地元にいた頃を思い出すと、いつだって俺の後ろには2人がいた。先を行く俺の後を悠人となまえ、2人揃ってちょこちょこと着いてきて、たまに転んでは「はやとくぅん」だなんて甘えた声で俺を呼ぶ。ちゃんとお兄ちゃんをしていた俺は「仕方ないなぁ」なんて言いながら手を差し伸べてしまうのだ。俺が手を出せばうるうると今にもこぼれ落ちそうだった涙がスッと引っ込んで、嘘みたいににっこり笑うからそれが面白いからって、幼い頃はただそれだけの理由だった。
だけど大きくなるにつれ、俺の役目は少しずつ失われていった。俺の後ろをついてくる2人は変わりなかったけれど、いつの間にか手を差し伸べる役割が変わってしまった。俺が振り返るより先に、なまえの隣にはいつだって悠人がいた。転びそうになるなまえを支えるのも、立ち上がらせるのもいつの間にか俺から悠人の役割へとスライドしていき、悠人が手を差し伸べればなまえは俺に向けていたものと同じ笑顔を悠人へと向ける。
弟の成長は嬉しいことじゃないか。しっかり優しい男の子に育った自慢の弟だ。仲も悪くないし、悠人だってなまえと同じように「隼人くん」と呼んで俺を慕ってくれる。俺を追いかけるように自転車を始めて、少しだけ険悪になることもあったけれど基本は昔と変わらない。優しい弟だ。
だけど、なまえに向ける悠人の感情は優しさからのものだけじゃない。ずっと一緒にいて、見てきたから分かる。悠人はいつどんな時だって、優しく、愛おしい目をしてなまえを見つめていた。
分かるからこそ、俺は身を引かねばならない。そんな大層なことじゃないさ。嬉しいことじゃないか。妹のように可愛がってきたなまえがいつか本当の妹になるなら、こんなに嬉しいことはない。

これはきっと夢の中だ。あの頃のように幼いなまえが転んで泣いている。それに気づいた俺が振り返ろうとするより前に、俺の背中にそっと悠人が手を添えてきた。いつの間にか、大きく角張った男の手になったそれを添えて、聞いたことのないような低い声で耳元で囁いてくる。
あぁ、俺はもう振り返ってはいけない。振り返らないと決めた。悠人の目が、真っ直ぐに俺を見つめて声にしなくとも言葉なく言うのだ。


「はやとくん、俺からなまえちゃんを獲らないでよ」



ハッと目を覚ますといつもとは違う天井が目に入る。あぁ、そういえば実家に帰ってきていたんだっけ。帰省に疲れて自分の部屋でダラダラとしていたらそのままベッドで眠りこけてしまったらしい。まだ完全に頭が覚醒してないらしく、もう一度目を閉じる。
久しぶりの実家のせいで、あんな懐かしい夢を見たのかと1人納得する。小さい頃はいつだって3人一緒だった。俺もなまえのことを本当の妹のように可愛がっていた。それは何時ごろまでだっけか。こうしてたまに夢に見るなまえはいつも小さい頃の姿をしている。どうしてだろう、なんて考えるのは馬鹿だ。
ぼんやりする頭のまま上半身を起こそうとするけれど、何か重りが乗っているかのように動きづらい。


「隼人くん」


鈴の音のような可愛らしいソプラノが、すぐ近くから聞こえてくる。そして香るのは甘い匂い。


「隼人くん、」


ゆっくりと目を開けると、さっきとは違いすぐ目に入ったのはくりっと大きな瞳だった。次に目に映るのはぷるんとしたピンク色の唇。


「…なまえ?」
「おはよう、隼人くん」


寝ている俺の上に跨るようにして乗っかっているなまえは、へらりと笑って俺の頬っぺたを綺麗な指先でつんつんと突いた。夢の中よりもずっと、成長した姿だけどこれが現実だ。悠人と同い年で、俺の3つ年下だから今は中学3年生。そう、もう中学3年生なんだから、俺の上に跨るのはやめてほしい。チラリと目線をずらせばいやでも目に入る、短いスカートから伸びた白い脚だとか、すぐ目の前にある柔らかい肌だとか。俺だって健全な高校3年生。意識するなと言う方が無理だろ、これは。

だけど俺はなまえのお兄ちゃんだから、何も知らないふりをして優しく笑って諭すしかない。


「何してんだなまえ」
「隼人くん、どうして帰ってくること連絡くれなかったの」
「悪い。悠人には一応連絡したんだぜ」
「悠人は、関係ないもん」
「おいおい、関係なくはないだろ」
「…いっつも、隼人くんは悠人ばっかり」


不貞腐れたかのように頬っぺたを膨らませて眉間に皺を寄せる仕草をするなまえに、思わずハァッとため息が漏れた。それになまえがピクリと肩を震わせる。
違う、違うんだ。きっとなまえは俺がなまえに呆れたんだと思っているだろう。そうじゃない。俺は、なまえが思っているほどできた人間じゃないんだ。本当は、いけないことだと分かっている。
なまえに連絡をしないのは、出来ればなまえに会いたくないからだ。悠人に連絡するのは、そうすれば悠人がなまえを俺から遠ざけるだろうと分かっているから。毎回帰省のたびにそれで上手くいっていた。なのにどうして、今日に限ってなまえに俺がいることがバレたのだろうか。

そんなクソみたいなことを考えていたら、ポタリと頬に落ちてきた雫。


「…どうして、隼人くんは私を見てくれないの」


心細い小さな声に、グッと心臓が握り潰されたかのように苦しくなる。
泣かせたかったわけじゃない。可愛い可愛いなまえ。こんな俺なんかに泣かされてはいけない。
本当に妹のように可愛がっていた。この感情は妹を可愛がるそれだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。
だって、俺がなまえに対するこの想いを自覚しようとする度に、頭の中で悠人がギロリと鋭い目をして俺を睨んでくる。ダメだと思った。自覚してはいけない。口に出してもいけない。それが、悠人より先に生まれて、無自覚にも悠人からたくさん奪った俺が唯一出来ること。

なまえだけは、あいつから取り上げてはいけない。

あぁ、本当なら今すぐ身体を起こしてそのまま細くて小さい身体を押し倒して腕の中に収めてしまいたい。ぎゅうぎゅうと抱き締めて、柔らかい髪の毛を撫でて肩に顔を埋めて今までずっと押し殺していたたくさんの愛の言葉を囁いてしまえたら、その唇を、何も気にせずに塞ぐことができたなら。


「なまえ」
「っ、隼人くん」
「俺は、なまえのことを大切な妹だと思ってるよ」
「…」
「今までも、これからも。ずっと、一生。俺にとってなまえは可愛い妹だ」


いつものようにへらりと笑って、右手で作った銃でなまえの心臓をバキュンと撃ち抜いてみせる。


自分に言い聞かせるように唱えた言葉で傷つける俺を、一生許さないで、そうして嫌いになってくれ。







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