止まることのない時の流れ |
携帯のアラームがけたたましく部屋中に鳴り響く。 朝がきた。 起きなきゃいけないということは頭では分かっているのだが、今はこのローさんに抱きしめられている温もりを手放したくない…。そう思った。 もう少しだけ…。そう思ってまた目を閉じるけれども、アラーム音がそれを邪魔する。少し上の方を見てローさんの顔を確認してみる。 すやすやと安心しきった子供のように彼は寝息を立てて眠っていた。 しかもこのアラーム音の中。 あぁ、その神経の図太さを少しだけわたしにも分けてほしい。 つくづくそう思った。 アラームを止めようと布団の中でもぞもぞして、手探りで携帯をさがす。 あった、と思って止めようとしたときに、時間が経ったのかピタっと鳴り終わる携帯には朝からいらっとしてしまう。 さて、今日の仕事はどうしようか。 そう考えていると先ほど静まった携帯が再び鳴った。 今度こそと思ってディスプレイを覗くと、そこに書かれていたのはミナミの文字だった。 ローさんを起こさないように最小限の注意を払ってベッドから抜け出して電話に出る。 「もしもし?」 「もしもし、鈴原?あんた大丈夫!?」 「え?なにが?」 「昨日アイツ…元カレの奴会社まで来たんでしょ?」 「え?なんで知ってるの?」 「彼氏から聞いた。わたし昨日の午後接待でそのまま直帰で、家帰ってもそのまま寝ちゃってたから、『アイツがキレてた。鈴原が危ないかもしれない。気をつけろって言っといて。』っていうメールに気づかなくて…。今出社したら同期の奴から鈴原が男ともめてたって聞いて…。本当にごめんね。やっぱり鈴原と一緒にいればよかった。」 「そんな!気にしないでよ!大丈夫だよミナミ!」 「でも…「おい、女。こいつがいつも世話になってんな。あの変なやつは俺が追い払った。もうコイツに近付くことはねぇだろう。心配かけたな。」」 わたしのかけてた電話を背後から取り返してローさんは答えた。 「ちょっと!ローさん!」 「あ?別にいいだろ?おい、聞こえてるか?そういうことで、大丈夫だ。それじゃ。ほら、お前も何か言うことあるだろ?」 ローさんがポンっと携帯を放り投げるので、あわててキャッチして受け取る。 「あ!ミナミ、ありがとね。」 「無事だったらよかったわ。今日は休みなさい、編集長にはわたしが上手く言っとくから。」 「ありがとう!今日はそうするね。それじゃ、うん、また。」 電話を切ると、後ろからいきなりローさんに抱えられた。 「え、ちょっと何するんですか?」 「あ?今日は休みなんだろ?もう一眠りするんだよ。」 「何で知って…、」 「あの女の声の大きさは受話器越しだけじゃなくて外まで聞こえるんだよ。」 「…なるほど。」 とりあえず、姫抱っこは慣れません。 ベッドまで運ばれてボフっと落とされる。 あぁ、ここは丁寧じゃないのね。 もそもそと布団の中に戻ると、それに続いてローさんも入ってきてまた抱き枕の形に戻る。 「ローさんがいきなり電話を取るもんだからびっくりしちゃいましたよ。」 「別にいいだろ。お前が話してちゃラチがあかねぇだろ。大体、俺は俺の抱き枕を取られるという睡眠妨害が嫌だったんだよ。」 「え、それって…。」 ただ単におもちゃ取られた子供なだけじゃないですか!!!! そしてわたしはただのおもちゃか!!! そうか。そういうことなんだな。 「まぁ、いいだろ?寝るぞ。まだ7時じゃねえか。」 「確かに…。あ、ローさん、今日せっかく休みになったんだし海に行きませんか?」 「海…?」 「はい、家から近いし、もしかすると、ローさんが元の世界に帰れる手掛かりとか見つかるかもしれませんし。」 「…そうだな。そうするか。」 そう答えるローさんがほんの少しだけ寂しそうにしたのは気のせいだったのだろうか。 「じゃあ、それまでもう一眠りってことで。」 「おう…。」 そのままわたしは目を閉じて眠ることを決めた。自分から言い出したことだが、実際にローさんが元の世界に帰るなんてことは考えたくはなかった。 この眠りは現実逃避のため。そう言い聞かせて眠ることにした。 …*…*…*… 結局、海に到着したときには夕方近くになっていて、季節外れの海にはわたしとローさんの二人しかいなかった。 海を見たときのローさんはどこか懐かしそうな、それでいて悲しそうな瞳をして眺めていた。 「ここは確かに海だけど、俺のいた海じゃないんだよな。こんなに穏やかで優しくはなかった。」 わたしはそっとローさんの隣に腰をおろした。 「ローさん、ローさんのいた世界のこと聞いてもいいですか?」 「あぁ。いいぜ、話す。」 ローさんもわたしの隣りに腰をおろして話し始めた。 話しているときのローさんは少年にもどったような顔で楽しそうに話し始めた。 「俺の世界では、ワンピースを求めてそこら中の奴がそれを目指して海に出るんだ。戦いだってやる。海賊団同士でぶつかったときは人を殺したりするのも日常茶飯事だった。それでも俺はやっていけたんだ。仲間が、いたから。 仲間が、いたんだよ。シャチにペンギンにベポにバンダナ。他にももっとな。あ、ベポって言うのは白クマなんだけどすっげー可愛くて、しかも喋るんだぜ。」 はしゃぐローさんがあまりにもまぶしかった。 「そうなんですか。戦いとかは怖いけど、すごくたのしそうです。大切な人たちがいるんですね。」 「あぁ。仲間だからな。」 「きっとみんなローさんがいなくて心配してますよ!早く戻らないとダメですね!」 「おう、それは分かってる。分かってる…」 そう言いかけたローさんがまた朝のように寂しそうな顔になった。 「なぁ、お前は、俺が戻れたら嬉しいか?」 …あぁ、なんて残酷な質問なんだろうか。 そんなの戻ってほしくないに決まっている。 だって、出会って数日しか経っていないのに、わたしはもうこんなにもローさんのことを好きになってしまったんだ。離れるなんて考えたくはない。 でも、そんなことは口にしてはいけない。それは分かっているんだ。 だって、今の話を聞いたら、ローさんがローさんの仲間にいかに信用されているか、大切にされているか、必要とされているかは痛いほどわかるんだ。 ローさんの質問に対してわたしが出せる答えはただ一つしかなかった。 「わたしは、ローさんが元の世界に帰れることは嬉しいです。だって、ローさんは仲間に必要とされているじゃないですか?戻ってみんなとまた、ワンピースを目指してください。」 精一杯の笑顔で返した。 返したつもりだった。 「…んで…よ。」 「え…?」 「そんなこというなら、なんで今お前はな泣いてんだよ?!」 意思とは反対に、わたしの瞳からは涙がぽろぽろと流れ落ちていた。 「いいか、そんなことぬかしといて泣くんじゃねぇよ。なんで泣いてるんだよ?」 「あれ…?なんで、わたし、泣いて…。」 次の瞬間にはわたしはローさんの腕の中にいた。 「なぁ、なんで泣いたんだよ?」 「…っ、泣いてなんか…。」 「嘘つくなよ。お前の気持ちはさっきのが本当なのか?俺と離れることを正しいと言うのか?」 「だって、ローさんには帰る場所が…。」 わたしが答えるとローさんはわたしの頬を両手で包みこんだ。 「んなの関係ねぇよ。今はそんなの聞いてるんじゃねぇ。澪、お前は俺と離れたいのか?」 「…ひっく。」 「澪、お前の気持ちを聞かせてくれ。」 「わた…しは、ローさんと離れたくないです。ローさんにもっと側にいてほしい。ローさんともっと一緒に側にいたいです。 わたし、ローさんのことが好きです…。」 後は野となれ山となれ、とはこのことだろうか。 言ってはいけないことを言ってしまった。 帰らなくちゃいけないローさんを縛りつけてしまうもっとも残酷な言葉を。 言ってしまったら戻れないと思った。 今までの二人ではいられないことは分かっていた。 それにもかかわらずわたしは…。 けれどもそんなわたしに対してローさんはまったく違った反応を示した。 「やっと、ほんとの気持ちを言ったな。おせぇんだよ。」 「へ?」 「数日経って俺に惚れるなんておせぇんだよ。 ったく、俺も好きだ、澪。」 「え?ほんとに…?」 「あったりまえだよ。なんでこんなときに嘘つくんだよ。てか、お前ほんとに泣き顔ぶっさいくだな。」 「なっ!こんなときにそんなこといいますか?!」 「わりぃ、わりぃ、でも、そこも好きだぜ。」 そう言ってローさんはわたしの頬を包んでいた手を顎と後頭部に移動させて、口づけを交わした。 強引なのに優しくて暖かい。そんな口づけだった。 このときほど幸せを強く感じたことはなかったし、このときに戻れたらと思うことになるなんて、わたしは考えてもいなかった。 止まることのない時の流れ 決して二度とは戻れない瞬間 |
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