きみの全部がぼくの全部


譲れないものをたった一つだけ選ばなくちゃいけないのなら、オレは迷わずに自転車を選ぶ。自転車だけはオレから取り上げないでほしい。例え何を失ってもいいから自転車だけは、オレの生きる全てであってオレがオレであると証明できる唯一のもの。

だけど、そんなオレの世界にひょっこりと現れた夢乃さん。いつの間にかオレの頭の中をいっぱいにして、何をするにも優しい顔をしてニコニコ笑う夢乃さんがいる。苦しい時も、悲しい時も、嬉しい時も楽しい時も。どんな時だって夢乃さんのことを思い出す。こんなことになるなんて、知らなかった。今まで1人の人間に固執したことなんてなかったし、それはとても怖いことだと思っていたから。

オレは自由が好きだ。好きな時好きなように、オレのままでいたい。何にも誰にも縛られずに、自由気ままに動き回りたい。その気持ちは変わらないけれど、1人は少しだけ寂しいんじゃないかと思うようになってしまったのは夢乃さんのせいだ。
譲れないものが一つだけなんて嫌だ。自転車だけじゃなくて、夢乃さんだってオレには絶対に必要だ。夢乃さんがいるから、オレは毎日が楽しくて眩しいくらいに輝いて見える。オレの世界を変えてしまった不思議な人。


「…なぁんてね」


朝方、まだ暗いうちから自転車を漕いで登ってきた山頂。さっきまで薄暗かった景色が少しずつ明るく変わっていく。すぅっと息を吸い込んで、大きく深呼吸をした。
太陽が昇っていく、この瞬間の綺麗な景色が好きだ。澄み切った少し冷たい空気も、聞こえてくる鳥の鳴き声も。いつも1人きりで見ていたオレの大好きな山の景色を誰かと共有したいと思う日が来るなんて。


「ま、真波ぃ…」
「夢乃さん遅いよ」
「当たり前でしょ…うちのエースクライマーと一緒にしないで」
「えへへ。置いていってごめんね」
「それはいいよ。分かってて誘いに乗ったのは私だから」


ぜぇぜぇ息を切らした夢乃さんがママチャリを漕いで上がってくる。母親の電動自転車を貸してあげたけど、それでもこの山道を登ってくるのはキツかったらしい。当たり前だ。夢乃さんは部員じゃなくてマネージャーだし、それ以前にオレとは違って男の子じゃなく女の子なんだから。
夢乃さんの手はオレとは違ってふにゃふにゃしていて柔らかい。ずっと触っていたくなるくらいに気持ち良いから、オレは夢乃さんに触れるのが好きだ。ほっぺたも手のひらも唇も、どこに触れても柔らかくて心地良い。他の女の子のことなんて知らないけれど、夢乃さんのことだけ知っていればいい。夢乃さんの女の子な部分はオレだけが知っていたいだなんて、到底無理な話だけれど割と本気で思ってる。

自転車に跨ったまま下を向いて息を切らしている夢乃さんの右手を取って、早く早くと急かすように引っ張れば夢乃さんは少しだけ呆れたような顔をしてから自転車を降りた。そのまま引っ張るようにして、さっきまでオレがいた場所へと連れて行く。


「ほら、見て」
「…すごい」
「綺麗でしょ?」
「うん。すごい景色」
「喜んでくれた?」
「うん。きっと真波に誘われなかったら、こんなの一生知らなかっただろうね」


ありがとう。
そう言って笑う夢乃さんをキラキラ輝く陽の光が照らしている。
夜から朝に変わる、山頂からのこの景色を夢乃さんにも見せたくて、無理を言って明け方の山登りに付き合わせてしまった。オレの好きなもの、夢乃さんにも見てほしいし好きになってほしい。
夢乃さんはオレからの早朝ライドのお誘いに戸惑ったようだったけど、ちょっと屈んで上目遣いでお願いをすれば何だって折れてくれることを知っている。可愛いとか、カッコいいとかビジュアルに関して気にしたことなんてなかったけど、夢乃さんが好きだと言ってくれるからオレは自分のこの顔で生まれて良かったなぁなんて思うのだ。ダメ押しで首を傾げて見つめてみれば、案の定夢乃さんはその場でコクリと頷いてくれた。

最初は2人で並んで走っていたけれど、俺が山で人に合わせて走れるわけもない。それが例え夢乃さんだとしても。重いペダルを踏んで、ぐんぐん山を駆け上がれば振り返っても夢乃さんはいない。だけどそれでもいい。それでいい。夢乃さんだって多分最初から2人一緒に登ることなんか期待していなかったはずだ。
その証拠に、今景色を見ながら2人並んでいる時もオレのことを責めてくる様子なんかない。
そういうところも、夢乃さんだなぁと思う。一緒にいるとラクだし、オレのこと何でも分かってて何でも受け止めてくれる。それってオレのことすごくすごく好きってことなんだって思うと嬉しい。


「オレ、いつも1人でこれ見てたけどさ、いつか夢乃さんにも見せたかったんだ」
「ふふ、嬉しい」
「嬉しい?」
「うん。だってこれを見てた時、真波の頭の中に少しでも私がいたってことでしょ?」
「…いつだっているよ」
「へ?」
「夢乃さんはいつだってオレの中にいるんだよ」


もちろん、考えられない時だってある。坂を登っていればそれだけで楽しくなっちゃうし、そんな時は夢乃さんのこと頭からするりと抜け落ちてしまっているけど。それでもやっぱり夢乃さんだけは特別だと思える。オレの大好きなものを分けてあげたい。そう思えるくらいには、夢乃さんのことが好きだ。

やわらかい手を握り、指と指を絡めれば夢乃さんも同じように握った手に力をこめてきた。
チラリと夢乃さんの方を見つめれば、夢乃さんも同じようにこっちを見つめていたせいでパチリと目が合う。
夢乃さんはオレの目を綺麗だというけれど、オレは自分の目なんかよりも夢乃さんの目の方が好きだ。オレのことをじっと見つめてくれる丸いビー玉みたいな目を見てると、もっと近づきたくなる。オレのことでいっぱいにしたくなる。


「ねぇ、今日ホワイトデーだよね」
「真波でもホワイトデーとか覚えてるんだね」
「あはは。今思い出した」
「なぁんだ。私、勝手にこのデートがお返しだと思ってたよ」
「あぁ…そっか。それでもいいけど」


ぐっと顔を近づけて、鼻と鼻をくっつける。何度しても、夢乃さんは恥ずかしそうに顔を真っ赤にするからそれはちょっと面白い。ほっぺたを真っ赤に染めて、大きく目を見開いたかと思えば何をされるか分かってるからすぐに目を閉じてしまう。
その時の、ふるりと震える睫毛を見るのが好き。全部目に焼き付けてから、オレも同じように目を閉じてキスを落とす。
ほっぺたよりも手のひらよりも柔らかい唇にキスをするのも好き。ぺろりと舌で小さい唇をなぞれば、肩を震わせながらも小さく口を開ける夢乃さん。
夢乃さんだって期待してるんだって分かると、オレの心臓がドキドキうるさく跳ね上がる。夢乃さんもオレと同じくらい、オレのことが好きなんだって。知ってはいるけど改めて分かると胸がざわついてもっともっと好きになって欲しくなる。オレも、夢乃さんのことをもっと好きになりたい。


「あはは、ホワイトデーのお返し。どう?」
「…まなみ」


そんな甘ったるい声で名前を呼ばれると、たまらないんだよなぁ。


「夢乃さん、好き」


おでことおでこをくっつけて、笑ってそう言えば夢乃さんは嬉しそうにへにゃりと笑う。

オレの世界の中の大切な人。可愛らしくて、オレのことを想って守ってくれる強い人。


「私も真波のこと、好き」


幸せぎゅっと詰め込んだこの空間。

大好きな山に大好きな自転車に乗って、大好き好きな景色を大好きな人と2人で見る。
これってオレばっかり得してるんじゃないかなぁなんて思うけど、夢乃さんも嬉しそうに笑っているからこれでいいのかもしれない。

だからこれから先もずっと、夢乃さんだけはオレに優しくしてほしい。何があっても夢乃さんだけは、オレを信じて待ってくれているなら。

オレはどこへだって行けるし何だってできるよ。







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