▼ 旅立ち
「もーいやぁぁああ!!」
真夜中の街1番のお酒の種類が多い居酒屋で、叫びと共に持っているジョッキを勢いよくカウンターへと振り下ろす。
「今日も荒れてるねェハチ公ちゃん」
「大将ぉ」
酔っている訳でも、泣きべそを掻いている訳でもない。
ただ、本当に怒りが爆発寸前なところまできた訳で、この島に来てからはしょっちゅう、というかほぼ毎日、大将に話を聞いてもらっている。
あたしは旅をしながら絵を描いて周っている、と言うよりも描かされているっていうほうが正しいかもしれない。
あたしが描く絵は風景画が殆どを占めているにも関わらず、あたしの雇い主は人物画を要求してくる。
てか、絵かき屋さんっていうの?あんな感じ。
まず描きたいと思うもの以外は描きたくないし、強要されるなんてたまったもんじゃない。
幼い時両親を亡くしたあたしにとってあのクソババ…じゃなくておばさまは親代わりみたいな存在だから、手も足も出ない、出したらダメなんだけど。
「昔は良かったのになー。今みたいに強要されなかったし」
「苦労してるねェ。人をよくみたら描きたい、と思える人がいるんじゃァねェかい」
大将の言うとおり店内の客の顔を一人一人見てみる、が。あまりにぱっとしない人たちばかりだ。
チャラチャラした男と女、いかにも幸せです!といった感じの人にガラの悪い人。
別に描けないわけじゃない、描かないだけで。
もっとこう、色気とか品とかそういうのが欲しい。
「大将、だめだ」
「そうかい、焦るこたァねェ。いつか現れるさ」
あぁ、大将なんて優しいの。
今までの島の大将も優しかったけど、やっぱり大将っていう人はあたしの癒し兼吐け口だわ。
そんな事を思っている時に、カランカランと店のドアが開く。
この店は大体が満席で、カウンターしか空いていない事の方が多い。
カウンターに座るのはあたしくらいだしね。
「いらっしゃい、今満席なんだ。カウンターでもいいかい?」
「構わねェよい」
よい、だって可愛い。
どんな方なのか、と興味本位でそのお客サマの方を見ようとした時「隣、いいか?」と声がかかった。
「どうぞどう…ぞ」
あたしは目を離すことができなかった。
着物の襟から見える首筋、綺麗な横顔、それに微かに香る香水。
色気もあって、品もあって、あたしの理想パーフェクト!!
ドクンっと胸の奥が熱くなる。
初めて人を描きたいと強く思った。
「たっ大将!!」
あたしは大将を呼び付けてヒソヒソと耳うちする。
「この綺麗な人!描きたい!初めて思ったの!どうしよー」
「ハチ公ちゃん、良かったじゃねェか!でも相手は海賊さんだぜ?」
は?…海賊?
あたしは一気に震え上がった。
海賊と怖いはイコールで繋がってるし、母は病気だったけど、父は海賊に殺されたらしいから。
100年の恋も冷めるってやつ?頼めないでしょ。
だって海賊さん怖いんだもの。
あたしはリトルチキンハートの持ち主なんだから。
確かに、見たことある顔だな、とは思ってたけど、海賊さんにあたしの理想がいらっしゃるなんて…。
「心の声、漏れてんぞ」
隣の方からの声ではっと我に返る。
声のする方をみれば、和装美人にパイナップルにリーゼントと奇抜極まりない人たちがゲラゲラと大笑いしていた。
「ネェちゃんおもしれェな!」
1番遠い席に座っているリーゼントが顔を覗かせ話しかけてくる。
海賊さんもこんなキラキラした笑顔で笑うんだ。
「お前さん、名前は?」
「へ?あ、ハチ公です」
「俺ァイゾウ、こいつがマルコ、で、あの馬鹿っぽいのがサッチだ」
イゾウ、さんって言うんだ、この和装美人。
海賊さんの割には気さくで、優しくて、あたしが思い描いていた像とはかけ離れていて少し安堵した。
悪い人なんだろうけど、そんなに極悪人てほど悪い人達ではなさそう。
いろいろと話してみても居心地が良かった。
「へぇ、じゃあお前さんは旅人さんかい?」
「まぁ、そんなとこっす」
「ハチ公ちゃーん!俺も描いてー」
「お前は黙ってろよい、サッチ」
サッチさんの言葉にわざわざマルコさんが突っ込みをいれる。
面白い人たちだ。いつもこんな感じなんだろうか。
少ししか話していないけどあたしはこの人たちに別の意味で興味が湧いてきた。
もっと知りたい、仲良くなりたいと思ってしまう。
「描きましょうか?」
この一言にサッチさんは大喜び。
今までも描いて、と言われれば渋々描いてはいたけど、この人たちならなんの躊躇いもなく、自然とこの言葉がでる。
それに、イゾウさんを描きたいっていう気持ちがあるので寧ろ願ったり叶ったりだ。
浮かれているサッチさん説教をしてるマルコさん。
自然と笑みが零れてしまう。
「悪いね」
呆れたように謝るイゾウさん。
謝られるようなことされてないんだけど、と思うが、ここぞとばかりにイゾウさんにもお願いしてみることに。
「あ、あの…」
いざ言うとなれば少しばかり緊張が走る。
なんだか告白するみたいで、照れる。
ちゃんと喋れるだろうか、声は震えないだろうか、と変なところばかり気にしてしまう。
「あの、良かったら…イゾウさんも描かせてもらえませんか?」
驚いたと言わんばかりに、目を見開いてこちらをみる。
初対面でこんなお願い、アリかナシかといえばナシかもしれない。
でもやっぱりこの色気も品も兼ね備えてる和装美人を描かないわけにはいかない。
「いいのかい?」
「ぜひ!!」
じゃあ、よろしく。と頭をポンと撫でられた。
こういう類の免疫力は無いに等しいあたしの心臓は一気に飛び跳ねる。
承諾を得た上に、頭ポンって!!!
挙動不審なあたしの行動を見て、イゾウさんは可笑しかったのだろうか、堪え笑いをしていた。
「ほんっと飽きねェな、ハチ公は」
笑った顔が、やっぱり綺麗で、思わず見惚れてしまう。
一瞬空気が変わって、周りの声が聞こえなくなったような気がした。
「イゾウ!行くよい」
マルコさんの声で引き戻される。
「ああ。じゃあ…明日の昼、西の海岸でもいいか?」
「へ?あ、はい!」
「じゃあまた明日な」
頭の中で、また明日な、がリピートされる。
イゾウさんの、男らしい背中を見送り、サッチさんの、ハチ公ちゃーん!という声は聞こえないふりをして。
あたしも店を後にし、家に帰り明日の支度をする。
絵の具で汚れた服、これはあたしの戦闘着のようなもの。
いつものように描く絵とは違って、想いを込めて描く時に着ている服。
「ハチ公!毎日こんな時間までどこに行ってたんだい」
「ごめんなさい、おばさま」
いつものように小言を言ってくるおばさま。
いつからこうなったのか、そんな事はもう覚えていない。
「昔は良い子だったのに。変わってしまったね」
チクリと胸が痛む。
変わったのはおばさまでしょう?
どうしてそんなことが言えるのだろうか。
「今日はもう寝るので」
「…明日も一稼ぎするんだよ、いいね!」
バタン!と扉が壊れるんじゃないか、というくらい大きな音をたて、出て行った。
溜息がでる。この生活もそろそろ疲れてきた。
用意してある大きめのキャンバスに目を向ける。
こんな気持ちで描いたら失礼だ、切り替えよう。
明日のことを思いながら、布団に入り眠りについた。
時計の針が天辺に到達する少し前に西の海岸についた。
イゾウさんはまだ来てなかったので、最近描くことが出来なかった海の絵を。
風景画を描いている時が、一番心が落ち着く。
というか、本当にくるんだろうか。
相手は海賊だ、こんな一般人との約束なんて、忘れてるのかもしれない。
悶々とマイナスな思考が膨らんでいき、急に不安になる。
時刻は正午を回った。
キャンバスに目を向けると色が少しくすんで見える。
不安の色、ダメだ…こんな絵じゃ。
描くのを辞めて立ち上がると「描き終わったのか?」と後方で声がする。
ドキっとして振り返ると、大き目の岩の上に腰を掛けているイゾウさんの姿が目にはいる。
「イゾウさん?!」
「…?どうした?」
「あ、いや…来ないかと思ってました…」
正直に思ったことを述べると、ハテナを浮かべて「描いてくれんだろ?」楽しみにしてたのに。と付け加え。
イゾウさんを描くために持ってきたキャンバスをセットし、適当にくつろいでて下さい、と指示をした。
「じっとしてなくていいのか?」
「はい。動かないでほしい時は声掛けますので」
一息ついて、筆をのせる。
自然と心が落ち着いた。
この感覚が、どうしようもなく好きだ。
それに、イゾウさん空を仰ぐ顔とか、凛とした表情とか、凄く…「綺麗だな」
「へ?!」
あたしの思っていた事が、イゾウさんの言葉と重なった。
「絵を描く姿、すげェ綺麗だな」
表情を和らげ笑うイゾウさんにドキッとした。
綺麗、とか…言われたの初めてだ。
「そっそんなっ!イゾウさんのほ「ハチ公」
最後まで言い終わらないうちに遮られる。
「素直に受け止めろよ、お前さんは綺麗だよ」
「あ…っ、ありがとう、ございます…」
胸のドキドキが止まらない。
心臓が煩くて絵に集中出来ない。
感情に左右されるあたしの絵はやっぱり少し色味が明るくなっていた。
もっといろんなイゾウさんを描きたい。
これからも、ずっと。
「できた!」
なんとか完成した絵をイゾウさんの元に持って行く。
「これが、俺?」
まるで別人だな、とイゾウさんは言った。
これが、あたしの目に映るイゾウさん。
今まで描いたものの中で一番綺麗描けた。
「あたし、ここまで真剣に描いた絵は初めてです」
照れ臭そうに言えば、そうかい、と微笑んでくれた。
「今まで風景画しか描かなかったんです。それだけがあたしの全てで」
両親が亡くなったこと、育ての親兼雇い主のこと、何も言わずに話を聞いてくれて、会ってまだ日も浅いのに、イゾウさんは誰にも言わずに蓋をしていたあたしの思いを全部受け止めてくれたような気がした。
「頑張ったな」
イゾウさんは昨日と同じように優しく頭を撫でてくれた。
頑張ったな、なんて言ってくれる人なんて、大将以外に言われたことないよ。
「あたし…もっとイゾウさんを描きたい!もっと、イゾウさんの事、知りたいです」
「そいつァ、告白かい?」
口角を上げて悪戯っぽく笑うイゾウさんを見て、顔が一気に赤くなる。
「やっ!あの!そういう意味ではっ!!」
慌てて訂正をしようにも、「ハチ公の愛は伝わった」とからかってきて、あたしはあたふたと慌てることしか出来なかった。
「ハチ公!!」
和んでいた空気が一気になくなった。
振り返ればおばさまが血相を変えてこっちに近づいてくる。
「あんたって子は!こんなところで油打ってんじゃないよ!!」
手首に痛みが走る。
おばさまはあたしの手首を掴んで強引に引っ張って罵声を浴びせてくる。
あーあ、こんなところイゾウさんに見られたくなかったなぁ。
引っ張られる手を見ながらそんなことを考えていると、おばさまの、きゃあ、という悲鳴と手首の圧迫感が同時になくなった。
「離してやれよ」
「部外者は黙っててちょうだい!この子は!一生私の下で働いてもらうのよ!」
胸が痛い。やっぱりおばさまにとってあたしはその程度の人間だったのか。
ふざけんな、あたしは操り人形でもロボットでもない。
「……な…」
「ハチ公?」
「ふざけんじゃねェよ!!あたしはあんたの人形じゃねェんだよ!」
わーやっちゃった。でも後戻りは出来ない。
今まで溜まってたものが一気に口から零れでた。
どこか冷静な頭の片隅で、これから先のことを考える。
「ハチ公…あんた…」
「もうあたしは戻らない」
発してしまった言葉は、もう訂正なんか出来ない。
後悔はしてないし、心がスッキリした気もする。
涙を流し崩れ落ちるおばさまを余所に、イゾウさんは腹を抱えて笑っていた。
「あっはっは!ハチ公、最高だなァ」
笑い終わったイゾウさんは、あたしの絵道具を担ぎあたしの肩を抱きかかえる。
「こいつァ貰ってくぜ」
「な、にを…」
「俺は海賊だぜ?欲しいもんは奪い取るってのが主流なんでな」
あー、そうだ、この人海賊だったの忘れてたよ。
行くぞ、とイゾウさんに動かされるままおばさまに背を向け歩き出す。
「海軍に通報してやる!名を名乗りなさい!!」
などとわけのわからんことを永遠と叫び続けるおばさまに嫌気がさしたのかイゾウさんは
煩わしいといった表情で振り返り
「白ひげ海賊団16番隊隊長イゾウだ。軍艦でもなんでも連れてくるんだな。返り討ちにしてやるぜ」
そういったイゾウさんはなんだかとても楽しそうで、あたしもおばさまも、聞いたことのあるその名前に呆気を取られた。
「えっ!えぇ!!イゾウさん白ひげ海賊団の隊長さんだったんですか?!」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてません!!」
そんなすごい人の絵をあたしは描いていたのか。
なんか、恐れ多くなってきたよ。
「あ、あの、これからどこに?」
引かれるがままついてきたのはいいがどこに行くのか分からず尋ねてみると、イゾウさんはただ簡潔に「親父のとこ」とだけ言ってズンズンと進んで行く。
親父?って…まさか、白ひげさん?!
「は?!え?なんで?!」
「行くとこねェだろ。それに、あんな告白聞いちまったんだ。大人しく俺の傍にいとけ」
はっはっは!と豪快に笑うイゾウさんにびっくりしすぎて言葉もでないあたし。
それって、それってどういうこと?!
「てか!告白じゃないです!今のイゾウさんの発言の方が告白じゃないですか!!」
言った後にはっとして思わず両手で口を塞ぐ。
イゾウさんに視線を移せば、ニヤニヤとこっちを見ていた。
「こりゃ一本取られたな!そうだな、好きなのかもな、ハチ公のこと」
「へ?!」
イゾウさんといると心臓がもたない。
固まっていると、上からちゅっというリップ音とおでこに唇の感触。
「なっ?!」
「ま、いいさ。徐々に落としてやるよ」
旅立ち
フッと笑う顔が綺麗とはまた違い、格好良くみえて、もう落ちてます。なんて言えなくなってしまった。
いいよね、徐々にでも。