さよなら△またきて□ |
夕方の海のシチュエーションというものは思った以上に自分を素直にさせたものだった。 あのあと、わたしとローさんは夕飯を家の近くの美味しいと噂の定食屋さんで簡単に済ませて一緒に家に帰った。 告白をしたからって目立ってなにか変わることはないけど、お互いがお互いを大切に思う気持ちが強くなったのは間違いないと思う。 …*…*…*… 次の日の朝、今日はさすがに会社に行かなければならないと思い、起床の時間もいつもと同じ時間になった。 部屋中に鳴り響くアラームの音でも起きないローさんの寝顔を見ていると、どこか温かい気持ちになった。 そっと布団から抜け出していつものように朝食の準備を始める。 あともう少しで出来上がると思っていたところで、わたしは背後から急に抱きしめられた。 「ローさん?起きたんですか?おはようございます。朝食もうすぐでできますよ。」 「あぁ…。」 抱きしめてきたのは愛しい人。ローさんだった。 わたしの肩に自分の顎を預けて私をきゅっと抱きしめるローさんからは、まだ眠気が取れないのかむにゃむにゃしながら、布団にいたことを分からせるぽかぽかとした体温を感じた。 「ローさん、このままじゃ朝食の準備が終わりません。」 「あぁ…。」 「あぁ…。じゃなくて!」 「あぁ…。」 ダメだ。このままじゃ埒があかない。 「ローさん、どうかしたんですか?」 「…いや。」 「嘘つかないでくださいよ〜。なにかあったんでしょう?」 「…確証はねぇから何とも言えねぇ。」 「そうですか…、無理には聞きません。」 「…よし、もう大丈夫。充電完了。」 「え?充電って?」 「充電は充電だよ?澪からパワーもらわねぇとな。ま、お前もしたくなったらすればいい。 さ、飯だ。」 「え〜!?ずるい…。」 「いいんだよ。ほら、遅刻すんぞ?」 そう言って頭を撫でられれば、嫌でも大人しくなってしまうなんて、わたしはやっぱりご都合主義なのだろうか。 食べ終わって玄関を出る時もローさんは見送りに出てくれた。 「忘れ物は?」 「ない…と思います!」 「おう、じゃあ、行って来い。」 「はい、いってきます!」 ローさんに向かって敬礼のポーズをして、ドアを開けて出ようとしたとき、とっさにローさんがわたしの腕を引いて唇を重ねてきた。 「忘れ物。」 そう言いながら下をペロっと出して、無邪気に笑う彼からは妖艶さも感じられて、わたしは不覚にも見惚れてしまった。 「なっっっっ!!」 「いってきますのちゅーは、普通女からするもんだけど、今日だけは特別な。」 「…っ、朝から刺激が強いです…。」 クククと喉で笑う彼にドキドキさせられながら、わたしはいつものように出社したのだった。 出社して自分のデスクに着くや否や、ミナミがわたしのところに真っ先に駆けつけて、ものすごい勢いで謝ってきた。 「鈴原!ほんとうにごめんね!わたしがもっと気を付けていれば…。あいつのことはわたしからも、わたしの彼氏からも強く言ったし、これ以上つけ回すことしたら警察に話すとまで言ってきたから大丈夫だからね!!あのことは野犬にかまれたと思って…」 ミナミの謝罪を制止するようにわたしが口を開いた。 「ミナミ、心配してくれてありがとう。わたしは大丈夫だからね!」 「鈴原ーーーーーー!もう、ほんとにあんたお人よしすぎるよ!でも無事でよかった。あの人のおかげだね!ちょっと強面の。」 「あ、うん。ローさんが助けてくれたんだ。本当に感謝してる。」 「本当にいい男だね。鈴原にいい男が出来てあたしは嬉しいわ。」 「うん、本当に。」 ミナミとの話を終えると、始業の時間になり互いに仕事を始めた。 …*…*…*… 17時になり、終業のチャイムが鳴り、会社前でローさんを待った。 しかし、いつまで待ってもそこに彼が現れることはなかった。 来る途中で事故にでも巻き込まれてしまったのか、それとも、変にケンカを売られてしまったりしたのか。 様々な雑念が頭を駆け巡る。 不安になっていると、ローさんにわたしのもう1台の携帯を渡していたことを思い出した。そうだ、連絡を取ればいいんだ。自分の携帯を開いてみると、一つの異変に気付いた。 ローさんに渡している方の携帯の通話のときに表示される項目の欄がオフラインになっていたのだ。 携帯がオフラインになっているということは、電源が切れているか、はたまた、電波が届かなくなっているということだ。 もしかすると…。 わたしのなかに一つの考えが浮かんだ。 そうだ、よく考えてみれば分かることだ。これしかありえない。 わたしは家に向かって走り出した。 走りに走って家のドアを開けると確かにそこにいた彼の姿はなかった。 代わりに一枚の紙がテーブルに置かれているだけだった。 『何も言わずにいなくなってわりぃ。 多分俺はこの世界から元の世界に帰れると思う。 なんとなくわかる。すまねぇ。 でも、短い間だったけど楽しかった。ありがとな。 お前のことは絶対忘れない。 俺はお前のことが大好きだ。 俺はお前を迎えに行くから。 必ず行くから。 だから、それまで待ってて欲し…』 そこで終わっていた。書いてる途中に戻ることになてしまったんだろう。 手紙を読んでいるうちに自然と涙がこぼれてしまっていた。 「ぐす…、こんな手紙でさよなら、なんて、そんなの…。」 朝のローさんの様子がおかしかったのは、このことを分かっていたからだったんだ。なんでわたしは気付けなかったのだろうか。どうしてローさんの不安に気付けなかったのだろうか…。 もっと側にいたかった。ずっと一緒にいたかった。いつかは終わりが来ると分かっていても、それがこんなにもはやいなんて思ってもみなかった。 わたしはその夜、泣いて、泣いて、泣きつくした。 どんなに泣いても涙はとまらなくて体中の水分が全部なくなってしまううんじゃないかって思うほど泣き明かした。 このとき、幸いだったのは次の日が祝日で休みだったということだろうか。 こんなひどい顔を誰にも見せずに済んでよかっと思った。 また、ローさんにぶっさいくって言われて笑われちゃうんだろうな。 今日の朝まであった彼のぬくもりを強くかみしめていた。 そのあとは、泣き疲れたのかいつの間にか眠っていた。 祝日の朝にしては驚くほどに目覚めが良かった。 けれども、隣にあるはずのぬくもりを手探りで探しては、ないことを確認して、がっかりしながらも、悲しくなんかない。そう自分に言い聞かせた。 洗面台で自分の顔を確認すると、やっぱりひどい顔だった。 「はは。ぶっさいく。」 一人で鏡の中の自分を笑い飛ばして、よし、と気合を入れて、丹念に化粧を施した。 ひどい顔もメイクで大体は隠すことができた。 そして、ローさんの残した手紙と、もう一枚のあらかじめ用意していた紙をバックに入れて、適当にコートを羽織って、家を出た。 向かった先はローさんと訪れた海だった。 別に心中なんて考えてるいるわけではない。ただ、思い出を忘れないうちに、そう思って今日はここに来た。 そして、あの時と同じように誰もいない浜辺で1人座って、ローさんの手紙を取り出してもう一度読んだ。 今度は泣くことはなかった。 そして、もう一枚持ってきた紙もとりだして、その紙にペンを走らせた。 『拝啓 トラファルガーロー様 お元気ですか?あなたの元いた世界にはきちんと帰ることができたでしょうか? 届くかどうかはわかりません。期待もしていません。でも、どうしてもあなたの手紙に応えたくてお返事を書かせて頂きました。 ローさん、ほんとに短い間でしたがありがとうございました。 あなたがこっちの世界にきて数日ほどしかありませんでしたが、わたしはほんとうに幸せでした。あなたを好きになれて幸せでした。あなたの側にいれて幸せでした。あなたを愛して幸せでした。 できるならこれからも側にいたい。そう思いました。 でも今のわたしじゃどうにもできませんね。 だけど、わたしは信じています。 あなたが確かに残した手紙の文字を。 "必ず迎に行く"という言葉を。 だから、迎えに来てください。 わたしも待ってますから。 ローさんが来てくれるのを。 わたしを助けてくれたあの時のように。 わたしはずっとあなたを待っているつもりです。 最後になりましたが、ローさんのこれからのますますの御発展と立身出世を祈念して、結びとさせていただきます。 敬具 20xx:xx/xx 鈴原 澪』 手紙を書き終えると、わたしは立ち上がり、その手紙をクシャクシャに丸めて海へと放り投げた。 「ローさんに届けてね!!!!!」 海に向かってそう叫んだ。 今日が季節外れの海でほんとうによかった。 この気持ちを誰にも邪魔されずに済むからだ。 やりたいことをやって、ぐーっと背伸びをすると、コートのポケットから見たことのない小さな箱が転がってきた。 見慣れないその箱に興味を示し、開けてみたのはそれから3日後のことだった。 さよなら△またきて□ 歯車はもう周り始めた 第一章:fin |
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