雑食 | ナノ

【日本帝鬼軍】

その幹部に名を連ね、今この日本を牛耳っているのは一瀬家の宗家である柊家だが、『裏の権力者』と言っても過言ではない一族が存在する。その一族は一瀬と同じ分家で、一番始めに本家から別れたというのを除いて他の分家と何ら変わりはない。ただ、当主筋の人間とそれに付き従う従者が異様に少ないというだけだ。そんな一族が何故『裏の権力者』とまで呼ばれるようになったのか、俺はしばしば疑問に思う。そう思う要因に、当主の人柄などもあるのだろうが。

ふうと息をついて、書類に落としていた視線を壁掛時計にやった。そろそろ時間だなと机に広げていた書類をまとめ始めると、木造張りの床が軋む微かな音と共に、人の気配が近付いてくるのを感じて顔を上げた。

「グレン様、なまえ様をお連れ致しました」
「おう、通してくれ」

「失礼します」声の主である従者の時雨が襖を大きく開けると、その後ろに立つ人物の姿が俺から露になる。ガキの頃からの付き合いだから、コイツとは大分長い付き合いになるが、相変わらず軍や何やらとは縁遠い雰囲気を纏っている女だ。彼女は物珍しそうにきょろきょろとしきりに周りを見回していた。

「...何でそんなきょろきょろしてんだよ」
『ん? いやー、だってさあ、久し振りだから、一瀬の家くるの。全然変わってないねぇ。あ、時雨ちゃん案内ありがとう、もう大丈夫だよ』
「はい、なまえ様、それでは失礼致します」
『ん、あと私のことは呼び捨てで良いからね』
「......失礼致します」
『ばいばーい』

頭を甲斐甲斐しく下げて去って行く時雨の背中に、ひらひらと楽しそうに手を振った後、「何度も言ってるんだけどなあ...悲しい...」と切なげな表情で女は呟いた。こんな平和ボケしたような人間が、この日本の『裏の権力者』と呼ばれるみょうじ家の当主・みょうじ なまえとは全く...拍子抜けも甚だしい。

「お前、当主から降りるんだったよな」
『そー、一月にね、譲るの』

こんな舐め切った口調をする反面、行儀よく静かにソファに座るもんだから、コイツは詐欺の塊だと思う。そんなことを考えていると、不思議そうに俺の方を見てくるから、その顔を見てわざとらしく深い溜め息をつけば、「なあに?」とへらへら笑みを浮かべた。コイツのこういうところは、深夜に似ているなとつくづく思う。端的に言うとウザいのだ。
「ウザい」と吐き捨てて書類を手早く引き出しにしまってからソファへと近付くと、「ひっどいなー」とまたなまえは何が面白いのかへらへら笑った。こいつの怒った姿はあんま見たことがねぇなと思いながら、ソファに腰を下ろす。

「一月ってまだ高校生だったよな、今年で3年か?」
『そ、高3。第二渋谷高校のね。...あ、このコーヒー飲んじゃって良い?』
「あ」

テーブルの隅に置いてあったコーヒーに目を付け、自分の元へと引き寄せて止める暇もなくなまえは俺の飲みかけのブラックコーヒーに口を付けてしまった。止めようと腰を浮かせて空を切った手をそのままに、露になった喉を見つめるとごくりとコーヒーを飲み込んだ為にそれが動いた。コイツはこういうことを、分かっててやっている。良いか聴いたくせに返事は聴かねぇのかよ。そうは思ったが面倒くさいので早々に諦めて、溜め息を吐きながら腰を下ろした。

『ん〜、一瀬のコーヒーはうまいねぇ。小百合ちゃん煎れ方上手いなあ』
「はっ、ブラック涼しい顔して飲むとか、かわいくねぇの。てかそれ俺の飲みかけだぞ」
『えー、そんなこと気にしないよ、グレンだし』
「俺が気にすんだよ」
『わ、気にしてくれるの? うれしいなあ〜』

空になったカップを置いてから、目を細めてにたりと笑って右手を頬に添える。その表情と言い回しに学生時代のことを嫌でも思い出させられて、どう返せば良いか分からずに苦い顔になった。そんな俺を見つめる楽しげな赤い瞳から逃げるように視線をずらして、腕を組む。横目でじとっとそちらを見ると、にっこりと女が笑った。コイツは黙っていればそこそこ外面は良いんだが、いかんせん中身が駄目だ。これからコイツが口走ることが容易に想像がついて、溜め息を吐いた。

『グレン、』
「...なんだよ」
『好きだよ』
「寝言は寝て言えバカが」
『うっわー、私の愛の告白をそんな無下にするなんて信じられない...!』
「もうこの茶番何回目だよ...お前ほんとずっと黙ってろ」
『ふふふ! ヤに決まってるでしょう!』

歯を見せて楽しげに笑う目の前のなまえは、本当に軍人なんてものには見えなかった。ただの年相応の賑やかな女。これが渋谷にある日本帝鬼軍の本部に行くと、元帥である柊天利と真正面から張り合うようになってしまうのだから、人間というものはいくつの顔を持っているのか分かったもんじゃない。しかしやっぱり、どんな人間にも苦手な奴というものは確かにあって、コイツの反応を見る限り昔から柊暮人だけは駄目らしい。でも暮人の方はなまえのことを使える駒とでも思っているのか無理矢理生徒会に入れたりとやりたい放題だった。

「で、」
『で?』
「お前は何でここに来たんだ? こんな話をする為だけに来たんじゃないだろう?」
『んー?』

分かっている筈なのに、この碁に及んできょとんとした顔をしてしらばっくれる。今更首を傾げるなんて真似、白々しいのに。大方の奴が、なまえのこのような巧みな演技に騙されてしまうのだ。高校時代、俺もコイツのようなことをしていたからよく分かる。馬鹿にされ、見下されようとも、目的の為にひたすら息を潜めてチャンスを待つ。コイツはそういう奴だ。
一瀬と違ってみょうじは柊には一目置かれていたが、コイツの家も他の分家からはあまり良く思われていなかったから、そのように育ったんだろう。だがそれがあったからこそ、みょうじ家はここまで発展したのかもしれないが。...それにしても、先代から後を継いでまだ十年も経っていないのにもう後継ぎ話とは、難儀なことである。一体コイツは何を考えているのか。

時間が気になって一瞬時計に目をやると、「ねえグレン」と俺を呼ぶなまえの声が一気に様変わりするのを感じた。平和ボケじみた会話はもう良いらしい。ゆっくり視線を元に戻すと、なまえはさっきまでの間抜けそうな表情を何処へやら引っ込めて、うっすら笑みを浮かべてそこにいた。毎度毎度えらい変わりようである。

「あ?」
『やっぱり気になる? 私が何で急に当主を降りるなんて言ったのか』
「...そりゃあな」
『ふふ、良かった。私のことなんて興味ないとか悲し過ぎるもの』
「俺が興味あるのはお前の家だ」
『そこはのってくれても良いんじゃない? 真面目だなぁ』
「はっ、お前がいい加減過ぎるだけだろが」

苦笑を浮かべて口元を手で隠す姿に鼻で笑うと、なまえは嬉しそうに微笑んでからソファから腰を持ち上げた。何をするつもりか予想がつかなかったので、そのまま様子を窺う。

『当主っていうのは色々面倒で、好き勝手に行動出来ないことは貴方も知っているでしょう? だから私は、その面倒な座を一月に譲るのよ』
「ふうん、面倒事を弟に押し付けるって訳か」
『そうね、周りから見てみればそうでしょうね』

くすくすと楽しげに笑いながら、なまえは窓辺へと近付いていく。ガラス窓には雨粒が次から次へと伝っており、どんよりと濃い灰色の雲から降る雨が、少し強めに窓を叩いていた。何が面白いのか、窓ガラスに映った彼女の口角はゆるやかに弧をえがいていた。

「......お前は一体、何を企んでる」

声に僅かに力を込めて問い掛ければ、ガラスに映った深紅の瞳と目が合った。俺が圧力を掛けるように目を鋭く細めると、すっと面白そうに彼女のそれも細められる。「その言葉ね、」彼女の微かに笑みを含んだ声を聴いていると、こちらに背を向けていたなまえの、肩辺りで揃えられた青緑の髪がゆらりと揺れた。

『貴方にそのまんま返すわ』

こちらを振り返り、つい先程とうって変わって一気に冷めた深紅が、俺を真っ直ぐに射抜いた。その顔からは、笑みが消えていた。

「......」
『グレン貴方、人体実験なんてやって一体何をするつもり?』

僅かに眉が動いたことに、目敏いコイツは気付いただろう。相反するようになまえは、微動だにせず酷く真っ直ぐにこちらを見つめてくる。その瞳にはいつの間にか、悲しげな、心配げな色が滲んでいた。人体実験くらい、コイツの家だって昔からやってきただろうに。なんで、こんな。

暫く経ち俺の方から無言で顔を背けると、なまえは何も言わずに部屋から出て行った。襖の閉じる音がやけに大きく頭に響き、なまえがいたところへ目を向けると、窓ガラス越しに閃光が走ったのが見えた。

270703
こうゆうグレン連載がやりたい(願望で終わる予感)

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