夏の名残

!ATTENTION!
*twst二次創作
*捏造ハーツラビュル寮注意
*トレケイ
*息をするように悲恋
*本編と星イベの情報のみで執筆。パソスト完全未開放。
*若干日の名残りパロ



宙に浮いた青春







 それが俺たちの終わりだった。
突き抜けるほど青い空の下でお前の翠の瞳がやけに深くきらめいて。滴るような激情がほとばしったその瞬間、俺は来たるべき痛みに備えて目を瞑った。殴るのは俺じゃないのか。ちり、とまぶたが焦げたように引き攣って、それでもどこかこれが当然だったような気がした。
「あのね、トレイくん。マジでそういうとこ」
ふっと張り詰めた空気が解け、平手の代わりに俺を優しく突き放した声が風にたなびく。拍子抜けして瞬いた視界にはやっぱり一面の、あお。寮服の白が眩しくて、逆光の中つっと歪んだ顔は見えなかった。
「オレ、トレイくんが何考えてるのか全然わかんないよ」
「それはお前も同じだろ」
焦燥と苛立ちばかりが募って、口をついて出た言葉は醜い形のまま転げ落ちる。お前はいつだってそうだった。俺のことを、一度たりともその懐に入れてくれたことなどなかったくせに。
「もう一回訊くよ」
わずかな間が落ち、なんでもないことを装った言葉は押し出される。
「オレが女の子と出かけること、なんとも思わないの」
やけに平坦な語気がわずかに震え、翡翠の瞳がより深みを増して滲んだ。
ああ、その言葉を聞いた時、俺は確かに恋人が傷つき、怒っていることを知ったのだ。でも、だからどうすればよかったのだろう。どんな色で塗り潰すのが正解だったのだろう。俺たちはいつも背中合わせだった。今更互いを縛るなんてルール違反、俺たちトランプ兵には恐ろしいことに思えて。いつだって互いに不干渉の一線を引いてきたのに、それを今更。
「言ったろ、俺にお前を引き止める権利なんてないからな」
俺は淡々と繰り返した。
翡翠に大きな亀裂が走る。酷く傷ついたようによろめいた彼は今度こそぐらりと倒れそうに見えた。
「弱虫」

 別れなんてこの世界にありふれている。
なのにあの日胸に吹き込んだすきま風が、今も俺をしんとさせるんだ。

・◇・◆・◇・


夏の名残




・◇・◆・◇・

 長い夢を見ていた気がする。
思い返せばなんでもない馬鹿ばかりをやった。今となっては、どれが間違いだったかも判然としない。だが、それでいいのだと思った。
 それでも思い出は胸を刺す。人はいったい幾つの過ちを犯して今を生きるものなのだろうか。


 始まりはひどく単純なことだったように思う。それは些細なことの積み重ねの果てに生まれた渇望だった。存外几帳面に整えられた寮のベッドのシーツとか、手作りの茶菓子を飲み下したあとのバツの悪そうな笑顔とか、そんなありふれたことの。同じ部屋の端と端を分かち合って暮らした一年と数ヶ月、俺はこの一見軽薄な男の酷く繊細な内面を何度も覗き見るはめになった。

 わかりやすいヤツだった。僅かに鼻に寄せたしわ、小さくひきつる頬。人はそれを笑顔と呼んだかもしれない。笑わせるよ、本当に。それはいつだって、器用を装ったこの男の不器用な道化だった。言いたいことを言えばいいのに、肝心なところで言葉を飲み込むその悪癖は、そのまま彼の臆病さを表しているようで。
 あれはいつだったか、夕食後の寮の談話室で同級生たちが下世話な話をしていた時のこと。彼らのあけっぴろげな猥談に軽快な声をあげて笑ったあいつは、流れるような仕草で立ち上がってこう言った。
「ごめん、ちょっとタンマ。お手洗い行ってきていーい?」
その言葉にわっと沸き立った彼らに囃されて彼は曖昧に頷く。馬鹿な奴。おどけたジョークでかわすその頬がどこかぎこちなく引き攣ったのを見て、俺は折を見てさりげなく後を追ったのだった。


「あれ〜!トレイくん、迎えにきてくれたの?」
やけにのっぺりと張り付いた笑顔がひょっこりと廊下の角から現れる。
「悪いな、オリジナルはどうしてる?」
にこやかにそう返せば、「それ」はぞっと表情が抜け落ちたように俺を見つめ返した。ややあって、踵を返した背が俺の横を通って寮の階段を登る。思った通りと言うべきか、正反対の廊下に出た俺たちの間を気まずい沈黙が支配していた。ケイトであってケイトでない、人ならざるこいつとの関わり方を、俺はまだよく知らなかった。


 ケイトは共同寝室の自分のベッドで虚空を見つめていた。液晶のブルーライトが暗闇の中で強ばった顔を照らす。
「目、悪くなるぞ」
開いたドアの隙間から迷った末にそう告げれば彼はこちらを向いて驚いて目を瞠る。同時に、俺の後ろについてきていた「それ」はぼふんと音を立てて霧散した。後にひらひらと一枚のトランプが舞う。ダイヤのケイトが翻って床に張り付くのを横目に見ながら、俺は部屋に乗り込んだ。
「お前ってやつは。苦手なら言えばいいだろ。それかスルー」
ため息混じりに零した声は面白がるような響きを孕む。
「……なんでわかっちゃうかなぁ〜」
俺の手が触れて反射的に竦む肩。液晶の中の同じ画面を長いこと見つめていた横顔。
「なんならこの前の外出日、本物のお前が保健室で寝てたことも知ってる」
「うわ〜悪質……」
「で、理由はなんだったんだ?」
「どうだっていいでしょ、そんなこと」
暗闇に沈んだ白い横顔がぼうっと浮きあがる。
その孤独を暴きたかった。
いつだって、俺の隣で泣かせたかった。
でも、なぁ、お前の心にぽっかりと空いた空洞はどうせお前だけのものなんだろう。部外者の俺にあれこれ口出しされるまでもなく、それはお前の生き方なんだろう。
だったら俺はその背に寄り添うから、だからその荷をわけてはくれないか。お前の生きづらさを俺にも背負わせてくれないか。
声にならない感情の奔流が押し寄せて、俺は戸惑いながら立ち尽くした。

「……なんでここに来てくれたの」
静寂にぽつり、と囁き声が落ちる。
「お前がどこにいても見つけるよ」
その瞬間、ものすごい勢いで振り返ったケイトの目が今にもこぼれ落ちそうに瞬いた。
「うわ!?ど、どうし……」
「今の、もっかい言って」
「……嫌だね」
「ケチ」
「なんとでも言えばいいさ」
他愛ない軽口がどこか上滑りしているようで、落ち着かない。居心地の悪さに腕を組みなおした俺の横で、ケイトが枕に顔を埋めた。
「そんなの、勘違いしそうになるじゃん」
頼りなげなその声が、息遣いが、どうしようもなく腹正しくて。

「……すればいい」
 ハンプティダンプティ、落っこちた。俺は天井を仰ぎたい衝動に駆られた。咄嗟に転げ落ちた言葉に卵が割れる音がする。気まずい沈黙が二人の間を支配して、今度こそ面食らったような顔をした友人の視線から逃れるように俺は無意識に腕を組みかえて唸った。
「あーこれはだな」
言い訳はびっくりするほど浮かばなかった。この間抜け野郎。どう足掻いても取り返しがつかないことは明白で、口を開いては閉じを繰り返しては打開を試みてうだうだ唸っていたその時、固まっていたケイトがぶはっと吹き出して腹を抱えて笑い始めた。
「トレイくんでもそんなふうになること、あるんだ」
ぽかんとしている俺の前で心底楽しそうに声を上げながらケイトは肩を震わせ、やがてケットの端をぎゅうと握りしめて項垂れた。
動かなくなった肩を軽く抱き寄せて隣に腰をおろすと、思っていたより華奢な身体が小さく跳ねる。
「そろそろ限界だったのかもね」
驚くほど平坦な声が溢れた。そのらしくなさに腹の中に仄暗い喜びが湧きあがった。
「言いたいことを押し込めるからだろ」
「あはは、トレイくんがそれ言っちゃう?」
そうだよ、俺がそれを言うんだよ。半ばヤケだ。薄い肩をさらに堅く抱き寄せて、俺は飾らない言葉を宙に落とした。
「見えないから、」
傍らの熱が甘い。
「今なら泣いていいんだぞ」

 こてん、と肩に寄りかかる頭の重み。さらりと流れた長めの髪が、少し震えたぬくい息が、首筋にあたる。彼は笑った。
「泣けないや、トレイくんがあったかいせいで」

 俺たちは笑った。お互いが許せる瀬戸際まで触れ合ったこの夜のままで、ずっとずっと、この温もりを抱えて微睡んでいたかった。

「あー、なんかもう、うじうじしてたのが馬鹿らしくなっちゃった」
トレイくん、このあと暇?
ややあって、そんな何気ない調子でやけに上擦った声が跳ねる。
「暇も何も、三十分後には消灯だな」
「よし、外行こう!外!」
「はあ!?」
なんの脈絡もなく放たれた声と共に、がらりと押し開けられた窓から突風が吹き込んだ。
「──おい、ハートの女王の法律第797条、夜間森に立ち入るべからず!」
「どーも、我らが副寮長!どうせ適当に言ってるくせに!」
負けじと張り上げた声はどちらも風に攫われて。意外だった。お前、そんな風にはしゃげたのか。思わず胸に浮かんだ言葉は、窓枠に足をかけたこいつのために、ついぞ口から出ることはなかった。ここは一階だ。一階だが、窓から地面まではそれなりの高さがある。
「おいおいおい!馬鹿じゃないのかお前!」
「いいじゃんいいじゃん!今日くらい揃ってオフられよ」
「なんだそれ」
「オフ・ウィズ・ユア・ヘッド!」
「略すなよ!」

 そこからはもう、はちゃめちゃだった。髪についた芝生の草を気にもせず二人で森を歩いた。笑い声が弾けて、酩酊した気分を味わった。それでもクリアな思考でどうやって相手に触れるかばかりを考えた。そんな、馬鹿をやった。
意味もなく駆け出して、転がって、闇夜に寮の窓明かりが渦巻いて輝いて。光の洪水が俺たちを馬鹿にした。

「そこに居て。」
 俺たちはその時、確かにこの広い世界の片隅で二人きりだった。ひとりぼっちふたりの幸福な形がそこにあった。



・◇・◆・◇・


「それで、元気にしていたか」
「うん、ぼちぼちかな」
 目の前の男はあの頃と変わらない笑みを浮かべてカップを置いた。テラス席の端に雨粒を運んだ風がその柔らかな髪を巻き上げる。ここのところ珍しい、穏やかな風だった。少し目じりの笑い皺が増えただろうか、それでもあの頃のまま老いたような笑みに深い感慨が湧き起こる。俺はこの空白を探しにやって来たのだ。ふとそんな思いにとらわれて胸がざわついた。喪われた十五年を埋めるには到底及ばない「変化」の断片は至る所に散りばめられ、それでも変わらないあれやこれやが酷く肌に馴染む気がして目眩がする。暫し言葉を失った俺に、彼は少し笑ったようだった。
「ごめん、やっぱ中の席にしてもらう?」
「いや、オーニングもあるし、酷くなったらそうすればいいんじゃないか」
「それもそうか」
ぎこちない会話が宙を浮いて上滑りして、沈黙を運ぶ。いつかの夜みたいだ。それでいて、俺たちの距離はテラステーブルひとつ分も離れていた。
「痩せたみたいだな」
「そう?…トレイくんは変わらないね」
 あの日とは違う、雨の午後だった。それでも、あの日のように生ぬるい残暑の風が姦しいガキ共の喧騒をさらう、そんな日だった。刷毛で灰色のペンキをのせたような曇天の下、たった一通の手紙を手に俺はケイトに会いに来ていた。
『久しぶりにトレイくんを思い出したよ』
脳裏に焼き付いてしまった神経質な筆跡は、何度も何度も読み返したせいに違いない。
 笑えよ、たった一言のなんでもない言葉に踊らされてお前に会いに来た男を笑え。
あれほど会いたかった気持ちと、やはりこれで良かったのだという思いがもつれあって、いざ顔を合わせてみれば、何と切り出せばいいのかわからなかった。こんなときばかり思い返されるのはやはり今朝見た夢のことだ。
─────もう、十五年も経ったのか。
改めて思う時の流れに、物憂げに通りの方へ向けられた友の白い頬に、俺は戸惑っていた。

 あれからすぐ四年生に上がった俺たちは各地へ研修に赴いて、とうとう卒業まで会うことはなかった。思えばあの頃は妙に達観していたものだ。雪がちらつき始めた頃には、しんしんと心に降り積もっていた未練も恨みも、そんなものかと手放してしまえる自分がいて。春が巡る頃にはとんと音沙汰もなくなったあいつに、それでも思い出せば甘く軋む胸に、俺は乾いた心で自嘲した。
はじめから不毛な恋だったのだ。抱えきれない歪さを持て余したガキたちの、ほんの些細な気の迷いだったのだ。
 卒業式、何気なく見やった隣の晴れやかな顔。明るい鳶色の髪の下で片頬が引き攣って、お前は結局そういう男でしかないのだと、嗤って、嗤って、そうして息がしづらかったあの日の軽蔑。俺はお前を恨んだよ、ケイト。交差した視線が絡め取られたように吸い寄せられて、逸らすことも出来ずに当たり障りのない言葉を交わした。だが、その言葉はついぞ思い出せない。
涙でぐしゃぐしゃになったリドルの顔、ふざけて第二ボタンを要求してきた三馬鹿の笑い声。そんな記憶ばかりが鮮明だった。
あっけなくがらんどうになった俺の心の中は、それでも次の夏が訪れる頃には不思議と心地のいい静けさに充ちていて、だからやっぱり「ああ、そんなものか」と思ったのだった。


「トレイくんはさ」
からん、手元のグラスが小気味いい音を立てる。透き通るようなその縁を見透かすように睨みつけながら、目の前の男は軽い調子で口ずさんだ。
「オレに会えなくて寂しかった?」
「ないな」
あっさりと突き放せば、こいつは笑いながら頭の後ろに手をやった。生憎、未だにデュエットは苦手だ。
「あはは、きっついなぁ……」
それでも予想の範囲だったのだろう。彼は笑顔を崩すことなく再びコーヒーで唇を濡らす。
「────昨日、誕生日だったんだ、うちのお姫さまが」
知ってるかもだけど、そんな言葉と陶器のふれあう音。雨音と街路の往来が遠のいて、この世界は俺たちだけになる。
知ってるさ。お前の最新投稿は、カラフルなバルーンに囲まれた、翠の目の無邪気な笑顔と三本のロウソクだった。苺とアイシングに包まれたケーキはどこのものだかついぞ知らない。その当たり前が妙に胸を突いた。
「お互い、歳をとるね」
細められた目、上がったままの口角。変わったようで変わらない、穏やかな時間。
「そうだな、うちのもこの前五歳になった」
「見せてよ、写真。トレイくんてばマジカメ風景写真ばっかりじゃん」
「いいぞ、一枚一〇〇〇マドルな」
「え〜、減るもんじゃないでしょ」
くだらない会話、遠慮のないどつき合い。きっとこれは、ケイトの願望の詰まった時間だ。人生のわずかな時間を背中合わせで過ごしただけの俺らにとって、開きすぎた空白は埋まらない。だが俺は、そのとき初めてそれでいいのだと思った。それが俺たちの選んだ形なのだと思えた。



「あ、それ」
 別れ際、幾分か砕けて凪いだ顔が俺の手もとに目をやった。拝啓でも前略でもなく「久しぶり」とそれだけから始まるその手紙には、ちぐはぐなほど几帳面な文字で学生時代の思い出がこれでもかとばかりに詰め込まれている。空になったカップとグラスの間で、それは行き場をなくしてテーブルクロスに張りついていた。
 ああ、読んだよ。端がよれて折り目が弱るほど読んだんだ。読み返せば読み返すほど、ケイトがあの日夢見た空を懐かしんでいる気がして。だから俺は、ここにいる。
「…意外だったな。お前が手紙をよこすなんて。正直なところ、もう二度と会う気もないと思っていた」
その言葉に、長いまつ毛に縁取られた目が瞬く。なんと答えたものか、考えあぐねるように揺れた身体が椅子を軋ませた。
「ケジメ、かな」
「……そうか」
言わんとすることはなんとなくわかった。わかってしまった。
「そう。なんて言えばいいのかな、マジカメなんかで済ませていいものじゃないと思ったから?」
不恰好に動いた白い頬にかかる髪を弄りながら、あははと声を上げたこいつは、きっと笑いたがっているのだろう。そういう男だった。いつも華やかで、ナイーブで、それでも人畜無害な人気者でいないといけないと自分を戒めているような節があった。そうして、そんな自分でないと愛されないと思っているような男だった。

「幸せなのか」

「幸せだよ」

彼は逡巡し、そして笑った。落胆に近い安堵を、優しい風が攫っていく。
「そうか。────俺は、」
「うん」
「俺は、お前が不幸なのかと心配したんだ」
信号が赤になり、静けさが落ちる。雨音のベールに包まれて、十五年の時を超えて押し出された言葉は、酷く何気ない調子で宙に染みた。

「ねえ、トレイくん」
濡れたアスファルトが信号機のライトを跳ね返して輝くのを眺めながら、彼は口を開く。
「オレはね、時々考えるよ。あの日、トレイくんを試そうとしなければ、未来は変わっていたんだろうって」
「……それは、」

「捕まえていて欲しかった。オレだけが執着しているのが耐えられなかったんだ」
馬鹿だよねぇ。涼やかに笑んだ口元が震える。
「必要以上に求めなければよかった。オレは十分過ぎるほどにもらっていたのにね」

 それを聞いた時、俺は遥かの昔、何かを決定的に違えていたことを悟った。
過去は既に遠く彼方に駆け去ってその名残りは苦く、甘い。
「時々考えるんだ、もっといい人生いまもあったんじゃないかって。
── たとえば、トレイくんと一緒のね。そんなときなんだ、オレが昔を思い出すのは」
情けない微笑み。思いの外大きな音を立てて椅子が引かれ、机の上に小銭とお札が置かれる。
「忘れて、気の迷いだったから」
ばさりと開かれた長傘が影を落とし、俺の横をすり抜けて去っていく背中。俺は背後に呼びかけた。

「なあ、いるんだろケイト」

「トレイくん、オレはここにいるよ」
怪訝そうな顔をして「ケイト」が振り返る。
だが、同じように振り返った俺の視線は、そこを突きぬけて数歩先の木陰のベンチに向かっていた。
「ごめんな、俺が用事があるのはオリジナルの方なんだ」
唖然とした「それ」の顔はどこまでも痛快で。ケイトもそんな顔をしているんだろうと思って俺は笑った。
「言っただろ、どこにいても見つけるって」
わかりやすいヤツだった。あいつの懐に入ろうとしなかったのは、わかろうとしなかったのは俺自身だ。なんて愚かで単純なことだったんだろう。俺は自分で自分の視界を塗りつぶしていたんだ。

「もっといい今もあった?そんなのわからないだろ。すぎた過去は戻らない。俺たちはこの今を生きるしかない」
白煙になった手札ニセモノの向こう、ビニール傘の陰で緑に埋もれる鳶色の髪に、俺は目を細める。
「でも、案外それも悪くないだろ?」

 ゆっくりと虚空を舞うように落ちてきたトランプを指で挟んで裏返す。そこには、白粉で塗りつぶした顔を傾げて見つめ返すJOKERがあった。
ああ、とんだ道化者だよ俺たちは。
 俺はマジカルペンを頭上に向けた。願わくば、お前の歩むこれからに、ありふれた幸せの多からんことを。振り返った夢の後先に、俺たちの夏の名残があらんことを。
 雲が一瞬晴れ渡り、遠い空に虹がかかって霞む。再び優しく降り注いだ雨の中で、やっとあいつが泣いた気配がした。




『夏の名残』




-Special Thanks-
ケイトの娘ちゃんの呼び方を考えてくださった狂華さま【@nagikundangan 】に最大級の敬愛と感謝を!相談乗ってくださってありがとうございました…!
キャプションを考えてくださった&拙作に多大なインスピレーションを与えてくださった我が家のトレケイの教祖ナギリさん【@shirohanada_】にも最上の感謝と愛を捧げます。ありがとうございました……!




「夏の名残」緋鞠
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