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火曜日の放課後。昇降口横に止まったバスにいざ乗り込もうとしたとき、武田先生に声を掛けられてバスから少し離れたところまで移動し、相対した。他の部員はもう車内に乗り込んでいるので、私と武田先生が乗り込めば最後だ。先生はいつも朗らかな表情を浮かべているその顔を、珍しく引き締めている。それを見て、あ、と何となく何を言われるのか悟った。

「今野さん、悪いとは思っているけれど、君が烏野に転校してくる前の資料を、見せて貰いました」
『、はい』

こんな時期に、それも進学クラスの生徒がマネージャーになりたいと言ってきたのだから、どのような生徒なのかと先生が興味を持つだろうことは予想していた。先生の申し訳なさそうな表情を見る限り、武田先生は私が青城生だった頃のことをある程度知っているようで、私の様子を窺うように優しく尋ねてくる。

「これから青城に行くわけだけど、大丈夫?」
『はい、大丈夫です』
「…そっか。それなら良いんだ」

こんな風に私を傷付けないように慎重に言葉を選び紡ぐ人を、私は何十と見た。その度に私はにっこりと笑み、惨めさを隠すのだ。
安心したようにそっと息を吐き、先生は元通りの優しげな顔でバスに乗るように促してきた。それに従ってバスに乗り込み、車内前方の潔子ちゃんの隣に腰を下ろすと、彼女に先生と何を話していたのか聞かれたので、曖昧に笑って誤魔化してしまった。






見知った景色を眺めながらバスに揺られること数十分。青城に着いて、さっきまでバス酔いで顔色の悪かった日向くんが、ぺこぺこ田中くんに頭を下げる姿を横目に、おもむろに校舎に目をやった。たちまちじんわりと、胸の辺りに温かいものが広がっていく。この気持ちを懐かしいと形容するには、まだどこか違和感がある。だってまだ、私の頭には色濃くこの校舎の記憶が残っているのだから。

『(やっぱり久し振り、なのかな)』

この気持ちを表現するには、その言葉が一番合っているように思える。昇降口から出てくる白いブレザーの生徒達を見て、今では押し入れにしまっている彼等達と同じ制服を着て、私もここに通っていたんだと思うと何ともいえない気持ちになった。約二年過ごした学舎。色々な出来事があったから、思い入れは強い。自分で決めた烏野への転校だったけど、あのときは辛かったな。

「どうしたの?」
『、何でもないよ』

くるりと校舎に背を向けて潔子ちゃんに笑い掛けると、彼女の向こうに飛雄ちゃんと菅原くん、田中くんが見えた。菅原くんと田中くんが、何やら飛雄ちゃんを押さえているように見える。会話に耳を澄ませてみると、一発気合い入れて、とか、単細胞だとか、話の内容は読み取れなかったけど、二人がかりで飛雄ちゃんを止めようとしている姿に、思わず少し笑ってしまった。

やっぱり飛雄ちゃんは、烏野に来て変わった。何となくだけど、そんな感じがする。






部員揃って第三体育館へと入ると、その瞬間うっかり口元が緩んでしまいそうになってしまったので、思わず手で隠した。みんな体育館の大きさやその他諸々に注目していたから、私の笑みには気付いていない。
顔を引き締めてからちょっと視線を巡らすと、岩泉くんや松川くん、花巻くん等久し振りに見る同級生の姿があって、本当に青城に来たんだなと今更ながら実感がわいた。岩泉くんを何となく見ていると、丁度目があったので手を小さく振る。あちらも手を少し上げて応えてくれて、嬉しさとか恥ずかしさとか色々な感情が押し寄せてきた。

「志織」
『あ、うん、何?』

潔子ちゃんに声を掛けられて我に返る。かつては同じ志しを持っていた仲間だけど、私はもう烏野の男子バレー部の一員で、青城の彼等はもう敵。目の前で試合の準備をし始める黒いジャージの部員達を見て、私も心を切り替えた。潔子ちゃんと一緒にドリンクやタオルを確認していく。

『……あれ』
「何か不備あった?」
『あ、ごめんごめん、何でもないよ』
「? そう」

不思議そうにする潔子ちゃんに気付かれないようにもう一度、青城の選手の顔を一人一人見ていく。もしここに及川くんがいるなら、彼は目立つからこんなことしなくても見つけられる、のに。やっぱり、及川くんがいない。
大抵は岩泉くんの側にいるのに、体育館のどこにもない。女の子からの差し入れを貰ってるとか? いやあり得ない。もうすぐ試合が始まってしまうようなときに、及川くんはそんなことしない。たとえ練習試合でも。

『(じゃあ、なんで?)』

ピーッと鳴る笛の音と運動部特有の挨拶の声を聞きながら、私は内心動揺していた。






日向くんが緊張のあまり澤村くんのボールをレシーブしたり、飛雄ちゃんの後頭部にサーブしたりと、最初は大丈夫かなと心配していたけれどそれは杞憂だったらしい。
第二セットから日向くんを始めとしたコート内の六人が、イキイキし始めた。飛雄ちゃんも、自分のトスに問題があったらさらりと謝っていて、その姿に私はコート外から口元を緩めていた。可愛い後輩が成長したのを見ると、どうしてもにやけてしまう。そんな様子を菅原くんや潔子ちゃんに笑われながら指摘されて、顔を引き締めようとするけどやっぱり無理で、恥ずかしかった。

「志織、にやけてる」
「ははっ、ほんとだ、今野さんにやけてるー」
『は、恥ずかしいから! 潔子ちゃん! 菅原くん!』

両手で口元を隠してそんな会話をしているうちに、第二セットを烏野がとって、コートから出てきた飛雄ちゃんが青城のセッターは正セッターじゃないかもしれないとみんなに言うと、やっぱりみんなは驚いた。
青葉城西の正セッターである及川くんは、今どこにいるんだろう。紗綾香に聞いてしまいたいけれど無理だよねと、第三セット開始の笛の音を聞きながら入畑監督と何やら話している紗綾香の横顔を見つめた。

すると、何かに気付いたようにいきなり紗綾香が監督から目を離すのが見えて、どうしたんだろうと彼女をそのまま見ていると、みるみる整ったその顔がしかめられていく。もしかして、と紗綾香の視線の先を見れば、それと同時に女の子の黄色い声が上がった。
やっぱり、及川くんだった。

「なに、アレ」
『あはは…』

若干冷たい目で及川くんを見ているような潔子ちゃんに苦笑いをこぼして、入畑監督に何か言われている及川くんに視線を移す。

『(…及川くん、何も変わってないや)』

そう思って、数ヵ月じゃ何も変わらないかと思い直す反面、何故かその変化の無さにほっとしている自分もいて。ふたつの思いを不思議に思いながら見ていると、彼の目が飛雄ちゃんの方を見てから私へと移って、思わず固まった。でも、及川くんはニコリと一度笑うと呆気なく私から視線を外して、アップに入っていった。






試合の結果は、セットカウント2−1で烏野が勝利した。及川くんが途中から入ったとはいえ、ここまでやれるとは正直思っていなかった。日向くんと飛雄ちゃんは、まだまだ育つ。もちろん、他のみんなも。

『そっか。勇太郎くんと話したんだ』
「っス。あ、志織さんに宜しく言っとけって言われました」
『あ、ほんと?』

ぞろぞろとバスまで歩く列の最後尾で飛雄ちゃんと話していると、一年生がこちらが気になるのか、会話をしながらちらちらと見てくる。二年生も一年生よりは控え目だけど、やっぱり見てくる。他の一年生に睨みを効かせる飛雄ちゃんの隣で、まだ飛雄ちゃんとのことみんなに言ってなかったんだと思い出した。

『(言わなきゃなあ)』

まだ睨み続けている飛雄ちゃんに苦笑しながらそう思った、そんなとき。

「おお〜さすが主将!」

聞き覚えのある声に前方へ目を向けると、何故か校門のところに及川くんが寄り掛かっていて文字通り目を丸くした。たちまち先程サーブで狙われた月島くんが嫌そうな顔をして、何でか及川くんを目の敵にしている田中くんがチンピラ紛いの口調で及川くんに話し掛け始める。そんな田中くんの後ろからひょこひょこ顔を出して彼と同じことを言う日向くんが、ただただ可愛かった。

『(うーん、何がしたいんだろ)』

及川くんは日向くんを褒めたり、サーブも磨いておくからねとか言ったり、飛雄ちゃんを指差して宣戦布告のような発言をしたり、正直ソレ今じゃなくちゃ駄目なのかなとか思ったし、何がしたいのかイマイチよく分からなかった。周囲には緊張感のようなものが漂っていて、そんなこと言えやしなかったけど。

『(相変わらずだなあ)』

少し呆れながらも離れたところで見守っていると、「レシーブは一朝一夕で上達するモンじゃないよ」と言うのが聞こえてそれには唯一共感出来た。それでやっと気が済んだのか、くるりと踵を返して私の方に歩いてくる、及川くん。目が合う。あ、と思ったときには彼の手が肩に置かれていて、そのまま囁かれる。

「電話するから」

彼は極めつけに一度私の頭を撫でて、去って行った。一連の所作が滑らかで、慣れてるなあと少しドキドキしている胸で思った。顔を上げるとみんながこちらを呆気にとられた表情で見ていて、潔子ちゃんが血相をかいて私へ駆け寄ってくるのが見えた。

ああもうまったく…、及川くんは何てことをしてくれたんだ。


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