わがままが強さの秘密


夢乃さんがいようがいなかろうが、夜は来て朝は来るし合宿だって始まってしまう。

別に、本気で言ったわけじゃなかった。そりゃ合宿に夢乃さんがいてくれたら頼もしいし嬉しいなって思う気持ちに嘘はないし、夢乃さんと離れ離れになるのは寂しい。どうせなら一緒にいたいし、何か嬉しいことがあった時とか1番に夢乃さんに報告したいし、「良かったね」って笑って欲しいなって思うけど、オレだって高校生だし無理なものは無理、ということくらいきちんと理解は出来る。
ただああして駄々をこねれば夢乃さんの困った可愛い顔が見れると思ったし、オレに振り回される夢乃さんを見るのがオレは好きなんだ。へにゃりと眉毛を下げて困った顔をする夢乃さんは可愛いし、そんな顔するくらいオレのことを一生懸命考えてくれてるんだなって思うと嬉しくて心臓がキュッとする。自転車に乗ってる時とはまた違ったこの感じは、夢乃さんとしか味わえない不思議な感覚。


「オイ真波、そろそろ休憩終わんぞ」


休憩時間中、ごろんと寝そべって青い空を見上げながらそんなことを考えていれば遠くから黒田さんがオレを呼ぶ声が聞こえてきた。一度大きく深呼吸をして、目を閉じる。
夢乃さんがいたら、きっと今オレの名前を呼ぶのは夢乃さんだったんだろうな。いつものようにコロコロとした声でオレのことを呼んでくれる。しばらくすれば駆け寄ってきてオレの肩を叩いてゆすって、起こしてくれる。しょうがないなぁって手を引っ張ってくれる。オレはそうやって、夢乃に甘えるのが好きなんだ。本当は1人でなんだって出来るのに、出来ないふりをして世話を焼いてもらうのが好きだ。


「真波!コラ!起きろ!」


強い力で腕を引かれて思わず閉じていた目を開ければ、目の前に広がったのはキッと吊り目になって恐ろしい顔をしている黒田さん。


「…黒田さん、痛いですよー」
「だったら1人で起きろよ、ホラ」


パッと手を離されて、その反動でよろけたもののなんとか体制を立て直して転ぶことはしなかった。
黒田さんに背中を押されながらみんなが待っている練習場所へと戻って行く。夏が近づいているのが、ジリジリ照りつける太陽で分かる。じんわりと肌が焼ける間隔。風にそよぐ緑の葉っぱ。じわりと香るアスファルトが焼ける匂い。日に日に夏が近づいてくる。

この前海に行ったの楽しかったな。自転車で行ければもっと楽しいけど、夢乃さんが漕ぐ自転車は遅いし夢乃さんとだったら2人でダラダラ歩くのも楽しいから、また行きたいな。今度は別の海はどうだろう。どこに行ったってきっと2人でいれば楽しいんだろうな。
自転車以外でこんな気持ちになるなんて知らなかった。楽しいのも苦しいのも、自転車でしか味わえないと思っていたけど、そんなことないんだって初めて知った。


「ねぇねぇ黒田さん」
「何だよ、つーかお前自分で歩けっての!重いんだよ!」
「黒田さんって好きな人とかいるんですか?」
「…ハァ!?」
「オレは夢乃さんが好きですけど、黒田さんは誰かいないの?」
「何が悲しくて後輩兼ライバルと恋バナしなきゃいけねぇんだよ。ずいぶん余裕だな真波」
「あ、そっか。オレ黒田さんとライバルになっちゃうのか」


インターハイに出るにはグループ内のレースで勝たなきゃいけないって、この前東堂さんが教えてくれたっけ。オレはクライマーで、黒田さんもクライマー。東堂さんを除いてインターハイに出られるのはあと1人だけ。オレか黒田さんか、はたまた他の人か。
インターハイ出てみたい。強い人たちと走ってみたい。自分以外の強い人たち、どんな人たちがいるのか戦ってみたい。もちろん黒田さんとも、他の学校の人たちとも。黒田さんがオレをライバルって思ってくれているのは嬉しいし、オレも黒田さんのことそう思ってる。
ニッと笑って振り返れば、オレの背中を押している黒田さんもニッと笑う。先輩ってもっと怖い人なのかと思ってたけど、箱根学園の人たちはそんなことない。みんな優しいなぁって。

そう思ったのも束の間。


「どっちもオレの方が1年優位なのを忘れんなよ真波」


そう言って、トンっと背中を強く押した後黒田さんはオレに背を向けて荒北さんの元へと行ってしまった。突然のことと、黒田さんが言った言葉の意味を理解するためにぼーっと黒田さんの背中を見つめて立ち尽くすオレ。そしてそんなオレのことを呼ぶ東堂さんのキンキン高い声が後ろから聞こえてくるけど、それどころじゃない。


「…黒田さん!」
「コラ真波!早く行くぞ!このオレを無視するな!」
「ちょ、東堂さんうるさい!」
「なっ、うるさいじゃないだろ!先輩だぞもっと敬えこの美形を!」


首根っこ引っ掴まれてずるずる引きずられながら黒田さんの背中を見つめていれば、くるっと振り返った黒田さんがこっちに向かってべっと舌を出した。


「…黒田さぁん!」
「オイ!オレのことが見えないのか真波!黒田より!この美形を見ろ!」



***



練習が終わってお風呂に入り、タオルで髪の毛を拭きながら宿の廊下を1人で歩いていれば、通りがかった部屋のドアが突然開いた。びっくりして思わず動きを止めれば部屋の中には浴衣姿の泉田さんがいて、ドアのすぐそばには同じく浴衣姿の黒田さんが立っている。


「お、ちょうど良かった。真波、こっち来い」


ガッチリと手首を掴まれて部屋の中に引き摺り込まれながら、あぁもしかしてこれってリンチってやつされるんだろうかなんて考える。昼間は優しい先輩ばかりだなんて思ってたけど、黒田さんなんか意味深なこと言ってたし。
どうしよう黒田さんはともかく泉田さんのムキムキな腕で殴られたりしたら再起不能になりそう。あ、もしかして泉田さんが殴る係で黒田さんはオレのことを埋める係とか?黒田さんってそういうのは得意そう。警察に問い詰められても表情ひとつ変えずに嘘つけそうだよな黒田さんって。

そんなくだらないことを考えていれば、あれよあれよという間にオレは部屋の中心へと連れて来られてしまった。目の前には仁王立ちしている黒田さん。視線を動かせばオレの横には困ったような呆れたような顔して布団の上に座っている泉田さん。何が始まるのか全く予想も出来ずぽかんと口を開けていれば、黒田さんから差し出されたのは可愛らしい青色の封筒。


「おらよ」
「…え?何ですか?果たし状ですか?」
「ちっげーよ!オレからじゃねぇ!」


受け取った封筒をよく見てみれば、丸っこい字で書かれているオレの名前。裏返せば右下に小さく書かれた椎名夢乃の文字。


「…夢乃さん?」
「椎名さんから手紙を預かってたんだよ」
「なんで手紙?」
「真波がケータイ見ないって言ったんだろう?だから手紙を書いてくれたみたいだよ。真波、あまり椎名さんを困らせたらダメだよ」


困ったように眉を下げた泉田さんに言われて、自分が夢乃さんに言った言葉を思い出す。
夢乃さんのことを困らせたくて、オレのことでいっぱいになって欲しくて深く考えずに口にした言葉を夢乃さんはちゃんと覚えててくれて、そしてちゃんと向き合ってくれてこうして手紙を用意してくれた。夢乃さんは真面目な人だ。真面目で、優しすぎて、オレに甘い。振り回されてるって分かっててオレに優しい。そんなところが、オレはやっぱり好きだ。


「ったく、人のこと使いやがって。甘いんだよ椎名は!オレは黒猫宅急便じゃねぇっつーの」
「ユキだって椎名さんに甘いくせに」
「別に甘くねぇよ」


眉間に皺を寄せて苦い顔をする黒田さん。どんな感情でそんな顔してるんだろう。気になる。昼間のこともあるし、気になることを放っておくのは気持ち悪い。


「黒田さんって、夢乃さんのこと好きなんですか?」


オレの言葉に、なぜか泉田さんが大きく肩を揺らしてあわあわと慌てているのが視界の隅で分かる。どうやら泉田さんも気になっていたけど触れられなかったことらしい。
だけど黒田さん本人は表情を全く変えず、いつもと変わらない顔してジッとオレのことを見つめてただ一言。


「は?椎名をそんな目で見たことねぇよ」
「…えっ!?そうなのかい?」
「なんで塔一郎がそんな反応するんだよ」
「いや…僕はてっきり」
「ふざけんなよ世界がひっくり返ってもねぇっつーの」
「アブゥ…あんなに仲が良いのに」
「仲が良いのとそれとは別だろ」
「だってあの時も…」


そこから始まる泉田さんと黒田さんのちょっと昔の話。受け取った封筒を手にしているものの聞こえてくるオレが知らない夢乃さんのことや黒田さんや泉田さん、葦木場さんの話も気になってしまう。

オレが知っている夢乃さんって、ほんの一部なのかもしれない。オレが知らなくて黒田さん達が知ってる夢乃さんもいるんだって思うとモヤモヤしてやるせない気持ちになる。

でもきっと、オレが知ってる可愛い夢乃さんのことを黒田さん達は知らないんだろう。好きって言った時の顔や、キスしてる時の顔。幸せそうに笑ってオレの名前を呼んでくれる時の顔。それはオレしか知らない、オレだけの秘密の夢乃さん。

立ち上がって、部屋のドアへと歩いて行く。いまだに後ろで盛り上がっている泉田さんと黒田さんに背を向けて、オレはオレの中にいる夢乃さんのことを思い浮かべるんだ。


「黒田さん、これありがとう」
「おー。明日寝坊すんなよ」
「うん。絶対、黒田さんに負けないからオレ」


しんと静かになった部屋の中。動きと会話を止める黒田さんと泉田さんににっこり笑って、部屋のドアを閉じる。


「やっぱり、インターハイ出たいなぁ」


人差し指と中指で挟んだ封筒を見ながらそんなことを思う。


インターハイで走りたい。
強い人たちと走って勝って…。

そうしたらきっとまたオレが知らない夢乃さんに出会えるだろうか。


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