水やり



大学の授業は自分で選んで受講するので、時間割も自分次第になる。
単位は1年生のうちから取れるだけ取っておいた方が良いだろう。それと午後の時間は開けておいた方が良い。どうせ部活で朝練もあるのだしと、私は1限の授業をほとんど毎日取っていた。とは言っても受けられる授業は限られているので、出来るだけ1限から順に授業を入れて5限や6限は取らないようにした。その方が、バイトも部活もある身としては楽だろうと思ったのだけれど月曜日だけはどうしても上手く時間割が組めず、ぽっかりと2限からお昼までの空き時間が生まれることになってしまった。どうやら希望した授業が人気の授業だったらしく、私は運悪くその授業を受けるための抽選に落ちてしまったのである。授業に抽選があるなんて聞いてないし。こっちはお金を払って大学に通っているのだから、受けたい授業くらいちゃんと受けさせてほしい。

むすりと頬を膨らませながらそのことを3人に話せば、金城は可哀想な目で私を見つめ荒北と待宮はゲラゲラと指をさして私のことを笑った。ムカつくのでその手を関節とは逆の方向へと曲げてやれば、2人揃ってまた大きな声でギャンギャンと文句を言ってくる。そんなんで折れるわけないし、本気で折るわけないのに。面白いからいいけど。ただ2人揃ってうるさいと周りからの視線が痛いのでやめて欲しい。ただでさえ、男3人と女1人でいるとなると周りの目は気になるというのに。
まぁそんなのも今更だし、誰に何を言われようとどうでもいいっちゃいい。女の子の友達がいないわけじゃなくて、何となくこうして4人でいる方がしっくりくるのは事実だし。それは、私の荒北への感情を除いても変わらない。


「退屈だな。どうするんだその間」
「まぁ、適当に過ごすよ。図書館とか食堂もあるしね」
「…フーン」
「ぷぷ。御愁傷様じゃな」


荒北は私の返答にそれほど興味もなさそうに答えたくせに、どうしてか月曜の2限の時間になると私の隣にいる。
あの場では言わなかったくせに、どうやら荒北もこの時間は空き時間にしていたらしい。


最初は「どこ」とか短くぶっきらぼうな連絡が来て、返事をすれば私のいる場所へふらふらとやって来た。なんとなく合流して、どこであっても2人で過ごすのが当たり前になっていく。食堂だったら適当にパンを食べていたり、図書館だったら本を読む私の隣で静かに漫画を読んでいたり。
そんなことが続くものだから、今となってはあらかじめ連絡を取り合って2人でどうやってこの時間を過ごすか計画することが当たり前になっていた。

今日は、2人とも今週締め切りのレポートが控えていたので図書館で集合。1階は人が多いので騒がしくすると冷めた目で見られてしまうけれど、地下は意外と穴場で多少お喋りしようが大丈夫なのだと気づいたのは、荒北と2人で過ごすようになってしばらく経ってからのことだ。
しばらく館内を彷徨いていくつか参考になりそうな本を抱えて席へと戻れば、そこにはすでに荒北が座っていた。上半身をぺたりと机にくっつけて、指先でシャーペンをくるくると回している。


荒北という男は、誰にでも優しいわけじゃない。誰とでも仲良くなれるような人でもない。

私がこうして荒北のそばに置いてもらえるのは、きっと荒北にとって私が邪魔にならないちょうど良い距離を保てる女だからだ。直接そう言われたことなんてないけれど、なんとなく分かる。
荒北にとって私は金城や待宮と同じで、自転車を取り巻く中にいる仲間の1人としてカウントされているのだと思う。それはとても嬉しい。ただのマネージャーなのに、仲良くしてくれて連んでくれる荒北たちは私にとっても心地良い。

けれど、今のこの隣に座れる距離というのは決してプラスな意味だけではない。すぐそばにいるけれど、それ以上は近づけないし、近づいてはいけない。明確に、私と荒北の間にはラインが引かれている。
それは男女としてのものなのか、それ以外のものなのかまでは分からないけれど。

絶対に、気づかれてはいけないのだ。
勘の良い荒北にどこまで取り繕えるかは分からないけれど、多分まだ大丈夫。
こうして荒北の方からふらりふらりと隣にやって来てくれる限りは、きっとばれていない。


ふぅっと、軽く息を吐き出してから歩を進め、荒北の隣の席へと腰を下ろした。荒北はチラリと視線だけをこちらに向けてから、また綺麗な指の先でくるくるとシャーペンを器用に回しだす。


「荒北、今何文字なの?」
「ゼロ」
「は?」
「ゼーローですケドォ」


繋がっている机なので遠慮なく覗き込めば、確かに荒北のプリントは真っ白のままだった。受けている授業が違うのでどんなレポートを書けば良いのか中身は知らないけれど、ゼロってやばいんじゃないだろうか。まぁ手書きだしそんなに文字数が必要ってわけでもないんだろうけど。


「やばくない?大丈夫?単位落とす?」
「バァカ落とさねェヨ」
「落としたらレース出れないらしいよ」
「…マジィ?」
「先輩言ってたよ」
「マジジャン。やっべ」


しゃんと背を伸ばしたかと思えば、さっきまで指の上で踊っていたシャーペンでスラスラとレポートを書き出す荒北。どうやら頭の中には内容がまとまっているらしい。
やれば出来るくせに、やるまでに時間がかかるというか…ギリギリにならないと頑張れないタイプだよねこの人。私はなるべく早く計画的に終わらせたいタイプ。荒北とは真逆。私と荒北は似ていない。
だけど何となく気が合って、何となく隣にいて、それが楽しいのだから不思議。
最初はそんなこと知らなかったのに、しれば知るほど気になることが増えていく。私にないものを持っている荒北のことを、尊敬する時もあれば不思議に思う時もあって、荒北の新しい一面を知る度に私は新鮮な気持ちになって、何だか新しい自分に出会えたような気がしてしまうのだ。単純に、荒北といると毎日が楽しいし面白い。
明確に、いつからこの気持ちを抱いたのかなんてわからない。気づけば目で追うようになって、荒北のことをもっと知りたくなって、私のことを知って欲しくなってしまった。


2人が文字を書く音だけが響くこの空間は、ひどく居心地が良かった。荒北の隣にいることは、ドキドキすると同時に居心地が良い。誰にも懐いていない犬が自分にだけは懐いてくれているような優越感とか、そういうやつもあるしただ単に私が荒北に抱く気持ちがそうさせているのかもしれない。


「みょうじ」
「んー?」
「今度のレース来ンの?」
「行くよー」


今度のレースとは、荒北たちが出場するレースのことだろう。マネージャーの先輩と相談して、それは私が担当させてもらえることになった。
レースだからと言って、部員全員がサポートに行けるわけではない。洋南大学ではレースに出場するメンバーとは別にサポートとして部員が何名かと、マネージャーが1人参加することが多い。マネージャーは私と先輩との2人きりなので話し合った末にどちらかのみ参加になるのだけれど、荒北達1年生が出るレースに関しては先輩が私に気を遣って譲ってくれることが多い。

正直に言って、自転車競技についての知識は私は先輩の足元にも及ばない。周りを見渡す力とか、レースを運営する企画とか経験とかその他諸々。器用でもないし、取り柄なんて何もない。
高校時代から自転車競技に携わっていたのだという先輩と、成り行きでマネージャーになった私では土台から違うのだ。

きっと先輩がレースに行った方が、私よりみんなのために役に立てるだろうということは分かってる。それなのに、私は先輩に「なまえちゃんよろしくね」と言われたら溢れそうになる笑顔を必死に堪えて「はい」と受け入れてしまう。

荒北が、自転車に乗る姿を見るのが好きだ。
見たことない顔をして自転車に乗っている荒北を見ると心臓がキュッとなる。苦しそうだったり、挑戦的だったり、笑っていたり。
こうして隣に座っている荒北とはまた違う荒北を見ることができるのはレースの時しかない。

やましいと言われるかもしれない。不誠実だと罵られるかもしれない。

成り行きで入った私が自転車競技部のマネージャーを続けている理由なんて誰にも言えない。何もない。本当に、それしかない。ただそれだけしかないなんて、荒北には絶対言えないしばれたくもない。


「アッソ」


言葉だけ聞いたら冷たい返事に聞こえるけれど、顔を見たらそんなことないのだから困る。
机の上に伸ばした右腕に顔を乗せて、隣にいる私を見上げるようにしてニヤリと笑ってそんなことを言われて。どうしたってその「アッソ」には荒北の嬉しさが滲み出てしまっている。

私がレースに行くのが、そんなに嬉しいんだろうか。なんて、そんなわけない。

荒北は純粋に、私がレースと自転車競技に夢中なのだと思っている。
朝早く起きて朝練に行くのも、レースに行くのも、大会の企画に携わって走り回るのも、全部私が自転車競技を好きになったからだと思っている。

レースが終われば私の元へやってきてドヤ顔をするし、帰りにみんなで寄るファミレスでは私からレースの感想を引き出そうと色々話を振ってくる。自分が引き摺り込んだ世界に私がのめり込んでいるのだと信じている荒北は、私が自転車競技について話すといつだって満足そうに笑うのだ。


「じゃ、また車乗ってくだろ」
「金城が運転するなら乗せて欲しいかな」
「ハァ?俺はァ?」
「荒北の運転怖いもん」
「ンでだヨ!普通だからネ」
「後ろ座ってるといつかぶつかるかもって気が気じゃないんだよ」
「なら前乗せてやんヨ」


前って…つまり助手席に乗っていいってこと?
車に乗ることは別に、今更なんてことない。大抵いつもレースに行く時は金城、待宮、荒北と一緒に車に乗せてもらっていたし、4人で行動するのが当たり前だし。けれど、やっぱり好きな人の運転する車の助手席って特別に感じてしまう。
ドキリと一瞬高鳴った心臓がばれないように、口を一文字にすれば、こっちを見上げて笑う荒北と目が合った。
いつもと何も変わらない顔して笑う荒北。荒北からしたら、そんな大したことなんかじゃないんだ。きっと私だろうと金城だろうと待宮だろうと変わらない。もしかしたら他の女の子にだって簡単に同じことを言うのかもしれない。荒北の口から出る一言がどれだけ私を喜ばせるのかなんて、考えたこともないんだろう。


「…じゃあ助手席でDJしてあげるね」
「セットリスト組んで来いヨ」
「睡蓮花入れないからね」
「なンでだヨ!入れとけ!」


荒北が笑いかけるたびに、膨らんで育っていくこの気持ち。
今はまだ大切に大切に、心の奥底にしまっておこう。

ばれないように、気づかれないように。











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