オラトリオの嘆き | ナノ

何もかもが真っ白な部屋で、グレンは目を覚ました。起き上がってみると、致命傷ではないが胸が確かに痛む。血が足りなくなって血管を繋いだのか、と包帯を見て考えていたその時。ふと、真っ白い視界に異色のものが入ってそちらに視線を滑らせると、彼が横たわるベッドの傍らには穏やかな寝息をたてる香代がいた。グレンの動きが止まる。

「......何でいんだよ...」

ぼそりと疲れたようにグレンは呟いた後、隠すことなく溜め息を吐く。それから確認するようにもう一度視線を下にやっても、変わらず香代はそこで眠っていて。さっき視界に入ったのは、シーツに広がる彼女の髪だったのだ。白いシーツには、それがよく映えた。

「......」

探るような目で見つめても、彼女がたぬき寝入りをしている様子はない。規則正しい寝息をたてて、本当に眠っている。こんなところで、しかもクズの一瀬の前でよく寝れるなコイツは、と警戒心のなさにほとほと呆れる傍ら、香代の普段見ることのない無垢なその顔を見て、先程のことを思い出した。

(......コイツは、またなんで、)

ーー深夜に殴られるその時、グレンの身に何者かの呪法が発動された。とても弱い呪法だ。よほど焦っていたのか、隠すことなくそれは発動された。周りの生徒や教師には分からなくても、グレンや深夜にはその呪法が確かに発動されたことや、誰が発動したのかまで分かっただろう。なんせ、その呪法は柊のものとも、一瀬のそれとも作りが違っていたのだから。

「......ふむ」
「香代に手を出したりしたら、貴方でも承知しないわよ」
「......」

いきなり聞こえた鈴の音のようなその声に、そんなことするか、とグレンは心中で吐き捨てた。見ると、開いたままの扉の外に女が立っている。青みがかった灰色の長い髪。柊真昼だ。彼女は困ったような、それでいて悪戯するような顔でそこにいた。
そのままそこでグレンと幾度か言葉を交わすと、彼の畏まった態度から怒りの色を瞳に浮かべて、真昼は部屋に入ってきた。ベッドの近くまで来ると、先程のグレンと同じように彼女も香代を見下ろす。一瞬、彼女のその視線が和らいだのを彼は見逃さなかった。

「私のような者の近くに来られては、真昼様のお父上がお怒りになります」
「私も昔とは違います。自分のことは自分で決められる。支配下の家の者達の心配をするのは、主家である柊の者の務めです」

やはり真昼は、少し怒ったような口調でそう告げた。グレンはそれでも、何も言わない。

暫し、そのまま二人共何も口にせず、時計の針の音のみが響く時間があった。どれだけ時間が経ったのだろうか、という時。やはり、その沈黙を打ち破るのは真昼の方だった。先程グレンが見た優しげな目で、彼女は幼馴染みの少女を見る。

「......ほんと、香代はかわいいわね」

その言葉に、思わずグレンも再度香代を見る。普段多く目にするのは、面倒臭げに欠伸をしているか、無表情が大半だ。こういう姿を目にするのは、もしかしたら初めてかもしれない。グレンがそんなことを考えている傍で、真昼はさらに言葉を重ねる。

「まあ、こうやって寝てるか、黙ってればだけど」
「......」

そう付け足してくすりと笑みを零してから、その頭に白い手を伸ばして優しく撫でた。すぅすぅと静かな呼吸をする度に彼女の肩は上下して、その動きによってさらりと髪が布団に落ちる。そして眩しい程の、真っ白い首筋が覗く。それに真昼は愛おしげに目を細めた。

「......本当に久し振りなのに、何も言ってくれないの?」

その言葉と共に真昼の手もぴたりと止まり、グレンは視線はそのままにそれに応える。言える言葉を、持っていないと。それからまた傷の具合のことや自分の評価について尋ねられて、当たり障りのない返答をした後、彼は部屋から出ていく真昼に最後、言葉を放つ。

「ああ、言い忘れました。ご婚約のこと、深夜様に聞きました。おめでとうございます」
「......ありがとう」

真昼は振り返らずにそう答えて、医務室を出て行った。そうしてグレンと香代のみとなったそこに残るのは、痛いばかりの静寂と、どうにもならない後悔のみだ。

「.........くそ、俺は、嫌なヤツだな」
「......」

グレンが呻くように吐き捨てたその言葉が、重い苦さを持って耳朶に染みるのを、香代は目を瞑りながら一番近くで感じた。

こんなセカイじゃなければ、グレンと真昼は幸せになれたのだろうか。



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -