摘芯



自分は恵まれているなと、感じるようになった。


中学から高校にかけての頃はドン底にいて、自分の人生なんてもうクソだと思ってどうでも良くなっていた。誰から何を言われようと、自分がどうなろうと周りの人間がどうしようとどうでもいい。そんなもん知ったこっちゃない。どうにでもなれ。

そんなイキり散らかしてた自分のことを変えたのが、フクちゃんとの出会いであり自転車競技との出会いでもあった。

自転車競技を始めてから、人生がまたガラリと変わっていった。グラフで表すとするのであれば、もの凄い斜度で右肩上がりをして今に至っていて、俺は人生の最高到達点をどんどんと更新し続けている。毎日が充実いていて、楽しいで溢れている。そりゃ、レースで負ければ悔しいしテストが上手くいかなけりゃ最悪だと思う日もあるけれどそんなのは小さなことであって、人生を左右するほどのものではない。
恵まれすぎている。自転車競技を通して出会ったもの全てが、俺を良い方向へと導いているのだと感じている。

だから、教えたかったのだ。
きょとんとした丸い目に映っているその自転車がどれだけ楽しいものなのか。それを知ったらどんな人生が待っているのか。きっと楽しくなる。そいつの人生が変わる瞬間を見てみたい。

出会ったばかりの他人にどうしてそんなことを思ったのか。今考えても俺の一方的な押し付けでしかないけれど、多分俺は俺を見ていて欲しかったのだ。
俺を見て、みょうじの人生の何かが変わる瞬間を見てみたかった。極論誰でも良かったのだけれど、どうしてか俺はみょうじ選んで、みょうじに声をかけて、みょうじに見ていてほしいと思った。

そこに理由なんてない。
ただ、俺の目の前にいたのがその時みょうじだった。
そしてみょうじの隣は思ったよりもずっと居心地が良くて、楽だったから友達として、仲間として隣にいるのだ。




****





日常は突然崩れていく。なんの前触れもなく、突然聞かされた言葉に私はしばらくその意味を理解することができなかった。


「荒北に彼女ができた」


学食で待ち合わせをしていた待宮は、席に座っている私を見つけるとズボンのポケットに手を突っ込んだままズンズンと大股で歩いて来る。スカジャンを着ているせいもあってヤンキーさながらのその勢いに一瞬ビビったものの、いつものことかと呆れていたのだけれど近づいて来る待宮の顔はいつもと違う気がして、ぞわりと心臓が小さくなる。

私の目の前の椅子を引いて、ガタンと大きな音を立てて座った待宮はやはり機嫌が悪いらしい。右手で頬杖をつき、むすりとした顔をしていて私と目を合わさずにそっぽを向いてしまった。
そもそも待宮から連絡があり、私は呼び出された側なのにどうしてそんな不機嫌な態度をとられているのか意味が分からない。私から待宮に何かした覚えもないし、そんな態度をとられることにムカついて口を開こうとすれば、待宮がボソリと呟いた言葉。


「荒北に彼女ができた」


あぁ、そうですか。とでも言えば良かったのだろうか。
なんて言葉を返すべきか分からず、私の口からはなんの音も出てこなかった。態度の悪い待宮へ言おうとした文句ごと、喉の奥へと消えていく。


「みょうじが、早く言わんのが悪いんじゃ」


ギロリと、目の前で待宮の鋭い視線が私を睨みつけてくる。
刺さるような視線が痛くて、だけど何でそんなに待宮から責められなきゃいけないのかが分からなくて、やっぱり私は何の言葉を発することもできずにただ、首を垂れて膝の上で両手の拳を爪が食い込むほどの力で握りしめることしかできない。

なんで、待宮にそんなこと言われなきゃいけないの。
そもそも何?荒北に彼女なんてありえない。信じられない。どういうことなのかさっぱりわからない。
荒北に仲のいい女の子なんていたっけ?どこの誰なの?何をしている人なの?
そもそもそれって本当?街宮の勘違いなんじゃないの?


私の頭の中など見透かしたかのように、待宮は不貞腐れた顔をしたままつらつらと聞いてもいないことを流暢に述べていく。

ついさっき荒北本人から聞いたので嘘ではないこと。
相手は荒北と同じゼミにいる同級生の女の子なこと。
女の子から荒北に告白して、荒北がそれを受けたこと。
今日は部活が休みだけれど、荒北は彼女と帰るので一緒には帰れないということ。

聞けば聞けほど、現実なのだと打ちのめされる。これは夢なんかじゃなくて、現実なのだと気づいた時には私の視界はゆらゆらと揺れて、滲んでこぼれ落ちていく。


「…泣くな」
「……ごめん、」
「みょうじが今泣いたって、どうにもならん。ワシが泣かしたように見られるじゃろ」
「…ごめん」


泣いたってどうしようもないことなんて分かっている。目の前の待宮が不機嫌な理由が、私のこの態度なこともなんとなく分かる。待宮は口は悪くとも私のことを応援してくれていた。
3人になった時にさりげなく身を引いてくれたり、カナちゃんの話をして荒北に彼女がいるのは良いことなのだとアピールしてくれたり。だからこそ、はっきりと行動できない私に苛立って厳しい言葉を向けてくることもあったけれど、それも愛情だ。遠くからそっと見守る金城はどちらの味方でもないけれど、多分待宮は最初からずっと私の気持ちに気づいていて、私の味方になってくれていた。
だからこそ、今のこの現状に苛立ちを隠せないのだと思う。自分の思い通りにいかなかったこと。私が一歩を踏み出さずにいたこと。荒北が予想外の一歩を踏み出したこと。どれもこれも、ただ見ていた待宮からしたら苛立ちでしかない。

荒北に彼女ができた。
私よりも近い女の子ができた。

でも、だからといって、日常は変わらないんじゃないだろうか。
荒北に彼女がいようが、明日は来る。部活に行って自転車に乗ってる姿を見て、楽しそうで必死な荒北をただ見つめるだけの私の日常は変わらない。
私が今まで通り荒北に接することができれば、何も問題なんてない。ちゃんと笑って返せればいい。何を言われたっていつもみたいにふざけ合って、隣にいたらいい。私の日常が壊れることはない。そもそも荒北は私が荒北のことを好きだなんて知らないのであって、つまり今まで通り接していればこの気持ちがばれることもない。

取り繕って、隠し通して、隣にいられればそれでいい。これから先もずっと、この気持ちを口に出さずに、態度に出さずにいれば今まで通りいられる。


これから先って、いつまで?


「待宮ァー」


遠くから聞こえてきた声に、びくりと肩が大きく跳ねる。慌てて両手で目元をゴシゴシと擦って乱暴に涙を拭いた。下を向いているせいで声の主が今どこにいるのかは分からないけれど、声の大きさ的に近くにいるわけではないだろう。
どうせいつもみたいに遠くから、馬鹿でかい声で名前を呼んで歩いてきているのだ。待宮と同じようにポケットに両手を突っ込んで、少しだけ前傾姿勢で歩いてくる姿は簡単に頭の中で想像することができる。大股で歩いてきて、そうして私の隣の席に腰を下ろす。待宮の隣だって空いてるのに、どうしてか荒北の定位置は私の隣。


「みょうじ?何しょぼくれた顔してンの?」


想像通り、私の隣の席へと座った荒北がひょっこりと私の顔を覗き込んでくる。

あーあ。ほらね。全部分かってしまうんだよ。荒北のこと。
荒北と過ごした時間はまだまだ短いけれど、それでもずっと見てきたんだから。ちょっとした動作ひとつひとつに喜んだり悲しんだりしている私を、荒北は知らないでしょ。
知らなくていいよ。全部私だけのものだから。私が勝手に荒北を好きになってしまっただけだから。


「…何でもない。今日のバイトが憂鬱なだけ」
「ナニィ?嫌なことでもあったワケ?」
「そーそー。早めに来て欲しいんだって。だからもう行かなくちゃ」
「ハ?お前まだこのあと授業あるだろ」
「まぁいいかなぁーって。出席率は足りてるし、大丈夫」
「オイ!」


何を思ったのか、私の腕を掴もうとした荒北を制するように、大きな音を立てて椅子から立ち上がる。


「また明日ね」


椅子にかけていた鞄を抱えるようにして、待宮と荒北に小さく手を振って一方的に別れを告げた。2人の顔を見ることは出来ず、踵を返して小走りで学食を出て行く。


顔を見たらダメだった。この人の隣に別の女の子がいるなんて耐えられない。右隣は私がいい。左隣なんて誰にもいてほしくない。

彼女じゃなくて、友達ならいつまでもずっと隣に居られる。なんて浅はかな考えだったんだろう。無理だ。誰かのものになっていく荒北を隣でただ黙って見ているのなら、友達なんて距離はいらない。そんなのではいられない。
何も変わらない日常なんてない。荒北の日常に彼女という存在が入り込んで、私はそれに干渉できない。変わっていく荒北を見るのはつらい。自分が知らない荒北の時間が怖い。


そうして気づく。
私は私が思っていたよりも、ずっとずっと荒北のことが好きだった。日常が荒北で色づいていたこと。
うまく隠していた恋心だって、本当は気づいて欲しかった。私は荒北のことが好きなんだって、ちょっとは意識して欲しかった。

自転車競技に出会えたことよりも、荒北に出会えたことの方が、私の人生の中で大きな出来事だったことに、ちっとも気づかない純粋な荒北。
そしてそんな純粋な荒北の気持ちを踏み躙っていた自分。


あぁ。
なんて、恐ろしい気持ちを抱いてしまったんだろう。











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