プリーズコールミー | ナノ

※高3捏造



 海風が汗ばんだ体をやさしく撫でるなか、堤防沿いを歩く。わたしの少し前には黒いTシャツを着た凛の姿があって、チャームポイントである赤い髪の毛が風に揺らされている。あざやかな青空の上に、白い雲がぽっかりぽっかり浮かんでいる。黒色、赤色、青色に白色。それぞれの色がわたしの視界のなかで自分たちを主張している。わたしはいったい何色なんだろう。不快な汗が、首元を流れていく。
 高校3年生の夏休みは、誰にでも平等にやってくると思わせるくらい平和だった。頭のてっぺんにある、午後3時の太陽がじりじりと世界を照らして、やんわりと視界がゆがむ。わたしは麦わら帽子のつばをひっぱって、深くかぶり直した。自分の体が作り出している影を見つめながらゆっくりと歩く。一歩一歩、足の裏に確かな重みを感じながら。

「お前、そんなに深く帽子かぶって、前見えてんのか」

 視線を上げると、わたしの伸ばした腕2本分くらいの距離に、呆れ顔の凛がいた。

「転びそうだから、手つないで。」

 凛の方へ左手をのばし、てのひらを握ったり開いたりしてみせる。顔に張りつけた笑顔が、じりじり焼ける。

「見えるように帽子かぶれよ。」

 凛は眉間にしわを寄せたけれど、すたすたと近づいてきて、乱暴に左手を握ってくれた。その勢いで体の重心がぶれたけれど、なんとか持ち直す。わたしは握られた手に力をこめる。緩む口元を抑えられずにいると「にやにやすんな」といった凛も、手に力を込めてくる。それだけで、緩んだ口元がヘの字に歪みそうなってしまう。




 わたしたちはさっきまで、遙と真琴と勉強をしていた。夏休みの宿題という名の受験対策課題。遙の家で午前中からお昼を挟んでやっていたが、わたしはお昼を食べてから眠くなってしまったので、午後はほとんど勉強できてない。
 わたしと遙、それに真琴は同じ学校で、今日の勉強会は前々から企画していた。そこに、学校の違う凛を呼んだのは遙と真琴だった。夏の大会が終わって部活が一段落したというのに、今度は受験勉強が本格化して全然凛と会えないと散々ぐちを言っていたわたしへのはからいだった。
 昨日の就寝前に、凛から「明日、駅に10時」という簡潔なメールが来て、目をこすりながら何のことか思案していると、入れ違いで真琴から「明日の勉強会、凛も来るって」とメールが来て合点がいった。
 正直、今日のメンバーでいちばん勉強が必要なのはわたしだ。遙と真琴は水泳部での実績もあっていくつかの大学から推薦がきているようだし、凛に至ってはすでに進路が決まっている。自分の成績で、行ける大学に行ければいいかなぁくらいの気持ちでいるわたしにとって、自分の進路よりも長年過ごした幼なじみ達がちりぢりになっていくことの方が重大な問題だった。

 わたしは、昔から凛のことがすきだった。都会から来たちょっと垢抜けた男の子だけど、大好きな水泳に打ち込んで、人目もはばからず勝ったとき喜ぶ凛が、わたしはすきだった。
 もしかしたら二度と会うことができないんじゃないかと思っていた凛との再会が去年、凛と遙たちの間にはふかいふかい亀裂が入っていたけれど、水泳を通して絆が戻っていくさまは、心の底からうれしかった。その流れのなかで、わたしが凛に対して抱いていた長年の恋心も実ることとなり、この1年間はほんとうにいろんなことがあった。



「高校を卒業したら、もう一度、海外に行く」

 凛からその言葉を聞いたのは、部活を引退した余韻がまだ消えないころだった。そう告げられたとき、わたしは頭を強く打ちつけたような衝撃を感じ、小学生のころに鉄棒から落ちて頭をぶつけたときのことを思い出した。あのときと同じで、あまりの衝撃にはじめは茫然としてしまったが、少ししてから涙が溢れだした。凛はそんなわたしを見てぎょっとしていた。凛を困らせてはいけないと思ったけれど、わたしの涙は止まることはなく、とめどなく流れ続けた。
 凛が水泳に対する情熱を取り戻すのを、わたしはこのふたつの目でちゃんと見つめていたから、彼が自分のなかで消化しきれていない“留学”と言う道をまた選ぶのではないかと考えてはいた。けれど、目標である“オリンピック選手”は、日本でも十分目指せるのだから、過去にあった苦しくてつらい道に戻ることはないんじゃないかとも思っていた。
 わたしのぐしゃぐしゃの顔を隠すように抱きしめてくれた凛は、「自分の納得いくまで、向こうで水泳をやりたい。もう諦めねぇって決めたから。水泳も、お前のことも、諦めないから」と口にした。凛は、わたしと同い年だけど、わたしよりずっとずっと大人だと思った。
 凛を応援したい。諦めないと心に決めた彼の姿が見えなくても。でも、どうしてわたしたちは、また離れ離れにならなければならないのだろうか。




 凛とつないだ手が熱くて、わたしは天を仰ぐ。青い青い空が落ちてきて、世界を真っ青に染めてしまいそうな錯覚さえした。空はあたりまえのように広くて、延々と続いている。そのあたりまえのことさえ、今のわたしを絶望させるには十分な材料だった。
 よく、青春ドラマで「大丈夫、僕らは同じ空の下にいるんだから!」とイケメンがさわやかな笑顔でヒロインに別れの言葉を告げるシーンがあるけれど、そんなことで数秒前まで涙を流していたヒロインが笑顔になれるなんてわたしには信じられない。だって、空はこんなに広すぎて、同じだなんて認識することは難しい。
 わたしに、現実を突きつけないでほしい。幼なじみたちが、みんなそれぞれの行くべき道を進むためにばらばらになってしまうこと。それから凛が、海の向こうに行ってしまうこと。それを考えただけで、わたしは小さなこどもみたいにわんわん泣きそうになる。なりふり構わず泣いて、みんなに呆れられてもいい。ただ、ただ。凛がこの手を離さないでいてくれるなら。




 無人駅の改札をくぐって、薄暗い待合室で1時間に1本の電車を待つ。待合室は、天井の隅にとりつけられた古びた扇風機が一台だけごうんごうんと回っていた。日影な分、外で直射日光に当たるよりはずっと涼しいけれど、どうにもこうにも蒸し暑い。夏休みも終盤のこの時期、電車を使う人はほとんどいないようで、今ここは凛とわたしの世界。世界でふたりぼっちみたいな、おとぎ話みたいに重苦くて幸福な時間。それなのに、背中にある長方形の窓から、夏の陽ざしがじりじりと差し込んで、わたしの焦燥感を燃やそうとする。
 古びた駅の風景のなかで、ひときわ存在感を放っている真っ赤な自動販売機から、凛はわたしのすきなレモンティーを買ってくれた。凛は部活のときもいつも飲んでいたスポーツドリンクを買っていた。プルタブを開けて、こくりとレモンティーを体に流し込むと、汗でからからに乾いて火照った体がすうっと気持ちよくなっていく。

「うまい?」
「うん。凛も飲む?」
「いらねぇ。」
「そっか。」
「…なまえ」
「なに?」

 名前を呼ばれて、反射的に顔を向けると、凛が待ち構えていたようにキスをしてきた。麦わら帽子が邪魔になるはずなのに、凛はぴったりとくちびるを重ねてきた。心の準備をしていなかったわたしの心臓は、ぐしゃりと押しつぶされそうになる。目を開きっぱなしで、何だか間抜けな顔をしていたんじゃないかと顔が赤くなる。「甘ぇな」と口元を拭う凛の姿を見たら、なんだかいたたまれない気持ちになって、麦わら帽子のつばをぐいっと下に引っ張る。その上から、凛の大きな手のひらが頭の上に乗っかってきた。
 凛とは一緒にいたいし、いろんなこと話したいし手をつないだりくっついていたい。それから、この夏は夏祭りに行ったりちょっと遠出をしたり思い出を作りたい。けれど、それが全部お別れの準備なんだとしたら、苦しくてつらい。わたしは、これからその気持ちを行ったり来たりし続けるんだろう。凛もきっとそうだと、わたしは思う。

「凛」
「ん」
「夏祭り、行こうね。」
「…ふたりでな。」
「うん。ちょっと遠出もしたい。」
「どこ行くんだよ」
「うーん、この電車の終点までとか。」

 あとさき考えず、これからもずっと凛と一緒に連れて行ってと言うことは、わたしにできない。噛み殺した声が喉の奥でじんわりと苦くて、レモンティーの甘さで奥へと流し込む。
 あと15分で、電車がやってくるはずだ。
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