アホ毛だけだったのが、ひょっこり顔まで出てきてニコニコ笑う。それから私の目を見てまた、楽しそうに笑うのだ。
「オレ、ポニーテールがいいなぁ」
髪の毛を切ろうかなと思っても、どんなに可愛いボブのモデルを見ても、いつだか真波が言った言葉を思い出してしまうから私は髪の毛を切れずにこうしてえげつない後毛のポニーテールを作ってしまうのである。恋というのは恐ろしい。
思い出し笑いをしながら外の水道で空になったボトルの山をひとつひとつ洗っていれば、後ろからポニーテールをぐいっと引っ張られて首がもげそうになり、視界に広がるのは青い空と白い雲。
「暇?」
「…へぇ、ユキにはこのボトルの山が見えないんだぁ」
「は?見えてるに決まってんだろ」
「じゃあ何?見えた上で聞いてきてるってこと?」
「おう」
振り返れば肩にタオルを乗せサイジャ姿で仁王立ちをしこっちを見てくるユキ。さっきまで走ってきたのか髪の毛は汗でへたっているしサイジャも色が変わっていて、ぱっと見は部活に精を出す好青年なんだけども仕事をしている今の私から見たらムカつくだけなんですけど。なんだその自信満々の笑顔。腹立つ。そして女の子の髪の毛を引っ張るなんて最低なんですけど。まぁこんなこと言ったらユキは真顔で「はぁ?どこに女がいるんだよ」と言ってくるに違いない。さっきまで笑顔の真波を思い浮かべて幸せな脳内だったのに。許さんマジ。無視しよ。
振り返っていた首を元に戻し、ボトルを洗う作業に戻ることにした。背中に視線を感じつつ、手を止めずにボトルを洗い続ける。
「椎名」
「…」
「おいコラ、マネージャーだろお前。部員を無視すんなっての」
「マネージャーだって部員を選ぶ権利あります!」
「ったく。わぁったよ!オレの言い方が悪かった。手伝ってくんね?」
ガシガシと頭を掻きむしりながらそう言うユキに、ジロリと視線だけを向ければユキはちょうど通りかかった他のマネージャーの先輩に声をかけて「コレ借りていーっすか?」なんて言いながら私のことを指差している。そして先輩は先輩で「好きに使ってー」なんて返すもんだからひどい。コレって、私モノじゃないし!しかも好きに使ってって!私一応女の子なんですけど!ユキにあんなことやこんなこと…いや、ないな。絶対にない。天地がひっくり返ってもないな。
先輩の返事を聞いたユキは「アザス」と頭を下げて私の着ているジャージの首根っこを掴み引き摺るようにしてどこかへと連れて行く。拉致ですよこれは。助けて真波!どこなの真波!あの人今日1回も見てないんだけど!サボり!?寝坊!?寂しいなぁ。真波がいないと私も生きてる感じしない…わけじゃないけど。寂しいは寂しいんだよ。私の今の生きがいは真波の可愛い天使の笑顔だからね。
「そう。私は真波の笑顔が好きなの。ユキとはどうにもなれないのごめんなさい」
「ふざけんな何でオレがフラれたみたいになつてんだよ。オレにだって選ぶ権利はある」
ずるずると私を引きずりながらユキは心底嫌そうな顔をした。不満ですと顔に書いてあるし私もだけどユキも大概失礼な奴だ。
「ハァ?じゃあ何で声かけてきたのさ」
「椎名が1番…なんつーか、アレだろ」
「…アレ?」
「アレだよアレ。ほら、あの、1番仲が…いや、ちげぇな」
あーでもないこーでもないとうんうん唸りながら言葉を選ぶユキを、足を動かしながらなんとなーくじっと見つめてみる。
顔は、まぁいいと思う。切れ長の目も凛々しい眉毛もいい感じだし整った顔をしていることは認めよう。
声もいいね。高すぎず低すぎず。男の子らしくていいと思う。口は悪いけれどちゃんと名前を呼んでくれるし、聞き取りやすいし。話もまぁ面白い。クラスでも会話の中心にいることが多いしツッコミもしっかりこなして笑いを生むことが出来る人だ。
そういえば背も高いんじゃない?葦木場くんといると小さく見えるけれど私からしたらそこそこ身長差があるし。それにスポーツも得意で何をやらせても普通より出来る。運動神経抜群で体育祭では色んな種目に引っ張りだこだし。サイジャを着ているせいで目立つけれど筋肉もまぁまぁある。泉田くんは異常だけど、ユキはがっしりというか細いながらにも男の子って感じで力強い。
とまぁ、ここまで見たらユキって結構イイ男なんじゃないの?と思う。実際ね、ここだけの話2年生になってから何度か知らない女の子たちに「黒田くんのID教えて」とか「黒田くんの好きな食べ物ってなに?」「黒田くんの誕生日いつ?」「黒田くんって彼女いる?」とか聞かれたこともあるし。
そしてごくごく稀に、「黒田くんと付き合ってるの?」と聞かれることもある。聞いてきた子たちは、みんなユキのことが好きなんだろうなって思うと可愛かったけれど考えていることは全く可愛くない。なぜ私が、ユキと付き合わねばならんのだ。私には可愛い可愛い天使がいるんですよと言ってやりたい。
「アレだって!なんつーか!わかんだろ!?な!?」
「分かんないよ!なに?おじいちゃんなの?」
でもまぁ、こうしてユキときゃっきゃと戯れるのは私もなんやかんやで嫌いじゃないんだけども。
たくさんマネージャーも部員もいる中で、1番頼れるのは誰かって聞かれたら多分、私はユキを選ぶんだと思う。困ったことがあればユキを呼んじゃうだろうし。いや、もちろんね!真波のことは大好きだし自慢の可愛い彼氏だと思ってるけど。ユキと一緒に過ごしてきた時間も私の中には確かにある。それに、ユキだってさっきもわざわざボトルを洗ってる私に声をかけてくれたっていうのはそういうことでしょ。
恋とか愛とか、そんなのはなくても私は友達としてユキのことが好きだし自転車に乗るユキのことを尊敬しているから、頼れる親友…いや親友もまた違うか。戦友?なんだろう。上手い言葉が見つからないけどまぁまぁ、ユキのことは信頼しているよってこと。
「だーかーらー!あ、ほら!椎名はオレの…」
さっきからユキが言いたいのも、そういうことでしょ。うんうん。分かるよ。
「都合の良い女」
うんうん。そうだねそれが私たちの……
は?
「…都合の…」
「そーそーそれだわ!あースッキリした!」
「…ユキは、そんな都合の良い女をなぜ呼んだの?」
「あ?いや、ストレッチ付き合って欲しくてさ」
ケラケラ笑ったユキは掴んでいた私のジャージをパッ離すとその場にぺたりと座り込んで開脚をした。
その背中を、押せってか。汗で濡れたサイジャのままの背中を押せってか。お前の汗はフローラル…なわけねぇだろバカユキ!
「さいってい!」
「づぁァァアアアア!やめ、椎名!痛い!痛い死ぬ死ぬ死ぬ!」
思いっきりその背中にお尻で乗っかって踏んづけてやれば潰れたカエルみたいなユキの悲鳴が外に響き渡った。
マジで、あんたがモテないのは全部を台無しにするそういうところだよユキ。