アビの過去






 翌日の朝。新聞に病院で記憶喪失の人間が失踪していることが大きく載っていた。失踪事件がいよいよ大ごとになり始めている。
「マクファーデンさんがいなくなったんだそうです」
「あの、お前が病院で仲良くなった人か」
「はい……。心配で……」
 不安そうなアビが、新聞を握りしめた。
「あの人……どこか寂しそうでした。ずっと、失った記憶の中にいる息子さんを探し求めていて……」
「そっか」
「早く見つかってくれるといいんですけど」
 アビのことを息子のギディオンだと思い込んでいたマクファーデン。記憶を失い、僅かに残った記憶から、アビに息子の面影を求めていた。きっとあの家族に、何かがあったのだろう。
「見つけない……とな」
 カナスはアビの表情を見る。不安げな表情。何もできない自分に対する歯痒さをにじませていた。そんな表情を見ると、なんとかしなくてはいけないという意思がより一層強くなる。でも、これからどうするかは手詰まりだった。どうなるかは手詰まりだった。するとそのとき
「だー! んー! なー! さー! まー!」
 と、ドアを勢いよく開けてフウロが飛び込んでくる。先程から物凄い足音が聞こえていたが、それはフウロが出している音だと気が付いていたので気にしていなかったのだが
「なんだ」
「先程部屋の整理をしていたところ、使用人室の一つの物品が物色された形跡があるんです! 幸い盗まれたものはない様ですが……」
「な……」
「警備の手薄さがばれたことはさておいて、確実にマークされてますよ、旦那様」
 フウロはにやりと笑う。だけどカナスの不安は消えない。
「でも物色して何も見つけられていないんだろう? その段階でマークは外れないか?」
「いえ、これだけの人数がこの屋敷に泊まり込んでいますし、何せ相手の目的があれですしねえ。マークはしばらく外れることはないと思いますよ。それに……」
 フウロはちらりとアビを見る。アビが握りしめている新聞と万年筆が目に入る。フウロは目線をカナスに戻して、語る。
「マクファーデンさんでしたっけ。彼も居なくなったんだっけ」
「は、はい」
「……次のマークはアビかもしれません」
 フウロのしっかりとした口調に、思わず息をのむ。本気の時の顔だ。
「もしその万年筆の説明をぼかしてしか言っていないなら、多分ほぼ確実に狙われるでしょうね」
「そうか……」
「まあ盗まれろとは言わないけど、気をつけた方がいいよ、アビ」
「はい」
 はいと返事をしながらも、アビの表情は重かった。より一層万年筆を握りしめ、少し俯いた。カナスにはその理由が分かった。アビにとってこの万年筆はとても大切なものだ。三年前にまで話は遡る。アビがまだストリートチルドレンだった頃の話である。

 自分が住みついているところに電気を引っ張り、その光を様々なことに利用していた。元々アビは賢いためか、それが警察に露呈したどうなるかの想像はついていたし、そうならないようにあの手この手を使っていた。しかし徐々にそれが露呈し始めて、暗雲立ち込めてきた頃だった。
「これ食べる?」
 パン屋の親切なおばさんが、パンを手渡す。残り物らしい。迷わず受け取る。
「よく食べるねえ」
 よく食べるのではない。これしか食べる物がないのだ。アビは心の中でいつも思っていた。パンは美味しかった。
 この町は治安が良くない。政府の統治が行き届かず、アビの様なストリートチルドレンが多くいた。だからと言って助ける者もおらず、警察は生きるために罪を犯す少年少女を大人と変わらぬ処罰を与え、場合によっては人権を無視した行為に及び、社会問題になっていた。警察に捕まることは死より恐ろしい事だと、ストリートチルドレンたちは思っていた。
 アビ自身電気を引っ張ることが違法行為であることは理解していたが、心のどこかで大人たちへの反抗心も抱えていた。自分たちは不遇な存在だ。だけど、大人たちは自分たちを助けてくれないどころか傷つける。そんな大人たちの言うことなんか聞きたくない、と。
 もちろん、道徳心も持ち合わせている。だから電気を使うことへの罪悪感もあった。パン屋のおばさんの様に親切で優しい人もいることも理解している。だからこそ惨い大人が大嫌いだったのだ。
 そんなある日のことである。
 アビはたまたま、あるものを拾った。例の万年筆である。落とした人も見かけた。しかし渡せなかった。これをどうしようかと思った、のだが、落とした人の顔を見たわけではなかった。
 どうしようかと考えた。万年筆を落としたのはその人の不注意だ。アビは何も悪くない。しかし落とした場面を見て、そのままにしてしまった。これ自分はどういう扱いなのだろう。複雑な気分だった。落とした人の服装は綺麗だったからそれなりの身分かと思われるが、こんな町で裏通りを一人堂々と練り歩くなど、よほどの物好きだ。
 その点で興味が湧いたアビは、落とした人物を捜してみることにした。もしその人がかなりの身分でなおかつ、自分のような存在を助けてくれるようなら、うまく取り入ることができるかもしれない。そう思ったのだ。

 その人は至極あっさり見つけることができた。その人はこの町の民宿に泊まっており、見かけの割に素朴な日々を送っているようだった。その人には連れがいるようだった。
 ちなみにその二人こそこの町の現状を知り視察に訪れたカナスとアドルフである。つまり万年筆は元々、アドルフのものである。厳密にはカナスの母が使っていたものをそのままアドルフが使っていた、つまり間接的な形見であった。この事実をカナスもアビも現在に至るまで知らないのは、アドルフの意地悪かもしれない。
 見た様子では悪い二人ではなさそうだが、見たけだけで人間を信頼できるほどアビは楽な人生を送っていない。とりあえず接触し、万年筆を返してみようと考えた。そこから、この二人が一体何が目的でこの町に来たのかを調べてみよう、と考えた。
 当時のアビにとって、世界のすべては敵である。だから同然のようにアビはこの二人のことを敵だと思っていた。当時は生活環境もあり、荒んだ性格(現在のアビ曰く「腹黒エゴイスト」)をしていたアビはいつかここから脱出し、利用できるものはすべて利用して、最高の生活を送りたい、なんてことを考えていた。その為にこの二人を利用するとかしないとか、そんなことも考えていた。
 宿の窓から二人の様子を覗いていたアビは、そっとその場を離れ、隠れるように物陰に立った。二人が出てくるのをじっと待ち、数分後。アドルフがきょろきょろとした様子で出てきた。ここぞというタイミングでアビはアドルフの目の前に立った。
「おじさん」
 アビは不格好に万年筆を突き出した。アドルフはそんな姿に驚き、戸惑う。アビはぶっきらぼうに言う。
「これおじさんのペンでしょ。落としていったよ」
 その言葉を聞いて、事情を理解したアドルフは笑った。
「そうか、君が拾ってくれたのか。助かった」
「不注意だね」
「いや、本当に全くだ。ありがとう」
 アドルフは気さくに話していた。するとそんな様子を遠くから見ていたカナスが、突然割り込んできた。
「名前は?」
「え?」
「名前は、と聞いた」
 ちなみにこのときカナスは体調を崩して寝込んでいた(体調を崩したまま視察に同行し悪化させた)病み上がりの身であり、若干ぼうっとしていた。その為アビ以上にぶっきらぼうだった。そんな態度に少し腹が立ったアビだったが、自身も大して人のことは言えなかった。
「あ、アビ」
 あまり大きくない声で答えると、カナスは頭をかきむしった。
「そうか、じゃあアビ。飯でも食いに行くか」
「うん……ん?」

 成り行きでホルスタイン父子と屋台で食事を取った。相変わらず気さくなアドルフと、食事をしてようやく意識がはっきりしてきたカナスと、軽い会話を交わした。
「おじさんたちは何でこんな町に来たの。おじさんたち貴族でしょ?」
「貴族だからこそ、現実を見なくてはならない。国を支える者として当然だ」
「ふうん。僕はてっきり、貴族は高みの見物しかしないものだと思ってた」
 終始ぶっきらぼうなアビに、生真面目で堅物のカナスは少し呆れる。当初はお互い本来の性格を割り出していないためか、ソリがあっていなかったのだ。
「そんな言い方はないだろ」
「この町の貴族はそうだけど」
「そうかもしれないけどな……」
「おにーさんは随分貴族に肩入れするんだね」
「なっ……」
 カナスはさっきまでぼうっとしていた頭に思わず熱が入ったが、それを察したアドルフがさっとカナスの方に手を伸ばし、それをなだめる。
「まあそう言われても仕方ないさ。アビはストリートチルドレン。貴族に対するそんな念も持っていても仕方ない。そういう誤解を解くのも仕事だ」
「父上……」
 なだめられて溜め息をつく。それでもなお表情を変えないアビに、若干の苛立ちを覚えた。

 話を聞くところ、この二人は政府の要請でこの町の領主に話をしに来たらしい。なんでも、度重なる治安回復処置命令を無視し、税金を好き勝手に使い治安をさらに悪化させたので、領主の地位と爵位の剥奪を伝えにきた、のだそうだ。賢いアビははっきり「クビ切り」だと理解した。つまりこの環境下はその手続きがスムーズに進めばもう間もなく終わるという事だ。何故なら領主が退位した後は代理に別の人物がつき、ほぼ確実に治安回復の処置が行われるからだ。
 そうなれば警察機関の腐敗も止まる。そうなったとき仮に自分が捕まったとしても、ある程度の情状酌量は期待できた。もしその通りになるならば、アビは捕まってもいいと思った。警察に捕まり、自分が犯した罪が見逃されなくても見逃されても、どちらにせよアビは大人から保護される身になる。警察に捕まったら服役中に職業訓練を受け、場合によっては釈放後どこかへ就職の仲介してもらえる可能性がある。見逃されたら孤児院に入れられるだろう。警察機関が正しく機能されていれば、警察に捕まることはアビにとってそこまで悪い事ではなかったのだ。
 人間を判断する能力にも優れているアビは、アドルフとカナスがやり手の人間であることを察し、この二人に取り入る計画を白紙に戻した。そしてこの二人が事態を動かすまで、じっと耐える道を選んだ。しばらく警察のマークを外す為、電気を使わないという手段も取った。
 当時十三歳のアビは様々な手段を持って得た知識と頭脳をフル回転させ、この生活を脱する為の計画を練り続けた。自分はまだ子供だ。だから大人は自分にある程度優しくするだろう。あの二人のように。そうすれば就職の仲介や孤児院への移送はきっとうまくいく。この場所から抜け出せるし、それをきっかけにうまいことやっていけるかもしれない。そうなればきっともっといい生活が送れる。そう思った。
 そんなことばかり考える、自分に対する嫌悪感は強かった。
 両親の記憶はなく、物心つく頃にはこの街のスラムでストリートチルドレンとして暮らしていた。幼い頃からこの街での生活レベルの差を見せつけられた彼の心には激しい劣等感が生まれ、いつしか「世界のすべては自分の敵」だと思い込むようになっていた。優しい人がいることをちゃんと理解したのは、そんな思い込みが高まった後だった。結果として良心の呵責に苛まれ、それでもなおあらゆる人間への疑心を捨てきれないアビが存在するようになっていた。


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