グランドから見る景色は、やはり10年前とは違って見える。それは、多分背の順だったら最初から2番目とかで並んでいた私も成長して、ほんの少しだけど背も伸びたからだろうかと、そんな馬鹿なことを思い出していた。
「成長期、終わってるっつーの」 ぽつりと零した言葉は、静かな教室に響く。かーんかーん、と金属を叩く音。この丁度裏方に出来始めている新しいこの学校の学舎。真っ白い病院みたいなナリをして、ぴっかぴかの校舎に次の年に入る何個も下の後輩を迎えるらしい。そして、この校舎は今年一杯で取り壊しになるらしい。少し埃っぽい、窓サッシ。触ると、コーティングの剥げた木がささくれ立ってチクリと指に引っかかる。時折きしりと鳴る床は、上手くかけられなかったワックスが斑模様になって、夕日に染まる。それら全てもなくなってしまうらしい。そう思うと、ささくれが刺さったみたいな小さな衝撃が私をさんざんと追いやっていく。 ふ、と振り返る。呼ばれた気がした。誰も、いないのに。 ああ、今日は、似ている。昔、言いたかったことをいえなかった時間に似ている。肺腑の奥の奥までいきわたるように深い深い深呼吸をして、目を閉じる。 「答辞?」 「YES」 「へぇー…物好きね」 シャーペンをすらすらと動かして文章の羅列を書いていく。相変わらずキレイな字だ。下を向いていると、睫毛が顔に影を作っている。睫毛、長。うらやましくてじっと見つめていると、額にでこピンを食らう。じんわりと痛みが波紋のように広がって、何をするんだと睨みつけると、それはこっちの台詞だといわんばかりにジト目で見られる。 「Don't look so much。気になって仕方がねぇ」 「ええー。ケチ。睫毛の長さ半分よこせ」 「何の話だ」 「……あー、すっご。夕焼け」 頬杖をついて、窓から校舎とそこに広がる町並みをぼんやりと眺める。野球部が練習を続けていて、大きな掛け声を上げる。夜間照明が徐々に付いて来て、影が複数作られる。夕焼けの橙に染まる教室内は、後輩たちが作ってくれた花飾りが黒板の脇や教室の出入り口に輪飾りと一緒に飾られており、黒板の真ん中にはでっかく『卒業おめでとうございます』の文字。教卓の上に置かれている紙袋の中に、白い造花の小ぶりな花がたくさん入っていた。恐らく、アレは明日私たちがつけるんだろう。 「……なんで夕焼けが赤いのか、知ってるか?」 「え?」 ぽつりと手元の文章から目を離さないままに、呟いた声は私に向けて発せられたんだろうか。目をぱちくりさせながらそちらを見つめると、シャーペンをかたりと置いて、窓の外を眺める。 「じゃあ、空が青いのは何故か知ってるか?」 「…知らない」 「光の波長の拡散によって空の色は変わる。…拡散は、大気にある熱的ゆらぎで起こるらしい」 「ふぅん。……夢の無い話ね」 「Ha!It's as you say。知らないことが多いころのほうが、色んなことをenjoy出来てたが…これからはそう言うわけにはいかねぇだろうな」 彼は、外から目線を外さずにじっと橙から赤に染まっていく街をじっと見つめる。私は、その横顔をじっと見つめる。 「……なんだか、つまらないのね」 「What's?」 「大人になるのって。…昔、あんなになりたかったなんて不思議」 「………そうだな」 「……わ、すっご」 雲が幾重にも並んで小麦色に輝く。思わず口をあけながら見つめていたら、横で彼は噴出して笑った。いきなりなんだ。というか、仕方ないだろ、これはと睨むと、涙目になりながら必死に笑いを抑えていた。 「ちょっと、笑いすぎよ」 「sorry、アホ面だったからな」 「よーし、歯ァ食いしばれ」 「No thank you。ホラ、帰るぜ?明日は本番だしな。…待たせて悪かったな」 かたん、と椅子を引いて立ち上がる彼はマフラーを首に巻いて、私に笑いかける。私もさっと椅子にかけていたコートに袖を通して前をがっちり閉める。ぱちりと電気が消えた教室を出るときに振り返ると、淡い朱色に切り取られたように壁が色に染まり、きれいだと思った。いつもいる木造の床も、真新しいそれみたいに見えて、この時間はまるで時が止まるとか、さかのぼるとか、そういう特殊な空間にいるみたいだと思った。 早く来ないと置いて帰るぞと彼の声が聞こえた気がした。 瞼を開けると、眩しい春の日差しが降り注ぐ教室が視界いっぱいに広がる。ああ、懐かしい夢。ふわり、と笑みがこぼれる。 彼とは、卒業したきり会えずじまいだった。三年間、よき友人としてのポジションを獲得していたというのに、いいザマである。昔を思うと、驚くくらいに鮮明に思い出されるのは、彼のことだった。不思議だ。なんでもない会話。じゃれあって、笑った2人。彼と仲がよいから、と女の子たちには白い目で見られたこともあったけれど、卒業するころにはそんな風もなくなっていった。特定の女の子のいない彼。私は、周りの取り巻きの女の子と大して変わらないと気がついたからだろう。 卒業生、答辞。 優等生の彼らしい、真面目でユーモラスなものだった。記憶の隅っこを優しく突くように思い出を紐解いていく言葉に、同級生たちは涙を流していた。私は、…どうだっただろうか。よく、思い出せない。 どこからか、ピアノの音が聞こえる。これは、ショパンだ。別れの曲。時期が時期だけに、なんとなく心落ち着かない。 ああ、そうか。 あの頃は、楽しかった。 でも、今はどうか?といわれると、同じくらい楽しい。 学校へ行って、就職して。回りの友達はみんなきれいな姿になって、結婚した。私は所謂、独身貴族を謳歌させている。これはこれで、楽しい。何かで聞いた言葉。本当に楽しいことは比べられない。本当に、そのとおりだ。 あの頃は楽しかったじゃなくて、あの頃も楽しかったなのだろう。 窓枠に擡げていた身体を起こして、ゆっくりと歩みを進める。黒板はすっかり古ぼけて、あの日あった輪飾りは、当然だけどもうない。廊下に出ると、びっしりと並べられた金属製の棚が錆びて茶色になっている。時間は、ゆっくりと進んでいく。悲しくて、時々辛く感じるけど、同時に楽しいことだって運んでくれる。私も、大人になったのだ。あの日嫌だと感じた大人に。小さなころにあこがれていた大人とはまた違うけれど、お酒を飲めるようになったし、好きな人と抱き合うことだって出来るようになった。だけど。 ぴたり、と歩みを止める。斜め前を歩いていた彼の残像が見える。 今頃気づくなんて。 心に広がる甘酸っぱい感情。ああ、コレが恋なのか。ぽろりと一筋自然に流れた涙はそれを肯定しているようだった。 (胸に落ちた感情は知りたくも無かった感情だった。さようならと言いたかったけれど言えなかった。それだけが心残りだった) ブラウザバックでお戻りください。 gazelle and boy様提出。 ×
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