オラトリオの嘆き | ナノ

「ねえ香代、」

校庭で行われている全校演習。名前も知らないし、そもそも覚える気もないクラスメイトの女子とそれなりに組み手をやった後、芝生に座ってぼうっと他の生徒のそれを見ていた。私とペアだったその子は律儀にも礼を述べてから、興奮冷めやらぬ様子で友人と思わしきクラスメイトの方へと駆けて行ったのだけど、対する私の方はと言うと、笑顔で彼女を見送る傍らどれくらいの力の塩梅で組み手をすれば良いのか考えながらやっていたから、酷く疲れていた。手加減しながら適当な差で勝利すると言うのは、とても難しい。

「......」
「あれ、無視? ひっどいな〜」

そんな訳で疲れていた矢先に態とらしい声音で声を掛けられたので、またうるさいのが来た、と僅かに眉を動かした。緩慢な動きで彼の方へと向いて顔を合わすと、幼少期からずっと変わらないへらへらとした顔と対面する。すぐさま立ち上がり、申し訳なさげな顔を作って頭を下げた。ああだるい。

「も、申し訳ありません深夜様。ぼうっとしていたものですから...決して、無視した訳ではございません」
「はは、相変わらず猫被るの上手いねぇ。でもダメだよ、一瞬君、面倒臭そうな顔した」
「......」
「心配しなくても、誰もこっちなんて見てないよ」

へらへらした顔のままそう指摘され、一気に私の中の何かが冷めていくのを感じた。もうバレてるなら良いや、隠す気も大してないし、と笑うのにも疲れてすっと表情を無くすと、深夜がおっという顔になって。周りを窺うと、彼の言う通り皆演習に夢中でこちらになど誰も注意を向けていなかった。それでも念のため、と声を落として深夜に一歩近付く。

「......学校では話しかけるなって言わなかったっけ、私」
「えー、そんなこと言ってないでしょ」
「へぇ、貴方の頭は都合の悪いことは忘れるように出来てるの? 大層な頭脳だこと、羨ましい限りね」
「はは、ありがとう」
「......」

ーーこういうところが気に食わないのだ。一向に崩れない笑顔をじろりと睨み付けて、これ以上話していても無駄だと溜め息混じりに頭を振って、座り直す。でもそうは言ったって何も学べるもののない生徒達の演習を見ても、ちっとも面白くない。何か感想を言うとしたら、美十ちゃんはいつも真面目だなあ、ぐらい。体育座りとやらになって頬杖をつき、欠伸を噛み殺すと目尻に涙が浮かんだ。

「香代、」
「......なに」

不機嫌さを隠すことなく睨んでも、彼は気にしもしない。

「アイツって、強いの?」
「.........何で私に、そんなこと聴くの」

微妙に、深夜の声音に変化が窺えた。アイツ、なんて代名詞で言ったって、馬鹿じゃない限りすぐに誰のことを指しているかはピンとくる。
言わずもがな、今典人と演習をしているグレンのことだ。グレンは丁度典人に思い切り殴られて倒れていた。それを見た周りの奴らの笑いに、眉をひそめる。

「...聴くまでもないでしょう? アレを見れば分かる。彼は、弱いわ」
「......ふうん」
「......」

笑ってはいるけれど目は冷たいままでそれを見る深夜は、どうやらグレンの実力を疑っているらしい。グレンの無能なクズの演技は見事なものだし、別段大根な訳ではない。その洞察力は流石は柊の養子になっただけはある。...いや、そうならざるを得なかった、と言うべきか。どちらにしても、深夜は観察眼に長けている。
また面倒臭い奴に目をつけられたわね、とグレンに少し同情しつつ、典人達の方に近寄って行く美十ちゃんを見つめた。

「そっか〜。色んな家と繋がりを持つ椿だったら、一瀬のことも知ってると思ったんだけどなあ」
「へぇ、それは残念だったわね、全くの勘違いよ」
「...ウソついてない?」
「はぁ? 何で私が嘘つかないといけないの。何も得ないじゃない」
「得がなくたってやるときゃやるでしょー香代は」
「根拠は」
「香代がアホか、ってほど優しいことを僕は知ってるから」
「......」
「そんな睨まないでよ〜」
「...アンタが変なこと言うからでしょうが」
「照れてるの?」
「は?」

黙れと言わんばかりに再度深夜をキツく睨み付ければ、彼はやれやれという感じで肩を竦めた。ふんと顔を背けてすぐにまた視線を元へと戻すと、下らない話をしている間にも彼等の話は進んだらしく、何やら美十ちゃんと典人が言い争いをしていた。ただの言い争いで終われば一番良かったのだけど、不穏な空気が漂って、遂には戦闘まで始めてしまった。

「あらら」
「はぁ...」
「行かなくて良いの?」
「......深夜と話したから疲れた」
「僕のせいかよ〜」

少し困ったように笑う深夜を視界に入れながら、止めるべきか否かを考える。これだから中立の立場というのは面倒臭いのだ。
教師は名家の子女のそれを見て勉強するように、なんて言い始めるから、みんなの勉強になるならと適当に理由をつけて私は手を出さないことに決める。だって面倒くさい。ああでも、流石に危なくなったらそうもいかないなあ。

「......んじゃあ、僕はちょっと行ってくるかな」
「、は...」

いきなりのことに一瞬反応が遅れて、「どこに」という問い掛けをする前に深夜は動き出していた。一体何処に行くのかとその背中を注視すると、肩越しの向こうに地べたに座るグレンが見えて、思わず立ち上がった。
美十ちゃんと典人の周りは生徒達が退いたせいで大分開けている。そしてそんな彼女等から一番近いところにいるのはグレンだ。そんな彼に近付こうとしているなら、いやでも視線を集めることになる。柊の名を持つ深夜なら尚更だ。深夜は、何かする気でいるのではないか。だとしたら、これは不味いんじゃないかと深夜の実力を鑑みて足を動かすが、また椿の名が私を牽制する。止めに入ったら、私も目立つことになるのだ。ならば、迂闊に手を出してもいいのか。

「......」

父にはああ言われたが、はいそうですかとすぐ行動出来る程単純でもなく。それに、深夜が何かすると決まった訳でもない。普段から彼は理性的でもある。取り敢えずなるべく近くで様子を窺うことにした私は、何事も無かったかのようにゆっくり深夜の後を追った。

(......面倒事は、増やさないでよ...?)

そうして生徒達の間をすり抜けていく途中で、新たなざわめきが起こった。やけに、嫌な予感がする。周囲の生徒達の視線の先が変わり、それにつられて顔を上げると、深夜が腕組みを解いて拳を作っていた。それを向ける相手は当然、グレンに決まっていて。美十ちゃん達ですら戦いを中断して、そちらに注目している。深夜は、本気でグレンを殺すつもりだ。止めに入ろうと思ったって、これでは間に合わない。

(っ...!!)

深夜の拳に呪詛が渦巻くのを見て、咄嗟に唇を動かした。魔法陣も呪符も使わない、気休め程度にしかならない弱い呪法だ。それでも発動は速くて、深夜の拳がグレンの胸に触れる前に起動してくれた。けれどもその直後、骨が折れるような音がして、グレンの身体が宙空を舞う。そして大分高いところから地面に落ちた。

それに隠すことなく舌打ちをして、力任せに邪魔な生徒達を掻き分けていく。香代様...? と困惑気味に呟く観衆共がやたら気に障った。

「...深夜!!」

呼び方なんて、周りのことなんて、もうどうでもよかった。深夜の肩を掴んでぐいとこちらに引いて振り向かせると、珍しく驚いたような顔の彼がいて。私の名を口にしようとするからその前に思い切り睨み付けて、すぐさまグレンの元へと駆けた。そこには既に美十ちゃんがいて、何もしようとしない教師を嫌悪の顔で見ている。生徒達もただ突っ立ってこの様子を見ているということに、吐き気がした。
早速膝をついてグレンの容態を看ると、出血が思ったよりも酷くて顔を顰める。魔法陣が出たって、もっと強力な保護呪法を唱えれば良かったと一瞬の判断の誤りに、奥歯を噛み締めた。

「おい、この血の出方、マジでやべぇんじゃ...」
「典人!! 手伝って!」
「え...ちょ、香代ちゃん...?」
「早くしなさい!!」

ただ突っ立ってるだけの奴らよりは幾分かマシな典人に声を張って、手伝うよう急かした。グレンの片腕を肩に掛けると、それを見た典人も戸惑いの表情をこちらに向けながらも、同じことをする。
ふと視界に入った美十ちゃんも私を驚きの顔で見ていたから、そこでふっと、忘れていた訳ではなかったけど自分の立場というものを再確認した。密かに、自嘲気味な苦笑を落とす。

(.........これはまた、“お説教”かしらね)



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