花がら摘み



シフトよりも随分早い時間にやってきた私を見て店長は驚いていたものの「団体さんが急に入ったから助かるよ」と心優しく受け入れてくれた。そんな風に必要としてくれる人がいることは、今の私にはとても助かる。例えバイトだとしても、必要としてもらえること、私がいる意味を与えてくれることは嬉しい。

ついさっきまで自分なんて、とマイナスな考えで埋め尽くされていた脳内が少しだけ浄化されたような気がする。一過性のものだと分かってはいるけれど、今はそれに縋り付いていたくていつもよりも大きな声をあげてひたすら接客をしてフロアを回した。

そうすればあっという間に時間が過ぎていき、気づけば23時。バイトを終えて、ロッカーで着替えつつスマホを確認すれば着信が4件入っている。1件は待宮から。もうひとつは金城から。そして残りの2件は荒北から。

待宮からの着信も金城からの着信も、内容なんて聞かなくても分かる。分かるからこそ、掛け直したくなかった。慰められても、叱られても、今は受け入れたくない。残念ながら私はそこまで人間できていない。心配してくれることも、同情だと感じてまう。そんなことないのに。2人とも優しい人だと知っているはずなのに。こうやって捻くれている自分だから、荒北は私を選んでくれなかったのだろうか。
いや、そもそも私は選ばれるための舞台に上がっていなかった。今の距離が心地良くて、壊したくなくて、何もしなかった。このままでいいのかもしれないと、思っていたからこうなった。なんで気づかなかったんだろう。私が何もしなくたって、この関係が崩れる可能性なんて山ほどあったのに。

自分の浅はかな考えに呆れて落ち込み、はぁーっと重たいため息をついて、鞄を持ってロッカーを出た。待宮にも金城にも、もちろん荒北にも折り返しをする気はないのに、用もなくスマホを見つめたままお店の裏口のドアを開ける。


「テメェ、スマホ見てンじゃねェか」
「ひっ!?」


突然降ってきた声にビックリして、小さく悲鳴をあげて後ずさりながら手の中で跳ねたスマホをなんとかキャッチした。
スマホを落とさなかったことにホッとしたのも束の間、目の前から突き刺さっている視線を感じて、背筋が冷える。


「返事くらい返せヨ!ッたく」
「…荒北?」
「アァ?」
「…何でいるの?」
「何でッて…別に普通だろ」
「普通…」
「ん。オラ、帰ンぞ」


普通って、何だろう。

確かに、荒北が私のバイト先に来ることは珍しくない。こうして夜遅いシフトの時は自転車ついでにふらりとやって来ることがあった。別に約束したわけでもない。荒北のバイトが終わる時間と私のバイトが終わる時間が同じような時間の時は、ついでに私のバイト先までやって来て、隣に並んで歩いて私を家まで送り、自転車に乗って自分の家へと帰って行く。


「みょうじ」


当たり前のように右隣に並んだ荒北が私の名前を呼ぶ。顔を上げれば、あの目が私を見つめてくる。

今までの私たちにとっての、普通。

朝起きて、1番に荒北の声を聞く。くだらない言い合いをして、じゃれあって荒北の肩を小突く。荒北の大きな手が私の背中を叩く。授業の空き時間に2人きりで過ごす。くだらない会話をして笑い合う。2人並んで帰路に着く。私のバイト先に荒北が迎えに来てくれる。

付き合ってもないのに、ただの友達なのに、これは普通なの?
じゃあこれからもこの普通は続くの?荒北には彼女がいるのに?私はそんな荒北の隣を歩くの?

荒北のことが好きなままで、こんな関係を続けるの?


「…普通じゃ、なくない?」


ぴたりと、足を止めて呟く。私より一歩先に進んだ荒北がこちらを振り返り、パチリとお互いの視線が絡み合った。


「ハ?…今さら何言ってんンの?」
「荒北さ、彼女できたんでしょ」


言わなくていいのに、口に出してしまった言葉も想いももう止められない。自分の中にしまっておこうと思っていたのに。全部荒北のせいだ。私ばっかり、こんな想いをするのも。苦しいのも辛いのも、我慢も私ばっかり。それでいいと思っていたのに、許せなくなる。我慢出来なくて、口から出てくる言葉たち。


「ねぇ、彼女。出来たんでしょ?」
「アー…」
「待宮に聞いた」
「アイツ…勝手にぺらぺら喋りやがッて」


照れくさそうに右手で後頭部をかく荒北を見て、また現実が襲いかかる。
嘘だって言ってくれるんじゃないか。そんなのいないって、一蹴してくれるかもなんて期待が粉々に砕け散る。


「…彼女いるのに、こういうの悪いなって思って!」


私の家に上がることもなく、ただ遠回りして家に帰って行く荒北の後ろ姿が好きだった。大事にされていると思えた。直接言葉をもらったことなんてないし、聞いたところで素直に返ってくるわけないだろうけど、きっと、私のことを心配してくれてるんだろう。それって、私がそれほどの価値のある女の子だからかもしれない。友達だから、ってそうやって切り分けて期待しないようにしてたくせに心のどこかではちょっと期待して、嬉しくなって苦しくなって、好きの気持ちを育ててきた。


「…別に関係ねェだろ。俺らとソレは別モンだろーが」
「関係なくはないでしょ。そういうもんだよ」
「勝手に決めてンじゃねェヨ。俺がいいんだから、いいんだヨ」
「よくないから、もうこういうのはなしにしよ!会う時は4人でね!」
「ンだヨ……よくないッて、意味分かンねェ!」


よくないのは、私だけだから。何も言い返せない。
眉間に皺を寄せて、眉を吊り上げてこちらを睨みつけてくる荒北の鋭い視線を受け止めて、私は泣きそうになるのを必死に堪えた。ぎゅっと握りしめた手のひらに爪が食い込んで痛いけれど、それよりもずっとこうして全部隠して、荒北のことが好きなまま荒北の隣にいることを想像した方が胸が痛い。


やっぱり、荒北のことが好きだ。

どこがなんて、いちいち説明できない。出会って、一緒に過ごして行くうちに知った荒北のことを思い返す度に苦しくなる。
私の名前を呼んで笑ってくれるところ。口は悪くても本当は優しいところ。レースについて話す楽しそうな顔。全部まとめて好き。

私は最後まで、荒北を好きなままだと思う。
私じゃない誰かに愛される荒北のことも、好きになってしまう。
嫌いになることなんて今更できない。

だからそばにいることは苦しい。普通を続けられない。私はこの感情を捨てられないから、誰かのものになった荒北のそばにはいられない。


「朝の連絡も、もういらないから」


そう言えば、荒北の手が伸びて来て私手首を掴んだ。
私の手首を最も簡単に、くるりと一周して包んでしまう角張った大きな手と長い指。鋭く、真っ直ぐな視線が私を刺す。


「辞めンなヨ」


力いっぱい腕に力を込めて、慌てて荒北の手を振り解いた。そのまま踵を返して、地面を蹴って荒北に背を向けて走って逃げ出す。

恥ずかしい。
初めて触れた荒北の手の熱さにドキドキしていた私のことなんて荒北は知りもしない。

ただ純粋に、荒北が見ていたのは私と自転車のことだけだった。
荒北にとっての私が、どういう存在なのか痛いほど分かってしまった。愛とか恋とかそんなんじゃなくて、ただ、自転車を知って欲しかっただけ。教えたかっただけ。それ以上なんて、きっとないのだと思い知らされた。

それと同時に、見透かされていたのだ。
多分私が、明日から朝早く起きる理由がなくなるんじゃないかということも。



明日の朝、荒北からの電話がない。

そしたら私は、どうするんだろう。











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