記憶の中のあなたへ

目を開けて飛び込んできたのは真っ白な天井。チカチカ眩しい光にもう一度目を閉じて、再度目を開く。身体を起こしてあたりを見渡して見れば、どこか見覚えのある景色な気がする。

ベッドから起き上がって、仕切られたカーテンを開ければ壁に貼られたたくさんのプリント。その中の一つをじっと見つめてみれば"ほけんだより"と書いてある。ろくに読んだこともないけど、私はこれを知っている。保健係になるとこのほけんだよりを作らされるって、高校時代に噂になったからだ。ラクをしたくて保健係になろうと思っていたのに意外とラクじゃないって気づいてやめたのを覚えているからだ。


「…なんで、制服…?」


袖口から視線をたどって、自分の服装を見下ろしてみれば胸元にある緑色のリボン。なぜか私は高校時代の制服を着ているみたいだ。
どうして。え、だってさっきどうなったんだっけ。靖友と喧嘩して家を飛び出して、アパートの階段を踏み外して落ちたはず。背中を打って痛くてそのまま目を閉じたと思ったのに、どうして制服?そしてここは、多分だけど箱根学園の保健室だ。どうして私、箱学の保健室にいるんだ?意味が分からない。私もういい歳だよ。ウェディングドレスを着るはずだったのに、制服姿はキツい。なんとなくスカートのポケットに手を突っ込めば懐かしい感覚。手に触れたそれを取り出せば、ガチャガチャとストラップが大量に付いた重たいガラケー。


「うっわ、懐かしい。私が使ってたやつだ」


濃いピンクでスライドのガラケーは私のお気に入りだったもの。この大量のストラップも全部お気に入りだった。ガチャガチャうるさいそれを「ウッセーからはずせヨ」って靖友に良く怒られてたっけ。そんなこと言ったって、ここについてるストラップはほとんど靖友たちが買ってきてくれたやつなのに。マネージャーは全ての大会に着いて行けるわけじゃない。平日の大会なんかは学業優先のため限られた選手たちしか参加出来なくて、私は学校で留守番になることが多かった。その度に靖友たちはその場に因んだキャラクターのストラップをお土産で買ってくるものだからこうなってるっていうのに。そんなの外せるわけないじゃないか。全部大切な宝物。今だって実家のクローゼットの中に全部大切に保管してあるんだから。靖友は本当に、私のこと何にも分かってない。

それに比べて、新開くんは私のこのストラップを見て「愛されてる証だな」って笑ってくれたのを良く覚えている。「唯、いつもありがとな」そう言って笑って私にお土産をくれる新開くん。
私は、そんな優しい新開くんが好きだった。新開くんのそばにいると、あたたかくて、心が落ち着いて、もっともっと笑ってほしいって思ってしまう。私が新開くんのそばで、新開くんを支えたい。もちろん、部員みんなを平等に応援していたけどそれでも私が恋愛感情を持っていたのは新開くんだった。


「あれ?唯、起きてたのか」


手の中のガラケーをじっと見つめて立ち尽くしていたら、ガラリと保健室のドアが開いた。名前を呼ばれて顔を上げれば、そこには私と同じように制服を着た新開くんがいる。


「…新開くん」
「もう大丈夫なのか?」
「え?な、なにが…?」
「何がって…おめさん練習中にぶっ倒れたんだぜ。熱中症だって保険の先生が言ってたけど」


練習中。熱中症。倒れた。

なんとなく、昔そんなことがあったのを思い出した。高校三年生の夏、インターハイまであと何週間って時に確か私は外で部員たちのタイムを測っていて、その日はとても暑かった。暑かったのにバカな私は水分補給を怠っていて、急に視界が朦朧として倒れたことがあったのだ。その時のことは大人になってから仲間内での飲み会の時に良くネタにされたっけ。あの時、私は確か新開くんにお姫様抱っこで保健室で運ばれたのだと、数年後の飲み会で東堂くんに聞かされて恥ずかしくて死ぬかと思ったのに。いつからか、この話は飲み会で話されることは無くなった。正確には、私が自転車競技部の飲み会に参加することがなくなったのだ。

そうして、新開くんとも連絡を取ることも、会うこともなくなった。
だから今の私は、今の新開くんがどこで何をしているのかを何も知らない。


「おーい?唯?大丈夫か?」


ぼーっとする私に、新開くんは大きな手をひらひらと振って不思議そうにこちらを見つめている。
昔と変わらない、私の思い出の中の新開くんそのままの姿で。


「…うん、大丈夫」
「そうか?なら帰ろうぜ」
「え、練習は?」
「もうとっくに終わっちまったさ。あ、片付けは1年がやってくれたし気にするなよ」


そう言って、やっぱり新開くんは優しく笑う。
この優しさが好きだった。新開くんといると私はまるで自分がお姫様になったんじゃないかって思うくらいにドロドロに甘やかされてしまう。新開くんの隣にいる時の自分はすごく可愛い女の子になれているような気がしていた。


「…帰ろっか、新開くん」
「あぁ。帰ろう」


新開くんの隣に並んで廊下を歩く。手を繋ぐことはないけれど、伸ばせば触れることができそうなこの距離が楽しかった。
私は多分この時、新開くんに1番近い女の子だったと思う。



私はあの時、やり直したいと願った。
靖友のことが好きだ。結婚したい。この人と一緒にいたいと思うくらいに、あの時の私は靖友のことが好き。
だけど、私といる時の靖友はいつだって苦しそうだった。
私のことを見ながら、ずっと新開くんのことを警戒していたんだと思う。靖友は私が高校時代に新開くんのことを好きだったのを知っていたから。

もう飲み会には行かないでほしい。
新開には会わないでほしい。
新開と連絡も取らないでほしい。

靖友にそう言われたのは、東堂がこの日の話をした飲み会の次の日だった。気にしなくたって、私が今好きなのは靖友なのに。どうしてそんなことを言うんだろうと不思議な気持ちと、信じてもらえてないんだっていう悲しい気持ちが入り混じった私はただ静かに、分かったというしかなかった。
それで、靖友が安心してくれるなら別にいいよ。新開くんは私の中では想い出の人なんだから。別に今特別な感情なんてないのに。
私が選んだのは靖友だったのに。どうしてそんな悲しい顔をして私を見つめるの。私はそんな靖友の顔が大嫌いだった。だけど結婚すれば、もうそんな顔をした靖友はいなくなるだろうって思ってたのに。


「新開くん、私、重くなかった?」
「ウサ吉くらいかな」
「そんなわけないでしょ!」
「はは。それは流石に冗談だけど。全然重くなんかないぜ。むしろ役得って感じだな」
「もう…ありがとう」
「どういたしまして」
「お礼にアイス奢るよ」
「ヒュウ!ラッキー」


にこりと新開くんに笑いかければ、新開くんも笑ってくれる。廊下を歩く私たちはもしかしたらカップルに見えるかもしれない。

それでいい。
たぶんそれが、私がここにきた理由。
私はやり直して、靖友じゃなくて新開くんのことを選ぶよ。
靖友が自由に、心から笑ってくれるのなら隣にいるのは私じゃなくてもいい。いつか誰か知らない女の子の隣で、私の好きな笑顔で笑ってくれる靖友がいるならそれでいいんだ。

アンタが言った通り、私は新開くんを選んであげるよ。

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