雑食 | ナノ

漆黒のクセのある髪が、ゆるやかに風に揺れている。屋上の端で景色を眺めている様子が窺えるその男の背中には、見覚えがあった。いやになるくらい幾度も見つめた、広い背中である。人違いすることなどあり得ない。

「あっれ〜? サボりかな〜?」

そう間伸びした声でニヤニヤしながら話し掛けて、コツコツと足音を鳴らしつつ彼に近付いて行った。「やすやすと後ろとらせちゃうんだね」そうわざと嫌味ったらしく呟いて後ろで手を組むと、ゆっくりと男がこちらを振り返る。それはめんどくさげな表情である。思わず笑みがこぼれた。楽しいなぁ。

「...うっせぇな」
『ふふ、口わるーい』
「ここにいるってことは、お前もサボりだろ」
『いやいや私は休憩時間真っ只中でございます。残念』

歯を見せてにししと私が笑うと、グレンは不機嫌そうなその表情を崩さず、さらに眉をぴくりとも動かさずにまた景色を眺め始める。私と目を合わせたこの十数秒、彼は色々なことを考えたのだろうな。そしてそれを表に出さない。どんな時にも冷静な人だ。学生時代からそうだった。子供らしかぬ生意気な奴。

『なんかさあ、最近シノアちゃんに似てきちゃってさあ、なんでだろ?』
「...そりゃあ、よく会うからだろうよ」
『んー、そーかもねぇ...』

外を見つめるばかりで一向にこちらを見ようとしないグレンに、何か面白いものでも見えるのかなあなんて興味をそそられて、彼の様子を窺いながらそうっと隣に並んで同じように景色を眺めた。遠くに小さく壁が見える。アレの向こうには、崩壊した世界が広がっている。かつてそこに、私の故郷があった。でも、世界が崩壊した今ではもう、あそこも朽ち果てているんだろうな。

「お前、」
『.........』
「...なまえ」
『.........え、あ、何?』

イマイチはっきりとしない昔の記憶をぼんやり思い返して感慨にふけっていたら、グレンから呼ばれているのに気付かなかった。最近、気付いたらぼんやりとしてしまっている。ヨハネの四騎士や吸血鬼と戦う時にこんなんでは、周りの仲間に迷惑を掛けてしまう。私は家族を失いたくはない。...しっかりしなくては。

「......」
『だから、ねえ、何、グレン?』

自分の不甲斐なさから湧き上がる怒りを抑えながら、努めてそれを表に出さずににこにこと笑う。そんな私を身体はそのままに目だけこちらに向けて、グレンは見つめてくる。それに私も彼の瞳を探るように見つめ返すが、暗い紫のそれからは何を考えているのかは全く窺い知れなかった。グレンの考えていることは、学生時代からよく分からなかったのだ。

グレン相手にこんな無謀なことしても無駄かあと早々に諦めて、溜め息を吐いてから見ても何も面白くない景色を半目で再度眺め始める。そして、手持ち無沙汰な手を使って風で好き放題に乱される前髪を手で梳いて、整えている、と。
いきなり何かに髪を梳いていた方の手を掴まれて、動けなくなる。“誰がやったのか”なんて愚問だけど、ちらりと自分の手を見てみると、それを掴んでいる私よりも一回りは大きい手は、グレンへと伸びていた。目を少しばかり細めて、威嚇する。

『......何のつもり』
「無理なんてしなくて良い」
『...言ってる言葉の意味が、分からないんだけど』
「そのままの意味だよ」
『はあ? 余計意味分かんな...』

「親父さん、」

びくり。意識なんてしていないのに、反射的に肩が跳ねてしまった。おまけに怯えたような双眸を彼へと一瞬向けてしまって、思わずそれ等を隠すようにすぐさま顔を逸らしたけれど、それはグレンが口にした先程の言葉を気に掛けている、ということをモロに体現する形になってしまったのだと気付いた頃には、もう遅かった。彼は優しい故に、それを見逃してなどくれない。酷い人だ。

「...優しい人だったな」
『っ......ヤダ、やめてよ』
「やめるかバカが。ガキの頃から世話になってたんだ、お前の親父さんには」
『だから...っ、やめてよ...お願いだから...!』

「なまえ」

掴まれていた手をグレンに引かれてしまって、顔を隠してくれるものがついになくなった。最後の足掻きとばかりに俯くけれど、所詮そんなのは一時凌ぎの行為に過ぎない。ああ、私はさぞかし情けない顔をしているのだろうな。軍人ともあろう者が。

「なまえ、ここは、」
『......』
「...ここは、戦場じゃない」

壁の向こうでは、今この時にもヨハネの四騎士が蔓延っているのに? 吸血鬼もいるのに?
この壊れた世界を戦場と言わずして、一体何を戦場と呼ぶのか。

彼の言葉に反論しようとして、思い切って顔を上げて口を開いたけれど、...私の口から言葉は出なかった。感情の昂りが大き過ぎて無意識に強く握り締めていた両拳も、震えて、ゆっくりと開かれる。力が抜ける。我慢していた涙も、溢れてしまう。

「だから、今ぐらい、泣いても良いんだ」

顔を合わせたグレンは、私と同じように苦しげに、悲しそうに、痛そうに、その顔を歪めていたのだから。

ねえ、何で、何で貴方がそんな顔をするのよ。
グレン。

『っ...う...! ひっく...グ、レン...!』
「ははっ、そんなに気ぃ張ってると、いつか倒れて天国の親父さんに笑われちまうぞ」
『う、っ...るさい!』
「どーだか」

「葬儀は?」グレンがそう笑って背中を撫でてくれるけれど、それでもなかなか嗚咽は治らなくて、恥ずかしさからこれ以上言葉にしたくなかったから、ちゃんと挙げたということを示すためにこくりと頷いた。すると、「ん、一人でよくやったな。てか、俺も呼べよなそれ」と頭をぽんぽんと撫でられたのが異様に気持ち良くて、いつもなら「こども扱いしないでよ」と笑って振り払う筈のそれに、従順にもされるがままに頷いてしまった私であった。


柔らかな風が、頬を撫でてすり抜けていく。

250427

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テーマ「人外ファンタジー」
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