一人は必要だと思うんだ






 翌日、病院で目を覚ましたカナスは、警察からの謝罪受け、担当医から「無茶するな」と言うきつい説教を受けた。この担当医は子どもの時からせいかカナスにストレートに物を言う事が出来て、カナスの性格も分かり切ってはいた。だがさすがに今回の件は無茶すぎると相当に怒っていた。
 使用人一同は片付けに追われていた。思った以上の銃撃戦となった上屋敷内にあった装飾品などが男達に破壊されたため、屋敷は荒れ放題となってしまった。カナスが帰宅するまでにすべて片付けるのは無理そうだ。
 一方、そんな中でフウロは、カナスのいる病院にメイド服姿でいた。
「……お前、ここで何やってるんだ。屋敷は?」
 退院し、病院から出てきたカナスは、壁にもたれ空を見上げていたフウロを見た。彼女の服はそのままだったが、帽子は外していた。赤茶色の髪を風になびかせている姿はなかなかに美しかった。
「一人ぐらい残っておかないと。あなた一人でご帰宅させるわけにいきませんよ」
「俺のことより屋敷の方をどうにかしてほしいな。今ごちゃごちゃだろ。お前がやってくれたら、すぐ終わると思うし」
「…………」
 フウロはいつものような軽口を叩かなかった。カナスの顔を見て、ただ黙っている。何か言う度にすぐふざけた口調で言ってくるフウロがこうして黙っていると、なんだか不気味に思えてくる。
「どうしたんだ、フウロ」
「……ちょっと思い出していたんです。昔のこと」
 彼女は笑っていなかった。不意に俯き、目線を下に、暗い声をしていた。
「……私には年の離れた兄がいましてね。まあとことん生真面目で、曲がったこととか大嫌いな熱血漢でした」
「?」
「治安の悪いマニスカではそれはある意味異端で、犯罪が当たり前のようにまかり通るあの国じゃ、正義感の強い兄は迫害される運命を辿るだけでした。でも、兄はそれでも構わないと言わんばかりに、真っ直ぐな言葉をいろんな人に語りかけていました。妹である私も同じで……兄からいろいろ真っ直ぐな心を教えられました」
 フウロが語る昔のこと。特に飾り気なく、単純な言葉で語る昔。嘘だとは思えなかった。
「兄は努力家で勉強とかすごく頑張っていました。要領はあまり良くはなかったけど、でも自分が出来る事をやろうと必死で――私はそんな兄の姿を見るのが大好きだった」
「…………」
 いま語っている事、ただの兄の記憶だが、なんだろう、彼女の言葉からは兄に対する愛おしさと言うものが感じられる。本当に、兄が大好きだったのだろう。
「……戦争が激化していく中、兄はこっちの国に行くことを志すようになりました。こちらは治安もよくて正しくて、確かに兄が行くべき国だったと思います。でも」
 フウロは少し顔を上げる。無表情のままだった。
「兄は病に倒れました」
 カナスは語り続けるフウロを見つめる。彼女はどこに見ているのだろう。一体何を見てきたのだろう。
「兄の病は深刻でしたが、薬さえ手に入れば治ることが分かりました。そこで私は母と、薬の買い付けにアトロスエの首都へ向かったんです。薬さえ手に入れて、それを兄に飲ませれば助けることが出来る。そう前向きに考えて、危険な場所を通って、兄が喜ばないことも分かっていたけれど、それなりの手段だって用いた。それでやっと首都の一歩手前まで辿りついた時、私たちはある知らせを聞いて絶望しました」
 フウロは目を閉じ、声を少し震わせながら、続けた。
「国の重役を殺した人間を匿ったとして、その報復で私の故郷は――燃やされました」
「――!」
 思わず耳を疑った。そんな事この国ではまかり通るわけがない。だがフウロは、それを体験したのだ。そして――大好きだった兄を失った。
「……もうそこからは、私たち二人逃亡の旅ですよ。国は国を挙げてあの島の人間を殺そうとしましたから。全員抹殺しなければ、いつか復讐されると考えたのでしょう。でもたった二人――親子二人になにができるだっていう、ね」
「それでお前はこの国に来た。そうなのか?」
「そんな感じですかね。その間にもいろいろあったんですが、ま、それは今言う必要はないでしょう。まだ私は研修の身ですしね」
 フウロはそこではじめて笑い、カナスに顔を向けた。あの極限の状況で見せた優しそうな笑顔だった。
「あと少しで私の研修も終わりですね。結構短かったなあ。とりあえず二週間は食べていけたしまあいっか」
「……お前、辞める気でいるのか?」
「まさか。ただあれですね、私ってホラ男より数段強いじゃないですか。そういうの見られると、屋敷の主人とかにドン引きされるんですね。そして辞めさせられるって言うか」
 楽観的に話していた。今まで彼女を辞めさせていた主人たちの気持ちも分からなくはない。あの「強さ」以外にも、彼女は不気味なほど優秀だった。何処かの密偵と思いこまれた例もあるのかもしれない。
「私を採用するかしないかは旦那様が決めることです。私はその処遇に文句は言ったりしません」
「…………」
 カナスはフウロの顔を見た。顔だけは、まだ十七歳の少女だ。この少女があんなにも多くの人間をなぎ倒せるのだから驚きだ。彼女が今までどんな人生を歩んできたのかはまだはっきりとは分かっていない。彼女のことを、自分は全く知らない。
「何で話した。兄のこと。お前、昔のこと聞いても適当に流してたじゃないか」
 フウロから、目を背けたくなるような現実を感じる。目を逸らしたくなる事実を感じる。そしてそれは両方とも、知らねばならない真実だとカナスは感じていた。
「変ですけど、ちょっと……兄に似ていたんです」
「誰が? ……俺が?」
「あなた以外誰が居るんですか。それに似てるって言ってもほんの少しだけですよ。堅物なところぐらい」
「…………」
 フウロは空を見上げて笑う。死んでしまった、病から助ける前に殺されてしまった兄を思っているのかもしれない。
「あなたを見ていて思い出した。それだけの話ですよ」
 カナスは昔のことを思い出した。父に実母のことを聞いた時、父もまた空を見上げていた事。父は心から母を愛していた。だから失って辛かった。母もカナスと同様に心臓に疾患を抱え、出産は諦めてくれと言われていた。それでも構わず母は自分を生み――死んでしまった。
 自分は二人も母を殺してしまった。そんな負い目が、今でも胸を締め付ける。フウロも同じなのかもしれない。兄を助けられず殺させてしまったことは、フウロにとって殺してしまったのと同じことなのかもしれない。
「……その様子じゃ、しばらく顔の傷は取れませんね」
「ん? ああ、これか。仕方ないよ、名誉の傷を思うしかない」
「馬鹿ですかあなたは」
「馬鹿って何だよ急に」
 フウロは笑いながらゆっくり歩き出す。
「体傷付けてもロクな事がないって意味ですよ」
「仕方がなかっただろこれは」
「仕方なくありませんよ。とっとと私を起用してくれればよかったのにぃ」
「何でお前は常に上から目線なんだ」
 そういい合いながら、カナスとフウロは屋敷へ戻る。
「それにしても散々ですねお屋敷。装飾品は後でまた揃えればいいですけど、壁に撃ち込めれた弾丸は……」
「……あの屋敷な、実は壁が簡単な二重構造になっているんだ。最初から篭城戦を想定して造られていて、次襲われても怪しまれないように壁の一枚目が取り外し可能になっているんだ。つまり……いくらでも誤魔化せる。その一枚目をとれば、昔打ちこまれた弾丸の後とか結構残ってる」
「……うわぁ」

 カナスは退院してすぐに仕事に取り掛かった。仕事中嫌いな電話がまた掛かってきて、何だと思ったら、相手は新聞社だった。実は一夜明けてアーベンジの企みを明白化させたことでカナスは有名人となっており、そのことで取材をしたいのだという連絡だった。当然、カナスは断った。言ってしまえば、あんなことをただの保身のためにやったことだし、正義感のための物ではないのだ。
 リド達に顔の傷のことを馬鹿にされたが、今度はテオボルトに一喝されリド達は黙った。事実この家を守るために顔に傷を付けたのだ。馬鹿にしてはいけないとテオボルトは強く叱りつけていた。リドはともかく、ニーナやスフォリアは反省していた。
 それからしばらくは平穏で、また何度か新聞社から取材の依頼の電話がかかってきたがそれ以外は特に変わったこともなく、カナスは仕事に打ち込み、弟たちの世話をし、そして趣味の射撃をする日々を繰り返していた。
 ある朝、食事中カナスは
「皆、突然で悪いが聞いてほしい」
 珍しく自分から話し始める。周囲の注意を一身に受け、カナスは全員がこちらを見たのを確認して、内容を切りだした。
「フウロの進退についてだ」
 フウロの方に目線を移す。いつものとぼけた顔を見せていた。再び周りに目線を移し、続けて行く。
「この二週間を経てどう思ったかと聞かれれば、正直不気味だと思った。行動一つ一つがはちゃめちゃだし、明らかに度を超えて優秀だし、それに先日の件――俺は命を救われたけど、心のどこかでは怖いと思ったよ。でも」
 カナスは思い起こす。今まで彼女が言っていた言葉を。それはいつだって、ある一言で表せる言葉だった。
「フウロの言っている事はいつだって正しかったように思うんだ。誰に対しても容赦なくはっきり言う。ストレートに言い放っていた。俺はこういう存在が、一人は必要なんじゃないかなと思う」
 テオボルトやアビの顔つきが変わる。カナスの言葉の意味が汲めたからだ。それでも余計な口出しはせず、カナスの言葉に耳を傾け続ける。
「これからどうしていくかとか、こいつには本当に謎が多いしどうにかしていかなくちゃいけないことぐらい分かっている。何しでかすか分からないって不安もあると思う。でも、それぐらい……責任は取る」
 そしてそこで初めてはっきりと口に出す。カナスは、少し声を張った。
「――フウロ・ヲーリオンを正式採用する。今日から正式に、フウロはこの家の使用人だ」
 その言葉を聞いて、フウロはほんの少しだけ驚いたような顔をした。でもすぐに切り替えた。一瞬だったから、誰にもその顔を見られてはいなかった。そして、食事部屋は
「やったあぁぁ!」
 と言う、スフォリアとニーナの声で響いていた。
「じゃあ、じゃあ、フウロはここにずっといてくれるんだね! やったやったあ!」
 二人の妹はまだ食事中なのに立ち上がってフウロに駆け寄り、抱きついた。
「フウロ、フウロ! よかったね! ずっとここにいられるんだよお!」
「ねえねえまた面白い本を教えてよ!」
「あーあーこらこら。まだお食事は終わってませんよぉ? あんまりこういうことしていると、お兄様に怒られてしまいますよ」
 フウロの注意に、二人はぎょっとする。恐る恐るカナスを見ると、呆れ半分に溜め息をついていた。このまま続けているとまた怒られそうだから、渋々フウロから離れて行った。
「……食事終わったら、また勉強に付き合ってやってくれ」
 小さな声でカナスはフウロに伝えると、フウロもまた小さな声で「承知しました」と笑いかけていた。

 使用人のリストを書き換えるためにタイプライターを取り出し、印刷する為の紙が入った袋を取り出した時、折りたたまれた別の紙がひらりと落ちた。なんだろうと思い開いてみると、そこには直筆の手紙があった。
『坊ちゃまへ。楽しくやっているでしょうか。この手紙を読んでいる頃にはきっと私はもうこの屋敷を去っているのでしょう。そんなことよりも、私は伝えたいがあります。戦争が激化し、国のために役に立ちたいと強く願っている坊ちゃまの事です、きっと自分の身を危険にさらす事を厭わないでいると思います。ですが、あなたを思う人は一人ではないことをどうか忘れないで。失うものなど何もないと思い込んで、突っ走ってはいけませんよ。もうばあやは坊ちゃまの将来にとやかく言うつもりはありません。ですけど、これだけは分かって欲しくて筆をとりました。そして最後に……今まで、本当にありがとうございました。 シルヴィアより』
 手紙を読み終わると、何故だか不思議と笑みが出てくる。この手紙はカナスに宛てられたものだ。けれど
「坊ちゃんって……俺もう十九なのに」
 幼い頃、シルヴィアはカナスに対してそういう呼び名をつけていた。成長していくにすれて恥ずかしくなったカナスはやめてくれと本人に伝え、それ以降はずっと「カナス様」だったが、この手紙の中じゃ、結局カナスはシルヴィアにとっての「坊ちゃま」であるようだ。
「恥ずかしいんだって、だから……」
 カナスはシルヴィアの想いやりに、思わず胸が熱くなる。改めてシルヴィアと言う女性の存在は大きかったのだと実感が沸いた。カナスは手紙を引出しにしまい、改めて紙を二枚取り出すと、机の上のタイプライターと向き合った。
 一つ一つ文字を打ち込む。使用人の名前だ。一文字一文字、誤字脱字がないように打ち込んでいく。今からが本当のスタートだと思った。シルヴィアのいない日々、新しくやってきたハチャメチャなメイドのいる日々、これからどうなっていくか分からない日々。新しい日々が、繰り返されていく。これからどうなっていくのだろうとか、明日に過剰な期待を持つ時代は、カナスは終わっていた。それでも、新しくなる日々にこれから変わっていくために、ほんの少しだけ、明日に期待は持っておこう。
 最後に「フウロ・ヲーリオン」の名前が紙に刻まれ、その紙は仕事部屋の掲示板に張られた。これからどうなっていくか分からない。分からないから――良いのかもしれない。



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