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「さて。京ヶ瀬先輩、俺、お手伝いに来たんです! 俺でもできることはありますか?」
土鍋の中身が半分ほどに減ったところで、樋口がそう切り出した。
元気良く、満面の笑みで。
どうして樋口がここに来たのか疑問に思っていたが、手伝うって……。
「……なぜ」
問えば、樋口はきょとんとした顔を傾げた。
「なぜって、先輩が大変そうだからです。先輩、忙しい時は食堂に来ないじゃないですか。時々来ないくらいなら許容できるんですけど、転入生が来てからというもの先輩を見かける頻度が減って、特にこの2週間、ずっと先輩を見つけられてなくって。それに気づいた瞬間、俺、めちゃくちゃ落ち込みました。本音を言えばずっと先輩を見ていたいんですけど、学年が違うから食堂で先輩を見かけるのが毎日の楽しみなんです。今日は何を食べるんだろうとか、美味しいかなとか。先輩、けっこう表情に出ますよね。普段のキリッとしている顔もカッコよくてもちろん好きなんですけど、ふとした瞬間に表情がほころぶのが堪らなくて。先輩、俺、もっと先輩のいろんな顔が見たいです。なので、また食堂に来てもらうために、雑用でも何でも、手伝えることは何だってします。仕事を片付けてしまえば、先輩は食堂に来られますよね」
理屈が通っているはずはないのに、妙な説得感があるのはどうしてだ。というか。
「……告白、か? それは」
「そうです」
「いい切るのか……」
なんだか、悩みの種が増えた気がした。
◆ ◇ ◆
あの後、先輩を手伝いたいと強引に迫った結果、俺は臨時の生徒会補佐という称号を与えてもらった。
補佐と印字されている腕章を着け、教員室に書類を届けた。ついでに、臨時役員になったことを生徒会顧問に伝えると、了承を得られた。
これで名実ともに、先輩を手伝える。
そう思っただけで、俄然やる気が湧いてきた。
るんるんと軽い足取りで生徒会室に戻ると、先輩は書類を片手に船を漕いでいた。
先輩は大丈夫だと言って書類整理をしていたが、腹が膨れたら眠くなるのは当然の生理現象だ。加えて無理を続けてきた先輩の体は休息を求めているわけで。
「きょーがぁせせーんぱーい。ソファーでうとうとするくらいなら、しっかり休んでくださぁい」
静かに呼びかければ、先輩はゆったりとした動きで体を起こした。ほとんど開いていない目で俺を捉えると、ぎゅっと眉間にしわが寄った。
「……いや、元々俺の仕事なんだ。お前に任せきるのは……」
そんな眠そうな声で言われたって、説得力は微塵もない。
「もー、そんなこと言われたら補佐の仕事がなくなっちゃいますって。心配しないでください、さっき先輩にリストもらったし、必要なものはもう先輩が用意してくれていたじゃないですか」
「分担すれば、早く済むだろ?」
「──ああもう、そういうところですよ……」
俺が惚れたのは。
口をついて出たのは、閉じ込め損ねた告白。
自分のことを後回しにして、どうしてそこまで他人を気にかけられるんだ。
「俺は、書類を各所に届けるくらいしかできないんですから、それくらい任せてくださいって。伝達事項もちゃんと頭に入れたし、簡単なおつかいじゃないですか」
そう伝えても、納得いかないような表情をされた。
俺は先輩に休んでいてほしいだけなんだけどなあ。
手分けを、と言い張る割に、先輩はソファーの背もたれに寄りかかったままだ。立ち上がる体力だって残っていないのだろう。
どうしたら、休んでくれるだろうか。
途方に暮れそうになって、自分の両頬を張った。
「失礼します」
一言断りを入れて、先輩の隣に腰を下ろした。
少し驚いた顔をした先輩を、しっかりと見据える。
「先輩は、すごいっすね」
──先輩への想いが溢れそうになるのなら、いっそのことぶち撒けてしまえ。
その間に、先輩を休ませる手立てを考えればいい。
突然何を言い出すんだ、とでも言いたげな先輩を遮って、口を開く。
「先輩がずっと頑張っていたの、俺はちゃんと見ていましたよ」
「──え、」
ぽかんとした顔が可愛くて、思わず微笑んだ。
「俺が初めて先輩を見たのは入学式でした」
壇上に上がった生徒会の会長に、周りが歓声を上げたのを覚えている。つられて見上げれば、美形揃いの生徒会の中でも目立つその容姿に目を奪われた。
マイク越しでもわかる、よく通る声。新入生を見渡すようにゆっくりと動く瞳は、強い意志を持っているようで、輝いて見えた。姿勢も良く、堂々とした立ち居振る舞いに目が離せなかった。
一瞬で人を惹き付けられる人物が、こんな身近にいるとは思わなかった。結局、会長がステージを下りて姿が見えなくなるまで、俺はずっとその姿を目で追った。
その日から、会長を見つければ所構わず姿を追っている。
学年が違うため、廊下ですれ違うことはほとんどなく。
席替えで窓側の席になったときは、グラウンドで体育の授業を受ける会長を見つけて興奮した。一生この席から動きたくないとさえ思った。
生徒会の会長になるくらいだから、成績はいいのだろうと思っていたが、それが体育でも発揮されるなんて。球技はもちろん、陸上種目もいけるのか。なんてこった。
入学式からずっと会長を見聞きして、あの人に不可能なことはないのでは、と思い至った。
新入生歓迎会──という名の全校生徒でのかくれ鬼──でも会長のことを考えていた俺は、木の根につまずいて派手に転んだ。
『ッ、いってぇ……』
手のひらを擦り抜いた上に、運悪く足首を捻った。
リタイアしたくても痛くて歩けず、友達に連絡しようにもスマホは充電が残り1%で。
しかもそこは校舎裏の人目につかないような場所、加えて木の陰。
這って行ったところで見つけてくれる人がいるかも分からない。
どう考えても万事休すである。
もう開き直って、終了まで待つしかないか。終われば点呼があるし、いないとなれば探してくれるはずだ。
うん、友人が来てくれることを願って大人しく待っていよう。
『──おい、大丈夫か?』
早々に動くことを諦めて木に寄り掛かっていたら、頭上から声が聞こえた。見上げると、眉間にしわを寄せた生徒会長がこちらを見ているではないか。
いるはずのない人物の登場に、思わずぽかんと口が開いた。
想い続けたせいで、幻覚かと思ったからだ。
反応のない俺に困ったように笑った会長は、俺の前にしゃがむと、俺の腕を掴んでひょいと背負った。
あまりにも鮮やかな動きに、背負われた俺は開いた口が塞がらなかった。
我に返ったのは保健室のベッドの上。
会長が保健医に俺の手当てを指示しているのを聞いた気がする。テーピングされていく手のひらや足首よりも、保健室を出て行く会長をずっと見ていた。
困っている生徒に手を貸し、恩に着せるようなことはせず、況してや見下すこともなく、当然のようにやってのけるなんて。
なんだ、あれ。かっこよすぎないか。
勉学だけじゃなく、人格まで完璧なのか。参った、完敗だ。
今まであまり他人に関心を持たなかった俺は、これまで以上に会長に、いや、京ヶ瀬先輩に、夢中になった。
それからは、先輩を探すことに拍車がかかった。食堂以外で先輩を見かけた日なんて、それだけで天にも昇る心地になる。
部活が休みの日は、先輩とすれ違えないかと校内を歩き回ったりもした。部活帰りに自習室にいる先輩を見つけたときは、奇声を上げないように口を押さえるので精一杯だった。
先輩は、生徒会の仕事がないときは図書室か自習室で遅くまで勉強をしている。
部活上がりが学舎の施錠時間と同じなので、時々帰寮する先輩と一緒になることもあった。
そんな日は、一日の疲れが吹っ飛ぶんだ。
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