オラトリオの嘆き | ナノ

人気のない廃れた神社へと入り、人避けの呪法を唱えてから賽銭箱の前に腰を下ろした。早速紙片を開き、片手で携帯を弄って耳に当てると数度のコール音の後、相手は通話に出た。第一声に何を言われるかと身構えていたけれど、予想に反して常套句であるもしもしすら相手は言わないから、暫し沈黙が流れる。仕方ないから、渋々私から口を開いた。

「これって、盗聴されてるの?」
『.........盗聴されてる携帯の番号をわざわざ教えたりするかよ』
「いやいや、分かんないわよそれは。私に対する嫌がらせとかならーー」
『用件は』
「ちょっと、人の話を聴かない男は嫌われるわよグレン」
『......』

そんな抗議の言葉を口にすると、グレンは黙った。彼の面倒くさげな雰囲気が電話越しでもひしひしと伝わってくるようだけど、電話番号を一方的に押し付けてきたのはそっちのくせに、これはなんていう態度だろうか。
渋い顔をして、相変わらず愛想の欠片もないわねなんて可愛い可愛い弟とつい比べてしまうのは、姉の性とも言うべきか。そう言うこちらもこんな場所にいつまでも居たくはないので、彼の言う通り早々に用件に入ることにした。

「木島と名乗る男に会ったわ」
『...へえ、何か言われたか?』
「ええ。勧誘、ですって」
『ほう』
「......そう言うグレンも同じでしょう? 聴いたわそいつに。だから、私にこれを渡したのね」

あいている方の手で紙を摘んで、ひらひらとそのまま揺らした。淡々と番号が書かれたそれは、木漏れ日に照らされて向こうの景色がぼんやりと見られる。グレンは黙るだけで、その問いに否定も肯定もしなかった。

『......それで? お前はどう答えたんだ』
「もちろん断ったわ、当たり前じゃない」
『だろうな』
「だろうな、って......ちょっと、分かってたなら一々言わせるんじゃーー」
『お前は、』
「......ああもう、なに」

人の話を聴かないのには腹が立つが、その度怒るのも疲れるし馬鹿げている。溜め息を吐いてから刺のある声を隠さずに応じると、グレンは自分から呼び掛けたくせに口にするのを躊躇うように押し黙っているから、何か言うなら早くしてよと率直な言葉で急かした。その傍ら、彼は私と同じように面倒臭くてまどろこしいことを嫌うから、こんな態度は珍しいな、なんて頭の片隅でぼんやり思う。そうして数秒後、グレンは口を開いた。

『......いや、何でもない』
「はあ?」
『じゃあな』
「え、ちょ...グレン!!」

ぶつっと通話が途切れる音がして、もしやと思い携帯を耳から離し画面を見ると、案の定通話終了の文字が目に入った。ほんとに切りやがったわねアイツ、と頬を引き攣らせながらも深呼吸をして何とか怒りを鎮めて、あくまでも冷静に電源を落とした。グレンは昔からこんな感じだから、それに一々過敏に反応していたら身体がもたないことはもう知っている。

そうして目的も達成されたので、こんな寂しい所すぐに立ち去ろうと脚に力を入れるも、これがまた何だか、すぐには動きたくなくなってしまって。理由は特にないけど何となく疲労感というか、怠さが身体を包んで、画面の暗い携帯を意味はないけど暫く見つめてから、空を仰いだ。目に沁みるくらいに青い青い雄大な空。私の好きなその色を見て、はぁ、と肺の空気を全て入れ替えるように大きく息を吐いて、また吸い込む。ちょっとだけ冷たさを帯びた春風を受けて、みずみずしい緑が擦れる静かな音が、耳に心地好かった。

(.......疲れてるのかなあ...)

確かに、最近は色々なことがあった。一番疲れたことといえば深夜がグレンを殴ったことだけども、今までもこんな感じで何とかやってきたのだから、急に疲労を感じるなんてことある筈がない。暮人さんは相変わらず面倒臭くて嫌いだけど、少なくとも私は彼とは良好な仲を築けていると思っている。取り巻く環境が大きく変わった訳でもない。そうだとしたら、他に思い当たるようなことはーー。

(.........)

そこまで考えてから、今度は顔を下に向けてつま先でそこら辺にあった小石を蹴った。小石はころころと転がって、終いには狛犬の土台に当たって止まる。それをじっと見つめて、考えに耽った。

ーー何となく気分が乗らない理由は、もう分かっていた。けど、考えたくなかったのだ。認めたくなかったのかもしれない。だって、血縁者でもない他人と会えないだけで、たかが距離を置かれただけで、調子が上手く行かないなんて情けなさすぎるから。こんなの、このセカイに身を置く人間にはあるまじき感情だ。お笑い草にしかならない。
こんな無様なことになるのを知っていたから、あの人は私に何度となく真昼には会うなと警告していたというのに。真昼と共にいることが正しい判断ではないことを知っていても、それでも、私には真昼から離れるなんて選択肢、考えることが出来なかった。私の存在を認めてくれた女の子から、離れることなんて出来なかった。だから私は弱いのだ。いくら身体を鍛えて肉体は強靭になったって、その者の精神が甘ければ宝の持ち腐れもいいところ。その点悔しいけど、暮人さんはいつも正しくて、強くて、そしてとても残酷だ。彼はこのセカイで生きていくのにとても利口で、正しい生き方をしている。そんなことは、ずっと昔から分かっていたことだった。

(......生きることが苦しいか、ね)

いつかだか真昼から言われた、問い掛け。まだ幼かった頃のことだから、記憶にあるその声は子供特有の高くてゆったりとした調子で、だけども色褪せることなく幾度も頭の中で響く。
仮に、今の私がそれに答えるとしたら、答えは「苦しくない」だ。ずっとずっと幼い頃だったらまた返答は違ったとは思うが、今の私には生きなくてはいけない理由がある。生きて、もがいて、何が何でも絶対に守らなければいけないものがある。

(まあ、まったく苦しくないっていうのも嘘になるけど)

やっぱり、このセカイは生きて行くには息苦しいのだ。そこでふと手首の時計を見ると、ぼうっとしている内に大分時間が経ってしまっていたことが分かった。これは、またジジイ共に何か言われるに違いないなとついその光景を想像して、苦虫を噛み潰したように顔を顰める。そして放ってあった鞄を手に取り、神社を出るべく歩き出した。ーーのだが、

「...って、このタイミングで...」

またグレンとかだったら無視してやろうかしら。携帯が震えたのでそんなことを考えながらも半眼でそれを見てみれば、予想は見事に外れて非通知からの着信だった。非通知からの着信なんて滅多にないことだから不審に思いながらも出なかったら出なかったで相手によったら非常に面倒臭いので、さっさと通話に応じた。

「...もしもし」
『.........』
「...どなたでしょうか? ご用件がなければ切りますが」
『.........』

そう言っても、相手は黙っていて一向に話し出そうとしない。その態度にぴくりと眉を動かして、顔を強ばらせる。ただならぬ気配を感じて耳を澄ませるが、向こう側からは物音一つしない。相手に関わる一切の情報がない。目に入った腕時計は、私が学校を出てから二時間が経過していることを示していた。舌打ちをしたくなるのを堪えて、警告はしたんだからと指を動かすと、丁度それを見ていたかのように相手が動いた。聞こえた声は、あまりにも予想外な相手のものだった。

『......ごめん、俺だよ、一月だ』

ゆったりと耳に流れてきた甘い低音は、確かに兄のものだった。それに驚いて目を見開くも、さっきよりも一層顔を険しくして迷うことなくボタンに指を置くと、彼は焦ったように声を上げた。

『香代、切らないでくれ』
「.........」
『言いたいことが、あるんだ』

眉をひそめる。彼が話す内容よりも、つい声の調子の方に意識がいった。違和感があるのだ。一月はいつも、細部にまで気を使ってまるで作り物の人形のような振る舞いをしていた。やることなすこと、全てが胡散臭いのだ。自分の感情を上手くコントロールして、冷静に物事を達観するような男。それなのに今は、声音から様々な感情が滲み出ている。こんな焦ったような、切羽詰ったような様子の兄は初めてだ。こんな一月は知らなかった。
だからなのかもしれない、普段の私だったらそんな言葉聞かずに、一月というだけで問答無用で通話を切る筈なのに、今ばかりはその話に耳を傾けたのは。兄は震える息を大きく吸って、吐いた。

『時間がないから、単刀直入に言う』
「時間、って...」
『このままいけば、世界中にウィルスが蔓延して人間は皆死ぬ』

私の言葉なんて聞かずに、遮るように一月はそう言い放つ。ウィルス、人間、死。前置きなどなしにいきなり話題に出されたそれ等の単語に、目を白黒させた。その言葉の意味が、含意が理解出来なかった。

「は...」
『触れてはいけない禁忌の呪法が暴走し、世界は人が住めない場所になり果てる。そしてそのウィルスをばら撒くのはーー』
「ちょ...ちょっと!!」
『......なんだよ』
「なんだよじゃないわよ!!」

普段のような冷静さが全く見られないその言動に困惑するよりも、そんな彼が語るにわかには信じ難い終末論に意識がいった。時間がないと言った矢先に私が話を止めたのが気に入らなかったのか、はたまた別の理由からなのか、一月はイラついたように雑にそう返答する。その普段とは違う態度から、すっかり違う人間と話しているような気分になるけど、声は確かに一月のものだ。私の心中を代弁するかのように、周りの草木がざわざわと音を立てて揺れた。

「いきなり電話を掛けてきたと思ったら......世界中にウィルスが蔓延? 人間は皆死ぬ? いったい、どういうこと...?」
『......なあ香代。お前、俺が嫌いか』
「だから話を...!」
『答えろよ』
「っ...」

どいつもこいつも、何でこう私の周りには人の話を聞かない奴ばかりなのだろうか。さっきの切羽詰った状態から様変わりした有無を言わせない口調の兄に、悔しさや憎らしさが綯交ぜになって、つい唇を噛む。更に、早く答えろ、という催促の言葉まで掛けられて、携帯を握る手に思わず力が入った。

「......嫌いよ、当たり前じゃない、アンタなんて大嫌いよ」
『...はは、なら良かった』

痛みを堪えるかのように一月はそう、口にして、

『...じゃあ、俺をちゃんと殺してくれよな』

続いて苦しげに、でもどこか嬉しそうにそんなことを言った。流石にそれには私も平静を保っていられる程出来た人間ではなくて。ざわりと、胸で嫌な鼓動が打ち始め、手汗がじんわりと滲み出るのとは逆に、口内は水分を失って息苦しいくらいだった。

「な、に、言ってーー」

途切れ途切れに、なんとか絞り出した乾いた音に、向こうで一月が微かに笑った気配がして、そこで通話は切れてしまった。虚しい電子音を聞いて慌てて携帯を見るけど、非通知なので掛け直すことも出来ない。思わず顔を歪めた。

「.........」

だらんと手を下ろして、その場に立ち尽くす。鞄が落ちる音なんて、今は耳に入らなかった。
落ち着け、大丈夫だから、落ち着いて、なんて必死に自分を鎮めようとするけど、あまりにも頭が混乱しすぎていて、正常な判断が出来る気がしない。おまけに情けないことに足まで震えてきてしまって、耐えられずにしゃがみこんで膝に顔をうめた。そのままぎゅっと、自分を守るように膝を抱く。

(.........わけ、わかんない)

一月も、彼が言った言葉の真意も。何もかもが分からない。突然根拠もなしにこの世界が滅びるなんて言われても信じられないに決まっているし、それに、一番訳が分からないことはーー。

(っ......)

最後に言われた言葉を思い出して、視界がゆらりと揺れた。目頭も熱くなって、奥歯を噛み締めたけど耐えられそうもないので瞼を閉じてしまった。ああもう、だから嫌なのだ。こんなんだから私は、ずっと弱いままだ。



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