オラトリオの嘆き | ナノ

しん、と静まり返る廊下を、むすっとしながら歩く。窓の方を見れば、大勢の生徒達が下校の真っ只中で。足を動かしながらガラス越しに彼等の喧騒を聞いて、私も早く帰りたいなあ、なんて溜め息を吐いた。そうして視線を滑らして睨み付けるのは、一際異彩を放つ立派な両開きの扉だ。上を見れば、生徒会室の表示。下手したらこれ、校長室より豪勢なんじゃないの。

(あーあ、なるべく早く終われば良いんだけどなあ)

軽く深呼吸を数回して、手を軽く握る。どう呼び掛けるべきか少し迷ってから、三回ノックした。

「...椿 香代です」
「入れ」
「失礼します」

扉に手を掛けると、思っていたよりずっと重くなくて、すんなりと開けた。そのまま様子を窺いながら中に入ると、これまた高級そうな応接セットが目に入り、その向こうのデスクには、この学校の一番の権力者である柊暮人が居る。悠然と構える彼を睨みながら、後ろ手に扉を閉めた。

「...また何ですか、いきなり呼び出したりして」
「そんな警戒するなよ香代、取り敢えず座れ」
「......失礼します」

こんなところに呼び出されて、警戒するなという方が無理なんじゃないのか。そうは思ったけど、無駄な会話は避けたいので目配せされた通りにソファに腰を下ろす。暮人さんもこちらに来て、私の相向かいに座った。流石は柊家の長男とも言うべきか。真向かいに座しているだけなのに、存在感というか威圧感が凄い。
ちらりと目をやると、同じクラスの葵さんが隣の部屋へと下がるのが見えた。何があるんだろう、なんて考えているとティーセットを持ってすぐにこちらに戻って来た。彼女は授業が終わるとすぐ教室を出て行ってしまうから、てっきり早々に帰宅しているものだと思っていた。まさか、この人の従者だったとは。

「ああ、先程目にしたんだが、」
「何です?」

葵さんが目の前に紅茶を置いてくれて、軽く会釈をする。暮人さんはソーサーからカップを取り上げて、何のことはないとばかりに私を見た。

「お前と深夜は恋人同士なのか?」
「...は、」

一瞬、何を言われたのか分からなかった。恋人同士、と目の前のこの人の口から確かに放たれた単語を頭の中で反芻して、その意味をゆっくり噛み砕く。まさか、暮人さんの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。内心戸惑って大幅に遅れてから、平静を装って彼を見つめた。

「...有り得ない。深夜は真昼の許嫁でしょう?」
「許嫁ではあるが、恋人ではないだろう。それに、真昼が一瀬グレンにえらく執心していることは既に知っている」
「......そんなの、根拠にならないです」
「俺もそう思う、所詮憶測に過ぎないからな。まあ、深夜と何もないことは、香代のその顔を見れば分かるよ」
「......」
「お前は、すぐ顔に出るからな。だから信用出来る」

そう言ってふっと笑ってから、暮人さんはカップに口をつけた。対する私はというと、その様子を恨めしい気持ちで見つめるばかり。この人のこういうところが気に食わないから、こんなところへは来たくなかったのだ。昔から暮人さんはそうだが、彼はとても頭が切れる。真昼と同じくらい頭が良いのだ。だから、こちらの思惑を見透かされないように会話するのが難しい。今だって、自分の頭の中を読み取られないように必死で、話していて疲れる。

「お前が深夜とどうなろうが知ったことではないが、香代は柊に嫁いだ方が良い」

丁度私もカップを持ったところで、そんなことを言われた。目を見開くが、すぐに伏せる。そして、甘い紅茶の匂いを感じながら、それを口にした。ああまたこの話か、なんて幼い頃から聞き慣れたその言葉に飽き飽きしてから、両手で膝の上にカップを固定して、少し笑う。

「それは、優秀な子供が産めるから? 嫌ですねそんなの。女をただ、跡継ぎを産むためだけのモノとしか考えてない人達に嫁ぐのなんて、死んだ方がマシよ」
「へえ、」

飴色の液体を暫し見つめてそう言ってから、顔を上げる。おもむろに手を伸ばして、角砂糖をいくつか取った。暮人さんは意地悪げな顔で私を見ていた。

「そうは言うが、椿はお前を簡単に死なせたりはしないだろう? たとえ、虐げられる立場にある、お前でも」
「......貴方は、そんなことを話す為に私を呼んだんですか」
「そんな訳ないだろう、話は別にある。これは談笑だよ」
「は? 談笑? 笑わせないで下さい。そんなの、まるで暮人さんと私が友人みたいじゃないですか、やめて下さい、気持ち悪い」
「ははは、じゃあ許嫁か?」
「やめて下さいと言ってるのが聴こえませんか。...それに、その話はなくなった筈です」
「なくなった訳ではないぞ、俺が一言、香代が欲しいと言えば喜んで椿の幹部はお前を俺に差し出すだろう」
「...出てって良いですか」
「まあ待て」

苛立ちをぶつけるように角砂糖を放り込んだ紅茶をティースプーンで掻き混ぜれば、楽しげに私を見る暮人さんと目が合った。睨むと、彼の口角が更に上がった。

「...本題に入ろうか。明日から選抜術式試験が始まるが、二回戦で一瀬グレンを征志郎に当てる」
「......へえ」
「ふむ、驚かないんだな」
「まあ...知ってましたから。さっき、廊下でべらべら話してるのが聞こえたんです。アレ、貴方の弟ならどうにかした方が良いんじゃないですか」
「使える者は使うが、使えない者はどうでもいい」
「...そうですか」

また、紅茶を口にする。利用できるものは利用し、無駄なものは切り捨てる。それは分かりやすくて、とても賢い思想だ。賛同は出来ないけど、効率的で上に立つ立場の人間には相応しい考え方だと思う。私も柊征志郎には関心なんてないので、意見とか反論とかは特に言わない。

「それだけですか?」
「いや、もう一つ」
「まだあるんですか...何です?」

紅茶を飲み終えてカップを置きながら尋ねると、彼は一度喉を潤してから、にやりと笑って口を開いた。

「お前の三回戦の相手を、椿一月にした」
「!」
「はは、ほら、すぐ顔に出る」
「......嘘、ですよね」
「ああ、嘘だ。そんな真似する訳ないだろう。というか、中立を謳って一切技術を表沙汰にしないお前の家が、そんなことさせないさ」
「...帰ります」

鎌をかけられたことで今度ばかりは我慢が出来なくて、すぐに立ち上がった。一応紅茶をご馳走になったので礼を述べて、早足で出口へと歩を進めたが、また名前を呼ばれてしまって、動きを止める。渋々、振り返った。

「...まだ、何か」
「お優しい香代に忠告をしておく。一瀬グレンには関わるなよ」
「イヤ、です」

否定の部分を強調して、即答する。半身のまま振り返った状態から、彼に相対するように体勢を変えた。迷うことのない私の否定の意思が気に触ったのかは知らないが、暮人さんは眉を動かした。

「第一、私を彼に関わらせたくなかったら同じクラスになんてさせなければ良かったじゃないですか。お偉い柊様なら、そんなこと容易いでしょう? しかもそもそも私は暮人さんの言うことなんて聴きたくないですし、従う筋合いもありません」
「...お前達は双子なのに、随分と違うな」
「兄の話は必要最低限しないで頂けますか、不愉快この上ないです。...それでは、失礼致しました」

今までで一番きつく睨んで、我ながら素っ気ない態度をとってから扉に手を掛けた。お前は家を裏切る気なのか、なんて声が確かに聴こえたけど、答えるつもりなんて更々なく、そのまま無視して生徒会室を出た。ああ、むかむかする、憂鬱だ。



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