形見泥棒






 テオボルトは結婚していたが、子どもはなく、二年ほど前に妻を亡くして以来一人である。妻は生前花の手入れを趣味にしており、彼もつられて花の手入れが好きになった。研究者という側面から、夫婦で花に最も良い肥料を探したり、たまには作ったりもするほどだった。カナスはこの夫婦は非常に仲が良かったことをよく覚えており、テオボルトの妻が亡くなった時の彼の意気消沈とした姿は、今でも忘れることができなかった。
「形見……ですか。私にはありませんねえ。私にとって、花が妻の形見のようなものですから……」
 花にジョウロで水をやりながら、テオボルトは笑っていた。この屋敷に植えられた花は、この家専属の庭師とテオボルトが協力して植えた物だ。この四季折々に咲く花々は、庭を美しく彩っている。
「それにしても形見泥棒ですか。酷いですね。思い出の品を盗んでいくというのは」
「だからちょっと気になってな。アビから話を聞いた後実際に調べてみたんだけど、結構な数が盗まれているって分かったんだ」
 カナスは最初、被害者と関わりのある人物を疑っていた。しかし、かなり不特定多数の人間が被害に遭っていたことで、その可能性は薄れてきた。被害者同士が大した関わりをもっていない。それならばどうやって大切な形見を大切な形見と分かって盗んで行けたのか、既にこの件は暗礁に乗り上げつつあった。
「皆から聞いてみましょう。何か大事な物は盗まれていないかと」
「頼むよ。金目的の犯行ではないようだけれど、いくら街と離れているからってこの屋敷に被害が出ないとは思えない」
 咲き誇る花々に目を向けた。凛と咲いている花は、何も知らないようにみえた。テオボルト達が精魂込めて育てた花は、己の生を見せつけ、やがて枯れて逝くのだろう。
「形見……か」
 テオボルトは、花は妻の形見だといった。咲いて枯れてを繰り返す花ですら、大切な思い出を語らっているのだ。正直、羨ましかった。カナスには形見らしい形見がない。実母の記憶は全くなく、彼女がいたという証明は一冊のアルバムだけだった。しかしそれも、一度も目を通したことはない。アルバムがある部屋は、実母の私物を置く部屋であったと同時に、義理の母、エリザベスの私物部屋でもあったからだ。もし昔見ていたとしても、まともに目を通せてはいないだろう。だって母は二人とも、自分の所為で死んだのだから。

 じっと資料と向き合っていると目が疲れる。最近視力が下がってきたらしく、遠くが見えづらくなってきている。そろそろ眼鏡を買わないといけなくなってきた。今度病院に行くついでに眼科に行って、視力を測ってもらおう。
 先日の事件以来それほど大きな事件もなく、それほど大きな会談もない。嫌いな電話も鳴らなかった。ただ単に、毎日目を通す新聞の記事が日に日に戦争で一杯になっていくだけだった。
 本当は戦場へ軍人として参じることを望んでいるカナスは、そんな記事を見る度に憂鬱な気分になった。体のことや立場のことがあり将校の父から許可が出ず、本当はやりたくない仕事に精を出す。もう慣れた事だ。それでも、自分の望みは相変わらず変わらない。
 一生かけて付き合っていくしかないこの心臓は、カナスの未来を阻んでいた。戦争が愚かなことぐらい分かっていた。だけど、そんな中でも国民が国のためにと戦っているのだ。家の正当な主ではないカナスは家の権力を完全には行使できず、父の決定がなければ自由に自分の好きな職を得ることすらできない。自分がやりたいこと一つできない。心臓と立場のせいで、国のために戦うこと一つができない。それが悔しい。
「ああ……もう……」
 新聞には南での戦いでの勝利したことが書かれていた。戦争は確かにこちら側に優勢だ。このまま早く終わって欲しいという想いと、早く兵士になりたいという想いの二つに板ばさみにされた。

「失礼します、旦那様」
 この家でカナスを『旦那様』と呼ぶのは新米フウロだけだ。フウロはこの家の本来の主であるアドルフと会ったことがなく、フウロを呼び寄せたのはカナス(手違いではあるが)である為、カナスを『主人』としているのである。
「なんだよ」
 正直こいつは苦手なので、冷たくあしらってみる。
「形見泥棒の件で」
 向こうもなんとなくそれに気付いているらしく、珍しく一発目に本題を伝える。
「なんかわかったのか?」
「分かったというか、ちょっとした小ネタですよぉ」
「はあ?」
 フウロは相変わらずのポカン顔で、カナスを見つめる。当のカナスもフウロの言葉の意味が分からずポカンとしているのだが、フウロ自身はさして気にしていないようである。
「いやあ。気が向いたので調べていたんですよ、形見泥棒のこと。まあ簡単に、被害者の話聞いたり警察に前回のコネ使って色々状況を聞いたり」
「……。警察にコネを作るなよ」
 このメイドの行動力は時に驚愕を通り越してあきれてくる。
「で? 小ネタって?」
「はい。まあ一言で言うと――単独犯じゃないですね」
 フウロは被っている大きな帽子に手を入れる。するとその中から一つのメモが出てきた。フウロはポケットやらに物を常に入れておく傾向があり、ポケットだけでは足りないのか帽子にまで物を入れている。最近それが気になるので、今度彼女にショルダーバックでも支給しようと考えている。メモを開き、フウロは言う。
「なんと言うか……手口がまばらなんですね。鍵がこじ開けられていたと思ったら、昼間ちょっと窓が空いている隙に盗まれていたり、あるいは部屋が荒らされているとか思ったら、あるときは目的の物をするりと盗んでいったり……。これ、『別人だから手口が違う』と言うよりも『ベテランか新人か』の違いだと思います」
「盗賊団、か? いや、でもそれじゃあ金目のものじゃないものを盗むなんて意味が分からないし……」
「そうですね。この犯人が仮に盗賊団だったとしても、どう考えてもお金が欲しいって目的ではありませんね」
 形見泥棒は複数犯。余計に犯人像が見えてこない。
「じゃあ問題は何故集団で人の形見を盗むのか、だな」
「共通の目的がなければこんなことしないし、出来ないと思いますよ。標的がお金なら個々に別の目的を持っていたって別におかしくもなんともないですけど、形見、ですからね。人の思い出を盗むなんて、正直私は普通の泥棒より腹立たしいですよ」
 フウロは首を振る。彼女自身、隣国の政府の暴政により家族を失っている。きっと思い出にかなりの執心を持っているのであろう。
「お前にはあるのか? 形見が」
「うーん……」
 首をかしげるフウロは、眉間にしわが寄っていた。聞かれたくないことを聞いてしまったのだろうか。聞かれたくないことを聞かれたなら彼女は適当にかわしていくだろうが
「ありますけど……、常に持ち歩いていますからねえ」
 答えてはくれた。
「……持ち歩ける物ってことか。じゃあ、ずっと持っとけ。大事なものだろ?」
「そうしますよ。盗まれたら盗んだ奴を三日で見つけて殺しに行くと思いますし」
「お前が言うと本気にしか聞こえないんだが……」
 先日の件のせいというかお陰。
「それで? 旦那様はこれからどうなされます?」
「俺か……そうだな。形見泥棒の件は一向に進展しないし、こればかりに集中もしていられない。別の仕事と並行しながら、地道に調べていくしかないな」
 形見泥棒を見つけたら、形見をちゃんと持ち主のもとへ返そうと考えていた。その人にとって、金で代えられない宝物だ。言ってしまえば持ち主しか価値の見出せないものだ。持ち主に返す以外、最良の道はないのだ。

 夕食。珍しくニーナが「カナ兄ちゃん」とカナスを呼んだ。
「どうした?」
「カタミドロボー、だっけ。それ、学校でも広まってたよーって」
 ニーナは友人が多い。非常に社交的な性格ゆえだ。だから噂話に詳しかった。
「うん。クラスの友達がお父さんの使っていた食器盗まれたって。お父さん出兵しちゃったから家にいないんだって」
「食器? また随分……人からしてみればただの食器だよな……。そんな物まで……」
 形見と一言で言っても種類か数え切れないほど豊富だ。『形見』と言われて分かりやすい物や、それが形見と呼べるのか微妙なものまである。これは後者だろう。そんな物まで盗まれるのか。
「学校で何か、犯人のこととか聞いたか?」
「全然」
 犯人像は相変わらず不明。どんな奴がやったのか一人でも分かればまだマシなのに。
「なんかわかったら教えてくれ。みんなそういうことをやられて嫌な思いしているだろうからな」
「りょーかーい。それぐらいはするよ」
 ニーナは兄嫌いであるが協調性はある。利害さえ一致すればカナスにだって協力する。ニーナはどちらかと言うと、ルールさえ守れば叱ることはないカナスより、理不尽な事を言いだすリドの方が嫌いなようだ。精神年齢はどうやらリドより上である。
「ねえねえお兄ちゃん」
 不意にスフォリアが話す。だが、スフォリアの話す内容と言うのは、基本的に決まり切っていた。
「明日はどこかに行くの?」
 明日どこかに行くか、というのを一番に勘付くのがスフォリアだ。幼いが故か好奇心があり、こういうことについて行きたがるためなのだろう。
「明日……は、確か隣町の軍事病院の視察、だったよな、テオボルト」
「はい。隣町の領主が足を悪くしたので、その代理で。隣町ぐらいなら大丈夫だろうと医師も仰っていたので、引き受けたのでしたね」
 かなり前から決まっていたスケジュールだ。忘れかけた頃こうしてスフォリアが尋ねてくるので、思い出す。意識的なのか無意識なのか分からないが、何かと、兄の役に立つことが多い。
「いろいろ話を聞くから、一日は掛かるな……。朝に出て、夕方帰りだな」
 そう呟くと、スフォリアはがっかりな顔をしたがリドは
「よっしゃぁ!」
 と叫んだ。だが自分が一日いないことを喜ぶことぐらい予想していたカナスは
「よしフウロ。明日は一日リドを見張っといてくれ」
「承知しました」
 速やかにフウロに命令し、フウロもあっさり承諾した。
「そ……そこそんな簡単に承知すんなし……」
 一緒に遊んでいる分には楽しい相手だが、一回悪いことすればストレートに痛い部分をついてくるので、カナスとは違った恐怖を抱かせる。それがフウロである。
「同行者は……そうだな。アビ、一緒に行くか」
 カナスはアビを見た。アビはその言葉に驚いた顔を見せる。それもそうだ。今までこういうことについていったことがないのだから。
「い、いいんですか?」
「たまにはこういうことも知っておくのがいいだろう。それに軍事病院には色々電気の設備も多い。きっと勉強にもなる」
 カナスがアビにできる一番の気遣いだった。アビは、いずれはこの屋敷を出て電気工事に携われる専門の仕事につくことを目標としている為、勉強できる環境を作るのが彼のためになると考えていた。
「あ、ありがとうございます!」
 アビは明るく、喜んだ。

 病院でも形見泥棒のことは聞いてみよう――とは思っているが、若干の不安があった。明日行く軍事病院は精神科でもあり、戦争へ出て負傷し戦線を離脱した物はもちろん、戦場で心的外傷を負い病んでしまったものも集まっている。場合によっては再起不能な状態にまでなった人間もおり、足を悪くしたという領主は実は仮病で、ここに行くのをひどく怖がっていた――なんて噂もある。
 カナスはそこへ行くのは初めてではなかった。あまりにも戦場へ出ることへ憧れていたので父が現実を教えるために連れて行ったのである。確かに衝撃的で、心が痛くなった。だが、そんな彼らのために自分を戦う必要があると、かえって彼の想いを強めてしまい、父の思惑は大きく外れてしまった。
 彼らもきっと何かしらの「形見」を持っているかもしれない。そしてそれが盗まれているのかもしれない。だから、話を聞けるのなら聞かなければならないと思った。戦地に出て傷ついたのだろう彼らが、支えとしているに違いがないのだから。


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