軽い彼 | ナノ



『ねえ、修造』
「あ?」
『…黄瀬くん、ってさ、…どんな子?』

六限目、自習。
唐突な私の問いに、こちらを見た修造が軽く首を捻った。

「お前、何か黄瀬と接点あったっけ?」
『ううん、…ないよ』

彼のその疑問はもっともである。
風紀委員会に所属している私と違い、黄瀬くんは委員会に入っていない。音楽部所属の私と違い、黄瀬くんはあの有名な天下のバスケ部。

この前までは接点がなかった。
平和だった。退屈だった。
…この前までは。






部長でも副部長でもなかったけれど、今度のコンクールの課題曲で自分で自分の歌声にどうしても納得がいかないところがあった。だからただ放課後に、ちょっと練習をしていただけなのだ。
なのに。

「先輩って、可愛いね」

いつの間ににそこに居たのか。驚きのあまり、その問い掛けは声にならなかった。
人懐っこい、どこか胡散臭い薄い笑みをその端正な顔に浮かべて、彼は開いている窓からこちらを観察するように見ていた。

『……』
「…あれ? もしかして俺のこと知りません? 二年の黄瀬っス。黄瀬 涼太。バスケ部」
『……知ってる、けど』

窓の下枠に肘をつき、頬杖をつきながらこちらの出方を窺う黄瀬くん。そんな彼をもろに警戒していると、「そう、良かった」とやけに意味深に呟き、目を細める。
早くこの空間から離れたいが、荷物が窓側に置いてある椅子の上にあるのだ。喉を控え目に鳴らして、心を決める。
さして何も気にしていなさそうな空気を纏い、涼しい顔で窓際に近付く。それでもなお、彼の顔色は変わらなかった。

「せーんぱい」
『…何ですか』
「さっきの、一番始めの俺の言葉、聴いてました?」
『……誰が可愛いんですか』
「ははっ、ちゃんと聴いてたんじゃないスか」

目線は手元の鞄に向けたままで、眉間に皺を寄せる。何なんだコイツは、何がしたいんだ。
楽譜等を仕舞って、鞄を肩に掛けたときにちらりと見えた、片耳だけのピアス。スポーツマンらしかぬその出で立ちに、また顔が強張った。
少し腹立たしく思いながら、黙ってその場を立ち去ろうとしたそのとき。ぐいっと腕を引かれて距離が一気に狭まった。いけない、油断した。抵抗をしようと頭では思うけど、腕を引かれたせいで体勢が崩れ、身体がいうことをきかない。

「…可愛いのは、先輩っスよ」

クスリと笑われて言われたその言葉に、頭に血が登った。
黄瀬くんから無理矢理離れて、その後は、…よく覚えていない。






「ん、…ん――、黄瀬なぁ…」
『……』
「……猫?」
『…は?』
「いや、猫。いつも、試合中とかは大抵犬っぽいんだけど、何か自由気ままというか、軽いところがたまにあるんだよな」
『あり得ない…』

修造の思いがけない言葉に、思いっきり顔をしかめてその言葉否定してしまう。猫? そんな可愛いもんじゃない、アレは。
そんな私の反応に、不快気に眉間に皺を寄せた修造が「何かあったんか?」と訊ねてくる。
一度躊躇ったが、修造ならば余計なことはしないだろうと思い直し、ぽつりぽつりと私は口を開いていった。

250821