ジーンズに財布、煙草とライター。季節はもう春だというのに、晴天のもと、風ばかりが冷たい。つむじのあたりが黒くなってきたのを今朝鏡で知った。サングラスはテーブルの上。平日の昼間だというのに街は人で溢れ。ビルは高く、空は狭い。
いい日和だと思った。寄り道もせず駅まで、徒歩20分の距離を歩く。定刻よりも40分早く改札の前、さほど混んでいない雑音の中携帯を開けば、1、2、3コール目の半ばでふつり。
「はい、折原です」
「…」
「知ってるよ、君の番号くらい。めずらしいね」
「今日は天気がいいんだ」
××時発の××行きにと、短く告げて通話を切る。近くのファストフード店で温いコーヒーを持て余していれば、予定時刻までは訳もない。
山手線から乗り継ぎ、東京駅、指定した電車に乗る。席はまばらに空いていたが、ドアの近くに立つことにした。ほどなく動き出した車窓から、移り変わる景色は地下トンネルの暗い壁。車内を見回すと、呼び出した男が隣の車両、こちらを一瞥して軽く笑んだ。それを見て、ああ、癪に障る顔だと思う。何かにつけて俺を苛立たせるばかりの冗談の過ぎる仕種、語り口。そんなものに付き合わされるまま幾年が過ぎたことだろう。地上へと繋がる線路沿いに、広がる景色はビルの高さもおよそ低くなり、空ばかりが青い。更に乗り継ぎ、ゆるりと、孤を描きながら南へ。
「番号はどうしたの」
シズちゃん、と。動くことをしない移動に疲れ、欠伸をかみ殺した頃に。人の少なくなった車内、ひとつ空けて隣へ腰を降ろす影。
「新羅に聞いた」
「そう。驚かれた、いや、呆れられたかな?」
「新羅が気付いてるって知ってたのか」
「そんなの。気付かれてないと思う方がおかしい。何年来の付き合いだと思ってるのさ」
知らないのはそうだな、セルティくらいだよと臨也は笑った。
俺が臨也を好きになって、臨也が俺を好きになって、それが互いに知れてもう直ぐ一年になる。
「ねぇシズちゃん。俺のこと好きなんでしょう」
喧嘩の最中にそんなことを言う臨也の、冗談のような台詞に打たれる終止符。長い片恋だったと、あきれ返るほどには呆気なく、そして互いに、互いを好きだと言うことも一度としてないまま。日常は変化を持たず、消化され今に至るのだから最早、この関係の捻れはどうにもならない。俺はまだ、高校の頃抱いた感情を持て余し、振り回したまま。
けれど終着点を見つけた。
「降りるぞ」
煩わしい思考は丸めて捨て置いて、駅を出ればもとのビル街とは異なる町並み。海のにおい。無言で歩くその7メートル後を、歩幅の幾分狭い足音でもって臨也は続く。
歩み出た先の海は、空を飲み込むような青だった。広く平らなそれは東京湾とそのすぐ境であるというのに、あの狭く対岸を見渡すことのできる小さな海とは違うものだった。ひと続きの、見渡す限りの世界。吹きつける潮風が臨也のジャケットをはためかせ、少し不機嫌そうなその横顔を見る。俺が見たかったもの、快晴、冷たい風のなか、深い海。
「なぁ臨也」
「なに」
「好きだ」
「俺も好きだよ、シズちゃん」
そうしてとぼけたように。
「おかしいね、こんなやり取り今まで一度もなかった。恋人同士なのに」
好きだ、今でもきっと。恋人ってこういうものかと思ってしまう、世界とずれた俺と臨也の。
「今日の。本当は北の果てでもよかった」
「やだよ、寒いから」
「そう言うと思った」
笑う。驚くほど素直な感情だった。そうだな、だからここからの道は俺ひとりでいい。
「さよならを言いに、俺はここまでついてきたんでしょう」
言ってやらないけどね。皮肉ないつもの笑み、だから俺も何も発しなかった。これからはそう、臨也の嫌う北へ向かおう。

ジーンズに財布、煙草とライター。コートは道すがら買えばいい。
(さよなら、また会う日まで。)
唱える俺は、きっとずっとあの街を焦がれてやまない。


(130216/旅立ちの日に)

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