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任された仕事を全て終えた俺は、うきうきと生徒会室に戻った。
生徒会室の扉を開けて中に入るが、想像した姿はなく。そっと奥の仮眠室の扉を開けると、未だ眠っている先輩の姿がそこにあった。
ぱちっと室内の電気を点けるが、先輩の反応はなかった。
先ほどとあまり体勢は変わっていない。強いて言うならば、布団に頭を半分うずめたせいで髪が額から流れて額が見えていた。
うん、かわいい。かわいいけど、そろそろ起きてほしいかなあ。
つん、と頬をつついてみる。柔らかかった。
寝不足はお肌の敵とか聞くけど、不摂生だった割には先輩の肌、きれいすぎないか……!?
毎晩ぐっすり寝ているのに少し荒れている自分の肌と比べて落ち込んだ。
いっそのこと堪能してやる、と再度先輩の顔に手を伸ばし、するりと手を滑らせてみる。うん、触り心地がいい。
ふに、と頬をつまんでみたら、先輩の瞼が揺れた。
反射的に手を引いて一歩後ろに下がった。肩まで両手を上げて無実ですよ、とアピールしてみる。
「ん……、ぅ……?」
ゆっくりと開かれた瞳が、ゆらゆらとさまよう。
近いところから自分の手元。ベッドの傍に立っている俺の足を捉えて、そのまま上へ。そして俺の顔を捉えた目が、ぱちくりと瞬いた。
「おはようございます、先輩」
にこりと笑って小さく手を振れば、先輩が勢いよく起き上がった。そしてベッドに手をついて、ゆらりと揺れた髪の隙間からじとりとこちらを見ている。
「──ッ、樋口、お前……図ったな」
寝起きとはいえ、少しつり上がった目に睨まれるのは迫力があった。
もっとひどく怒られると思っていたから、先輩の恨めしそうな目に、思わずへらりと笑ってしまった。顔色が一層良くなっていることも加わって余計ににこにこしてしまう。
「でも、ゆっくり眠れたでしょう?」
問えば、先輩は無言のまま気まずそうにふいっと視線を逸らした。
その反応に、俺は顔のにやけが止まらない。
「……顔がうるさい」
精一杯の暴言を口にした先輩は、諦めたようにため息をひとつ零した。足元の布団を剥がしてベッドから立ち上がる。
「いま、何時だ」
「17時半を過ぎたくらいです。先輩、4時間ほど寝てましたね」
「よじかん……?」
4時間って何時間だって言いそうな空気まである。
寝起きの先輩っていつもこんな感じなのかな。
つい、と足を生徒会室に向けた先輩はそのまま仮眠室を出て行った。
いつもと異なり、少し緩やかな雰囲気をまとった先輩が珍しくて目で追ってしまった。慌てて先輩を追いかける。
「樋口。俺にこんなことをしたってことは、もちろん仕事は終わっているんだろうな?」
気を取り直した先輩に、にやりと視線を向けられる。
それに頷いて、各委員長からの書類とメモを先輩に渡した。
先輩はそれらに目を通しながら、俺からの伝達に耳を傾けている。
最後に風紀委員長からの会議要請について話せば、先輩の顔が引き攣った。
「……待て。風紀委員会にも行ったのか?」
「はい、もちろん」
「風紀には俺が行くと言っただろうが……」
先輩のきれいな形の眉が、眉間にぎゅっと寄った。
「あいつのことだ、生徒会について何か言われただろう」
「まあ、はい……お小言をもらいましたね」
そう返せば先輩はやはりな、とばつの悪そうな顔をした。
「でも……どちらかと言えば、委員長は先輩のことを心配してましたよ」
「……は? 風紀委員長が?」
「風紀委員長が」
「………………そうか」
フォローしたつもりが、先輩の眉間のしわが濃くなってしまった。
「……まあ、それは置いといて。あとは何が残っている?」
切り替えた先輩が、ふいっと顔を上げた。
「急ぎのものだと、父兄向けの生徒会だよりですね。原稿の期限が明日の昼になります」
直近の締め切りを伝える。他にも急いだほうがいいものはあるが、今週中に方をつければいいので今は後回しだ。
「わかった。まずはそれを終わらせてしまおうか」
返事をしながら事務机に向かった先輩は、椅子に座ってパソコンの電源を入れた。
◇ ◆ ◇
下校を促すチャイムが鳴ったところで、ちょうど原稿が書き上がった。あとはこれを生徒会顧問に提出すれば完了だ。
メールを立ち上げて、ファイルを添付する。タタタ、と件名と内容を簡潔に打って、送信。
顧問はいつも下校時間ぎりぎりまで職員室にいるから、直しが必要ならすぐに折り返してくるだろう。
ちらりと樋口を見ると、出したままになっていた資料を片付けていた。
……任せた仕事が終わったのなら帰っていいのに。
樋口は俺が終わるまで待つと言って、書類整理を始めた。書類の分類から始まり、出したままになっていた過去の資料をファイリングし直して棚に戻している。
さっきちらりと見た棚は、項目ごとにきちんと分けられていて感心した。
乱雑としていた生徒会室が、見違えるように整頓されていく。ちゃんと、周りが見えるようになった。
ピロン。音が聞こえて確認すれば、顧問から確認した旨のメールが来ていた。よし、今日のノルマは終わりだ。
通知音に反応した樋口が持っていたファイルを片付けて寄ってきた。
「終わりました?」
「ああ。帰ろうか」
「はい!」
樋口が食い気味に返事をしてから、アッと声を上げた。
「俺、鞄を教室に置いたままです」
「取ってくればいいだろ」
「えっ」
声が上がったことに首を傾げれば、何故かきらきらした目を向けられた。
「待っててくれるんですか!?」
「え、ああ。お前のことだ、一緒に帰るんだろう?」
「もちろんです! すぐに取ってきます!!」
言うが早いか、樋口は勢いよく生徒会室を出て行った。
そんな樋口を見送って、ドアが閉まると同時にふうと息を吐く。
注意する間もなく樋口が走って出て行ってしまったから、本当にすぐ戻って来るだろう。
俺はパソコンの電源を落として、帰る準備を始めた。捌き切れなかった数枚の書類も一緒に鞄を入れる。
──あれだけ滞っていた仕事が、たった半日で目処がつくまで終わるなんて。
改めて室内を見渡す。
整理整頓された部屋は、見ていて気持ちがいい。
……正直、樋口が来てくれて助かった。ひとりでは、どうにもできなかったから。
樋口が片付けてくれた机には、提出期限が近いものから順に書類が並べられている。その中から今週が期限のものを取って自分の机に置いた。
次にやらなければいけないことが明確だ。筋道が見える。迷子にならずに済みそうで安心した。
椅子に掛けておいたブレザーを羽織る。そろそろ樋口が戻ってくるかな。
「お待たせしました!」
声とともに勢いよく開いた扉から樋口が入ってきた。
息が上がっている様子に、全力で往復したのかと苦笑する。
「そんなに急がなくても、置いていかないって」
「ありがとうございます! でも先輩をあまり待たせたくなかったので」
相変わらず、いい笑顔だ。
樋口は乱れた髪や服を直しながら、俺の机を見た。
「あ、書類わかりました?」
「ああ。助かる」
仕分けしてくれた礼を言うと、樋口の顔が緩んだ。しかし、俺の手元に視線を移した途端、眉間にしわが寄った。
「……先輩。まさかとは思いますが、仕事を持ち帰ろうとはしてないですよね?」
ぎくり。気づかれると思っていなかったから油断した。
俺の肩が跳ねたのを見て、樋口は「やっぱり……」と言って近寄ってきた。
するりと鞄から書類が抜かれる。
「これ、別に急ぎじゃないですよね」
さっきとは違う笑顔を向けられて、気まずくて視線を逸らしてしまった。
「もしかしなくても先輩、寮でも仕事してたんですか?」
「まあ……うん。そうだ」
樋口からの呆れた視線が痛い。
「責任感が強いとは思ってたけど、ここまでとは……」
「なんだ?」
「いえ、何も」
にこりと笑った樋口は俺から取り上げた書類を作業台に置いて、帰りましょうと俺の背中を押した。
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