土を踏みしめて歩く。太陽はぎらぎらと、木々の枝の隙間から差し込み静雄を照らしている。水だけをぎゅうぎゅうに詰めたザックから、足を踏み出す度にたぷ、と音がするのももう気にはならなかった。枯れ草の腐葉土の上、木の根に足をかけ、ただただ登る。普段から猫背なものを、更に屈めて地面ばかり見つめていた。すれ違う人もいない山道を、静雄は黙々と進み、疲れれば足を止め、水を飲み、また歩いた。
ブナの林の中、そうして少しずつ高度を上げる。木々は種類を変え、踏み付ける土には石が混じるようになる。歩けど歩けど、けれども一向に終わりの見えぬ山行。いい加減静雄は土色を眺めるのに飽きていた。けれど前を向き、先の見えぬ急坂の現実を受け止めるのは余程御免だった。後ろを振り返っては、先程から静かになってしまった憎き外道の存在を視界に入れてしまうことになるため、そちらも勘弁願いたかった。
気温は下がれど、歩む角度も次第に増してくるものだから、どっと汗をかき喉は渇く。木の根に足をかけ、二十キロはあろう荷物を背に静雄は苦もなくそれを登り、臨也は身ひとつで後を追う。静雄には疑問であった。水分を取らず、発汗は正常に作用しているなら或は、臨也はここで倒れるのではないだろうか。普段からの饒舌が聞こえなくなった今、その気力さえないのだとしたら。臨也は死ぬつもりなのかもしれない。
それから三時間ほど歩いただろうか、ふと進む先、差し込む日差しが眼前に広がった。森林限界の景色。申し訳程度のハイマツと、巨岩、奇岩の並ぶ展望。山頂は近かった。静雄はザックを下ろし、太陽の下、水を浴びるように飲んだ。幸福だった。その数歩手前、膝に手を付き臨也は顔を上げない。呼吸ばかりが奇妙な音を出して気味が悪かった。ただ、苦しそうな臨也の姿を見下ろし、静雄は何ら感情を抱かない。
池袋というあの小さな街を出れば、互いに干渉する意味など皆無だと静雄は思う。コンクリートに刺さった標識の上「ハイキングに行こうよ」などと嘯き静雄を外へ連れ出した臨也の、意図が何であれここがあの街でない限り、静雄には木をへし折って振り回す謂れはないのだった。
「ハア、ハア、ここは眩しいね。くらくらする。喉が渇いたな…ああ、別に君のをくれって言ってるわけじゃない。もう限界かもね、俺は。…ふふ、先に行ってくれ。楽しいハイキングだったよ、じゃあね。シズちゃん」
仰向けに、清々しい大の字で寝転がる臨也を視界の端に、静雄は残り少ない行程を歩いた。一瞥しただけの臨也の手にはシーバー。今ここで死ねばいいのに、とは懐かしい感情だと静雄は思う。
何の為の気まぐれ、実験だったのか、静雄には臨也が理解できない。敵役の誘い文句にあっさりと、素直に、乗ってくる静雄のことをだから臨也も理解できない。このまま山頂で身投げでもすればいいのに、とは懐かしい感情だと臨也は笑った。
日は沈み、翌朝、ヘリの音。翌週には再開した戦争に、池袋は日常を取り戻す。


(120923/非日常とは)

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