事件の終幕






 それからある事件を機にアビはこの屋敷で使用人として働くようになったのだが、それはまた後ほど。今はともかく、アビの万年筆がカナスとアドルフをつなげたというところが重要である。アビにとって、形見のように大切なものである理由だ。
 そんな万年筆が狙われる、フウロの推測は見事当たった。
 深夜屋敷に何者かが侵入し、部屋を物色。そしてアビのペンを盗み取ったのである。アビはそのことに気が付いたが、黒いマントの犯人は既に逃げ出していた。
「待て――」
 犯人を追いかけて使用人室を飛び出す。犯人は足が速かった。運動神経自体はあまり良くないアビであったが必死で追いかける。そして追いかけながら、
「待てよ――」
 叫んだ。
「待てやこの野郎がぁ!!」
 その声は屋敷の端から端まで響き、屋敷にいた全員を目覚めさせていた。
 アビは時折、ストリートチルドレンだった頃の口調が戻る。そういうときは大抵緊急事態なので、屋敷の人間の反応は早かった。

 この屋敷の構造は複雑だ。だからたかが一回来ただけでは覚えきることはできない。それができる人間がいるとすれば、優秀すぎる少女フウロぐらいだろう。
 自身の盗みにあっさり気付かれた犯人は、そんなこともつゆ知らず逃げ続ける。既に屋敷を覚え切っている使用人たちによって、犯人は知らず知らずに追い詰められていく。
 行き止まりだった。逃げ回っているうちに道に迷い、行き止まりに行きついてしまう。しかもこの犯人、運の悪い事にフウロによって追い詰められていた。すぐそこにフウロがいる。いやらしく笑っている。今日も寝ていなかったらしく、メイド服のままだった。
「さて、捕まってもらいますよ」
 フウロは至極楽しそうで、後を追ってやってきたカナスが呆れるほどだった。
「あの走りはなかなかでしたよ。しかし、体つきを見る限り平均以下の運動神経とみました。旦那様の推測は正しいようですよ」
「そんなこと言っている暇があったら、早く捕まえてやれ」
「えー、もっと楽しませて下さいよ」
 カナスは溜め息をついた。相変わらずだ。次第に人は集まり、犯人に逃げ切られていたアビも合流した。顔を隠した犯人は、困り果てる。
「大人しく投降したほうが身のためだ。ここで変に抵抗すれば、かえって罪は重くなるぞ。その万年筆は、返してもらう」
 犯人が握りしめる万年筆を見ながらの言葉に重みが宿る。犯人はひるみ、一歩後ろに下がるものの、後ろはただの壁だった。それ以上下がることはできない。手詰まりである。
 まだ人自体はまばらだった。
「…………」
 犯人はさりげなく手を伸ばす。万年筆を差し出していた。返そう、でも言っているようだった。カナスはそんな様子に疑念と警戒を抱きつつ、一歩近づく。その際フウロをちらりと見た。フウロはにやりと笑う。合図は完了した。
 そして一歩一歩と近づいて、カナスは言う。
「それでいい。大人しく捕まってくれ」
 カナスは両手を差し出して万年筆を受け取ろうとした。
「でないと、痛い目に――」
 一応の忠告をしようと言葉を紡いだが、犯人は聞こうとしなかったらしい。万年筆を再び握りしめ、カナスに体当たりすると人と人の隙間をかき分けて飛び出した! そのあまりの速さに誰も対応できず、その姿をただ見送ることしかできない。ただ一人を除いては。
 フウロはカナスと顔を合わせた瞬間にカナスの指示を理解した。犯人が逃げ出したとき取り押さえられるよう構えておけ、という指示だ。その為フウロはその指示を受け取ったその瞬間に丁度分かれ道になっている廊下まで移動し、そこで待機していたのである。案の定というべきか、犯人はカナスの隙(実際はカナスが意図的に作った隙であったが)を突いて逃げ出した。その向こうにフウロが構えているのも知らずに。
 犯人は走った。向こうにフウロがいるのは見えたのだが、言ったところでフウロ一人、たった一人だけである。フウロは細身で背も高くなかったので、突破は出来ると考えた。犯人はそのまま猛進した。
 しかしこの犯人は運がなかったのだろう。まさかこの小柄なメイドが、大男を何人もなぎ倒すことのできるとんでもない存在であることなど想像が付くまい。犯人はカナスの時と同じようにフウロに体当たりを食らわせようと体勢を小さく動かした。
 フウロはしっかりその様を見た。そして足を大きく開き前に体重をかけ、にやりと笑う。相変わらずの、笑みだった。
「戦闘はほぼ素人と見た。怪我はさせない」
 一瞬だった。フウロは体当たりをしかけてきた犯人の右足に自分の左足をひっかけると、犯人の崩れた体勢は右側が上になり、その右腕の二の腕を握りしめる。そして犯人の胸倉を黒いマントごと開いた右手で掴み、仰向けに倒した。犯人はフウロの両腕によってがんじがらめになり、動けなくなった。

 カナス、アビがフウロと倒された犯人の元に駆け寄る。既に犯人は抵抗を止め、フウロは両手を離した。アビの万年筆は床に無残に落ちていたが、今はそんなことを気にしている場合ではなかったのだ。
 犯人の顔だ。仰向けになったことでマントは意味を成さなくなり、犯人の顔は大々的に晒されていた。カナスもアビも、この犯人の顔を見て、驚愕した。
「マクファーデンさん――!」
 アビの万年筆を盗み出そうとしたのは、イシエレ軍事病院の入院患者で先日失踪した記憶喪失者、マクファーデンだったのである。

 翌朝、マクファーデンの身柄は地元警察に送られた。あの後夜通しマクファーデンに事情を聞いたものの、彼は口をつぐんで何も答えようとしなかった。しかし彼は既にアビをアビだときちんと認識し、その上であることを語った。
 記憶が戻るかもしれない。記憶が戻ってくるかもしれない。ギディオンのことを思い出せるかもしれない。だから、と。それ以上何も語らなかった。
 マクファーデンの身柄が移送された後、カナスはある人物に連絡した。そして正式な格好に着替えると単身山を下り、一般市民用の大衆馬車を乗り継いで、向かったのは隣町。そして迷うことなく、カナスはその場所へ足を運んだ。
 イシエレ軍事病院である。受付で手続きを済ませ、覚えのある道を進み、院長室へ。
 マリック・アンダーソンが、複雑な表情を浮かばせながら、出迎える。
「お待ちしていました」
 お互いが神妙な面持ちを見せる。
「急な申し出、申し訳ありません」
「いいえ。構いません」
 それぞれ席に座り、カナスは荷物からあるものを取り出した。最近の窃盗の逮捕者をリストアップしたものだ。その中でいくつかに印がつけられている。
「印をつけられた人に、見覚えがありますよね」
 アンダーソンはリストを手に取りしばらくまじまじと見て、一通り見終わった後リストを元通りにおいた。そして小さく答える。
「はい」
 カナスは「そうですか」と一言返し、リストを戻し、アンダーソンを見る。アンダーソンの表情は重かった。
 アイヤネン盗賊団の「ベテランと素人」を二人配置するやり方でも、逮捕者は僅かに出ていた。それを、アンダーソンに見せた。アンダーソンは答える。
「ここの、患者さんたちです」
 カナスは何も返さない。アンダーソンの蒼白さを見た。
「……患者さんです」
 アンダーソンは繰り返す。負い目を見せた。カナスはそこで、言う。
「街で騒動になっている形見泥棒。この病院が抱える記憶喪失者の脱走。この一見関係なさそうな事件、きっかけになったのはあなたなんですね。マリック・アンダーソン院長」
 アンダーソンは小さく腰を曲げ、俯き、答えた。
「その通りです」

 真相を尋ねると、アンダーソンは言葉に詰まりながら答えた。
「バーナビー・マッケイはアイヤネン盗賊団の幹部だった男で、私の旧来の友人でした。彼が盗賊になって以降は交流が途絶えていたましたが、アイヤネン盗賊団が活動を止めた後からまた友人として交流するようになりました。関わりと避けていたのは、医者として働く私に気を遣っていたからでしょう」
 カナスはその言葉を黙って聞き続けた。質問や相槌はせず、ただ黙って聞いていた。
「バーナビーは私の言えたことではきっとないのでしょうが、とにかくお人好しで、他人の為なら平気で手を汚せてしまうような人間なのです。そんな彼の思いに裏打ちされる人格は素晴らしく、私は彼が盗賊に成り下がってもなお、彼の友人であることが誇りでした」
 誇りだったと語り、アンダーソンは首を振った。
「誇りなのです。私は彼の友人で在れることが」
 友人を語るアンダーソンの表情はどこか明るかった。本当にそのバーナビーという男を友人で在れることがうれしいのだろう。
「半年ほど前でしょうか」
 しかしそんな表情は一瞬で消えた。ここからが、アンダーソンが気に病む事実の核心へ進んでゆくのだろう。
「私はバーナビーと、医学校時代の友人たちと飲みに行きました。私は丁度その頃この病院の院長に就任し、この飲み会は友人たちが私を祝う為に催してくれたものでした。年も年ですのであまり大騒ぎする事もなかったのですがね」
 アンダーソンは院長としては若い方だった。イシエレでは最年少の院長らしい。医務の技術と患者に対する真摯さが認められた結果だったのかもしれない。友人たちにしてみれば、祝うべきことだ。
「ですが私はこの飲み会を心の底から楽しむことができませんでした」
 しかし、イシエレではすでに問題を抱えていた。激化する戦火の中負傷者が多くこの病院へ運び込まれていた。アンダーソンは、大変な時期に院長になった。
「特に頭を悩ませたのが記憶喪失者の対応でした。自分の名前も何も言えず、しかし傷はなおっている人々をどうしようかと思っていました。身元が判明すれば傷が治り次第退院して頂く、ということは以前にもお話ししましたが、私はそれでいいのかとずっと悩んでいました。今も、ですが」
 記憶喪失者の対応には確かに頭を悩ませる。理由は理解した。記憶が戻っていないのは、病院に居続けることのできる十分な理由ではないのかと思う事はある。しかし傷も治り身元も分かっている。だったら帰してやるべきだという気にもなる。それにずっと頭を悩ませていたのだろう。
「私が飲み会を楽しんでいないことに気が付いたバーナビーは私を気遣い、事情を尋ねてきました。私も少し気が楽になりたくて、バーナビーに相談したのです。本当に何気なく相談し、返答だって正直期待はしていませんでした。しかしバーナビーは、そんな私の悪い期待をいい意味で裏切りました。私の悩みに真摯に付き合ってくれたのです」
 話の通り筋が見えてくる。しかし、それでも相槌は打たず、黙って聞く。
「そしてバーナビーは言ったのです、『自分に任せてくれ』と」
 バーナビーは、話を聞く限り根っからのお人好しなのだろう。お人好しであるが故に、義賊になったのだ。
「バーナビーは私と同じ医学校の出身でした。ですから知識を持っていたのです。だから、あんな真似に打って出たのかもしれません」
 気重い声は部屋に響かず、カナスの耳だけに届いた。
「その後バーナビーとの連絡が取れなくなりました。そして同時期に患者さんの失踪が相次ぐようになったのです。恐らくバーナビーはアイヤネンの残党をかき集め、自分たちでアイヤネン盗賊団を再結成し、患者さんをあおって引き入れたのでしょう。記憶を戻す手立てとなる形見を盗み出そうとするだなんて」
 一体彼がどう思っているかは察した。しかし、何の言葉も思いつかない。励ます言葉も、責める言葉も。
「正直、とんでもない方法だなと思いました。そしてこの事実を、警察に言うべきか迷いました。ですが、ある日私は見てしまったのです」
 彼の言葉の情景を思い浮かべてみる。記憶喪失の患者たちが、盗みを行う様を思い浮かべてみる。バーナビーの行動は間違っている。それは分かっているが
「記憶も戻らず身元も分からず、孤独になった元兵士の患者さんが、幸せそうに女性と歩いている姿を、私は見てしまいました。彼の記憶は戻り、婚約者の女性の元へ戻っていたのです。それはバーナビーが引き起こした事件のせい――おかげでした。彼は記憶と幸せを取り戻すことができたのです。その時私は思いました。思ってしまいました。このままバーナビーが彼らをすべて導いてくれれば、と」
 アンダーソンは真摯になりすぎた、とカナスは思う。患者の回復と幸福を切に願い、それ故に悩み苦しんで、今のようになってしまっているのだろう。
「今思うと、本当に馬鹿馬鹿しいですね。悩むことなんてなかったのに、友が周りを巻き込みながら道を踏み外す様を見て、それを止めなければならなかったのに。私の心にはきっとやましい思いがあったのでしょう。それを公表すれば、きっと私にその難が降りかかる。どちらに進んでも私には地獄だった。バーナビーを止めれば患者さんとまた向き合わなければならない。バーナビーを止めなかったら、こんな状況を悪化させる一方だ。私は結局、どんなきれいごとを語ったところで、自分勝手な人間だったようです。痛感しましたよ」
 そんなふうに自嘲するアンダーソンの姿はとても小さく思える。自分は院長の座にそのまますがりついていたかったのだとさらに言い、自分を責め立てる様を見て、カナスはようやく口を開いた。
「この事実は地方警察の方に伝え、対応を一任します。あなたの方にも話は回ってくるでしょう。恐らく犯人隠匿の疑いの捜査が掛かると思います。ですが不起訴となる可能性が高いです。今の話は、事実だったとしても半分はあなたの推測だったんですから」
 カナスはリストをしまい、アンダーソンをしんと見た。その視線は強かった。
「辞めるなんて認めませんよ。医者も、院長も、あなたには貫いてもらいます。あなたは自分にやましい所があったから悩み続けたといいます。しかし、本当はどうでしょう。俺には、患者のことを真剣に考え過ぎて、正しく判断できなかっただけのように思えます」
 そして立ち上がってアンダーソンを見下ろした。驚く表情のアンダーソンにさらに言った。
「今あなたがやるべきことは、バーナビー・マッケイを止める事です。連絡手段はまだあるはずだ。あなたにしか出来ないことなんです。自分を責めることにうつつを抜かしている暇があるならば、自分のやるべきことをまず探して下さい」
 カナスの強い言葉は部屋を響かせる。それはアンダーソンの心にも、響いたようだ。

 バーナビー・マッケイが新聞にその名を載せたのは三日後のことだった。アイヤネン盗賊団の幹部の人間と共に自首し、『攫っていた』記憶喪失患者を解放した為だった。警察は何故自首する気になったのかと尋ねたが、バーナビーは結局口を割らなかった。
 その一週間後にマリック・アンダーソンが政府に記憶喪失患者専用の病院をつくることを提案。記憶に関する専門家を呼び、記憶喪失者の保護・治療と共に、記憶も戻らず身元も分からない患者の為に職業訓練と就職斡旋の設備を整える、というものだ。病院なので通院も気軽にできるということで、政府内でも注目された。実現は決して遠くない物だった。
 記憶を戻す手立てとして利用された形見の数々は持ち主に戻され、脱走した患者は病院へ戻ってきた。記憶が戻った人間は、家族の元へ帰っていった。
 こうして世間を騒がせた形見泥棒事件は、こうして幕を下ろしたのである。


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