本来現れるべきでない彼女






翌日。
新しいメイド「フウロ・オーリオン」が来るのは午後十二時。それまでに何かする事があるのかと言えば、特に何もないと答えるほかない。とにかく仕事ができればいいのだから、いつも通り(と言ってもシルヴィアが去ったばかりでいつも通りとは言えないが)過ごすことが重要なのだった。
 シルヴィアが居なくなったことへの感傷に浸りつつ、父の代理としての公務に励んでいるうちに時間が経過し、気が付けば午後十二時まであと十分ほどとなっていた。そろそろその新しいメイドが来る時間になることに気がついて、カナスは仕事部屋から出てくる。
「テオボルト。調子はどうだ?」
 新しく使用人統括となり、シルヴィアが抜けた後の使用人最古参となったテオボルトは、困り果てたように頭をかいた。
「仕事が円滑に進みませんよ。今までシルヴィアさんに頼りきりでしたね……そのせいでいろいろ、皆様にご迷惑をおかけしそうです」
 テオボルトも確かに優秀ではあるが、シルヴィアには遠く及ばない。彼女は本当にこの家のことを分かり切り、なんでも先回りして仕事ができる女性だった。そんな彼女が居なくなったとあれば、使用人たちもせわしなくなるものだ。
「でももうすぐ新しいメイドが来るころだ。シルヴィアがあんなに薦めてくれたぐらいだから、ある程度ちゃんとできるとは思うけど……」
 とはいっても、完全に「シルヴィアの代わり」には成りえないだろう。彼女ほどこの家の母として働いてくれた人物はいないのだから。
「まあ、ちょっとは期待して待つか」
 カナスがそう呟いた瞬間、家の振り子時計が大きな音を立てて鳴り響いた。十二時に、なったのである。
 そしてその瞬間に、大きな扉の開く音も聞こえてきた。扉の向こうには人影がいた。彼女が新しいメイドのようだ。
 が

「初めまして。私が今日からこの家で働かせていただくフウロです」
現れたのは――明らかに十代の少女だった。
メイドとしては少し短いスカートに、髪をしまうには大きすぎる帽子。なにより、メイドなのに明らかに好戦的な表情をしていた。鋭い目つきで、笑っている。力強く。
「…………え?」
 ただここで注目すべきは、「シルヴィアからフウロという人物は三十四歳と聞いていたのに今目の前に居るメイドはどう見ても少女」である点であり、この少女の表情など気にしていることはできなかった。
「何か?」
「あ、いや、その……なあ……」
 「フウロ」はしれっとした様子で屋敷の中へつかつかと入ってゆく。しかしやはり話しと違うので一旦引きとめる。
「……こういうとき、こういう事は言うべきじゃないのは分かっている。だけど俺が聞いた話と違うからちゃんと尋ねておこうと思う。お前は本当に『フウロ・オーリオン』なのか?」
 すると、「フウロ」はカナスの顔を見て、少しとぼけた顔をした。
「はい。私は確かにフウロです。仲介施設から要請があってこのお屋敷に参じたのですが」
 どうやら彼女が「フウロ」であることは間違いがないらしい。だが、彼女はどう見ても少女だ。とても三十四歳には見えない。だからといってシルヴィアが嘘つくようには思えない。だったら彼女はいったい何者なのだろう。
「聞いた話、ですか。うーん……」
 「フウロ」は首をかしげて少し空を見上げる。彼女自身、状況はあまり飲み込めていないらしい。カナスはとりあえず
「俺が聞いた『フウロ』という人物は三十代の女性なんだ。一応聞くけど、君の年齢は?」
 確認程度に聞いてみた。すると
「は? え、えー……」
 見た目通りの年齢でいいらしいことは態度で分かる。
「私、ピッチピチの十七歳ですよ?」
 やはり見た目通りの年齢だった。ということは、彼女は手違いで来たしまったメイドらしい。
「うーん、私は仲介施設に登録したばっかりですからねえ……よく状況は理解できません。うー……」
 戸惑っているのは彼女も同じらしい。まあ確かに、折角来たのに「手違い」を指摘されれば戸惑うだろう。いらない手間をかけさせてしまったのかもしれない。
 しかし彼女は急にまた好戦的な表情をすると、カナスに近づき見上げて
「でも確かに私はここへ行くよう言われてきました。例え手違いでも、せめて研修期間である二週間働かせていただけないでしょうか。いや、三日間でもいいです。ここまで来るのに時間かかったので、働いておきたいのです」
 力強く笑った。
「生活切羽詰まっているんです」
「…………」
 断りづらかった。しかもさっきと同じ表情で、あまり信憑性がないようにも見えた。だがやはり断りづらい。
「……分かった。まだ君が来た理由がはっきりしていないから、俺はとにかくそれを調べてみることにする。子どもの世話はできるか? 弟たちの面倒を見てやって欲しい」
 でも常識的に考えて、ちゃんと「メイド」として来た彼女を突き返すのは失礼すぎる。しばらくここにいてもらうのはある意味では当然だ。ちゃんと手違いが起こった原因を調べて、それに対する謝罪だってしなければならない。それに仕事ができれば、そのまま雇えばいいのだ。
「かしこまりました。ではその弟様方のお部屋に案内して頂けるとありがたいです。それでは旦那様、しばしよろしくお願いいたします」
「…………」
 旦那様。そうだ、彼女はこの家の本来の主である父を知らないのだ。だから長男であるカナスを「主人」だと考えているようだ。当たり前のことだが、今まで呼ばれたことがなかったから少し違和感を覚えた。
「俺のことは、普通にカナスで良い」
「いえ、私は主人の事を旦那様と呼ぶのがポリシーなのです。ですから旦那様、短い間になりそうですがよろしくお願いします」
「…………」

 「フウロ」をテオボルトに任せ、カナスは一人仕事部屋へ戻る。そしてすぐにシルヴィアに電話を入れ、事の現状を話した。シルヴィアはその時驚嘆していたため、どうやら彼女も予測できない展開だったらしい。
 シルヴィアが少し待って欲しいと言って電話を切り、その十分後くらいに電話が鳴った。そしてシルヴィアは調べたことを、順を追って話した。
 シルヴィアの言っていた「フウロ・オーリオン」はカナスが仲介施設に要請を入れる直前に別の屋敷で雇われることが決まり、実はその仲介施設には「フウロ・オーリオン」とほぼ同姓同名の人物「フウロ・ヲーリオン」がおり、まだ雇い先が決まっていなかったそちらの「フウロ・ヲーリオン」がこの家に派遣されたのだ。つまり半ば入れ違いで起きた手違いであり、この家に来た「フウロ」は「フウロ・ヲーリオン」だという事になる。
 このミスは派遣要請の手続きを文面ではなく電話で行ったことが原因だった。まだ音質の悪い電話では、微妙な発音の違いなど判別できはしない。大体一人はもう派遣されたのだから、もう一人の方だと思うのは仕方のない(とはいえ仲介施設側の稼ぎのための意地悪さも垣間見えるが)ことだった。この件はある意味カナスの責任だが、今まで使用人を新たに雇う際は大抵手続きを電話で行い、それで問題など起こらなかったからまさしく想定外と言える。それに大体ほぼ同姓同名の人物がいるなんて基本考えないだろうし、当の「フウロ・ヲーリオン」本人が発音の違いを察知せずに「自分がフウロ」だと言っていた。カナスも彼女もややこしい事態を招いてしまったと考えるのが妥当だろう。
 ともかく起こってしまった事をとやかく言っては始まらない。今この家にやってきた「フウロ・ヲーリオン」がいったいどれくらいの働きができるのか、それに判断するほかない。生活が切羽詰まっていると聞いていたが、彼女をここで働かせるかどうかは彼女自身の働きによる。ひとまず弟たちの世話を任せたフウロの元へ行ってみることにした。

 弟たちの勉強部屋をノックし、返事を待たずに中に入った。すると
「……珍しいこともあるもんだ」
 弟たちは珍しく、机に向かって勉強していた。ペンが進んでいるかと聞かれると微妙だが、それでもちゃんとやっているように見えなくもない。部屋の壁には腕を組んだフウロがおり険しい表情で三人を見つめていたが、やがてカナスに気がつくとすぐに笑みを見せ
「おや旦那様、御用で?」
 メイドとしての当然の対応を見せた。
「いや、少し様子を見に来ただけだ。それにしてもすごいな、あいつらがちゃんと勉強しているだなんて」
 カナスが率直に感想を述べると、フウロは疑問が解消したような顔した。
「ああ、やっぱり弟様方はあまりお勉強が好きではないのですね」
「そうなんだ。てか、『やっぱり』ってなんだ『やっぱり』って」
 少し言葉遣いが気になったが、少し指摘するだけにしてフウロの話を聞くことにした。
「お前、一体何をやったんだ? あいつら本当に手がかかるぞ?」
 するとフウロは初めて会った時に見せた好戦的な表情で笑いかけると
「なに、ちょっと発破かけただけです。まあ子どもですから案外素直なものでして、そこまで手をかけたりはしてませんよ?」
 いい加減な口調で胸を張った。
「一体どういう事をしたんだ。俺はそこが気になる」
「簡単ですよ。リド様が『分からないから代わりに解け』って仰いましたので、とりあえずチャッチャと解いちゃったんです。それで軽く『こんな問題も解けないなんて』的な事を言いましたところリド様ったらムキになってああして机に向かうようになったんですね。ニーナ様とスフォリア様はそれにつられて、という感じでしょうか」
「…………」
 フウロは既にリドの性格を見抜いているようだった。負けず嫌いなのに努力嫌い、そして自分に偉そうに振舞う人間が嫌いという「わがまま三拍子(父談)」の持ち主であるリドを上手いように動かすのは至難の業だ。それを上手く刺激してああして勉強させたのはすごいものだ。
「偉そうな人が嫌いな事はよくわかりましたが、当のリド様が自分の背丈をよく理解なさってないクソガ……いえお子様でいらっしゃいますから困ったものですね。スフォリア様はまだマシ……」
「お前今リドの事クソガキ呼ばわりしようとしたよな? なあ?」
 ただ言葉遣いが気になる。
「でもきちんとノルマをこなして頂いたら私はちゃんと遊んであげますよ。まあそれがいつになるのやら」
「何でお前さっきから上から目線なんだよ」
「それにしてもここでじっとガキ……弟様方の様子を見るのはちょっと退屈ですねえ。何か仕事をください」
「ほらまたガキ呼ばわり……」
 どうやら言葉遣いはあまり良くないらしい。というかかなり悪い。使用人なのに明らかに目上の人間に年下とはいえ悪口を言っている。しかも本人が近くに居るのに、だ。
「……この部屋の掃除でもしていてくれ。きっと見張りがいないと羽目を外すから」
「かしこまりました旦那様」
 だが主人であるカナスには、きちんと従順に振舞うようだ。カナスに向かって丁寧に一礼すると、サクサク部屋の掃除に取り掛かっていた。
「…………」
 このフウロの起用は、やめた方がいいのではないかと思い始めたカナスだった。


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