オラトリオの嘆き | ナノ

「香代は良いなあ」
「え?」

真昼はいきなりそんなことをぽろりと口にして、私を戸惑わせる。さっきまで話していた事柄と、その言葉はどう考えたって繋がらない。私が困惑の顔でいると、彼女はカップへ紅茶を注ぎながら、ちらりと楽しげにこちらを見てふふふと笑った。同性の私から見ても綺麗で魅力的なそれは、私の目を奪うのには充分で。湯気が立ち上るカップをこちらへ寄越すのでそれを受け取って、眉をひそめる。

「...なに、いきなり何なの?」
「もう、そんな顔しないでよ、皮肉とかじゃないわ」
「そんなことは分かってるよ」
「ふふ」

拗ねるようにそっぽを向くと、また真昼は笑った。顔はそのままで目だけを真昼の方へと向けると、ミルクをどばどばとカップに注いでいてうわあと頬をひきつらせる。なあに? と小首を傾げてぱちぱちと瞬きをするその姿は愛らしい。何でもないよ、とまた紅茶を啜った。

「...でも真昼に良いなあとか言われても、ちっとも嬉しくないし」
「えぇー、酷いなあ、香代は」
「真昼も大概でしょうが」
「ふふ、そうかもねぇ」

真面目に答える気がないその姿に息を吐いて、取り分けられたパウンドケーキを口に含むと、鼻腔にフルーティーな果物の香りが抜ける。それを咀嚼しながら、口の水分を持っていかれるなあなんて考えていると、真昼はカップを置いて頬杖をついた。そして、上目遣いに私を見つめてくる。

「そのままの意味よ、私は香代が羨ましい」
「......ふうん」
「ちょっと、何よそれ」
「いや? どういう企みがあってそんなこと言ってるのかなあ、って」
「だーかーら、本心だって」
「どうだか」

そう笑うと、彼女は不満げに頬を膨らませる。その姿も、酷く愛らしかった。

青みがかった灰色の長い髪を持つ彼女、柊真昼は、私の友人であり幼馴染みだ。世間で言う親友、というものなのかはよく分からないけれど、仲が良いのは間違いない。小学校に上がるか上がらないかの時に出会い、それ以来ずっと一緒。真昼の実家の分家に当たり、かつてはその右腕的存在でもあった私の実家と柊家は、現在でも結び付きが強固だ。まあ、こちらは中立という立場をとってるからそれはあまり意味はないと思うし、そもそも自分の実家が柊家と何をやっているのか知らされていない私には、そんなの関係ないと思うんだけど。

そうして真昼の不満げな態度に肩を竦めると、扉が控えめに三回ノックされた。立派な扉の方を見る。

「一月です、真昼様」
「ああ、入って良いわよ」
「失礼します」

扉の軋む音と共に、ゆったりとした撫でるような低音がやけに響いた。私はその響きが馬鹿にされているようで昔から大嫌いだったから、自然と顔を顰める。コイツの人受けのいい、作られたようなこの笑顔も大嫌いだった。
椿一月。一応、血の繋がりのある兄妹だ。一月は、私が真昼に出会う前に彼女の従者になった。彼は私達の前まで来ると、意味深な視線をちらりとこちらにやってから真昼を見る。ああ、一々腹立つ。

「そろそろお時間です」
「あれ、もうそんな時間?」
「はい」
「あ、そういうことなら真昼、私帰るね」
「ごめんね香代」
「気にしないでよ」

この人と同じ空気をこれ以上吸っていたくないし。心中でそう密かに付け足して兄を睨むと、彼は目を丸くした後楽しそうにそれを細めた。また変な甘さを持った低音が耳を撫でる。

「そんな恐い顔するなよ、香代」
「はっ、そういう恐い顔をさせてるのは誰かしら? それと、私の名前を呼ばないで」
「うーん、無理」
「死んで」
「ははっ、無理だなぁ」

嫌悪感丸出しでそう吐き捨てても、一月はますます私の嫌いな楽しそうな顔をするからキリがないのはよく分かってる。それでも、私はコイツが嫌いで嫌いでしょうがないから、罵倒の言葉を紡いでしまう。私からしたら、思ったことを素直に言っているだけに過ぎないのだ。この男の何が嫌いかというと、耳にイヤに響く声を始め、何を考えているのか悟らせない態度、貼り付けた胡散臭い笑顔など、とにかく全てが気に触る。私は、何を考えているのか分からない人間は嫌いなのだ。

「ふふ、相変わらず一月は嫌われてるわねー、可哀想」
「そうですよねー、俺可哀想ですよねー」
「......私、帰るから」
「ふふ、ばいばい、香代」

真昼の楽しげないつもより若干高い声を聴いた後、そそくさと入口の方へ歩いて行って、重厚な扉に手を掛け部屋を出る。部屋の前には『帝ノ鬼』の兵士が数人居て、私を見ると深々と頭を下げた。

(...真昼...?)

扉から手を離してふと肩越しに振り返ると、閉まりつつある扉の隙間から、悲しげな顔をこちらに向ける真昼が見えて。とてもとても儚く、脆く美しいそれに私が目を見開くのを見ると、彼女は悲しく微笑んだ。

がちゃん。

扉がそんな音を立てて閉まって、またそれに私が手を掛けようとすると、それを遮るように先程の兵士の一人が私の名を口にする。声に僅かながら圧があった。

「香代様、お帰りはこちらです」
「......」

真昼が何故あんな表情をしたのか、気にならない訳ではなかった。こんなセカイで唯一と言ってもいい程信用出来る、大切な関係の子なのだから。でも、その少しの好奇心で柊に目を付けられるくらいなら、そんな好奇心はすぐさま捨てる。だって、今日じゃなくても真昼にはまた会えるのだから。そもそも、真昼は生来悪戯好きの質があるから、さっきのあれも悪ふざけなんだろう。
そう自分を納得させる傍ら、嫌な予感がしてしまうのもまた確かで。だけどその場は取り敢えず、どくどくと嫌な感情しか伝えてこない拍動を抑えて、家路についた。

(......気持ち、悪い)

その日はずっと、胸の辺りがむかむかとしてすっきりしなくて、とても気分が悪かった。






けれども嫌な予感というものは悲しくもよく当たるもので、案の定、この日を境に真昼とは会えなくなってしまった。



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