今だけと思って忘れてほしい


今日は朝からついてなかった。駅から学校へ向かうためのバスではおじさんの肩が思いっきり頭にぶつかって痛かったし苦手な数学では先生に当てられて答えが分からず立ち尽くしていたら離れた席のユキが口元を手で押さえながら馬鹿にするような目でこっちを見てくるし、お昼の時間になってパンを買いに行けば目の前で御目当てのメロンパンが売り切れてしまったので仕方なくチョココロネで妥協した。
もそもそとチョココロネを食べていれば今度はお腹が痛くて、あーそういえば薬持ってくるの忘れたなぁなんて思う。女の子特有のちくちくした痛み。いつもはそんなに痛くないくせにこういう日に限って重たくなるんだからふざけるなって思う。とにかく今日はついていない。
チョココロネは半分だけ食べて、残りは袋の中に戻した。あんまりお腹も空いてないし、今はそれより痛みの方が強い。
ぺたりと上半身を机の上に倒して、私は無になることにした。友達は心配して声をかけてくれるけど、みんな今日に限って薬は持ってないという。そんなことあるか?やっぱり今日はついてない。


午後の授業も心を無にしてなんとか乗り切ることができた。体育がなくてよかったなぁなんて思いながら鞄へと筆記用具を突っ込んで椅子から立ち上がる。


「夢乃、部活行くの?」
「うん、行くよー」
「大丈夫なの?今日はやめとけば?」
「いやぁ…そうもいかなくて。それにもう大丈夫!ありがとね」


心配そうに顔を歪める友達にひらひらと手を振って部室へと向かった。
未だにお腹はちくちくと痛みがあるけど動けないほどではない。それに今はインターハイに向けて毎日部活が忙しくて休んでる暇なんかないのだ。箱根学園の自転車競技部は強豪ということもあって50人以上の部員がいる大所帯。みんながインターハイ優勝を目指して頑張っているんだから私たちマネージャーも頑張らなければいけない。マネージャーは各学年何人かいるけど、それでも人では圧倒的に足りない。
毎年マネージャーも入部はしてくるんだけど、平日も土日も部活。思っていたよりも地味で力仕事も多くてすぐにみんな辞めてしまう。
そんななか、よく私は続いてるよなぁ。要領がいい方ではないけど。我ながらびっくりだ。


「夢乃さーん!」


部室でジャージに着替えて外に出れば、遠くからこっちに向かって物凄いスピードで進んでくる自転車が見えた。ぐんぐん近づいてくる自転車に乗ってる人からは羽が生えているように見える。
真波って、もしかして天使なの?


「真波、お疲れ様」
「お疲れ様でーす」


キィッと音を立てて止まった真波は自転車に乗ってるものの制服のままだ。また授業サボってどっかに走りに行ってしまっていたらしい。
本当は叱らなきゃいけないのに、真波なら仕方ないかと思ってしまうのだから私はダメマネージャーなんだよなぁ。
だって真波には自由がよく似合う。好きなように走ってる時の真波はとっても綺麗だから、いつまでもそうやっていてほしい。


「…夢乃さん、大丈夫?」
「え?」
「くま、すごいですよ」


真波の手が伸びてきて、人差し指で私の目の下をそっと優しく撫でる。
くま…昨日そんなに夜更かしした記憶はない。もしかして貧血気味なのかもしれないなぁ。それでもそんな、真波に気づかれるくらいひどい顔をしていただろうか?恥ずかしすぎる。


「あー…ちょっとね、夜更かししたからかな」
「元気ないね。どうしたの?」
「…そーぉ?」
「うん。なんか、なんとなく」


私の目元を撫でていた手が、ぴたりと頬っぺたに添えられる。さっきまで自転車に乗っていたからかあたたかい掌が気持ち良くて、思わず擦り寄るようにして目を閉じた。


「…夢乃さん冷たい」
「んー」
「ね、体調悪いんじゃないの?大丈夫?保健室行く?」
「真波と一緒に部活行くよー」
「…可愛いけど、ダメ。変だもん夢乃さん」


さっきまで頬っぺたに当てられていた手に今度はむぎゅっとつねられる。痛い。それに多分今の私アホみたいな顔してるからかやめて欲しい。
真波の手から逃げたくて、一歩後ろへと足を引けばそのままくらりと頭の中が揺れる。同時にお腹もズンっと大きな痛みが襲って、あ、倒れるかも。


「あっぶね!」


私の腕をがっしり真波が掴んでくれたおかげで倒れずにすんだものの、頭はぼーっとするしお腹は痛いし今の衝撃で喉奥もぐるぐるしてて気持ち悪い。
ただの生理痛だったはずなのに、どうしてこんなことになったんだろう。なんかもう今はお腹が痛いだけじゃなくて頭も痛いし気持ちも悪い気がする。やっぱり今日はついてないなぁ。


「ありがと真波。ごめん」
「夢乃さん、大丈夫?保健室行こう。歩ける?」
「うん、大丈夫。真波は部活行きな」


やっぱり今日の部活はやめよう。このまま行っても迷惑になるだけだ。洗濯も記録も出来そうにない。諦めてしばらく保健室で休ませてもらって、復活したら部活に行くことにしよう。
真波の肩を押そうとすれば、反対に腰を抱くようにして引き寄せられる。
真波は顔とは打って変わって意外と力強いなぁなんて、ぼんやりした頭で考えた。


「一緒に行くよオレも。心配」
「大丈夫だよ」
「だめ。あ、そうだ。夢乃さんちょっと待ってて」


そう言って真波はさっきまで押していた自転車に跨ってスイスイと進んで行ってしまった。だけどすぐそこにあった木に自転車を立てかけてから、またこっちへと走って戻ってくる。そうしてそのまま私の前に立って背中を向けると、ちょこんとしゃがみ込んだ。
私もそこまで鈍感じゃないし、くらくらする頭でも真波が何を求めてるかくらい分かる。だけどそれはちょっと恥ずかしいというか、いや、嬉しい!とても嬉しいんだけど私も一応女子なので真波に「この人重いなぁ」なんて思われるのは恥ずかしいし、「軽いですねぇ」なんて言われる自信は残念ながらない。なんなら体調的にはむくんでるはずなのでいつもより重いはずだ。ほんの少しかもしれないけど、やっぱりちちょっとでも軽く思われたいというささやかな乙女心。


「乗らないの?」
「無理。今ほんとに無理」
「えぇーだって危ないもん。ね?お願い」
「いやぁ…ちょっとそれはなぁ…」
「あ、お姫様抱っこにする?」
「それはもっと嫌」
「じゃあどうぞ。大丈夫です。オレ、夢乃さんくらい余裕だよ。男の子ですから」


ぼーっとする頭で真波の甘くてゆっくり優しい声を聞いていると、なんだかいいかなって思ってしまうから不思議だ。やっぱり私は真波に甘いというか、真波に弱い。
それに、真波が言ってることがカッコいい。こうやって時々男の子の顔見せるのがギャップというか、きゅんきゅんきてしまうのは惚れた弱みなんだろうか。いや、きっと女の子なら誰でもこうなると思う。真波ってきっと年上キラーだ。
そう思うと、ちょっとモヤモヤするけど仕方ないんだよなぁ。だって真波は私のものじゃない。誰のものでもないし、誰が真波を好きになっても文句なんか言えないんだから。
もやもやもやもや、考えると頭もぐるぐる回ってお腹もズキズキして、立ってるのがだるくてその場にぺたりとうずくまってしまった。
すると背中を向けていた真波が慌てたようにしてくるりとこっちに向き直る。


「夢乃さん!?大丈夫?」
「…真波、」
「なに?どうしたの?誰か呼んでこようか?」
「…ん」


ねだるように両手を伸ばしてみれば、真波の目が大きく見開かれた。


「…ほんと、ずるい人」


私の腕の下にするりと伸びてきた真波の意外と逞しい右腕。引き上げるかのようにそのまま抱き上げられる。私は真波の首に回った腕にぎゅっと力を込めた。


体調不良を言い訳にして、真波に甘える私は確かにずるいよね。


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