伊月に抱き締められる
「なまえ」
『なにー、伊月ー』
「こっち、見てくれ」
いきなり何だろう、と、回転式の椅子をクルリと動かして、伊月を見る。
『なに?』
「ん、」
『…は?』
「だから、ん、」
『いや…、は?』
目の前のダジャレ男の考えていることが分からない。彼はベットの縁に腰掛けて、こちらに向かって両手を広げている。対して私は椅子に座って、そこら辺から引っ張り出した月バスをパラパラと捲っていたのだ。
彼は、私に何を求めているのだろうか。というか、そもそもいきなり過ぎる。
「なまえは察しが悪いな…」
『え、えー…、そんなの知らないよ。
言いたいことがあるなら、ちゃんと口に出してよ』
「……ちょっとこっち来い」
ちょいちょいと伊月に手招きされる。首を捻りながらも席を立って、彼の隣に座った。まっすぐにこちらを見つめてくる目に、また首を捻る。
『えと…、何?』
「分かんない?」
『わ、分かんない、です』
珍しく真面目な顔を近付けてくる伊月から、恥ずかしくなって目を逸らす。いつもはダジャレばかり言っている彼だから、こんな真面目な顔をされると、どうしたら良いのか分からなくなる。
『わ、私、何かした…?』
恐る恐るそう問い掛ければ、一瞬目を丸くした伊月から、呆れたような溜め息がこぼれた。
そして次の瞬間、私の視界には伊月の肩とその向こう側の景色しか見えなくなる。背中には、私のものではない手のぬくもりを感じた。
『いいいい、伊月さん…!?』
「……こーいうこと」
羞恥心とかで焦りながら彼の顔を見ると、ちょっと恥ずかしそうに笑っていた。
「今日、俺の誕生日だろ?」
『そ、そうだね…』
「俺、いつもはこんなことしないだろ」
『うん…』
いつもは微妙なダジャレばっかり言ってて、残念なイケメンとか言われてるけど、何だかんだ真面目な伊月。いつもはこんなことしないそんな彼だからこそ、私は伊月の行動に驚いている。いや別に、嫌とかそういうわけじゃないんだけど…。ちょっとだけ、びっくりした。
「…だから今日くらい、こういうことさせてくれ」
壊れ物を扱うみたいに、抱きしめる腕に優しく力を込めてくる伊月に、色々な感情が募って、息が苦しくなった。
『…つ、つまり、今日だけは甘えさせてくれ、と…』
「簡潔に言えば、…そうなるかな」
『っ……ほんと、いつもと違うね…』
「でも、嫌いじゃないだろ?」
答えなんてもう分かっているような口振りで、そんなことを言われてしまえば、私には赤くなる以外術がない。
…このすぐ後に、伊月のお姉さんである綾さんがこの部屋にやって来るのは、最早お約束である。