや。「やって、なんかあったら……」運転席まで走ったった。
「ふふ……心配性だなあ。大げさなんだから」

大げさでもかまわん。ホンマになんかあったら、今度こそ本格的に顔向けできへんようになる。親御さんだけやない。跡部にも、子ども抱かせるって約束したしやな……。
ちゅうのに!

「ちょ、伊織さんって、早いって!」

デパートに入ってからも、ちゃきちゃきちゃきちゃき歩きよって!
なんで!? なんでそんな、なにを生き急いどるんやお前はっ。

「侑士さん、これなんか似合うと思う!」
「伊織さん、俺の話、聞いとる?」
「ね、着てみて着てみて!」

まったく聞いてくれへん……しかもいつのまにか、着せ替え人形にされとる。
いや、伊織さんのコーディネート、嬉しいけど……なにこの薄ピンクのシャツ。めっちゃカジュアルやん。ギリ、襟はついとるけどさ。

「わあ、侑士さんピンク似合うね! やっぱりイケメンってなに着せてもいいんだあ」んん……最後にハートマークついとるなこれ。悪い気せえへんわ。
「そう、やろか?」
「似合うよー! これで、下にネイビー合わせたら……ほら完璧!」

ん、まあ、嫌味やないくらいのおしゃれや。せやけど遊びに行くみたいやん。チャラいとか思われたらどうしてくれるん。「頭すっからかんの男やから中出ししたんやろ!」って言われたらもう、俺、ちゃうのに……泣きたなるやん。
不安をそのまま置いてけぼりにするように、伊織さんはさくさくと会計を進めた。え? 進めとる!?

「ちょちょちょちょいちょいちょいっ! ええって、俺が出すやんかっ」
「いいのいいの。これ、母からのおこづかい」
「おこ、おこづかい?」ど、どういうわけや?
「そう、侑士さんになにかお洋服、買ってあげてって」
「は……? いや、あかんって」すかさず万札を取りあげようとしたけど、ひょい、とかわされる。「伊織さんって!」そんなんあかん!
「いいんだってばー。母さん息子がほしかったんだから。侑士さんの写真見せたら、もう喜んじゃって」それ、お父さんに余計に嫌われるパターンやないかっ。
「やからって、こんな高いモンあかんって!」
「高くないと意味ないの。良いものにしなさいって言われてたんだあ」

言われてたんだあ、ちゃうわっ。あああああどないしよう。こんな、会う前から好かれとったら、肝心なこと言ったときの落差が激しなるっ。
会う前から嫌われとっても嫌やけど、好かれとってもやましい気んなるしっ。

「そんなん、あかんって……」
「あ、すみません。すぐ着て帰りますから、タグを取ってもらっていいですか?」

ことごとく無視を決め込む伊織さんに、かしこまりました、と返事をしたスタッフが、素早い対応で服のタグを取っていった。
ああ……もう、今日はこないして、誰にでも好きにされる日なんやろか。

「あ、ねえねえ、侑士さん」
「ん……?」

トイレで強制的に着替えさせられて、半ばいろんなことを諦めたころやった。
エスカレーターに乗って帰る手前で、伊織さんが、なにやら袖をちょちょっと引っ張ってくる。

「どないした?」
「あれ、かわいい」

伊織さんが指をさした方向に目を向けると、白地に黒と緑の蔓みたいな刺繍が伸びた、ホンマにかわいい柄のワンピースをマネキンが着とる。

「おお、ええやん。かわいいワンピースやね」自然と足が向かっていった。伊織さんに、よう似合いそう。
「ふふ。それ、ワンピじゃないよ、侑士さん」
「え?」

たしかに。よう見たら、なんや腰のへんがふわふわしとる。同時に、伊織さんが腕にぴったりとくっついて、くすぐったそうに微笑んだ。
なるほどな……伊織さんも、この状況を本気で喜べるようになったんやもんね? 堪忍な。ホンマやったらずっと、喜んどきたかったやんな。

「しゃあないなあ。ほな、買うたるよ」
「あ、違うっ。そういう意味じゃっ」
「そんなかわいい顔しておねだりされたら、断れへんやろ?」慌てとると、いじわるしたなる。かわい。
「違うってば! 自分で……!」
「あーかん。俺が買うたりたいの。ええやろ? 愛する奥さんが喜んでくれる顔、見たいねんから」

伊織さんの顔がじわじわ、我慢しきれんように、はにかんでいく。
くう……かわいい。いますぐ抱きたなる。はあ、俺、なんだかんだ、やっぱりめっちゃ幸せやん。





せやけどそれは、ふたりきりの時間やったからで……表札の「佐久間」が睨んできたら、死ぬほど緊張してきた。
どうなっとるん……どんなテニスの試合でも、税理士の試験前でも、こないだのプロポーズやって、こない緊張せえへんかったのに。
あああああああ、口から心臓がでそうになっとる。

「侑士さん、大丈夫? 顔、こわばってる」せやろな、自覚ある。
「だい、大丈夫や」
「ぷふっ」
「なん、なに笑ろてんねん!」
「あははっ。ごめんごめん、こんなにかわいい侑士さん見れると思ってなくて」
「なななな、なん、なにがおかしいねんっ……」

ホンマ、どつきまわしたろかっ。
旦那になろうっちゅう男が、一升瓶を持ってぷるぷるしとるっちゅうのに、おちょくりまわしよって……ええよなお前は! 気楽でな! 目尻の涙、拭いとる場合かっ。

「ふふ、今度は怒ってるし」
「伊織さんが、ひどいからやっ」
「わかったよう、ごめんね? はい、じゃ、おまじない」
「なん……んっ」

背伸びした両手に頬を包まれて、そのまま頭を引き寄せられた。
しっとりと触れた唇の感触に、ピリピリした感情が、一瞬で溶けていく。静かに目を閉じると、伊織さんは何度も、はむはむしてくれた。これ、もう、愛撫やん……。

「少し、落ち着いた?」優しい目。酔いしれるわ。
「……勃起した」
「まったく。それ言えるなら大丈夫だね」
「ん」

ホンマに、最強のおまじないやった。
たっぷりキスを受けてから、ひとつ、深呼吸。なに言われたとしても、この気持ちは本物やから。

「じゃあ、入るね?」
「ん。いくで」

ついに、佐久間家の玄関が開けられた。





想像しとったよりも、広い玄関やった。床はまっさらで、靴も並んでない。おそらく全部、収納されとるんやろう。うちの実家と大違いすぎて、すでに引きそうになる。
伊織さんと同棲しはじめて、なんとなくわかっとったことやけど……むっちゃ、几帳面や。それって神経質にも近いことやない? それってそれって、潔癖にも近いことやない……? それって、非常識NO! ってことちゃうの? ああああかん、いろいろ考えんでええねんっ。

「ただいまー」
「あっ! お父さん! 来られたよっ!」

めっちゃ、待っとったな、あの感じ……。
バタバタとした足音に、背筋が伸びていく。ほんの数秒で、おふたりが出迎えてくれはった。

「ああ、どうも、わざわざ東京から、いらっしゃい」穏やかそうなお父さんが、にこにこと向かってきた。え、ええ人そう!
「は、はじめまして。僕、伊織さんと交際させていただいております、おし、忍足侑士といいます」
「まあ、ご丁寧に。はじめまして、伊織の母です」
「父です。娘がお世話になってます」
「いえ、お世話になっとるのは、僕のほうです。あ、あの、あの、これ、お口に合えばと思って、にほ」
「おおこりゃ! 母さん! 日本酒もらったよ!」おっと? 俺の緊張を無視して、めっちゃ嬉しそう。「冷やさないとっ!」

バタバタと、お父さんはすぐにリビングに消えた。ちょっと、唖然とするな……急にテンションあがってはったわ。ホンマに日本酒が好きらしい。うっかり、笑ってもうた。

「まったく……父さん!? 飲みすぎないでよ!?」

直後、お母さんがリビングに向かって叫ぶ。この玄関を見たときよりも、気分がほぐれていった。思ったより、くだけとるんかも。

「ね? 気楽で大丈夫って言ったでしょ?」伊織さんが苦笑した。せやけど……ま、まだ油断できんし。
「ごめんね忍足さん。お気遣いいただいて。手ぶらでよかったんですよ? どうぞどうぞ、おあがりください」
「あ、はい、失礼し」
「母さーん! 冷凍庫のスペースあけてー!」
「ああうるさいっ! ……ごめんね、品がない男で」
「いえいえ、そんな……」

緊張が多少はほぐれたものの、扉に頭をぶつけそうになった。あかんあかん……しっかりせんと目の前もよう見えてへん状況やんけ。せやから、油断は禁物。
日当たりのいいリビングは、これまためっちゃシンプルで物がほとんど見えへん。あるのは花と観葉植物。インテリアもおしゃれやなあ……どういう家なん。うちのごちゃついとる実家、ホンマになんなん。

「それにしても……」
「はい?」

さっきまで怒鳴りかけとったお母さんが、ソファの前でピタッと足を止める。冷凍庫の中身と格闘しとるお父さんに見向きもせんと、ゆっくりとこちらに向き直って、まじまじと全身を見てきはった。こ……怖い……ひょっとして、そうかなと思ったけど、佐久間家は、かかあ天下なんやろかっ。

「本っ当に……」
「は、はい……」
「ハンサムねえー! 忍足さん!」
「えっ」

ビクビクしとったせいで、張り上げられた大声に、肩が揺れた。
び、びっくりしたあ……ミュージカルかと思ったわ!

「もう、写真で見るより、数倍、数万倍、ハンサムじゃない!」
「母さん、声が大きい……」伊織さんは、呆れとった。
「なんで早く連れてこなかったのー!」
「そんな、なんでって言われても……あ、侑士さんそこに座って?」
「あ、ああ、うん」
「昨日、うちに来られましたよね!? もおう、こんなハンサムなら早く言いなさいよ!」母さん、出たのに! と、座る暇もなく、まくしたてられる。
「声が大きいって母さん……」伊織さんは大声に慣れとるんか、うんざりもしとった。
「そうなんです。昨日は急にお邪魔して、すんません」
「いいんですよ! もっとわたしにもお邪魔してくれたらよかったんですよ!」え、ど、どういう意味?
「あ、はあ……それとあの、こ、服、あの、伊織さんから聞いて、あの」
「そう! そうなの! 絶対に忍足さん、ピンク似合うと思ったの! 素敵よお!」
「あ、は、はい……ありがとうございます」伊織さんのコーデちゃうかったんや……。
「忍足さん税理士でいらっしゃるんでしょう? こんなハンサムな税理士さん、見たことないわ。あ、侑士さんってお呼びしたほうがいいかしら?」
「ああそらもう、あの、好きに呼んでいただいて……」テンション、高いな……。
「お名前も素敵ですよねえ? ほら伊織、ぼうっとしてないでお荷物! 上に!」キッと伊織さんを見た。情緒、どうしはったん……。
「わかったって、いまからやるって」

うるさいなあ、とぼやいとる。うわあ、伊織さんのこんな反抗的な態度、はじめて見るわ。喧嘩したときとは、また違うなあ。やっぱり一気に娘になるんやな。
って、感心しとる場合やなかった。伊織さんに荷物なんか、持たせられへん。せやけど慌てると、言う前にバレるかもしれへんし。ここは冷静に、気取っとかんと。

「ああ、ええよ伊織さん。俺、自分で運ぶ」
「ん? 大丈夫だよ? ここで親と」
「いや、俺が、自分で、運ぶっ」

頼むから、ご両親と三人にせんでくれ。いまは、まだ。嫌とかやないねん。ちょっともうすでに、息抜きしたいんや、俺も。わかるやろ?
思いを込めて伊織さんを見つめると、察したんやろう、伊織さんは笑いを噛み殺したような顔で、咳払いをした。

「侑士さんって、ハンサムなうえに、紳士なのねえ」

一方のお母さんは、めっちゃうっとりしてはる……俺、ホンマに昔から、熟女キラーやねんよな。こういう場合は、得したってことでええか。

「じゃあ、あれだ。ついでに2階、案内するね。洗面所とか、ね?」
「ああ、うん。ありがとう」





階段を踏む自分の足音が、心臓の動きと連動しとる。
「13階段」かっちゅうねん。これから死刑執行なんか。顔も合わせて会話もしたいうのに、余計に緊張しはじめとるやん。

「侑士さん、お部屋、ここね」
「ん、ありがとう」ホテルのような和室の客間に、やっぱりちゃんとした家や、と思った。
「で、お布団はね、あとでわたしが」
「それはあかん! それは俺がやる!」
「もう、大げさだってばあ、侑士さん」
「大げさちゃうって! 安静にしとってや頼むから」

ぎゃあぎゃあ吠える俺に嫌気がさしたんか、伊織さんは「ふうん」と、なにやら怪しい視線を送ってきた。
なん、なんや? やって、妊娠しとるのに、運転するわ、早歩きするわ、布団の出し入れするとか……もう、なんかあったらどうすんねんて!

「そっかあ。じゃあ今日は、一緒に寝れないね」
「え」

めっちゃ色っぽい声色で、そっと近づいてきた伊織さんは、俺の胸板に手をあてながら、静かにゆっくりと抱きしめてきよった。
ちょ……この人、悪い。ちゅうか、一緒に寝る気やったん? こ、ここ、伊織さんの実家やで? バリバリ昭和に過ごしてきた親御さんたちには、非常識やない? いや、同棲しとってどの口が言うてんねん、とは思うけども。
せやけど、そんな大胆な伊織さんって……あかん、死にそうになる。ちゅうかまた勃起しそう。

「わたしたちの部屋は2階で、両親は1階だから……残念だなあ。夜はこの部屋に、こっそり忍び込もうと思ってたのに」ツツツ、と指先が胸もとをくすぐってくる。
「そ……伊織さん」なんちゅう、誘惑や。
「でも侑士さんが、そおーんなに、大切にしてくれるなら。我慢するしかないね?」
「伊織さん、ま、ちょ、待ってよ……」

あげく、ぷるんとした唇で、鎖骨にチュッとキスしてきよった。
あああああああこの人、完全に俺をおちょくっとる! 騙されとるで俺! わかってんねん、そんなん、見え見えなんやけど……っ!

「……久しぶりに、侑士さんに抱かれたかったのにな」

痛恨の一撃。
抱かれたかったやって……抱かれたかったとか……そのトドメは、反則すぎるやろ。

「ぐ……」あかん、ホンマに勃起してきた。
「安静じゃなきゃダメだもんね? じゃあ、我慢だね?」

卑怯すぎる。俺をなんやと思ってんねん。伊織さんとの営みが好きすぎる俺を、なんやと思ってんねんっ! 極悪人かお前は!
そら妊娠はしとっても、そういうことはできるし、そんくらい、俺かて知っとるけど。
伊織さんとしたいわそんなん! もう3週間くらいレスやん俺ら! そんなん、死ぬほどしたいわ! いますぐ脱がせてアホほど鳴かせて、ぶちまけたいくらいやこっちは!

「びょ、病院は、行ったんよな? もう」せやけど、そんな理性ぶっ飛んだことは言えへんから、控えめに聞いてみる。
「うん?」くすくす、笑いやがって。
「わかるやろ? なに聞いとるか」
「ふふ。うん、行ったよ。順調だって。もう、流産の心配もない時期に入ってるんだって」
「つわりは?」
「うん、今日は体調もすごくいい」
「そ、そうなんや」しばらくしんどかったのは、俺がストレスを与えとったせいかもしれんな。「ほな……優しかったらええんちゃう、かな?」妊娠中のセックスは、スローでソフトやったら、たしか問題ないはずや。
「あれ、そういうのは、いいんだ?」
「も、伊織……」
「あはは。ごめんごめん、いじめすぎちゃったね」

目を細めた伊織さんに、唇を寄せた。いますぐ抱くことはできんけど、せめて、唇だけでもつなげたい。玄関前でしてもらったキスを、もっと濃厚にお返しする。これは、ホンマに、完全に、愛撫や。夢中になって、舌まで絡めて。

「ン、侑士さん……」
「伊織……とまらん。好き……」
「ダメ……ン、これ以上したら……」
「もうちょっとだけ、お願い……ン」

イチャイチャしすぎとる。彼女の実家で。頭では理解できとっても、体がいうことをきかん。伊織さんが挑発するからや……いうて、いますぐする気は、ないけど。やって、いま、この家に来たばっかりやし。わかってんねん、こんなんしとる場合や――

「侑士くーーーーーーーん!」

ぎゃあ! っと声がでそうになる。
リビングから、めっちゃでかい声で名前を叫ばれて、体をとっさに離した。
し、心臓、飛び出るかと思ったわ! なんちゅうタイミングやっ! 

「侑士くーーーーーーーん!」まだ叫んではるっ!
「は、はいっ、はい! どないしました!?」

お父さんの声やった。急いで部屋から出ていくと、お父さんが階段の下から、にっこりとこちらを見あげてきた。
なんで、そんな、嬉しそうな顔してはるんですか……。

「お風呂、先に入ったらいいよお。そのころにはちょうど、日本酒も冷えてるだろうし」
「え」
「父さん、声が大きいよ……侑士さんがびっくりしてるよ」伊織さんが、ひょこっと顔をだす。
「ありゃ、大きかったかな?」いや、大丈夫や。うちのオトンもオカンもめっちゃでかい。田舎の共通点なんかもな。
「侑士さん。お風呂、遠慮しないで、入ってきて?」
「や、俺、最後でええけど……」申し訳ないやん、なんか。
「気にしないの。うちはね、お客さんにいちばんに入ってもらうのがルールだから」

おもてなし精神っちゅうやつなんやろう。わかるけど、あとあとのことを考えたら、余計に申し訳ない気持ちになってくる。

「先に入ってたら、あとが楽だからね。お互い、明日も休みなんだし、今日はゆっくり飲もうよ。ほら伊織、早く案内してあげて」俺と飲むん、めっちゃ楽しみなんやな、お父さん。
「うん。じゃあ侑士さん、お風呂の準備、してもらえる?」
「あ、ああ。ほな……すんません、お先に、いただきます」準備の前に、階下のお父さんにペコ、と頭をさげる。
「うんうん。時間は気にせず、ゆっくり浸かっておいでね」

めっちゃ、優しない……? 男親が、ひとり娘の彼氏に、こんなに優しいもんやろか?
いや、結婚するって報告ってことはわかっとるから、ようしてくれとるんやろう。つまり、歓迎されとるってことやんな?
それやのに、結婚前に妊娠させたって知ったら、どんな気分になるやろう……。

――殺してやろうかと思ったね!
――俺が親だったら殴るな。

やんな……? 根っこの優しいタクシーの運転手さんも、跡部ですら、そう言うてたやん。
俺、覚悟は決めたんや。決めたけど……。
これはどう考えても、余計に言いづらい状況ってことちゃう?





to be continued...

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