新米電気工と病院視察






 朝九時。使用人達に見送られ、アビと二人で病院へ向かう。手配しておいた馬車に乗り込むと、
「僕……実は乗り物酔いしやすくて……」
 アビが困ったように言う。
「そうなのか。酔い止めは飲んだか? あるとないとじゃ大違いだ」
「まだ……というか、持ってなくて」
「じゃあ俺が持ってきた分を飲んでおけ。吐くのは嫌だろう」
「すいません……」
 カナスは大きなショルダーバックの中から小さな薬箱を取り出し、その中から酔い止めを取り出すと、アビに手渡した。体のこともありカナスは薬を持ち歩く。一応酔い止めも用意してあるほどだ。カナス自身は乗り物酔いしないが、実は父が乗り物酔いしやすいのである。
「別に寝ていても大丈夫だ。というか、この薬は眠くなりやすいから、無理はしない方がいい」
「本当、すみません」
「いいって。乗り物酔いって言うのは体質だからな。心臓に爆弾抱えるよりはましだし」
 思わず本音が出た。確かに乗り物に乗らなければ害の無い乗り物酔いと、何かのはずみですぐ発作を起こす心臓の方が、厄介だし命にかかわる。
「父上もよく酔うんだ」
「旦那様が? ああ、そう言えば……」
「酔い止めを飲んでいても酔うから相当だな。仕事柄遠征が多いけど、その度にしんどい思いをしているだろうな」
「よく分かります、それは」
 しばしアビと談笑を楽しんだ。アビとは何のストレスなく穏やかに話せる。アビは純朴で、人を傷つけることを好まない。優しいのだ。それに年も比較的に近く、関係を例えるなら学校の先輩と後輩と言った仲だ。打ち解けやすい。
 だがしばらくすると薬の効果が出てきたのかアビがだんだんうとうとし始め、口数が減り、いつしか本当に寝ていた。仕方ないなと思いつつ、人の寝顔と言うのはやっぱり少し間抜けだと思ってしまった。壁にもたれて熟睡するアビの口はポカンと開いており、確かに少し間抜けだった。フウロはきっとこういうことは許さないだろうが、カナス自身は寛容だ。それこそ、これに限れば体質だ。酔いやすいから酔い止めを飲み、酔い止めは眠くなりやすいから寝る。仕方がないのだ、これは。

 隣町の病院、イシエレ軍事病院へ到着した。カナス自身も少し寝てしまったが、到着と同時に目を覚ました。頭を少しかきむしった後、目の前で熟睡しているアビを見て
「アビ……着いたぞ」
 手を伸ばして肩をゆする。するとアビは少し唸った。いい気分で寝ていたようで、起こされた時少し眉間にしわを寄せたが
「う……ん?」
 目を開けて、馬車が止まっていることに気が付くと
「う、ああ! す、すいません!」
 勢いよく立ちあがった。
「いや、今ついたばかりだから。慌てなくても大丈夫だ」
「すすすすすすいません……すっかり寝ちゃった……」
「だから寝ていた事は大丈夫だって。ただ鏡は見て、顔は整えてくれ」
 アビの口には少しヨダレが垂れ、髪は思い切り癖が付いている。本当に熟睡だったようだ。もしかするとアビのことだから、昨日緊張してあまり眠れていなかったのかもしれない。
 アビが持ってきた手鏡で慌てて顔と頭を整え、一応様になったのを確認し、馬車を降りる。病院は綺麗な門構えで、『軍事』の名のつく病院とは思えないほど穏やかだった。庭に植えられている花は、カナスの屋敷で植えられている物と同じ物だった。病院の中に入ると、院長が出迎えてくれた。
「お待ちしていました。私が院長のマリック・アンダーソンです。よろしくお願いします」
「この街の領主オールポート氏の代理で来た、ホルスタイン家長男カナスです。こちらは従者のアビ」
「電気工をやってます。よろしくお願いします」
 カナスとアビは院長アンダーソンと握手を交わす。アンダーソンは気さくな性格のようで、にこやかに
「お疲れではありませんか」
 と聞いてくれた。二人は首を振り大丈夫だと伝える。特に散々寝たアビは、そのことを必死にアピールしていた。
「ひとまず応接間へご案内します。こちらへ」
 アンダーソンの後をついてく。辿りついた応接間には大きなテーブルとホワイトボード、そしていくつもの椅子が置いてあった。
「記者会見用に使用するのですよ。ここは軍事病院の中でも最先端で、患者さんの数も多いですから」
「成程……」
 ここで、戦場の有様を発表したり、新たな病気について見解を話したりするのだ。そう言えば、この部屋を新聞に載っていた写真で見たことがあるような気がする。
 三人ともが着席すると、アンダーソンが
「早速ですが」
 と、話を切りだした。
「私どもが視察の依頼を出したのは、ある事実を知って頂きたいと思ったからなのです。この病院では先月からアトロスエの兵士と思われる患者も引き受け、治療をしています。もちろん、政府には許可を取っています」
 フウロの話によると、アトロスエは国民皆兵を言い渡していた。だから無理矢理戦場に駆り出されている人間が多い――と言うよりほとんどであろう。無理矢理戦場に連れて行かれ、殺されかけた人間を、放っておくことはできない。政府はそういうことには寛容であった。
「それで私どもはある事実に直面しまして、それは見て頂ければお分かり頂けるでしょう。もしかしたらその事実を見れば、向こうの政治状況などが分かるかもしれないと……」
 ある事実――というのは、明るいものではないのであろう。軍事病院とは、どんなに外観が美しくとも、戦争の事実を反映する場所なのだ。
「……視察を始めるにあたって気をつけて頂きたいのは、精神科病棟に入ったら患者さんを無暗に刺激しないでほしいということです。精神科病棟の患者さんの中には、現実と妄想が混同し、意識が常に宙に浮いているような状態になっている方もいます。そんな人を無理に元に戻そうとすると、どうなるか……」
「…………」
 生死にかかわる戦場の中に居て、死ぬか死なないかの極限の中、生死の境をさまよったのなら、その経験は過酷以外何者でもない。その中で精神に異常が出ることなど、十分にあり得る。
「……本人に聞けないようなら、ここで聞いてしまおうと思います。この病院で、泥棒が出ませんでしたか?」
 カナスは、最初から聞くつもりでいた話題を聞いてみる。形見泥棒、もしかしたらこの病院にもあるかもしれないと。
「泥棒……? はて、そんな話あったかな……」
 しかしアンダーソンは首をかしげる。思い当たる節は――なかったようだ。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや。俺の街で騒がせていましてね。金目の物は盗まず、その家の――形見と言うものが盗まれていくんです」
「形見? なんでまた……」
 アンダーソンも思わず驚いていた。それもそうだろう、そんなものを盗んでも何の得にもならないのだから。
「生憎私はそのまま病院に住み込みなので、外からはそのような話聞いてもいませんでした。ただ病院内では……被害はないかと」
「そうですか。ありがとうございます」
 この病院は大丈夫だったらしい。ならよかった。形見泥棒の被害は、あの街だけのようだ。この街の人間が犯人である可能性は薄いようだ。
「……では、視察を始めましょう。ご案内します」
 アンダーソンが立ち上がり、こちらへと手を指し示す。仕事とはいえ、戦争の現実を知るチャンスだ。ちゃんとしっかり、目を向けなければならないんだ。カナスとアビは、気を引き締めた。

 病院には様々な人間がいた。腕や足を失った者、そんな状況下でもリハビリに打ち込む者、その一方で五体満足だが、動こうとしない者。戦争の結果はここにあった。
 片足を失った人に話を聞いた。その人はリハビリを頑張り、義足でも生活できるぐらいにまでになり、来週には退院できるという。彼は明るく語った。
「家族のこれからの為にはこれぐらい頑張らないとな。ちゃんと働かないといけないし」
 一方で、別に話を聞いた。その人は戦地で病に伏し、この病院へ連れてこられた。病は改善せず、暗い印象を抱かせる人だった。彼は言った。
「国のためにと頑張ったつもりだよ。でも、俺のやったことなんて歴史に残らないんだ」
 戦争で失ったものは多いし、得たものなんて何もないのかもしれない。それでも懸命に戦い、傷付いて帰ってくる。そこから立ち直れるかそうではないかは、その人によるのだろう。自分が行きたいと願う場所は、生き残ればそんな現実に向き合わねばならない場所なのだ。
 隣で様々な聞いた話、見た話を必死にメモをするアビの右手には、使い古された万年筆があった。アビはそれを時々大事そうに見つめ、また使った。
「悪いな。メモ、任せて」
「いいんです。メモとペンは使ってこそですから」
 よく見るとアビが使用したメモ帳はすでに半分以上使われていた。自分以上の勉強熱心だと思った。こういう姿勢を、見習わなければならない。
 外科病棟や内科病棟を経て、精神科病棟へ辿りつく。ここが問題の場所だ。院長が行っていたある事実とは、一体何なのだろうか。


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