院長の苦悩






 病院内のカフェテリアで昼食を取った。病院食ではなく、あらかじめ持ってきた弁当だ。ここで買ったコーヒーを飲み、アビが書いてくれたメモに目を通す。
「細かく書いてるな。すごいなあ、ここまでやってくれるとは思わなかったよ」
「文字を書くのが元々好きなのもありますけれど、分かったこととか忘れたくないんです」
「……そうか」
 アビは、見かけの割に現実にシビアな面を持つ。それは彼が育ってきた環境によるものなのだろう。現実に向き合う術をきちんと得ているのだ。
「それにしても、だな」
「はい」
「隣国は一体何を考えているんだろう」
 あまりに重たい現実。まだ可能性の段階とは言っても、それでもあまりに苦しい。
「あの人たちは元に戻れるのでしょうか。戻れたら……いいですけど」
「……ああ」
 昼食は一向に進まなかった。食欲がなくなったのが一番の原因だ。あんなものを見せられて、大丈夫でいられるはずもない。
「こんな話をするのは少し変だと思いますけど――僕、あの人たちを見ていて、昔を思い出したんです」
「昔?」
「はい。何も信じられなくて、自分の周りは全部敵なんだって思いこんでいたあの頃を」
 アビは拾われるような形で家に雇われた。アビがカナスやアドルフに抱く思いは一塩で、絶望に瀕したときに彼らに救われた事は、彼に大きな影響を与えていた。万年筆を握りしめ、アビは言う。
「あの人たちとは状況も何も全然違う。でも似ていることは似ていると思いました。もしこの時、良い人が上司に居るかいないかで、できるかできないかで、人生さえあっさり変わってしまうような気がします。僕は旦那様とカナス様に救われた。でもあの人たちは、君主となる人に人生を壊されたんだと思って」
「…………」
 カナスはそんなアビの言葉で、ふと思い出す。父が言っていた言葉だ。
「……頂点に立つ人間は、誰よりも正しくあらねばならない。人から付いていきたいと思われる人間にならねばならない。誰よりも意志を強く持たねばならない。それがやがて人の為となり、己の為になる。必ず自分に返ってくる」
「アドルフ様が仰っていたのですか?」
「ああ」
 間違いを犯すことは誰にだってある。だけど、間違いを犯した時にすべき行動がある。謝罪し、それを正す事だ。そうアドルフは、ずっと子供に伝え続けてきた。
「隣国はどうなんだろうな。間違いを犯していることは間違いがないよ。戦争自体は間違いなんだと俺も思うけど、でもこの国はまだ、少女に戦争に行かせるような事態にはなってないし、兵になる者も皆志願者だ。まだ、まだ大丈夫なんだと思う。それに対して隣国は――」
「……人の意思を奪っているかもしれない」
 続けたアビの言葉に、カナスは頷く。
「いずれあの国は首を絞められる。だけどそれはいつなんだ。いつになるんだよ。それで間に合うのかよ」
 八つ当たりのように呟く。意味がないことぐらい分かっているけれど、それでも言いたくなった。
「あの人たちにも、大切な思い出があって……大切な物があって、それなのに――」
 それ以上言葉にならなかった。
 アビは手にずっと持っていた万年筆に目を通し、大切そうに握りしめる。
「奪われたくないもの、奪ってはいけないもの、ありますから……」
 カナスはアビにとって、その万年筆がどれだけ大切なものか知っていた。この万年筆があったからこそ、今のアビがいるも同然だった。アビにとって失いたくないものは、人との関わりと、この万年筆だった。
「形見……か。持っていた形見がもし盗まれても、彼らは気付くことすらできないんだろうな……」
 被害がないとされているのは、盗まれていることにすら気付いていないからかもしれない。特に精神科病棟の人間や重傷を負った者は、意思表示が難しい。
「彼らが治ればいいとは思う。けど、仮に彼らが治ったとして、彼らがこれからどう生きるかは、きっと『上』による。全力でサポートしていかないと駄目なんだよな」
「そうだと思います。僕の場合もそうでしたし、きっと僕よりも労力がいる」
「……政府が見捨てないことを祈るばかりだ」
 どんな国にも明暗はある。この国は国民には優しいが、他国の人間には厳しい面を持つ。それに、あの有様だ。政府の支援なくしては生きられない彼らは、どうなってしまうのだろうか。

 形見泥棒、この件は全く収穫が得られないかと思っていた。しかし、
「形見が盗まれる事件ですよね? そうですねえ」
 アンダーソンがこの話を気にして、看護婦や他の医師に話をしてくれていた。そんな中で、一人、わざわざカナス達本人に話をしにきた看護師がいた。
「こっちの街でも、同じような話を聞きました。確か私の先輩のお姉さんが、娘さんが生前使っていたクッキーの型を盗まれたそうです」
「これもまた、随分形見らしい物が盗まれたな……」
「なんでそんな、お金にならないものを盗むんだろうって思います。盗んだところで、邪魔になるだけかと思いますよ」
 若い看護師の正直な意見に思わず頷く。人にとっては宝物でも、人にとってはゴミかもしれないものだ。盗む利点が分からない。
「結構形見泥棒は世間を騒がせていますよ。まあ、院長はこの病院に住みついちゃっているんで、知らないのも当然なんですけど」
「そうか……」
 若干の世間離れの気があるアンダーソンが知らなかったのは仕方がないとは言え、こうして隣町にまで被害をもたらしているのは、なんとも言えないもどかしさを覚える。
「なんてことない思い出の品、盗まれる意味が分かりません」
「そうだな。ありがとう、教えてくれて」
「いえいえ。お役に立てたのなら光栄です」
 看護師は仕事に戻っていった。すると、ほぼ同時に看護長かと思われる老年の女性が、大声でカフェテリアにいた看護師たちに呼びかけをする。
「バックレーさんがいなくなったわ! 皆手分けして探して!」
 どうやら患者に行方不明者が出たらしい。看護師や清掃員が一斉に動き出す。病院内は、騒がしくなった。
「精神科病棟の人でしょうか」
「そう考えるのは早い。話を聞いてこよう」
 なんとか清掃員一人捕まえ話を聞くと、最近精神科病棟の患者の脱走が相次いでいるらしい。それも、比較的症状の軽い者が多いらしい。理由は分からないのだという。
「帰って来てくれる人もいるんですけど、基本的には見つからないままで……」
「帰ってきてくれても、理由は分からないんですか?」
「はい。教えてくれません」
 清掃員はその後慌ててそのバックレーという人物を探しに消えてゆき、カナスとアビは顔を見合わせる。いなくなる人々。少なくとも、隣国の元兵士という訳ではなさそうだったが。
「共通点とかないんでしょうか」
「分からない。それもまた聞いてみるしかないだろう」
 とりあえず、そろそろ昼食の時間も終わる。アンダーソンに話を聞いてみよう。二人は、院長室へ向かった。

 アンダーソンはまた顔を苦くする。私の責任ですと口を走り、溜め息をつく。さっきは気が付かなかったが、アンダーソンの眼の下にはクマがうっすら浮かんでいた。日夜自分の身を削りながら患者と向き合い、疲れているのだろう。カナスは彼を責める気にはならなかった。
「いなくなる人に、何か共通点は?」
 カナスは、俯くアンダーソンに優しく尋ねる。するとアンダーソンは「一つだけ」と、苦しそうに言った。
「記憶喪失の患者さんがいなくなるのです。記憶を断片的になくしている人もいれば、記憶が断片的にしかない人まで。でも、それだけなんです。それだけ……」
 疲れ切った様子のアンダーソン。最初会ったときはしゃきっとしていたが、今はそうではない。かなり作っていたのだろう。不意に二人が訪ねてきたから油断していたに違いない。
「アンダーソン院長、あなた大丈夫ですか?」
 心配になる。
「……大丈夫です、一応」
 アンダーソンは溜め息を混じらせながら、頭をかく。大丈夫そうにはとても見えなかった。
「院長、あなたは少し、休んだ方が良いと思います。患者のことをなんとかしなければと思う気持ちは分かりますが、あなたの体を壊してしまっては……」
 彼はきっと責任感が強い。だから頑張ってしまう。カナスはそんな姿を、父に重ねてみていた。
「分かっています。でも、あまり休んでいる暇はないのです。こうしている間にも患者さんが……」
「…………」
 彼は医者の鑑だ。だからこそ、苦悩する。
「俺は持病を持っています。無茶はするなと、馴染みの医者にも言われているんです。でも、それは健康の人だって同じだと思います。健康な人だって、無茶を繰り返せば体を壊す。アンダーソン院長、この視察が終わった後、どうか休暇を。一日ぐらい休んだって、誰も責めません」
「…………」
 アンダーソンの苦悩は終わらない。それでも少しでも、体を癒して欲しいと願うばかりだ。彼が患者を治そうと苦労しているように。


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