寂しいなんて嘘だよ

練習メニューを組むのは部長と副部長の仕事。練習についてマネージャーが関与できることはない。
だから夏が近づくと、選手がみんな少しずつピリピリし出すのを肌で感じながらも自分は何も出来ないのだという少し虚しさも生まれてくる。応援している気持ちはあるけれど、どう足掻いても私と彼らは違う場所に立っていて、同じ気持ちを感じることも背負う事も出来ないし大きくて分厚い壁を感じてしまう。夏は好きだけれど、寂しさも増す季節だ。
どれだけそばにいたところで縮まらない距離。大人になってからもよく思っていた。きっと自転車乗りにしか、インターハイを走った人だけにしか分からない何かがある。そこはどうやったって私が入れるものではない。入りたいわけでもないけれど、寂しく感じるのくらいは許してほしいとは思う。


「唯、どうした?」
「ううん。何も」
「そうか?ぼーっとしてたけど」


新開くんの声は甘ったるい。優しくて心地の良い、耳に優しい声だ。おまけにニコリと微笑まれてしまえばその気がない女の子でもドキドキしてしまうだろう。不思議そうに首を傾げた新開くんがカチリとヘルメットを被る。白と青のサイクルジャージがよく似合う人だ。

日曜日の今日、東堂くんはヒルクライムのレースへと行ってしまった。福富くんは監督に呼ばれて練習を抜けているので、そうなるとこの部を仕切るのは必然的に新開くんになる。自ら何かを指示したり先頭に立ってまとめ上げるような人ではないけれど、不思議と人がついてくるのだから不思議なもので。実は女子たちからだけではなく、泉田くんを筆頭にして部員たちの間でも人気がある。
黙々と洗濯物を干していたところ、新開くんに名前を呼ばれてあれよあれよという間にタイマーまで渡され記録係になってしまった。喜ぶべきなのに、隣で一緒に洗濯をしていた梅子の不器用な笑顔を思い出すと泣きそうになる。本当なら、私がそこにいなくちゃいけないのに。笑顔で送り出されてしまえば何も言えやしない。昔の私だったら何をどうしてでも梅子を新開くんの元へと行かせたと思うけど、もうそうは行かないのだ。今この場で私が譲ったところで惨めになるのは私ではなく梅子の方だ。それをわかっているから、梅子は笑う。決して私に泣き顔なんて見せない。それは彼女なりの私への宣戦布告でもある。女子高校生は、私が思っていたよりもずっと強い女だった。

タイマーを持たされた私が余程不満げな顔をしていたのか、新開くんが申し訳なさそうに眉を顰める。


「洗濯の方がよかったかい?」
「どっちも大切な仕事だから。どっちがいいなんてないよ」
「ヒュウ。良い女だな」


黒い自転車に跨って出発の時間を待つ新開くんが白い歯を見せて笑いながらそんなことを言うけれど、どうにも居心地が悪くどんな顔をしたらいいか分からなかった。それもこれも新開くんの隣で、同じようにヘルメットを被りつつイライラとハンドルを持つ右手の人差し指がトントン動いている荒北くんのせいだ。こっちを一切見ずに、機嫌が悪そうにその動作をさっきからずっと繰り返している。あれは靖友がイライラしている時の癖だとよく知っている。あの日も、靖友はパソコンを睨めつけながら右手でマウスを意味もなくトントンと叩いていた。


「唯は前から夏になると少し機嫌が悪いよな」
「え?そ、そう?」
「あぁ。夏になるといつもよりずっと難しい顔してる。今も変な顔してるし」
「変な顔って…失礼だな」
「ははは。おめさん、夏が嫌いなのか?」


そう尋ねられると、そうではない。嫌い、とはまた少し違う。どちらかと言うと夏は好きな方だ。


「嫌いじゃないよ」


でも何か、上手く説明できる気はしなかったので普通に返事をした。どんなに説明したってきっとキラキラの向こう側にいる新開くんには伝わらないだろう。それにきっと新開くんは向こう側とかこっち側とか、そんな小さなことを気にする人ではない気がした。きっと、どんなに説明したところで分かり合えない気がする。
新開くんは別に会話を続けるわけでもなく、ふーんとありきたりな返事をしてペダルに足を乗せた。その動作にハッとして手の中のタイマーを見れば、あと30秒で前の組が出て行ってから15分が経つところだ。
ふにゃりと柔らかかった目尻が、レースの時のものに変わる。ギラリと光る鋭い目を見ると、また私の中に少しだけ生まれる寂しさ。だけど同時にドキリと胸が脈打つ音もする。カッコいいと、思う。いちいち動作が綺麗な人だ。
新開くんに見惚れていれば、その後ろからピリピリとした痛いほどの視線を感じる。目線を向ければ、かち合う目と目。細く切れ長い目に睨まれるとどうしてか動けなくなってしまう。こっちに来てから、荒北くんはずっとそんな目で私を見つめてくる。ねっとりとしてきて、苦しくなるその目が今は少しだけ嫌い。
目があったままでいれば、荒北くんが口を開く。それと同時に、タイマーがピピピと鳴り響いて私の横を自転車が2台、物凄いスピードで通り過ぎて行く。こちらを見向きもせず真っ直ぐ前だけを見て進む新開くんと、その後ろをついて行く靖友。すれ違いざまに聞こえた珍しくいつもより小さな声に肩が跳ねる。


「ちいせぇこと気にしてンじゃネェヨバァカ」


ハッとして視線で追いかけても、スピードに乗った背中はもう小さくなって遠ざかってしまった。風に靡く髪をおさえながら、ボーッとその背中を見て立ち尽くすことしかできない私。

相変わらず、勘のいい人だ。靖友の前にいると私の思考回路は丸見えなんだなぁと思うことがよくあった。


「どっちでもいいよ」


指輪を選ぶ時、私はそう言った。
ニコニコ笑っている店員や、キッチリとジャケットを着こなしたりヒールの靴を履いている周りの客からしたら自分達はこの店の中で随分と浮いている気がしてむず痒かったのをよく覚えている。赤くてふわふわの絨毯に煌びやかな店内。靖友と2人でこんなところにくる日が来るなんて、正直想像もしていなかった。
落ち着かなくて、なるべく早く店を出たかった私は候補を2つに絞り後は靖友に託した。隣の靖友は眉をツンと釣り上げて、ギロリと私を睨んだけれど。


「ハァ?気に入った方にしろヨ」
「どっちも可愛いと思うけど」
「こっちだろーが」


2つ、どちらになってもよかった。だから靖友に任せたのだけれど、正直に言えば気になっている方はあった。悩んでいたのはゴールドとシルバーの2つ。どちらも指にはめてみたけれど、私はシルバーの方が好みだった。自分の手はよく分からなかったけれど、白くて綺麗な靖友の指にはゴールドよりもシルバーの方がよく映えていた。
言えなかったのは、この場の空気だけじゃなくせこいけれど値段の問題だ。靖友の方が多く出すことになることは前々から話をつけていたので分かっていたけど、それを踏まえた上で私はシルバーを選ぶことはできなかったのだ。 
顔には出していないはず。視線だって気をつけるようにしていたし、言葉にも出していない。それなのに、靖友は当たり前のようにシルバーを指差す。


「…エスパー?」
「ハァ?フツーに分かンだろ」
「そうかなぁ?」
「ンなのずっと見てりゃ分かンだヨ」


そう言って笑った靖友の顔を思い出す。さっきまで私を睨みつけていた荒北くんとは大違いだ。

一体どうやってあそこまで手なづけたんだけっけなぁ。何か特別なことをした覚えはないけれど。この前のこともあり、今の荒北くんと私の仲は割と悪い方に近い。
きっとこのまま時が進めば、何も起こらないだろう。私と荒北くんの間に何も芽生える事もない。指輪を選ぶ未来もない。


「…暑いなぁ」


やっぱり、夏は少しだけ寂しいから苦手だ。





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