移り変わりを感じる瞬間






父が居なくなったら仕事を一手に引き受けることになる。まだ成人を迎えていないながらカナスはよく働いている。父宛の書面を代理として返信を送っていたし、使用人への指示も彼がすべて行っていた。その中でリドたちの勉強にも付き合っていたし、「自分の身は自分で守る」という信条から密かに銃の訓練もしていた。
 だから使用人からの評判は良かった。若くして力量のある主君に信頼を持って仕えられることは、彼らにとって素晴らしいことに感じた。
「カナス様、よろしいでしょうか」
 父の遠征が翌日に迫ったある日のこと、カナスの部屋を訪ねてきたのは使用人の統括を務めるこの家最古参のメイド、シルヴィアだった。
「入ってくれ」
「失礼します」
 皺の入った顔をした六十代ほどの女は、一礼しながらカナスの部屋に入ってきた。カナスはかけていた眼鏡を外し、どこか悲しげな表情のシルヴィアを見た。
「なにか、あったのか」
 尋ねられたシルヴィアは静かに頷く。そしてカナスをしっかり見ながら、静かに語った。
「旦那様も遠征で長く留守にするときに本当に悪いのですが、この度、お暇を頂くことになりました」
 あまりに突然だったから、驚いた。だけどそれを出来る限り顔に出さないように、何故そういう事になったのかを尋ねると
「母が、歩けなくなりまして。もう八十二歳ですから充分なくらい元気なのですが、これを機に母と二人、ひっそりと生きていこうかと。私自身も先は長くありませんし、ここで区切りをつけると決めたのです」
 シルヴィアは少し涙声になって答えた。
 シルヴィアの母の話はよく聞いていた。八十を超えても畑仕事に勤しみ、お節介焼きでシルヴィアが若い頃はしょっちゅうお見合いの話をわざわざこの屋敷に送ってきたことは使用人の間で有名だった。その母親が歩けなくなったと言ったら、シルヴィアとて心配になるだろう。それにシルヴィアも長い事この家に尽くしてきた。そろそろ自由になりたいのかもしれない。
「父上にはもう、伝えてあるんだな」
「そのような事なら仕方ない。ゆっくり母と共に暮らすといいと、仰ってくださいました」
「そうか……寂しくなるな」
 きっと寂しいのは皆同じだ。この家の母はカナスの母でもなくエリザベスでもなく、シルヴィアだったかもしれない。母のいない状況ばかりが続いたこの家にずっと居続け、兄妹の中でどこか孤独なカナスを支えてくれたのは、いつだって彼女だった。そんなシルヴィアが居なくなるのは、とても寂しい。
「母もそんな必要はないといったんですけどね、でも私は、今までできなかった親孝行をしたいと思ったんですよ。随分遅くなったけれど……」
「そうなら、御母上に伝えておいてくれ。あなたの娘さんはとても立派な人だと」
「カナス様……」
 ずっとはいられないことを、こんな時に知ってしまったのは悲しい。だけど、また新しく一歩を踏み出さないといけない。
「……だけど困ったな。シルヴィアが居なくなると、使用人が減ってしまう。シルヴィアは十人分働いてくれたから、これから誰をどうするかな。使用人統括の後任はテオボルトで問題ないだろうけど、メイドの空きは……」
「そのことで、私から少し案があるのです」
 シルヴィアは笑みを浮かべ、ある一枚の紙を出す。それは就職をする為の仲介施設の案内のチラシだった。
「ここに登録している人物に、フウロ・オーリオンという者がおります。彼女は私の知り合いで三十四歳と若いのですが、とても優秀な上に教師の経験もあるので、リド様達のお勉強もお手伝いできるでしょう。この家を任せられるとしたら、彼女はとてもふさわしい人物かと」
 シルヴィアは自信満々に語った。それほどそのフウロという人物が優秀なのだろう。彼女はこの家のことを真剣に考えた上で、この人物を選出しているというのなら、彼女の好意は受け取っておくべきだろう。だがカナスは、ある素朴な疑問に辿りつく。
「でも……これ、父上に伝えたのか?」
 決定権はあくまで父である為、一応尋ねるとシルヴィアは少し声を小さくして
「今のことは旦那様より、カナス様の方がお詳しいでしょう?」
 からかう様にそんなことを話すから、カナスは少し戸惑ってしまった。確かに父は遠征ばかりで、この家のことはほとんど放置していた。だからって下手すれば悪口に聞こえることをわざわざ息子に話すところが、シルヴィアのいじらしさというものを感じさせる。
「その日は……いつになる?」
 だがそんなシルヴィアとももうすぐ別れとなってしまうことが、なんだかより悲しく感じた。
「四日後には、もう出ようかと」
「分かった。だったらそれまでに『お別れ会』でもするか。リドもニーナもスフォリアも、きっと寂しがるだろうからな」
「どうでしょうかねえ。皆さんにとって私は口うるさいばあやでしたから。でも……」
 ふと、シルヴィアの顔を覗くと彼女の眼には涙がたまっていた。長年務めてきた役割を終えることに、感慨深さを感じているのかもしれない。
「私が……寂しいですね」
 こんな時に、時の移り変わりを感じた。長い間この家にいた人が居なくなる。そして代わりに新しい人がやってくる。こうしてこの家は変わっていくことを。

 感傷に浸っている暇もなく、カナスは電話の受話器を手に取った。そしてシルヴィアに紹介された「フウロ・オーリオン」という人物をこの家に呼び寄せる旨を仲介施設の案内に告げると、比較的あっさりと手続きが済まされた。
 シルヴィアは「フウロ・オーリオン」を全面的に薦めていたが、この家の使用人としてやっていけるかは実際に来てみないと分からない。だから二週間ほど試しに働いてみる、いわゆる研修期間を設けてみることにした。最終的な決定はカナスがする事になるが、本人が「続けたい」という意思があるなら、出来ればそれを尊重しようと考えている。あまりに仕事の手際が悪いようなら流石に意志を尊重できないが、シルヴィアが薦めるぐらいなのだからきっとそういう事はないだろう。
 やがて翌日になって父が遠征に家を出た後、シルヴィアが屋敷を辞めることになったことを弟たちに告げると、彼らは皮肉を言いながらよくみると目に涙を沢山ためていた。生意気だがこういうところに可愛げがあると、カナスは密かに思ったのだった。
 使用人たちも頼れる上司であったシルヴィアの退職を惜しみ、至って自然な流れでシルヴィアの「お別れ会」を開いた。思い出話や、これからどうしていくのかという話をした。
 シルヴィアが居なくなることを惜しみながら、残りの日々を過ごしていた。シルヴィアはその残りの日々を精力的に過ごしていたし、弟たちも最後ぐらいはと言わんばかりにちゃんと勉強に励んでいた。一方でカナスは、父の代理として公務に追われ、余りシルヴィアが居なくなることを惜しんでいるほどの時間はなかった。弟たちにも「薄情者」呼ばわりされたが、致し方ないと言ってしまえばそれまでだった。
 そしてシルヴィアが屋敷を去る当日。父からも手紙が届き、「長年ご苦労だった」「ゆっくり余生を過ごすといい」と、手紙を読むと、シルヴィアは感極まって号泣していた。そして皆に見送られながら、シルヴィアは自分の使用人としての歴史に幕を下ろし、母の待つ故郷へと去っていったのだった。
「行ったか……」
 物悲しくそう呟くと、スフォリアが「行っちゃったね」を応じた。兄妹の中で末っ子である次女スフォリアは物心つく頃にはもうエリザベスが亡き者となっていたためか、母親代わりであったシルヴィアを非常に慕っていた。兄妹の中では唯一長男を慕うスフォリアは、寂しそうに兄にすり寄った。
「お兄ちゃん……」
「泣いてもいいんだぞ」
「泣かないもん。シルヴィアがいっぱい泣いてたから、スフォリアは泣かないもん」
 強がりながらも、どう見ても泣きそうなスフォリアを抱き抱えて、屋敷へ戻った。リドとニーナはしばらく屋敷の外でずっとシルヴィアの去った道をじっと見つめ続けていたが、やがて戻ってきた。目を真っ赤にして、精一杯泣いていたのが分かった。
 ――本当に、居なくなったんだな。
 カナスは改めて実感すると、転んで泣いていた時慰めてくれたシルヴィアのことを思い出した。本当に彼女は、自分にとっての母親だったんじゃないか、と。



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