続・アビの過去






 という訳で、続・アビの過去である。

 アビの推測とは裏腹に、アドルフの領主への交渉は決裂していた。この領主の「クビ切り宣告」は実は以前から行われていて、しかしこの国の大物議員を父に持つ領主はあらゆる権力をちらつかせ、口達者であった為あらゆる宣告を無に還していた。そんな状況に困り果てた政府が、ここから遠方の有力貴族ホルスタイン家に「クビ切り宣告」をするよう要請する事態に至っていたのだ。
 しかし、交渉は決裂した。これは領主が逃げ切ったのではなく、アドルフが見限った形だった。そしてそれと同時にアドルフは政府に中央警察の介入を要請、それはあっさりと受理された。実際は交渉が成功した場合よりも早く、事態が進行していたのだ。
 それと同時に二人は宿を貸し切って、スラムで暮らす人々やストリートチルドレンを招いて食事会を開いた。領主が何もしないなら、こっちから何かをしようと、最初から計画していたことである。もちろんアビも対象内だったが、行かなかった。食事会が開かれている時間帯に限って警察が街の巡回を強化していた為だ。電気を違法に利用するアビは既に犯罪者の扱いだったため、迂闊に動くことができない。
 そんなアビを心配したアドルフとカナスは、アビの根城に行くことになった。街の裏通りにあると聞いていたので言ってみると、そこには顔色を悪くするアビが座り込んでいた。
「おい、大丈夫か」
 そう呼びかけながら近付き、アビに触れる。アビは小さく呼吸をしていたが、その体温は低く、目の光はすっかり消えていた。
「父上、アビは」
「カナス、私は宿から食事を取ってくる。お前はアビの様子を見てやるんだ」
「は、はい」
 父の言葉を聞いてカナスははっとする。アビは警察の巡回強化令が領主によって出されて以降、まともに物を食べていなかったのだ。体温が下がっていたのも仕方ない。動こうともしないのも、必要以上に動かないことで体力の消耗を抑え、空腹に耐え抜こうとしていたのだ。
 思わず感嘆した。ストリートチルドレンでありながら、手にしている生きる為の知恵はかなりのものだ。しかし、それももう限界に近い。気付いてよかったと心の底から思った。
「アビ、お前」
 アビはかすかに眼球を動かし、カナスを見る。うつろな表情で、力はない。
「……何?」
「何、じゃないだろ。お前何でこんなになるまで」
 カナスはそんなことを言いながら羽織っていた上着を脱いで、アビにかけた。これ以上低温が続けば命が危ない。
「食事会、行けなかったんだな」
 警察の存在を察してカナスが言うと、アビは小さく頷いた。行かなかったのではなく、行けなかった。カナス達が用意した充分な食事にあやかれず、今このような状態になっている。
 領主とこの街の警察は癒着状態にあった。この街の警察のトップに金を渡すことで、領主は自由に警察を動かすことができた。そして、警察は領主という味方をつけることで、法律を無視でき、現在の様な逮捕者虐待に至っていた。アビはそれを察し、必死に逃げている身だった。
 カナスはこの時点で、アビが何かしらの犯罪行為に手をつけていることには気付いていたが、一体それが何なのかは分からなかった。しかし現在の警察の状態では例えアビが行った電気の不正使用のようは軽罪でさえ、激しい虐待の対象となる。逃げる、という手段は仕方がないものだとしか言えなかった。
 しばらくしてアドルフが食事を持って戻ってきた。自力で最早動くことのできないアビに、サンドイッチを口へ持っていく。アビは一口ずつ小さく食べていった。
「とりあえず、今できるとしたらそれだけだな。水もある、飲むんだ」
「……うん」
 力のない腕のままサンドイッチを手に取り、次は少し大きな口で食べた。そんな光景を見て、カナスは言う。
「病院に連れていけないんですか?」
 アドルフは困った顔をした。
「警察の目は病院にまで及んでいるんだ。今のままアビを検挙させるわけにはいかない。危険すぎる。中央警察の介入まで、間接的な保護を繰り返すしかない」
「そんな」
「なんとか宿まで連れていけたらな。あの領主もさすがに私達の部屋まで手は出せないだろう。そこで休ませられればいいのだが」
 しかし警察のマークは強固なものであったことは、アドルフも察していた。分かりやすく罪を犯したものを捕らえ、取り調べと称した虐待行為を繰り返す。この腐敗した警察のやり方だった。アビもそのターゲットに入っていることは明白で、だからこそアビはギリギリの真似に打って出ているのだ。
「……どうも」
「食べたか。立てるか?」
「無理……かも」
 アビは俯く。食事を取ったことで、少しは楽になった。

 結局アビを宿まで逃がせなかった。二人はアビの根城を行き来し、食事を与え、アビの体調を観察した。他の、アビと同じような状況の人間を見つけ出して、同じことをした。徐々にアビがした犯罪が電気の不正使用であることが分かり、アビの「知恵」の深さにまた感嘆した。彼は賢い。このままにしておくのは勿体ない。そう感じることができた。
「お前学校に行ったことあるか?」
「ない。覗き見はした」
「覗いたのか……」
 覗いてあれだけの知識を手に入れたのかと思う。
 アビは定期的に食事を与えられた為か次第に体調は良くなっていった。しかし、それでもアビの表情は変わらない。親切なカナスとアドルフを見て、そこでまた格差を実感した。二人には他人に優しくできるだけの余裕があって、だからできることなんだと。そう思うとまた心が暗く沈んでゆく。
「お前、いつから一人で?」
「いつから? 生まれたときじゃないの? 知らないそんなこと」
「そんなわけ……ないだろうけど、物心つく頃には一人だったんだな」
「うん」
 常に一人だったアビにとって、こんなに人と話したのは久々だった。アドルフは相変わらずだし、カナスはとはお互い意地張りなのでソリが合わないが根は優しいのは容易に窺えた。だがそんな優しさにさえ、アビはすがりつこうとしなかった。
 自分の力で這いあがりたかったから。
「ま、事態が解決すればお前も確実に保護される身になるんだろうな」
「ふーん」
「ふーん、じゃなくて」
 呆れて言い返そうとするカナスの言葉が来る前に、アビは
「別に僕は、助けられたいと思ってないし」
 とカナスを睨んだ。
「は?」
 唖然とするカナスをさらに睨んで答える。
「助かりたいとは思ってるけど、助けられたくはないよ」
「なんでだよ、そんなガリガリになっているのに」
「恩を買うでしょ」
 アビはカナスから目線を外し、溜め息をつく。目には、クマがあった。
「そういうの、面倒臭い。こっちの意思も問わずに勝手に恩を売りつけて、それで永遠にまとわりつくんだろ。『恩を仇で返す気か』とか言ってさ。そういうの、本当に面倒臭い……」
 カナスは一通り
「……じゃあ、今の俺たちの行為も、お前にとっては迷惑か」
「そうなるね」
 アビの言葉はぐさりときた。確かに今まで父の視察について行っては様々な奉仕活動をしてきたが、あまり助けられる立場の人間の感情については考えたことがなかった。それは単にアビのように、助けられてもなおぶっきらぼうな態度を取る人間がいなかったからであるが、考えていなかったのは事実。反省した。
「……でも、放っておくわけにもいかないんだよ。『助けられたくない』と言われたってさ、そんな体のお前を放ってはおけない。それにお前は賢いし、このままにしておくのは勿体ないんだよ」
「お褒めいただきどうも。でも全然嬉しくないよ。ただ賢いつもりはない。ずる賢いつもりだから」
「あのな……!」
 また頭に血が上りそうになるのが自分でも分かり、ぐっと抑え込む。大声を出したら終わりだ。
「……あのな、アビ。お前が生きる為にずる賢く使っていたその知恵は、使いようによってはなんにでも役に立つ。自分の為にでも、他人の為にでも、だ。そんなお前の知恵を、そのままにしておきたくはない」
「僕だってそのままにしておくつもりはないよ。いいように自分の為に使うつもり。でもそこに他者は必要ないでしょ。恩の売り買いは必要ない」
「…………」
 閉口した。頑なだ。アビは既に助けられなければならない身だ。幼くして一人で生き、保護の手は伸びず、軽いものとはいえ犯罪まで手を出し必死に生きながらえている状態である。今こうしてようやく手が差し伸べられた。だが、アビはその手を取らなかった。カナスはその理由が分からない。
「……それでも俺はお前を絶対助けてやる」
「迷惑だよ」
「どうかな」
 アビの口調をそのまま切りかえす。カナスはアビが救いを拒む理由が分からなかった。分からなかったが、それが本音ではない事はなんとなく気付いていた。何故なら、本当に救いを拒むならば、アビは自分たちに自分から近づいたりはしないからだ。
「必要ないよ」
 そんなことが勘付かれているとはつゆ知らず、アビは首を振った。

 優しい人がいると分かってはいた。アドルフやカナスが「恩の売り買い」など気にしないタチであることも分かっていた。分かっていたからと言って、そんな簡単に人を信頼できるほどアビは楽な人生を送っていなかった。
 人の優しさにすがりついたことがないわけがない。更に幼い頃のアビは、人の優しさにすがりついて助けてもらおうと苦心した。それに何度も裏切られたから、アビは人の優しさに素直に信じることができなくなったのだ。何度救われかけ、裏切られ、一度は離れたこの街に戻ってきてしまった。そしてもう二度と人は信じるものかと固く決め、世界のすべてを敵視する人格を作り上げたのだった。
 そんな自分が愚かで醜い事も理解している。分かっている。分かっているからなんだ。今更生き方を変えることはできない。生き方を変えるだなんてできない。口で言うには簡単だが、それを実行に移すのは難しいという事は誰だって分かる。それと同じだ。どんなに頭で理解していたって、それで何もかも変われるわけがない。積み重ねてきた過去と共に蓄積された痛みが消えるわけがない。
 アビが重ねた真っ黒な感情は、次第にアビの心を蝕んで苦しめた。真っ黒な欲望のまま高望みをする一方、どこかで思い当たってしまう「自分は生まれてきてはいけなかったのではないか」という重い問いが頭をよぎる。人を信じられず、世界を敵視し、何かを利用する事ばかり考える自分が醜くて仕方がなかった。だからって自分を裏切り続ける他人を簡単に信じていいのか、格差を作り見せつける世界を愛せるのか、何かを利用せずに歩み続けられるのか、問い掛けには問い掛けが返ってきて、必死に自分を正当化した。
 それでも自己嫌悪は消えることはない。アビの中に渦巻く環状が複雑に絡まり、へばりついて縛りついた。本音を覆い隠すほどの、膨大な質量を持った。

 よく考えれば無理じゃないか、と思う。自分なんかがどんなに望んでも、何も手に入れることは無理じゃないかと思う。そういうふうに生まれてきているのかもしれない。だからなにをしても、意味がない。
 一人で生きることなど、不可能であることも分かっているから、踏み台を求めた。だけど、結局今に至るまで何も手に入っていない。何も、だ。
 自分は――からっぽだ。
 何も手に入っていない。持っているものは生きる為の知識と溜まりに溜まった真っ黒い感情ばかり。それが何に役に立つ。
 カナスやアドルフの優しさを間近に見て、自分がどれだけ愚かしいかを実感した。こんな自分だから、きっと優しくされるのはこれが最後になるだろう。そんなことを思った。衰弱と溜め込んだ痛みで心を蝕んだ結果、アビはもう、何もかもどうでもよくなり始めていた。
 世界のすべては自分の敵だ。その敵に自分はもう、敗北することしか出来ない。
 アビはふらふらと歩きだし、町の大通りへと出た。警察の多くが巡回している危険な大通りに、自ら出てきた。警察官たちはアビを凝視し、そして警棒やら手錠やらを握りしめた。
「好きにすれば?」
 アビは自ら、消えることを選んでいた。


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