軽い彼 | ナノ



あの時の私は、変に強がって自分の気持ちを押し込めて、あのデートの日以来、黄瀬くんと話を交わすことも、顔を合わすこともしなかった。私は臆病者だった。
そのまま季節は移り変わり、修造が主将の座から退いたり、私も音楽部を引退したり、色々なことがあった。それでも無事に帝光を卒業し、修造はお父さんの治療の為にアメリカへと飛び立ち、小学校中学校と同じだった幼馴染みの彼とは違う道を選んで、私は都内の秀徳高校に入学した。


それから特に何も目立ったことはなく、1年とちょっと経って、高校二年の夏。ある時、ミーハーな友達に誘われて知り合いが居るという神奈川の海常高校バスケ部を見ることになった。

『ええ…ほんとに行くの…?』
「あったり前じゃない! 海常高校のバスケ部よバスケ部! 見ないと損よ!?」
『知らないよ…。てか知り合いって誰なの』
「レギュラーの人! この前合コンで知り合ったの〜」
『……あ、そう』

彼女は秀徳高校、進学校の生徒という名前のお陰で結構合コンの誘いが舞い込んでくるらしい。私もよく誘いは受けるが、一度試しに行った合コンのノリが苦手でそれ以来全ての誘いを断っている。

「ほらほら、カッコいいー!」
『(よくやるな…)』

隣から聞こえる高い声に苦笑いをして、落下防止の手すりを掴んで体育館を見回す。随分綺麗な体育館だ、建ててから秀徳程月日は経っていないんだろう。特に文句を言う訳ではないが、歴史があるなどなんだのということは、十代そこらの私達にはいまいち良さが分からないし、正直どうでも良い。古いのと新しいのでは、物にもよるがだいたい新しい方が綺麗だし、気持ちが良いから新しい方が良いに決まっている。このまま言い続けたら文句に成りかねないので、ここら辺にしておくが。取り敢えず、海常は設備も綺麗だし雰囲気も良いし、結構良い学校だということが分かった。東京から通うには、神奈川だし大変だろうけど。

「うっわ……」
『え、あれ何…?』

練習はまだかと少しだけそわそわしていたそんなとき、少し離れたところに居る女の子の軍団から、黄色い声が上がった。高い声がとてもうるさい。…隣の友達も同じようなものだが。当の本人は、うるっさいわね、とそんなことをぼそりと忌々しげに呟いていた。貴女もあんな感じだけどね、とは思ったけど流石にそんなことを言ったりしない。そんな彼女の口振りからして、アレの理由を知っているような雰囲気だったから、あの女の子達の黄色い声の理由を尋ねてみた。

「アレ? アレはレギュラーに居る一年への声援よ。確かにカッコいいとは思うけど、私はあんなことしたりしないわ」
『……』
「視線が痛い! あっ、ほら、アレよ、」

ピッと伸びた彼女の指が指し示す方向に目をやると、さっきの女の子達に向かって笑いかけて、手を振っている黄色い男が一人。それに暫し目を見張って固まっていると、先輩らしき人が走って来て、黄色い彼は蹴られていた。痛そうだった。

「モデルの黄瀬涼太。名前ぐらいは知ってるよね?」
『あ……うん』
「カッコいいけどねぇー」

語尾を伸ばす彼女は、腕を手すりに乗せて頬杖をつく。対する私は、彼女の言葉をまともに聞いていないのにも関わらず、適当に相槌をつきながら黄瀬くんから目が離せないでいた。小学中学の頃は、近くに修造が居たからバスケのある程度のことは知っていた。でも、高校になってからは修造とはメールをたまにするぐらいで、バスケ部の誰がどの学校に進学したかとは話さなくなった。だから、黄瀬くんが海常に進学したとかは、知らな…かった。緑間くんは秀徳に入学してきたから、仲良くなったけれど。

『っ……』

黄瀬くんが蹴られた箇所を痛そうにさすっているところを何気なく見ていたら、彼がふいに視線を浮かせて、目があった。彼が目を見開くのが見えて、すぐさま目を逸らしてしまう。こんなことしたら返って印象に残ってしまうというのに。でも、何か、昔と変わらない彼の、澄んだ琥珀と目を合わせるのが、恐かった。彼は、私のことに気付いたのだろうか。中学のときは短かった髪を伸ばして、身長もいくらか伸びた。お化粧さえしていないものの、自分でもあの時より大人に確実に近付いたと感じる。当たり前だが。

「? どうしたの、なまえ」
『え、いや、…何でもないよ』

不思議そうにする友達に顔色を変えずに答えて、再度体育館を見下ろす。黄瀬くんは既に私の視界から消えていて、多分部室かどこかに行ったんだろう。…黄瀬くんが私のことを覚えていても、それがどうしたというのだ。覚えていても、別に、何もないだろう。





一区切りついて、ただ練習を見ているのも流石に飽きてきた頃。友達とそろそろ帰ろうかという話をして、未だにキャアキャア言ってる女子軍団を横目に、体育館を後にした。最後にちらりと黄瀬くんを見たとき、彼を含めたバスケ部員達は休憩に入ったらしく、汗を拭いたり水分補給をしたりしていた。

「あ、駅に美味しそうなケーキ屋さんあったよね? あそこ寄ってかない?」
『うん、良いよ』

女の子らしく楽し気に声を弾ませる友達に、笑って了承する。そんなうわべとは反対に、心中では妙に私はスッキリとした気分だった。中学のときとは私も、黄瀬くんももう違うんだということが知れたから。私には私の道があって、彼には彼の道があるから、もう私も引きずってちゃ駄目なんだな、って。

『(黄瀬くんには勝てなかったなあ、悔しいや…)』


「なまえ先輩っ!!」

足を、止める。この声が誰のものだったか頭が判断する前に、振り向いた。

「来て!!」
『えっ、あ…!』

手を掴まれて、走り出す黄瀬くんの手に引かれる。見るからに驚いている様子の友達に何か言おうと、言わなければと思ったけれど、口はただ無意味に開くだけで、喉は言葉を紡いではくれなかった。





黄瀬くんは速かった、それはもう速かった。校舎裏に連れてかれて、彼はそこで我に返ったのか、謝罪の言葉を口にして私の手を離した。私は肩で息をして、苦しくて苦しくて、黄瀬くんが手を離したとほぼ同時に、その場に両膝をついた。黄瀬くんが驚く。

「せ、せんぱ…!?」
『いきなり! なん、なの…!』

ぜえ、はあ、と荒い息をして、たまに咳をして。暫くそれを繰り返して、やっと私は落ち着いて、顔を上げた。黄瀬くんはいつの間にか私と同じように膝をついていて、それでも彼の顔は高いところにあって、首が痛かった。

「えっ、と……」
『…ごほ、……』
「…すみません」
『……それ言うためにこんなことしたの』
「違いますよ!!」
『だったら何なの!!』

また黄瀬くんが驚く。落ち着いたと言ってもまだ息が苦しくて、目の前の黄瀬くんに理由はよく分からないけど、何でか無性に腹が立って、むしゃくしゃした。じわりと涙が滲んで、視界が揺らぐ。何で泣きそうになってるんだ、嫌だ、泣きたくなんてない。何で。

『……ぐす、』
「…すみません」

黄瀬くんの手が伸びて、涙を拭う。後輩に気を使わせてしまうなんて、情けない。ていうかそれにしても、黄瀬くん何か随分変わったな。中学のときとは大違い。そんなことをぐるぐるぐるぐる考えていると、黄瀬くんの手が私の頭にのって、撫で始める。これがどうしようもなく安心してしまうのだから、もう、情けない。恥ずかしい。

「…あの、」
『……なに』
「えっと、こんなときに言うのもアレなんですけど、」
『……』
「…好き、です」
『……私もだよ』
「えっ」

こいつは何で自分で言ったクセに驚いてるんだ。だって、先輩、中学んとき俺のこと嫌いみたいだったじゃないスか! そう声を張る。目を擦る手の隙間から見えた彼は、ほんとに驚いている様子だった。それに返す言葉はいくつか思いついたけど、どれも恥ずかしいものばかりで、言葉の代わりに私は、未だに頭を撫で続ける黄瀬くんの手を払い除けて、そっぽを向いた。

『……』
「……ははっ、」
『…何笑ってんの』
「いや、何でもないっスよ?」
『……』

前言撤回黄瀬くんは昔とあんま変わらなかった。薄く顔に浮かべた笑みを浮かべた彼は、緩やかな所作で私に手を伸ばして、頬に触れた。やっとこれ、なまえ先輩に言える、そう言う彼の方に優しく向かせられて、綺麗な琥珀の双眸と目が合った。

「先輩、俺を彼氏にしてみない?」

250814[FIN]