オラトリオの嘆き | ナノ

ゆっくりと目を開けた後、ぱちぱちと瞬きをした。視界は依然として真っ白である。それから緩慢な動きで身を起こして、周りの状況を見る。寝てたから若干視界が霞むなあ、なんて考えながら目を擦っていると、紫色の半眼に射貫かれた。

「あら、一瀬くん」
「...あら、じゃねぇよ、白々しい」
「相変わらず口が悪いこと。芝居はもう良いのね」
「お前の前でしたって疲れるだけだろう」
「ああ、そう」

じゃあ、私もやめるかな。深夜の前でする振る舞いとは大違いだなあなんて、その態度の違いについ笑ってそう言うと、グレンは馬鹿にするような顔で私を見てきた。この顔を見るとことある事にカチンと頭にくる。昔はとっても可愛かったのに、男っていう生き物は随分と変わるものだ。

「お前に“一瀬くん”なんて呼ばれると、鳥肌が立つしな」
「へえ。私もグレンのこと“くん”付けで呼ぶなんて気持ち悪くてしょうがなかったから丁度いいわ」
「はっ、そうかよ」

張り合うつもりはないけど態と見せつけるようににっこり笑うと、グレンはどうでもいいとばかりにそっぽを向いた。腹立つ。あーあ、いつからこんなに愛想がなくなっちゃったんだかね。まあ、今のグレンがにこにこしてたらしてたでドン引くけど。でも、こんな毒が吐けるならもう大丈夫か、とその様子に小さく息を吐いて、椅子から立ち上がった。グレンの目が私の動きを追う。

「帰りのHRがもう終わるだろうから、小百合ちゃんも時雨ちゃんも直来るわ。さっさと起きなさいよ? 従者に心配させるなんて、最低だから」
「相変わらずうっせぇな、お前は」
「うるさくて結構。じゃあお大事に、」

手短にそう言って、余計なことを聞かれる前にとグレンに背を向けた。が、

「ちょっと待て香代」
「......なに」

分かっていたけど、やはり、彼はそのまま帰らせてはくれなかった。面倒臭いことになりそうで小さく溜め息を吐いてから振り返れば、何かを探るような、真剣な目でグレンは私を見上げていて。グレンのこの目は苦手なんだよな、とちょっぴり苦い気持ちになった。

「何故、お前はあそこで呪法を使った」
「...私が使ったっていう前提で話すんだ」
「あれは柊のものともウチのものとも違った。だったら、残りはお前等椿しかいないだろうが」
「...ふうん」

つい、と思わず視線をずらした。グレンのこの目はやはり苦手だ。罪悪感とか後ろめたさとかが、じわじわと私を侵食していく。でもそれは、彼の視線がどうこうという訳ではなく、そう受け取った私の方に問題があるのかもしれないけど。

そうして少し思慮して間をあけてから、視線を元へと戻した。グレンはまだ、こちらを見つめていた。

「...仮に、私が呪法を使ったとしたら、それは中立者である椿家の者としての立場からでしょうね。面倒臭いことになると、こちらの平穏も侵されるだろうから」
「......へえ、平穏、ねえ?」
「......」
「流石は柊に劣らない力を持つ椿だ、言うことが違う」

馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりにグレンは笑ったけど、私は反論はおろか、取り繕いの言葉すら口にしなかった。だって、私もそう思う。こんなおかしなセカイにいて、平穏云々と宣うのは馬鹿げている、と。まあでも、生憎ウチの幹部共はそうは思っていないみたいだから、私は椿の人間として家の平穏の為グレンを守ったと言うけれど。椿の人間は、そうであらなければならないのだ。

最後に黙ってグレンを見つめて、これ以上追及されることはないと判断してから早々に医務室から出て行った。グレンも今度は止めなかった。






「......HRはもう終わったの?」

教室に戻るべく、人気のない静かな廊下を歩いていると、前方に人影を確認した。壁に背をあずけて、険しい顔で腕を組んでいる。私が声を掛けると、彼はその顔を引っ込めていつもの微笑を湛えてこちらを見やった。さっきのこともあったので、あまり今は会いたくなかったが、同じクラスで席も近いのだからそれは無理か、と息を吐いた。

「いいや、まだやってるんじゃない?」
「なにそれ。貴方、もしかしてずっとそこに...」
「香代」
「......何かしら」

先程のグレンと同じようなことになりそうな雰囲気を感じて、少しだけ面倒臭いなと思ってしまった。するとそれを声から悟られてしまったのか、深夜は不愉快げに眉を動かして、私のところにまで来た。深夜とは割と付き合いが長いから、私が面倒臭がりなことは充分承知している筈だ。なのにこんな怪訝げな素振りをするところを見ると、彼は珍しくイラついているらしい。深夜は背が高いから、近くまで来られると彼を見上げなければならない。

「何でさっき、一瀬グレンを助ける真似なんてしたんだ」
「助けた? それは語弊ね、別に助けた訳じゃないわ。...それにそれ、さっきグレンにまで言われたわ。答えなくちゃ駄目?」

責めるような目で見られたから、少し居心地が悪い。深夜は私の返答を聴くと幾らか驚いたみたいで、目を見開いた。グレンを名前で呼んだことに驚いたのだろうか。何で今更、そんな反応を見せるんだろう、椿家の策略のことなんて、深夜もとっくに知っている筈なのに。こういう深夜は初めて見たかもしれない、と物珍しく思う反面これからどうなるか分からないから、そのまま様子を窺う。

「......君は、家のことも手間がかかることも嫌いな筈だ」
「...そうだね」
「なら何で、呪法を発動したりしたんだ」
「んー、さあね? 何ででしょう?」
「っ......香代、真面目に、」
「じゃあ逆に訊くけど、深夜は何に対してそんなにイラついてるの?」

言いながら、優しげな青の瞳をまっすぐに見つめる。彼は瞠目していた。

自分でも、深夜にこんな質問をするのは酷いなと思う。だって、彼は許婚である真昼に少しばかり執着している節があるから。昔程ではないけど、今だってそうだ。深夜が柊の養子になった一連の経緯は知っているから、そのような感情を抱くのは無理もないことは分かっている。本人である深夜は、その真昼に対する執着を分かっているのかいないのか、定かではないけれど。“自分より他人の方が”という父の言葉は、正しいと思う。

そうして思った通り、深夜はぐっと言葉に詰まったような顔をしてから、耐えられないとばかりに私から目をそらした。そうなると、一気に気まずい雰囲気が漂ってしまう。自分から口にしたことだけど、非常に気まずい。ここは自習室やら会議室やらがある所謂特別棟というところだから、生徒達の喧騒とは縁がないのだ。授業中ともなれば、尚更だ。

「.........香代は、優しすぎるよ」

この気まずい状況をどう打破しようか、と考えを巡らせていた最中、そんなことを深夜がぽつりと口にした。そんなことを、しかも深夜から口を開いてくれるとは思っていなかったから、思わず目を丸くして彼を見上げる。

「え...?」
「......」

すると、複雑そうに眉を寄せる姿が目に入って。それにぱちぱちと瞬きをした後、徐々に顔の緊張が解れて、頬が緩んだ。依然として深夜は硬い表情を崩さないけど、そんなことを友人に言われて嬉しくならない人間はいない。

「......そう? 自分では、そうは思わないけど、」

でもまあ、ありがとう。そう言ってにへらと笑うと、彼は顔はそのままに横目で呆れたようにこちらを見て。そして極めつけには、大袈裟とも思える程の大きな溜め息を吐いた。いつもの私ならそんな態度をとられたものなら一言二言文句を言うところだが、今回は良い気分なので大目に見た。


私には元々目標、なんて大それたものは持ち合わせていないけど、こんな風に生きる目的、のようなものを上手く見つけられないところに関しては、私と彼は、とても似ていると思うのだ。だから私は彼を、深夜を放ってなんておけない。



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