暗い視界。分厚いよく沈むマットレスに膝をつき、シーツを被る。広い部屋の端に据え置かれた、大き過ぎるベッドの上。蹲るような体勢。体内を蠢く蟲の感覚。痛みと吐き気が断続的に、チリチリと腹の奥を焼く。苦しくて哀しくて憎い。醜く歪んだ片顔の、見えていない白濁した瞳で何を見る。魔力を使う度、脈打ち異物を吐き出すこの身体で何を救う。辛い逃げ出したい護りたい殺したい。相反する感情を絞り出すその先に、繋がりを逸した親と子を見る。大切な、大切なひとを間において。
「酷い」
だってそのひとのため、なのだ。
「穢い」
そのひとのために、少女の救われんことを願い求めた。
「醜い」
そのひとのために、おれの姿は拉げて、壊れたけれどどうでもいい。
「憎い」
そのひとの愛する男が、そのひとの心を何とも思わず、少女を、おれを、何とも思っていないその男が。憎い。
憎悪に息が弾む。ひょうと鳴ったのはおれの喉ではなかった。月明かりが窓から差し込む。膝をつき、蹲り、入らない力をその手、一心に込める。願い。苦しそうに眉を顰める男の、澄んだ青色と眼が合った。頬から首筋、肩へとその内側で蟲が這う。大切な、大切なあのひとの。大切な、おれにとっての。背徳感と歓喜に背が震える。この男を殺すことによって、けれど戦争に勝利することはもう望みもないのだろう。薄暗い路地裏で、蟲蔵で、漆黒の聖霊に身を委ねて、おれの命が尽きようとすれば、消えぬ憎悪がおれを蘇生させた。
「全部お前のせいだ」
狂ってしまった世界。返してくれ。こんなに愛しかった。彼を囲む世界。
「殺す、おれが…っ」
涙は出なかった。指先が痙攣する。感情の高まりに、暴れ回る蟲のぐちぐちという音が五月蝿い。もう力は殆ど入っていない腕に手がかかる。月明かりに手元のルビーが、赤い。相対するサファイアが、残念そうに微笑んだ。腹部に広がる赤は、白いカッターシャツをあのジャケットの色に染めた。ああ酷い、酷い男だ。
「時臣」
音もなく、生はとうの前に途絶えていた。


(130112/白昼夢)

- ナノ -