雑食 | ナノ

「(もうこんな時間かいな…)」

担任教師に頼まれて資料作りをやっていたら、いつのまにかこんな時間になってしまった。今日は部活が珍しくオフで、それを理由に断ろうとも思ったが相手が悪かった。初めて担任を持ったという気が弱い女性教師の頼みは、俺には断れなかった。というか、空気的に無理だった。終わったこと考えてもしゃあないかぁと潔く諦めて、せめて今からでも早く家に帰ろうと早足で夕日に照らされた廊下を歩いていく。そして3年の教室がある階まで階段を上ろうとする、と。

「(ピアノ……?)」

ピアノの音が聞こえた。いきなりなのか、それとも今までも弾いていたけれどそれに俺が気付かずに、単に音が大きくなっただけなのか。それは分からないが、確かにピアノの音が耳に聞こえ始めた。俺が今居るこの棟は特別棟で、理科室やら美術室やらがある。ピアノが置いてあるのは音楽室だけだから、そこで誰かが弾いているのだろう。
それにしてもだ。

「(これ、大分凄いんとちゃうか…?)」

軽やかに、そしてなめらかに音が変わっていく。強弱がはっきりついていて、かつ音の不自然な狂いもない。素人の耳にも、このピアノの音を奏でている人物の技量が卓越していることが感じられた。
放課後独特の不思議な雰囲気にやられたのか、音をたてないように階段を上って、ふらりと音楽室の前にまで思わず来てしまった。重厚な扉は半開きで、その意味を成していない。そっと中を窺うと、床に鞄が転がっていて、そこからこぼれたのか辺りに転々と小物が散らばっていた。教科書やら、筆箱やらが目に入る。見覚えのある教科書だった。3年のや。

「(誰やろ……)」

女子、3年。それだけじゃ分からない。目を凝らしてその背中を見てみるも、西日が眩しくてよく分からない。身を乗り出して思わず扉に手を添えると、ギィと年期の入った音がしてしまった。ヤバいとたちまち心臓が跳ねて息を飲むも、ピアノの音色はやむ気配もない。

「(っ……聞こえて、ない?)」

取り敢えず、バレていないことを確認してほっと安堵の息をもらす。落ち着いてから、何故俺に気付かないのかと頭を傾ける。鍵盤の上でせわしなく踊る指を見つめて、それから後頭部にじっと視線をやった。夕日に舞う埃が妙に綺麗に見えて、今にもその背中が消えてしまいそうだった。暫くそうしていると、はたとあることに気が付いた。僅かに、さっきより音色が速くなっているのだ。意識して耳をすませてみると、やはりそうだった。

「(………、あかん)」

暫く音色を聞いていると、大した理由もなくそう思った。だんだんと早くなるにつれ、不自然な音色の違和感が目立つようになっていく。始め聞いたゆったりとした響きはそこにはなく、投げやりになっているように見えた。その小さな背中は何かをぶつけるように音色を奏でているように見え、このままでは彼女が壊れてしまうような、そんな妙な予感がした。

「あ…」

唐突に、音が止んだ。
ピアノの音に代わるように、ガガッと椅子の脚が床に擦れる音がする。まさかと思いすぐに顔を上げれば、ピアノを弾いていた彼女が立ち上がって、こちらを向いているのが分かった。逆光になっていて、顔まではよく見えない。

『っ……!』
「えっ、ちょ……っ、まちぃや!」

いきなり彼女が勢いよく俺の方へと走って来たものだから、思わず道をあけてしまったが、はたと我に返って声を張った。放課後の寂しい校内に、俺の声が響いた。

「……なんやねん…」

俺の制止の声も虚しく、バタバタと慌ただしく彼女は走って行ってしまった。暫く彼女が消えて行った方へと目を向けて、ゆっくりと視線をずらして、次は音楽室へと目を向けた。目に入った光景に、一人溜め息を吐く。

「(……あの子、明日どうするつもりなんやろ)」

持ち主に置いていかれてしまった、床に散らばる小物達と鞄。今日は金曜日ではないし、明日も普通に授業がある。鞄とその他諸々をここに置いていくのは、まずいのではないのだろうか。見たところ、スマホも置いていってしまっている。

「(……取り敢えず、このままにしておく訳にもできん、よな)」

あの子が戻って来ないことを、再度彼女が走って行った方を確認してから、女の子の持ち物に触れるのは少し気が引けたが鞄の中に小物達を入れていった。
放課後の音楽室で男が一人、女の子の持ち物を鞄に放り込んでいるなんて、一体誰が想像しただろうか。

「(……珍しく部活休みなのに、俺ほんま何やっとんねん……)」

俺が再度吐いたため息は、今の俺とは真逆の放課後のゆったりとした空気に溶け込んでいった。

250306
続く…?

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